沼の見える街

ぬまがさワタリのブログです。すてきな生きもの&映画とかカルチャー。

つまらない建物が世界を滅ぼす!?『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』読書感想

あなたの住む街の建物は「面白い」だろうか、それとも「つまらない」だろうか。そもそも「面白い」とか「つまらない」とかの視点で建物を見たことなんかないよ、映画じゃないんだから、と思うだろうか。そりゃたしかに街に並ぶビルも、郊外の住宅地も、「面白い」外観じゃないだろうけど、建築なんて実用性が第一であって、面白さなんて目的じゃないんだから、それでいいんじゃないの? 面白いかつまらないか、なんてそんなに重要なことか?

ああ、ものすごく重要だ、と熱く語りまくる一冊、それが『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』である。

それほど建築への興味を持っていなくても、とても面白かったし、ひたすら読みやすかったし、街や建物を見る目が間違いなく変わる一冊だった。まだ1月だが、今年のベスト本に確実に入ってきそうだ。

著者は著名なデザイナーのトーマス・ヘザウィック。イギリスの〈コール・ドロップス・ヤード〉などの建築から、家具まで多様な作品群を手掛けている。

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知らなかったが、麻布台ヒルズのガーデンプラザもヘザウィック・スタジオの設計のようだ。(このまえ「高畑勲展」で行ったな。)今度行ったらよく見てみよう。

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本書『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』では、私たちの街にそびえ立ち並ぶ「つまらない(BORING)」建物をぶった斬っていく。独創性、親しみやすさ、楽しさといった人間的な要素を排除して、建築を大量生産の工業品のように捉える(にもかかわらず建築家は自身を芸術家と思い込んでいる)モダニズムがもつ有害な側面を、わかりやすく論じていく。そのうえで、建物をHUMANISE(人間らしくする)することの重要性を語る本となっている。

『HUMANISE』冒頭で、最高の例としてあげられる建築物が、ガウディの作品群だ。

著者は若い時、バルセロナでガウディが建てた「カサ・ミラ」に衝撃を受けたという。

(数年前バルセロナに行った時に撮ったカサ・ミラの写真↓ あまり長居できなかったが…)

「それまでの人生で見たどんなものにも似ていなくて、とんでもなく生々しい石の彫刻の性質と、現代的な集合住宅の性質を兼ね備えていた。
私は唖然とした。こんな建物が存在するなんて、思ってもみなかった。」

「9階建ての建物のファサードは光を受けながら驚くほどにうねっていて、内から外、上から下へと自由自在に踊っている。まるで建物自体が呼吸しているみたいだ。」

ヘザウィックは自身も建築業界でキャリアを重ね、金・時間・法規・政治の影響力も、ちょっと曲線が入るだけで建築家がビビることも知った上で、カサ・ミラが「いかに天才的であるかを明確に理解できるようになった」と。

カサ・ミラは「大胆な曲線の祭典」であり、当時もセンセーショナルで、実際ガウディも当局と揉めまくり、「高すぎ、柱が歩道にはみ出てる」など法令違反もあった。しかしガウディは高額な罰金(設計料と同額)を払ってまでこのデザインに固執した。

それはカサ・ミラの生命力あふれる外観が、一部の特権階級ではなく、道行く普通の人々への「贈り物」だったからだ、と。ガウディのカサ・ミラが視覚的に成功し、これほど多くの人に(街の人にも外国人にも)愛される理由として、著者は「反復と複雑の華麗で独特な組み合わせの結果」だと語る。

人間は繰り返し(秩序、対称性、パターン)を好む一方で、それが多すぎるとイヤになる。人は好奇心に富み、知的で、飽きっぽい動物でもあり、複雑さも好むのだ。つまり繰り返しと複雑さの絶妙なバランスが魅力的な建築(に限らないが)の条件となる。

カサ・ミラのバルコニーの鉄細工ひとつとっても、それぞれ異なるねじれ方をしている驚異的な複雑さを示す一方で、美しい反復と秩序も感じさせる。こうしたバランスが少し崩れるだけで、魅力は失われていただろうとも。

『HUMANISE』カバーの表紙にもなっている、カサ・ミラの壁の手触りについて、石の表面にも職人技が現れているそうだ。

わざわざ石を滑らかに磨いたりはせず、ざらっとした質感をあえて残し、「人間の手仕事」を強調している。現代のありがちなツルッとした建築とは違い、生々しい切り傷のような削り跡が、光の具合で建築に豊かな表情の変化をもたらす。

カサ・ミラの曲線や装飾や素材の使い方が、この建築をとても「3次元的」にしていると著者は語る。しかもこれは古代の城や王宮ではなく、普通の現代の建物であることに、いっそう感動して、すべての建築に芸術的な可能性がある、と思うようになったと。

かように冒頭でガウディのカサ・ミラを称賛しつつ、ここからが『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』の本題。ではなぜ、この世の圧倒的大部分の建築物はカサ・ミラみたいじゃないのか?という問題を読者に突きつける。なぜ私たちは直線と単調さが支配する、圧倒的に「つまらない(boring)」建物に取り囲まれているのか…?

コストのせい?建築家のせい?不動産業者の、自治体の、都市計画者のせい?

どれかひとつには絞れないが、最大の犯人として、著者は「モダニズム」をあげる。特にル・コルビュジエの負の影響力は圧倒的であると。どうやってモダニズムの呪いから脱し、建築に人間性を取り戻せるか、が本書の主題。

ここから『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』、建築界におけるモダニズムの最大の体現者であるル・コルビュジエを「つまらなさの神」という率直すぎる呼び名とともに批判していく。もちろん建築界の大御所なので反発もあることだろうが、彼の掲げた「装飾の廃止」「直線絶対主義」「大量生産志向」「街路の廃止」「建物の外部より内部を重視」などの信念が、後の建築にとってあまりに大きな影響力をもち、いま私たちが直面する「建築的な大惨事」に結びついたと語っている。

建築家を育てる教育的な過程も、一種の「モダニズムのカルト」と化してしまい、一般大衆が何を愛するかよりも自分たちの基準を絶対視した結果、似たような「つまらない」建物を量産する温床となってしまったと。

『HUMANISE』は、モダニズムの考え方を自動インストールしてしまっている私たちに、過去に目を向けるよう促す。たとえば「最も面白い建物」の一つとして紹介されるのが、ローマのパンテオンだ。(数年前に行った時の写真↓)

私(筆者)自身もローマに行くとパンテオンには必ず訪れることにしているのだが、何度行っても前代未聞かつ唯一無二の建物だと感じる。これほど重厚でありながら、独特のふわっとした浮遊感も感じさせる空間は他にみたことがない。

2000年前に建設され、地球上で最大の無筋コンクリートドームを持っている。この作り手があまりにも野心的だったために、2000年後の今もなお、建物が人々に愛されてその場に存在しつづけているだけでなく、その屋根は支柱のないコンクリートドームとしてはいまも世界最大のものだ。

圧巻の屋根だけでなく、驚異的な精度で開閉する巨大な銅製の扉は、今どんなメーカーも作れないだろうと著者は語る。テクノロジーが直線的に進歩していくというのは現代人の誤解で、思想も技術も過去に「負ける」ことはありうる。だからこそ歴史に学ぶことは大事だ。

パンテオンが建設されていた2000年以上前、ウィトルウィウスというローマの建築家/技術者が、『建築について』という本で、建物には「firmitas (強)、utilitas(用)、venustas (美)」が揃っているべきだと語る。それぞれ「強=倒れない」「用=機能を果たす」「美=喜びを与える」の3本柱は、どれも欠かせない椅子の脚だと。

最後の「美」、言い換えれば「面白さ」は、世界でも普遍的に、壮大で重要な建物にとって必須要素だった。しかし20世紀、モダニズムの勃興で「つまらなさ」が蔓延し、その「最も楽しい脚」が折れてしまったという。

19世紀〜20世紀初頭にかけて、第一次世界大戦や、銃や車や飛行機といった工業品が、人々の意識を一変させる中、モダニストは現代世界のための全く新しい表現手段を発明する必要に駆られた。

しかし『HUMANISE』では、「1950年代以降、多くの都市計画者がモダニズム思想の餌食となった」とし、装飾の廃止、直線至上主義、大量生産性、街路の廃止といった方向に突き進むル・コルビュジエを、先述したように「つまらなさの神」として批判していく。

いうまでもないが、モダニズムそのものは芸術に多くの革新をもたらした。芸術において、その思考は「古いルールを疑う」ことに向けられ、絵画ならピカソ、文学ならジョイスやウルフなど、多くの偉業が成し遂げられた。

『HUMANISE』著者が問題視する「つまらなさの蔓延」が、なぜ建築の分野で際立って起こってしまったのか…言い換えればモダニズムの精神が「暴走」したのはなぜか。

大きなファクターとして上げられるのが、第二次世界大戦である。戦争や爆撃によって荒廃した町や都市の悲惨な状況と、モダニズムの夢と熱狂はあまりにバッチリ噛み合ってしまった。爆撃を受けた場所にとどまらず、戦前の歴史ある建物の多くが取り壊されてしまう。その結果として…

"何十年もかけて、つまらなさが各大陸をベージュ色の霧のように包み、その攻撃的な虚無が何百万もの人々を窒息させている。"

ただしル・コルビュジエに対して全体的に辛辣なヘザウィックも、必ずしもル・コルビュジエを害悪扱いするだけではない、とはフォローしておく。

批判的な気持ちを抱きつつ地方まで観に行った、ル・コルビュジエの建てたロンシャン礼拝堂を、著者は「私が今までの人生で見た中で、最高の建物の一つだった」「崇高だった」と称賛している。皮肉にもというべきか、それはル・コルビュジエが日頃から公言している信念と、真っ向から対立するような建築だった。

あまりの影響力の大きさゆえ、本書のような手厳しい批判も出るのは頷けるものの、やはり巨匠なだけあって(?)ル・コルビュジエも、なかなか一言では語れない複雑さも持ち合わせていたんだろうと思う。

 

『HUMANISE』で問題視される「つまらない建物」は、単に美的な不満というだけにとどまらず、気候変動を引き起こす、といった観点もあると。

コンクリートや鉄鋼の炭素排出量は甚大で、建設/建築資材は年間排出量の11%(航空の5倍)。作っては壊しを繰り返すことは炭素コストの観点からいえば最悪で、「建物を長持ちさせる」ことは、気候変動対策としても必須となる。

だが「つまらない建物」は修繕のサイクルが短く、老朽化の割合が高く、何より住民に愛されないので、取り壊されても「まぁいっか…」と反発も起こりにくい。逆に面白い、愛される建物は取り壊されにくいという。

持続可能性のためにも「面白さ」は大切なのである。

『HUMANISE』、作っては壊し…の短絡思考へのアンチとして日本の伝統文化「金継ぎ」をあげる。

陶器のひび割れを金で修復し、その経年劣化や不完全の状態、そして傷をこそ「美しい」とする価値観。よそと同じくつまらん建物が蔓延する日本ではあるが、だからこそ「1000年残る」ような自国の伝統に立ち返る必要があるし、保守主義というのは本来こういうものではないのか? 保守なら保守してほしいものだ…

『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』、モダニズムの歪みと暴走を批判してきたけど、じゃあ具体的にはどんな建築を作れば良いっての?というごもっともな問いにも、本書なりの答えを出している。

それを極限までシンプルに突き詰めたのが「ヒューマナイズ・ルール」。(ご丁寧に切り取り線もあるぞ。)

ヘザウィックは「人々が通り過ぎる間、注意を引き続けられる建物を作るべき」というシンプルなルールを提唱する。近/中/遠距離から見て「面白い」と感じられるようなデザインにしようというわけだ。

段階が3つに分かれているのは、「通り過ぎる人」の移動手段や距離や体験も異なるから。実際、「面白い」建物はこのいずれの距離感から見ても、人の興味を引き続けられると語る。

じゃあ「面白さ」って何?という話にはなるだろうが、建築における面白さ=人間らしさとは何か、という話も本のなかでされていて、いきもの好き視点で「そうだな…」と思う部分もあった。

曲線とフラクタルは、人間的だ。

動物がつまらない住み処で生息しているのを見たことがあるだろうか?

ヘザウィックの手掛けた建築群も、流線型や渦巻きや手触りといった動物の肉体、もしくは巣などの構造物から多くを取り入れているのだろう。(もちろんこうした「自然」の形状が建築の人間らしさにとって唯一の正解ではなく、直線や直角が美しさや人間らしさをもたらすことも多いことも強調しているが)。私たち人間も結局はいきものなので、四角四面で平坦な単調さより、複雑なパターンや破調への強い愛着をどこかに抱えてるのだろう。

そしてやはりヘザウィックも、こうしたエッセンスを(本書でひとつの究極の理想として提示される)ガウディから学び取ったんじゃないかと思う。

私自身も、数年前にバルセロナに行って改めて感じたことだが、いきものが作り出す構造物や、いきもの自体の形態を、ガウディは意識的に取り入れていると思う(それを100年以上前に建築分野でやったという事実がまさに天才的なのだが)。

数年前に行ったサグラダ・ファミリアも、外見からぱっと見でいちばん連想したのはシロアリの巨大な巣だった(アフリカには5mを超える巣を作る仲間もいる)。

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バルセロナの街のどこからも目に入ることもあり、荘厳さを通り越して巨大な異形の怪物のような迫力がある外装も凄いが、聖堂内部の植物の根や菌類を思わせるような柱の使い方にも目を奪われる。

結果、あまりに「生命度」が高すぎてちょっと不気味さもあるがそれでも美しいという、完全に唯一無二の建築物となっている。

時に気持ち悪かったりグロテスクだったりもする生物の荒々しいパワフルさを、ガウディは建築という無機物を通じて抽出・再構成しようとしたのだと解釈している。

サグラダ・ファミリア、少し登ってみたところから見下ろす尖塔も印象的だった。

先っぽに、カラフルな玉が沢山ついた装飾物があるのだが、ガウディは虫や植物や菌類の生態や形態にインスパイアされているのではないか、という仮説も踏まえると、なんかの卵みたいにも思えてきて、不気味といえなくもない…のだが、とにかくそういう生理的なひっかかりを与えるものも含めて、「生命」を強烈に感じさせる意匠が隅々まで凝らされた、ものすごい建築物である。

サグラダ・ファミリア、塔の上に登っていく階段や手すりや通路の窓だけみても、「つまらない造形にだけはしないぞ」という強迫観念のようなものさえ感じた。「びよーん」とか「ぐにゃり」みたいな、あまり大聖堂的ではない擬音が随所で聞こえてくるかのようだ。

ガウディが残した「すべては大自然の偉大な本から出る」という言葉がある。創造のために発見すべき形はすでに自然の中に存在すると。この思想をもとに、ガウディは植物や動物や洞窟など自然環境の造形を建築に取り入れる。特に自然の中にある「幾何学」を重視し、後には放物線など曲面の追及に結びつく。

その思想の最大スケールの成果といえるのが、バルセロナのグエル公園。

エウゼビ・グエイ(=グエル)伯爵が分譲住宅として作った空間で、ガウディに好き勝手やらせただけあって必然ものすごいデザインになり、当時としては(いや今もだが)造形が斬新すぎてマジで誰も買わなかったようだ。しかし今では世界遺産の公園となっているので結果オーライ(?)

有名なトカゲくんもいるよ↓


もうひとつ紹介したいのが、バルセロナのガウディ建築の中でも最高傑作との呼び声も高い、郊外にあるコロニア・グエル教会。

繊維工場がある工業団地の労働者が通うための聖堂を作るはずが、途中でガウディが手を引き、フリーダムな発想の地下教会だけが残る。

天井を這う肋骨のようなレンガのアーチ、ぐにゃりとうねる切り出し玄武岩の柱…。

建物の外見も含めて、まるで巨大なクモやカニにも似た空想上の動物の体内にいるかのようだ、と思った。完成版は一体どうなっていたのか気になるが、たとえ未完成でも、『HUMANISE』で批判される「つまらなさ」の概念と、あらゆる意味で正反対の建物といえるだろう。電車を乗り継ぐアクセスなど少し手間だったが、行ってよかった。

コロニア・グエル教会、建築に詳しい人がみればさらに凄いことを色々やっているようで、たとえばポーチ(内部も凄いんだがこのあたりも凄い)のアーチ区画にある「放物双曲面体」は、「建築史上初めて現れた曲面体」として評価されている。

「ガウディが、三角形によって直線と同じように放物曲線を表現したことは驚きに値する」と解説(日本語版も売店に売っていた)にあった。

曲線に命をかけた建築家の本領発揮といえるし、この教会の成り立ち(工業団地の労働者が通うことを想定)を思うと、ガウディは本当に一般大衆のためにガチ技術を駆使して美しい建築を作ることを重んじた人だったんだな…と。『HUMANISE』でもまさに、そこが最も評価されているポイントだった。

そんなわけで、ガウディを起点にして建築の来た道とこれからを考えていく『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』、とても面白かったし、万人に開かれたわかりやすい書きぶりの本なのでオススメです。「読んだ後に世界を見る目が変わる」という意味では、まさに私の考える「良い本」の条件を満たす一冊だった。お値段は少し張るが、凝った装丁なので、できれば紙で読むのがいいと思う。

ガウディにも改めて興味が向いたので色々読んでみるつもり↓

↓ガウディ没後100年で、こんなイベントもやるらしいので行ってみようかな。

meets.naked.works

本物の戦場をお見せしますよ。『ウォーフェア 戦地最前線』感想

アメリカ大統領が突然ベネズエラに軍事侵攻したと思ったら今度はグリーンランドの領有を主張し、ロシア大統領はそんな西側の体たらくを嘲笑いながら相変わらずウクライナ侵攻をやめる気配すらなく、日本でも存立危機事態というワードを巡って憲法解釈の雲行きが怪しいし、世界各地で戦争という「ストーリー」が為政者に利用されまくっていて嫌になる今日このごろだ。

そんな中、「何がストーリーだこのやろう、都合よく戦争って言葉ばっかり振り回しやがって、こっちはマジで戦争に行ってその場でとんでもねー目にあったんだぞ、全部そのまんま見せてやるよ」といわんばかりに、また凄い戦争映画が殴り込みをかけてきた。

それが本作『ウォーフェア 戦地最前線』である。

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2006年、イラクで実際に起きたアメリカ特殊部隊の地獄のような脱出劇を、本当にその場で地獄のような体験をした元兵士たちの徹底した監修と証言を織り交ぜながら、文字通り「完全再現」することを志した映画である。

結果、世界各地の声だけはデカいがその場しのぎの保身しか考えてないやたら好戦的な煽動家や、「よろしい、ならば戦争だ」みたいな漫画のコマを貼ってイキるのが大好きなネット民が黙るしかないような、「マジでその場にいた人」が本気プレゼンツする、戦争と戦場のイヤさが万人に伝わる映画に仕上がっていた。

監督はアレックス・ガーランドで、前作は日本でもヒットした『シビル・ウォー アメリカ最後の日』。

前作と同様、本作『ウォーフェア 戦地最前線』も、明白な政治性みたいなものはほぼオミットされた作りで(そもそもごく限定された時間/空間で少人数の兵士の視点からの話なので)、そこは同じ戦争映画の巨匠でも、たとえばキャスリン・ビグローとも明らかに違うし、特に前作『シビル・ウォー』に関しては、そういう一種の曖昧さとともに抽象的な「分断」を語る手つきに危うさを覚えた向きはあるかもしれない(私もそう)。しかし今回は「だからこそ」というか、「にもかかわらず」というか、戦場で兵士が巻き込まれる圧倒的かつリアルな理不尽が、観客にダイレクトに伝わってくる。

戦場の兵士…っていうか、いっちゃえば現場の労働者(職務が戦争なだけで…)の視点から、徹底したリアリズムと当事者性をもって「戦場」を描くことで、大義名分の元で何かと美化されがち、ストーリー化されがちな「戦争」を、「いや、戦場のリアルってこれやぞお前」と暴露する作品となっている。

映画の最初に「この映画は彼らの記憶だけに基づいている」とわざわざ表示されて、何も知らないと「リアリズム重視じゃないよ」という言い訳みたいにも取れるんだけど、実際にはめちゃめちゃリアルを追求している、というのが面白いところ。

きっちり考証を積み重ねた上で、究極的にはその場にいた兵士たちの「記憶」こそが何よりもリアルやろがい、という敬意と決意表明とも取れる。徹底した現場志向と正しい意味での現実主義(リアリズム)によって、為政者が都合よく祭り上げて歪める「戦争というフィクション」を解体することが最大の狙いなんだろう。

リアリズムといえば、『ウォーフェア 戦地最前線』パンフレットの、音響監督の岩浪氏のコラムが面白かった。

たとえば「銃を構える時にカチャッという音なんか本当はしないが、映画ではそのほうが映えるので、カチャッとなる」みたいな、音響的な「映画の嘘」が一般的にはあるという。そういう必要悪ならぬ必要嘘を知り尽くしている岩浪氏が、『ウォーフェア』にはその手の「嘘」がおそらくひとつもなかったと語っている。

ガーランドの前作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』では銃撃シーンでも、もっと「映画の嘘」を多用していたが、今回『ウォーフェア』では本物の銃声を使用しているそう。音のプロである岩浪氏に「非常に優れたサウンドデザイン」と言われるのは、本作が志向したプロフェッショナルなリアリズムに対する、最高の褒め言葉ではないだろうか。

兵士を演じたキャストも皆よかった。個人的に推したいのは、指揮官エリックを感じたウィル・ポールターである。敵の攻撃がもたらしたショックの大きさに、途中からほとんど役立たずと化してしまうという、ヒロイックさの正反対に位置するキャラだったし、ある意味では最も美味しくない役を引き受けているのだが、その「美味しくなさ」こそが本作の核心といえる。

特殊な訓練を受けた兵士だからって、爆発を間近で受ければフラッフラになるし(エリックの場合は脳震盪と思われる)、すぐフルパワーで行動できるはずもない。体へのダメージは精神にも当然ながら及ぶ。

アダム・マッケイの『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』で、眼の前で爆発に巻き込まれた刑事コンビが、あまりのショックにしばらくのたうち回り、「映画だと皆なんで爆発に巻き込まれても平気なんだよ、あんなもん嘘だ!」と叫び続けるという爆笑シーンがあるのだが、これを大真面目にやったのが『ウォーフェア 戦地最前線』だと言えなくもない

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そういえば本作『ウォーフェア 戦地最前線』のような現実再現系の映画のお約束として、エンドロールで役者と本人写真が並ぶのだが、ウィル・ポールターが演じた指揮官のエリックは、本人の顔にボカシがかかっていた。顔出し許可が出なかったのかなと。本人からしてみると不名誉に感じているのかもしれない。

ただ一方、あの局面で「俺はもうダメだ」とちゃんと口に出して言えることって実はけっこう偉くないかな…?とも思った。あそこで変に意地はって、新しく来た人に任せられてなかったら、指揮系統が混乱して全滅ENDもあったかもだし。強さや有能さを全く発揮せずにそういう奥行きを出せているのもポールターの演技力のおかげなんだよな、マジで良い役者だと思う。

それにしてもウィル・ポールターの作品選びからは目が離せない。近年ではNetflixの『ブラック・ミラー:バンダースナッチ』での(この俳優をこんな活かし方する!?という)飛躍がひとつの大きな転機だったと思うけど、『ミッドサマー』とか『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』とかヒット作も経て、最近ではやっぱりドラマ『一流シェフのファミリーレストラン』(原題のThe Bearで統一したいものだ…)のゲスト出演回がとにかく素晴らしかった。

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まさかウィル・ポールターが現代の俳優で最も好きな一人となるとは『デトロイト』の最低レイシスト役の時点で誰に予想できようか(あの時も役のイヤさっぷりについ現場で嗚咽してしまった、という良い人エピソードも聴いているが…)。今後の活躍も楽しみだ。

あと『ウォーフェア 戦地最前線』のキャストでいうと、新参の兵士がキット・コナーくんだったのも「お〜今っぽい」と思った。もちろん『ハートストッパー』と、最近だと海外アニメファン的には『野生の島のロズ』のキラリも。バイセクシャルであることを(本人的にはなかなか気の毒な形で)公言されてる俳優で、こういう映画での活躍を見るのはけっこう嬉しい。話題の『ロミオとジュリエット』もぜひ日本で観たいもんだな。

本作、戦場再現系の映画やドラマの俳優の年齢層が高くなりがちなことを懸念して作ったというだけあって、彼みたいなマジの若手(21歳!!)もきっちり入れてくるの偉いね。実際、概ね20〜30代の若者に地獄をみせるってことだからね、戦争…。

『ウォーフェア 戦地最前線』みたいな、本物の兵士にめっちゃガッツリ話きいて作ったよ!系の映画、たしかにリアリズムは担保されるだろうけど、内部に全面協力してもらうことで、その組織そのものが有する問題への作り手の批評的視線は薄れるのでは…?と懸念することも多い。

でもその点『ウォーフェア』は(軍人への敬意は払ったうえで)ちゃんと鋭い切り込み方をしてるのも偉かったな。良い意味で、軍隊PRに使いようがなくて、何重もの意味で「よく作ったな」という映画である。『シビル・ウォー』の成功あってこそなんだろうけど。

コンセプトや撮り方(ある兵士たちの地獄のような体験をあくまで個人的な視点から演劇みたいな限定空間/時間で撮る)を考えれば、冒頭のワンシーンは明らかに「浮いて」いるはずだが、振り返るとちゃんと大事な場面だったと感じられるのもけっこうスゴイ。

いわゆる「ホモソーシャル」の極みなシーンではあって、実際ホモソ感に満ちた軍隊を批評する意味合いも強く感じるんだけど、同時にこの瞬間は、これから地獄を味わうことになる若者たちの一瞬の「普通の青春」の輝きでもある…というシニカルな悲哀。先述したキット・コナーくんの起用も含め、このへんホモソ肯定にも陥らないようバランス取れてると感じた。

元軍人の全面協力を得ながらも批評性を失ってないという美点の最たるが、やはりラスト。こんだけドッタンバッタン大騒ぎして、自分たちにも現地の人々にもものすごい被害をもたらして、結局何が残ったというんだ…という悲壮な虚無感は、まさに多くの軍人が共感できることなのだろう、ということも観客にちゃんと伝わる。

大怪我を負った退役軍人への優しさとリスペクトにあふれたエンドロールを見ても、やっぱ当事者への敬意と批評性って両立できるんじゃんと思ったし、ここは(批評性に関してはヌルくなりがちな)日本映画/エンタメ界も見習うべき点だなと感じる。

自分が闘うわけでもないのに、権力の誇示のためだけに戦争や軍事侵攻をやらかす/チラつかせる愚か者が国のトップにいる今、この映画が公開されたことはアメリカでも日本でも意味が大きいと思った。音が本当に大事なので(爆音や残酷描写に耐性ある人は)ぜひ劇場で。

 

脱!「結局あんまり聴かなかった…」。audibleオススメ本30冊

「audible、加入してみたけど、なんか結局あんまり聴かなくてやめちゃったわ〜」という人がけっこういるらしい。わかる。いや自分自身はそこそこaudibleヘビーユーザーで昨年は70冊くらい聴いたっぽいけど、他の人がそうなりがちな理由はわかる。

まず言っておくと、「audible」、良いサービスだと思う。というか、「本」にまつわるサービス全体で、近年(といっても日本では10年くらい経ったが)開始したものでは、ベストのひとつじゃないかと読書好き勢としても思っている。

「聞く」本という要素をいったん無視しても、audible、そもそも「本のサブスク」として地味に優秀である。聴き放題タイトルは約20万冊で、これは(今調べたが)イオンモール日の出の「未来屋書店」や、エミテラス所沢店の「ジュンク堂書店」の蔵書数に匹敵する。…いや全くピンとこないと思うが(ごめん)、デカいモールのデカいチェーン書店くらいの蔵書数はあるということ。

同じくamazon系の読み放題サービスであるKindle Unlimited(通称キンリミ)は対象が約500万冊なので、数で言えばこっちの方が格段に多いが、ぶっちゃけキンリミははっきりと玉石混交で、ちゃんとした出版社の本から、素人の自己出版まで色々(いや私自身も自己出版したことあるが…)であり、よくいえば多様、悪く言えば「石」も多い。

一方、audibleは母数こそやや小さいが、ちゃんと探せば(自己啓発本やビジネス系ばっかりではなく)歴史や科学や文学など、各ジャンルにそれなりに良書の比重が大きい。特筆すべきはラインナップが全体に新しいことで、書店のランキングで上位にくるようなものも目立つ。こうした本が読み放題になる定額サブスクは知る限りでは他にない(図書館くらいだろうか…←違う)。売れ筋の本を豪華声優や俳優に朗読してもらう、的なパターンも散見され、シンプルに金かけてんなamazon、と思う。会社的にもけっこう賭けてるというか、流行らせたいサービスなんだろう。

実際、みんな配信でポッドキャストとか聴く習慣も強まってる昨今、「聴く本」のポテンシャルはまだまだ大きいと思う。なんとか読書人口を増やして知的文明を崩壊から救うためには(?)いつまでも紙の手触りがどうとか言ってないで、電子書籍だろうが音声だろうが全部使うべきだ、読書バリアフリーも拡大すべきだと常々思ってる身としては、応援したいサービスのひとつだ。

ただaudible、「意外と聞かんかったわ」となる人が多いのも、正直わかる。理由としては大きく2つで、「"聴く読書"の習慣が定着しなかった」と「読む本が見つからなかった」だろう。(あと「月額1500円が高い」もあるかもだが、これは個々人の経済感覚でどうにもならんので置いといて…。)

まず「"聴く読書"の習慣の定着」からひとつ提言を。大事なのは「本の内容をちゃんと"理解"しよう」「集中して一気に聴こう」とか、あまり高い理想を掲げないことだ。「雑に、しかし沢山読む」=乱読を続けることが読書週間の定着にとって意外に大事なのと同じように、聴く読書習慣の定着においては、"雑に聴く"ことも大事である。乱読ならぬ、「乱聴」?(なんかの症状みたいだが…)

ユーザーの中には一般的な本を「読む」のと同じように、audible本も目を閉じながら精神集中して聴いてる人もいるかもしれないが、私は100%「ながら聴き」である。散歩や家事や作業やゲームの片手間として、ラジオやポッドキャストのように本を聴いているわけだ。必然、普通の「読書」よりは集中度も理解度も一段劣る。

またaudible本は一冊の再生時間が、短い本でも3時間以上はあるし、新書くらいでも5時間程度はザラである(長ければ20時間とかも)。5時間の本を「一気に聴く」など通常ありえないし、ほとんどのユーザーが「生活リズムの余白にあわせて少しずつ、ながら聴きする」が基本ではないだろうか。

つまり、audibleによる読書は、多くの場合「微妙に集中してない状態で、細切れで聴く」を繰り返しながら、日数をかけつつ1冊を聴き通していくことになる。中身を忘れてしまうのでは?うろ覚えになってしまうのでは?と心配になる人もいるだろうが、はっきり言って「聴く読書」なんてのは、そういうものと割り切るべきだ。で、それでいい。いったん聴いてみて、もっとしっかり記憶に定着させたいなと思うような本であれば、もう一回聴くなり、改めて文字の本を買ってちゃんと読むなりすればいいのである。腰を据えて「読む」というよりも、本という知識の迷宮世界に浅く広く触手を伸ばすためのギミックとして、audibleを捉えるのが健全だと思う。

その「触手を伸ばす」目的で見るなら、audibleは良いサービスだ。ただ先ほども「ちゃんと探せば」と言ったように、audibleのランキングとかオススメ欄を適当に眺めても、なんかベタな感じの小説とか自己啓発系とかビジネス系とか、「あ〜こんなもんね」となってしまい、あんまり聴かなくなってしまう人が多いかもな、というのもわかる。

なのでひとつのガイドマップとして、audibleに始めてトライする人にもオススメできそうな、かつ読書好きとしても面白いと思えるような本を30冊ほど紹介してみよう。もちろん私個人の趣味や興味もデカいので、合わない可能性もあるが、まぁ合わなかったら別の本を探してほしい。いいでしょ、どうせ聴き放題だし。

ちなみに私の選んだ2025年のベスト本はこちら↓ 参考までに。

numagasablog.com

 

一応言っておくとこの記事はamazonに依頼されたPR案件とかでは全然ないが(別に依頼してくれたらやってもいいよ)、ちょうど今「最初の3ヶ月が99円」というキャンペーンがやっているので、対象者の人は気が向いたらどうぞ↓ (1/29までだそうです)

このリンクから登録すればamazonがいくばくか金払う(言い方)のでブログ運営費にでもしますわ。(google広告を最近やめたので代わりということで…)

amzn.to

 

てなわけでさっそく、淡々とオススメaudible本を紹介していく。対象はaudibleの月額サブスクで聴き放題になっている本のみ(1/17時点)。ジャンル区分は気分。

 

 

海外小説

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』

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はい鉄板。映画化も目前(3月)に迫った新時代の鉄板SF小説ですね。おためし期間でいったんこれ読んでみてaudibleとの相性を図る、もアリだと思う。

まぁ上下巻で合計すると25時間くらいあるので長いは長いけど、ドラマ3シーズンぶんくらいの時間を費やしても後悔はしない圧倒的な面白さ。できる限り何も知らずに読んでほしいのであらすじも伏せとくが、絶体絶命にもほどがある状況からのサバイバルSF、とだけ。伏せられた情報カードが1枚ずつひっくりかえって明らかになっていくワクワクするような構造や、会話劇としての魅力など、そもそも実は朗読にとても向いていた作品でもある。井上悟さんの朗読もとても良い塩梅で、原作ファンからも好評でした。

ちょうど昨日、映画館に行ったら予告編が流れて、原作既読勢がSNSでもがんばって隠してた大ネタもどーん!!と出てきたので、まだ何も知らない幸運な人は、audibleでも紙でも電子でもいいからすぐ読んでほしい(もしくは劇場でライアン・ゴズリングが出てきた瞬間に1分半ほど目をつぶって耳を塞ぐ)。ミリしらで楽しんでもらえたら……しあわせ!

 

『三体』

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以前、ハヤカワさんとのコラボ企画で、『三体』audible版を漫画でオススメする記事を書いたので詳しくはこちらを↓

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もう初出からだいぶ時間も経ってしまったが、まぁやっぱどう考えても現代を代表する傑作SFなので、長すぎ&難しそうイメージで敬遠してた人は耳で読んじゃうのもアリですわよ。三部作ぜんぶ付き合うとさすがに長いのでaudible初心者向けという観点からは不適切かな、とは思うが、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』完読した人ならイケるのでは(適当な基準)。個人的には特に『三体2』が好きだし、一番わかりやすい面白さなのでなんとかたどりついてほしいな。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』でも『三体』でも、audibleで聴いてみようと思った人に共通のアドバイスなのだが、ちょいちょい挟まれる「むずかし科学タイム」や「ややこし歴史タイム」は、「なるほど雰囲気だけは理解した(理解したとは言ってない)」って感じで聞き流せばいいと思う。どうせ読んでる人の99%はよくわかってない(←SFファンとしてあるまじき発言だが、真実)。どうせフィクションなんだから気楽に読め!

 

『春にして君を離れ』

海外小説(ざっくりすぎる括りだが…)からもう1冊だけ。audibleはアガサ・クリスティーの小説がたいへん充実していて、(少なくとも有名どころは)全部あるのではという勢い。クリスティー没後50年ということで、個人的にもこの機会にまとめて読んで(聞いて)みようかな〜と思っている。

www.hayakawabooks.com

なんであえて『春にして君を離れ』を推すかというと、まずシリーズものではないことと、約80年前の小説でありながら、いまだに読者を震撼させるほどの普遍的かつ強烈なパンチ力に満ちた本だから。クリスティーの中でも異色作だけどベストにあげる声もよく見かける。特に中年以降の方はちょっと覚悟いるかもだが…ぜひ。

audibleのクリスティー作品、調べたら36作あって、長編の総数が66なので、半分以上あることに。豊富ですな

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こういうガイド本(audible版はないが)を読んで玄人の推すオススメ・クリスティーを漁る手もあるぞ↓ 手厚い

 

国内小説

audible、なんだかんだ国内小説がいちばん充実してるという傾向はあり、直木賞も芥川賞も本屋大賞etcもわりかし揃ってるため、国内小説をよく読む層には一番オススメしやすいかもしれない。

『ババヤガの夜』

今回の記事でもイチオシ枠。2025年、世界最高峰のミステリー文学賞「ダガー賞」翻訳部門をめでたく受賞したことでも記憶に新しい本作が、さっそくaudibleに来ている。こういうリーチが早いのは「売ってこうぜ」という気概も感じるしサービスとして感心するところ。元の小説が短いので、audible版もキレよくスパッと終わるのもヨシ(といっても4時間半くらいあるけどね)。

暴力を愛するイカツめな女性主人公の物語、というのが画期的なポイントだけに、暴力描写がムリだとやや厳しいかもだが、まぁいうて文章だしね…という意味でも広めにオススメしやすい方かな。

さらになんと朗読担当が大好きな甲斐田裕子さんだった、という私得(わたしとく)案件でもある。これが完璧な人選で、全く異なる特徴の登場人物を巧みに演じ分けてて凄かった。とある大仕掛けもあって朗読がけっこう難しいタイプの小説だと思うけど、さすがプロだな〜と。

王谷晶さん&甲斐田裕子さんの対談もあった。

book.asahi.com

王谷先生のコメント↓

ただ、最初の段階から「一人の方による朗読形式」と聞きましたので、人様に、それもプロの声優さんに読み上げさせていい作品なのだろうか、という気持ちが多少はありました。登場人物も多いし、男性も女性もいる、年齢もバラバラ、さらに言うと口にするのもはばかられるような非常によろしくないセリフが何度も出てきますから(笑)。

たしかにヤベーことしか言わない悪人が出てくるので「甲斐田さんになんてセリフを言わせとんねん…!笑」とファン的にはハラハラしたが、好きな声優さんの声をぶっ続けて4時間半も聴けるとは贅沢な話である。今後も、人気声優や役者の起用で、本と新規読者の橋渡しができるなら、どんどんやってほしいと思う。

 

『BUTTER』

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いま海外で大人気の日本の女性作家の代表作つながり(長い)でもう一冊。

美貌もないし若くもないのに、その危険な魅力で男たちを騙して財産を巻き上げた、アンチフェミニストな女性詐欺師という強烈なヴィラン(?)を巡る、柚木麻子氏によるサイコサスペンス的な小説。現実の事件を元にした物騒な話ではあるが、タイトル通り「バター」をはじめ食の要素を巧みに織り交ぜることでオリジナリティを獲得。国際的にも高く評価されている代表作なだけあって面白いのでぜひ。

もっと気軽に読める(聴ける)感じだと短編集の『あいにくあんたのためじゃない』とかも面白かった。ラーメン評論家が炎上する話とかとても今っぽいし痛快。

 

『推し、燃ゆ』

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宇佐見りん氏のベストセラー。朗読が玉城ティナさんで、低めなボイスが作品世界にぴったり。「人生の全てを注いできた"推し"がファンを殴って大炎上してしまい…」という話。甘くない現実を淡々と綴るのだが、ジャニーズ問題その他諸々、筆頭に芸能界まわりで色々ありすぎた後、今こそ多くの人の心に染みわたるかも。「推し」という言葉が流行りすぎて若干どないやねんという文脈で使われ始めた昨今に刺さる作品でもあり、着眼点の切れ味を感じる。(書いた時、若干21歳とはスゴイね)

生き辛い人生にただひとつ輝く「推し」への情熱と愛に根本的な危機が訪れた時の、人の心の動きを丁寧に執拗に追いかける小説で、何か問題が解決したりも全くしないが、だからこそ、ショッキングな事件があったりした時、長年の愛や情熱をもつからこそ途方にくれている人にも届く力があると思う。

 

『ナチュラルボーンチキン』

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金原ひとみ氏の小説なのだが、ちょっと珍しいのは、audibleが初出という点。「オーディオファースト作品」という企画らしく、オーディオ本→書籍の順番で出る。最初から「聴く本」を前提として書かれただけあって、一般的な小説よりも「聴きやすい」形で工夫して書いたりしているのかもしれない(実際かなり聴きやすい)。今後もしこの形式が普及していくと、また小説の文体に地殻変動が起きたりするのだろうか。

内容も面白いのだが、なんといっても朗読が敬愛する日笠陽子さんである(やっぱ当て書きなのだろうか…)。テンションが著しく低い45歳独身の女性が主人公なので、個人的に一番好きなタイプの低めな日笠ボイスが7時間も収録されていて、甲斐田版『ババヤガの夜』にも匹敵する私得作品であった。

朗読なので、もう一人の主役ともいえる破天荒な出社拒否ギャルもむろんCV日笠陽子である。正反対の2人(CV日笠陽子)が築く不思議な友情と関係性が本作最大の見所だ。

新作『YABUNONAKAーヤブノナカー』も未読だが気になってる。聴かねばな

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『テスカトリポカ』

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メキシコ麻薬カルテルの支配者が、逃亡先のジャカルタで日本人の元医師と出会って"斬新な"臓器ビジネスを企てる中、川崎で育った巨大で強靭な少年が血塗られた運命に巻きこまれていく。アステカ王国の伝説や神話を織り込んで綴る血と暴力の犯罪小説。

日本発の国際クライム・サスペンスとして面白いし、上野の「古代メキシコ展」行っといてよかったな!と思える小説だった。アステカ神話ガチ勢のヤバい麻薬王の言ってることにも「あっメキシコ展で見た!」と思えたので、博物館学習は大事である。

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『国宝』

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まだ読み(聴き)終えてない本をここでオススメするのも恐縮だが、映画『国宝』をすでに観た(そして映画自体にはけっこう言いたいことも多かった)勢としても、この原作はかなり楽しめているので載せておく。長い(上巻だけでも21時間!)ので読み終えるのはだいぶ先になりそうだが…

特筆すべきは尾上菊之助の朗読で、原作小説の講談みたいな語り口がまさにベストマッチで、すでに映画で大筋は知っているのに、聞いてるだけでもワクワクさせられる。

映画もびっくりするほど大ヒットしたし、今後しばらくaudible日本版のキラーコンテンツになるかも、というポテンシャルを感じたので、映画ファンもぜひ。

 

『成瀬は天下を取りにいく』

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「聴いてみたらけっこう面白かったベストセラー」枠の代表選手として本作を。タイトルよく見かけるけど、買うほどではないかな?くらいの興味感だったが、audibleに入ってるので気軽に聴いてみたら、気持ちの良い面白さでヒットするのもわかるなと(なお野球の話ではない)。聴き放題サービスの気楽さのメリットを享受できた読書体験となった。

他にも『同志少女よ、敵を撃て』の著者の『歌われなかった海賊へ』もそんなノリで聴いたけど面白かった。ナチ体制のドイツで、若者たちは悪行に立ち向かえるのか…というスリリングかつ真摯な物語で、前作より好きかも。

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大ベストセラーといえば『窓ぎわのトットちゃん』もaudible版があるのだが、なんと…っていうか、普通に朗読担当が黒柳徹子その人である。逆に他の誰がやるんだよという感じでもあるが…。

マジで傑作であるアニメ映画とあわせて聴くのもオススメ。(レビューも書いた↓)

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ノンフィクション(いきもの系/サイエンス)

『僕には鳥の言葉がわかる』

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シジュウカラ専門家・鈴木俊貴先生の昨年のベストセラー『僕には鳥の言葉がわかる』もさっそくaudibleに入っている。

「シジュウカラが20以上の単語を組み合わせて文を作っている」という研究で、鳥類の音声コミュニケーションへの理解に新たな光を投げかけた著者さんの本。注目すべきは、audible版ではシジュウカラ本人(?)が声を担当していること、つまりシジュウカラの鳴き声のリアル音声が使われている。こういう工夫ができるのはオーディオブックの楽しいところ。

キャベツだけを食べて森で暮らした日々の話など、鳥にそれほど関係ない部分も読み応えがある(キャベツだけを食べて暮らさない方が望ましいとはいえ…)。動物学者の人は動物のフィールドに分け入る暮らしをしてるだけあって、なかなかシビアな暮らしをしがち。『バッタを倒しにアフリカへ』もだが…(これもaudibleにある↓)

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『動物たちは何をしゃべっているのか?

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類書の新刊で、こちらもオススメ。シジュウカラの「言葉」の秘密に迫る鈴木俊貴先生と、ゴリラ研究の第一人者の山極寿一先生が、動物のコミュニケーションについて懇談。自然の中に分け入り、動物といっしょに長い時間を過ごした二人ならではの洞察に満ちている。対談形式はそもそも喋り言葉だからオーディオブックと相性良いんだよね。

(ルー大柴がヒントになったという)シジュウカラの「文法」の謎から、森でばったりゴリラと会った時のためのゴリラ語入門など、タメになる内容も多い。専門家にも軽んじられがちだった動物の「言葉」の謎に迫る中で、ひるがえって人間のコミュニケーションのあり方についても考えていく。

哺乳類と鳥類の専門家の異種対談(いやどっちも人間だけど)である点も見どころ。どっちも音声コミュニケーション(≒しゃべり)への依存度が大きいのは見落とされがちな共通点である。

 

『はじめての動物倫理学』

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audible、本書がラインナップにあるのは動物好きとしても「おっ」となる。よく一読をオススメしてる新書で、タイトル通り動物倫理学の入門書となっている。動物と人間の倫理的な関係を巡って考えるべきテーマは、動物園やペットや競馬など色々あるのだが、現代における最大の焦点となるのがビーガニズムである。しかしビーガンといえばSNSで無条件でバカにしていい存在みたいな扱いになっていて、ネットだけ見てても(自分では中立なつもりでも)どんどん偏っていくだけであり、こういうちゃんとした本をメジャーな出版社が出すのは大事だと思う。

帯にあるように「肉を食べない」を個人がどれくらい実践できるかはともかく、食肉という身近な営みが(ささいなことでは全くなく)動物倫理や搾取、環境問題、そして気候変動のような複数の重要な問題が交錯する、現代社会のド真ん中といっていい「格」をもつ問題であることは、間違いなく認識しておいたほうがいいだろう。

 

『ダーウィンの呪い』

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もう一冊、よくオススメするシリアスめなテーマの生物学関連のaudible本を紹介。

生物学の歴史上最大の「やっちまった」案件のひとつである優生思想に、ダーウィンの進化論が「呪い」のごとく関わってくる(てかズバリ「社会ダーウィニズム」って用語あるけど)…というしんどいテーマの本なんだが、特に生物学に少しでも関わる人はみんなこの歴史や経緯を頭に叩き込んでおくべきだし、どうして生き物好きは全員ひとり残らず差別に反対すべきなのか、ということを学ぶための大事な一冊でもある。もちろん別に生き物興味ない人も一般常識として知っておいてほしい。

中盤以降のダーウィン進化論を巡る詳しい歴史のくだりは、耳で聴くだけだとちょっと理解と記憶が追いつかない可能性もあるが、先述したようにオーディオブックとはそういうものなので(私も文字の本と併用してる)あまり気にせず、最後の数章だけでも聴いてくれれば幸いだ(時間あれば改めて詳しいブログ記事でも書こうかなと思ってる)。

 

『運動の神話』

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面白いサイエンス系ノンフィクションとして文句なしにオススメできる本。たしか数年前のベスト本に選んだが、せっかくaudibleに来たので聴き直そうかなと思っている。ユーモラスな筆致なので気軽に聴くのも楽しいと思う。

「健康のために運動する」という現代人の状況がそもそも人類史上でも珍しい、という事実から始めて、スポーツ・走る・座る・眠る・闘うといった人間の運動全般にまつわる「神話」(思い込みや嘘や偏見)を片っ端から解体していくという内容。

たとえば「現代人は原始的な人類に比べて座る時間が長すぎる、したがって不健康である」という俗説が一種の神話だと喝破するくだりも面白い。筆者がアフリカで実地調査した結果、「いわゆる文明的ではない暮らしを送る健康な人々の集団も一日の大部分はめちゃめちゃ座ってる」ということがわかった。(ただし細かく体を動かしたりはしている)。こういう思い込みを覆されるのは読書の醍醐味。神話を解体し、すこやかに生きよう。

それこそ散歩中に聴くのにぴったりな本かもね。

 

『科博と科学──地球の宝を守る』

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そもそも科博ってどんな施設なの?と館長が語る貴重な一冊。リピーターズパスも毎年買ってて科博しょっちゅう行ってるのに(&コラボ展もさせてもらって!)なんだが、意外と知らなかった事実も沢山ある。科学を重んじる社会にするための起点!のはずなんだけどな〜…というビターな話もあるぞ…。

ちなみに朗読してくれるのはもちろん館長その人!…と言いたいところだが(さすがにそんなケースは稀有だろ)、本書の朗読は電子的に作られたデジタルボイスである。なんだ機械音声か〜と味気なく感じる人もいるかもだが、技術の進歩というべきか、ほとんど全く違和感がない。イントネーションの間違いとかもめったにないので、デジタルとはいえ(AI生成とかではなく)人がちゃんと調整しているんだと思う。なんなら人間の朗読よりクセがなくて聴きやすい、という人もいるかも。

まぁできれば全ての本を人間に朗読してもらえたらベストなのは間違いないが、コストを考えれば(特にこういうちょっと渋めなテーマの本になると)なかなか難しいと思うので、いったんデジタルボイスでもいいからとにかくラインナップを増やしていってほしいなとも思う。

 

ノンフィクション(人文/実用)

『本を読んだことがない32歳がはじめて本を読む』

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読書習慣が全然なかった30代のライターがいきいきと読書する、オモコロの人気コーナーが書籍化、したものがさらにオーディオブック化。読書チャレンジャーみくのしん氏と優しいかまど氏のやりとりに癒やされる。ある意味、ゲーム実況みたいなノリで本を紹介するという取り組みと考えると新しい。

この企画がaudible向きだよなと思うのは、たぶんオーディオブックの朗読で聴く速度感が、本書でみくのしん氏が色々な本を熟読する速度とけっこう近いんじゃないかな、と思うから。

というのも(私含む)読書慣れ勢って早食べみたいな勢いで文を読むスピードが早すぎることが多くて、それはゆっくり読んでるとまどろっこしくなってくるからだけど、そういう読書玄人の雑な読み方で見落とすものも多いんじゃないかっていう(たぶん本人は意図せずの)問題提起として読めなくもない本でもあるんだよね。
オーディオ本の「読書」としての良いところは基本のスピードが熟読なことかもしれない。せっかちな人ほど「耳で聴く」べきかもね…

 

『なぜ社会は変わるのか はじめての社会運動論』

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おなじみの新書レーベル・講談社現代新書もけっこうaudibleに入ってて、ちゃんとした人が書いてる文系ノンフィクションやエッセイ、かつ読みやすい(聴きやすい)本を探している人にとっては狙い目だと思う。つい最近audibleで聞いて面白かったのが本書。

社会は社会運動であふれている、なのにナメられがち。

冷笑や蔑視に晒されやすく、無意味と安易に断じられがちな「社会運動」だが、実際には身近な対象から遠大な問題まで、幅広く多様な社会運動が世の中を変えてきた。その歴史と方法論を噛み砕き、とかく高くなりがちなハードルを下げつつ、社会運動の可能性を知ろう、という希望ある一冊。

ちなみに著者の富永京子さんは『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史――サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』の方ですね。こっちも鋭い良書なのでぜひ

 

『働くということ 「能力主義」を超えて』

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audible、ビジネス系のテーマの本でもよく探すと(いわゆる"ビジネス書"然とした新自由主義バンザイな感じではなく)興味深い本もあったりする。本書は、企業コンサルタントとしてのキャリアをもちながら、日本の労働社会にはびこる能力主義と選抜を批判するという、ユニークな立場の著者が書いた本。

能力の高い・低いを基準にして人を「選び」「選ばれる」という、私たち自身もけっこう当然のように思っているシステムも、改めて問い直してみることで、この社会での生きづらさを解体することにつながる。

 

『シナリオ・センター式 物語のつくり方』

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「創作入門」っぽいテーマの本も多いaudible。すぐ参考になるかはともかく、創作に関わる人はためしに読んでみてもいいかと。

本書『シナリオ・センター式 物語のつくり方』は作家をたくさん輩出してる有名なシナリオセンター(連ドラ脚本家の70%以上、コンクール受賞者の90%以上らしい)の創作術を気前よく教える。物語を作ってみたいがまず何をどうしたらいいかわからん人はこういう基本から入るのが結局近道なのかもしれない。才能は誰にでもあり、違うのは"技術"だけ…というメッセージは、才能を言い訳にしがちなアマチュアもプロ(まぁ私もだが)もよく覚えておくべきだろう。

 

『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』

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「成熟」のロールモデルが見えにくくなってきた今、いつまでも「若者」の立場に固執してないで気持ちよく卒業し、「大人」を実践するとはどういうことか?…という、いま日本社会でけっこうクリティカルかつ重要かもなぁ…と思える一冊。内容はまぁまぁ辛辣なのだが、語りかけるような優しさがピリ辛具合を中和してる本でもあるので、audible向きでもあると思う。個人的にもなかなか身につまされる&心に染みる内容でした。読書感想文はこちらに書いたので興味あれば↓

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『日本型組織のドミノ崩壊はなぜ始まったか』

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最近読んで面白かった、日本に警鐘鳴らす系(?)ノンフィクション新書。

旧ジャニーズ、ダイハツ、ビッグモーター、自民党の裏金問題、宝塚、大相撲のパワハラ、日大アメフト部、フジテレビなど、有名な組織がなんで近年こうもバラッバラのグラッグラになっているのかという深刻な問題を、「時代の変化」みたいな便利な言葉だけでは片付けず、組織論の専門家が考える。

必ずしも大型組織に限らず、たとえばPTAや町内会みたいな一般市民の自治組織も崩壊や衰退の憂き目にあっているのだが、大小問わずバラバラになっていく組織には共通点がある、というのが本書のテーマ。新時代の組織はどうあるべきか、という前向きな問題提起もあるのでご一読を。

 

『ドリーム・ハラスメント 「夢」で若者を追い詰める大人たち』

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これも最近読んだノンフィクション系の新書。ワンピースじゃねえんだぞというレベルで大人が「夢を持て!」ばっかり若者に言い過ぎな社会構造を鋭く批判していく。「夢」という圧倒的な綺麗事(ポップミュージックにも音楽の教科書にもものすごい頻度で登場する「夢」というワード)の影で見えづらくなっている、現実との残酷なギャップに追い詰められている若者は想像以上に多いようだ。「夢」が理不尽に若い世代に押し付けられがちな構造が、学校の教育システムと教師の就職過程にかなり支えられている、という指摘など、けっこう考えさせられた。

 

ノンフィクション(歴史/社会/政治/文化/経済など)

やや内容が学問的だったり話題が専門的だったり、audibleで読むにはちょい固めかな?と思うラインだけど、でも面白いノンフィクション系の良書を別個にまとめておく。内容が専門的になるほど、さすがに耳だけで情報を処理するには限度があるが、audibleと書籍版をいい感じに組み合わせて読むのがベストかなと思う。(文字で読みながら同時にaudibleで聴く、という読書法もアリ)

 

『国家はなぜ衰退するのか』

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ノーベル経済学賞の受賞も記憶に新しいダロン・アセモグルらの本。「民主主義を守って独裁を防いで搾取や差別をなくさないと経済が死んで国が滅びるんでヨロシクな」というメッセージを、凄い論理的に伝えながら世界に「衰退」を警告するコワい本だが、地球のあちこちでアンチ民主主義者が大暴れしている今、全員読んだほうがいいと思う。特に選挙前の日本人は必読だ…。

経済的に豊かな国(日本含む)に警鐘を鳴らす本であると同時に、いま「貧しい」国が貧しい理由が、地理や文化や気候(やもちろん人種)といった"本質的"な条件ではなく、あくまで「政治体制」という可変的なシステムにあるのだ、と示す点も重要。読むとやる気が湧いてくる「コワイ本」でもある。

同著者陣の『自由の命運』もぜひ。

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『地中海世界の歴史1 神々のささやく世界 オリエントの文明』

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意外と知られてない気もするが、講談社選書メチエの壮大な歴史シリーズとかもaudibleにあるのだった。とりあえずオリエント古代史を語る1巻だけ読んだ(聴いた)けどなかなか引き込まれた。こういう歴史系も耳だけで把握したり記憶しようと思うとかなり厳しいが、若干ロマンチストでたまに遠い目をして「神々のささやきが…」とか呟く博学な教授の講義をのんびり聴く、みたいなスタンスで臨むのがオススメ。

 

『カラー版 名画を見る眼Ⅰ――油彩画誕生からマネまで』

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美術ジャンルからも一冊。一昨年に亡くなった美術史家・高階秀爾氏の名著。ファン・アイク「アルノルフィニ夫妻の肖像」から歩みを始め、ボッティチェルリをはじめイタリア・ルネサンスの巨匠の名画をおさえ、ヨーロッパの美術史に変革をもたらした絵画をたどり、近代絵画の祖であるマネ「オランピア」にたどりつく。

audibleなので、ネットでも図録でも(もちろん本物でも良いけど!)絵画を「見ながら聴く」のにぴったりだと思う。一種の音声ガイドとして本を使えるというわけ。再生時間5時間の音声ガイドと考えるととても贅沢である。

この本をはじめ、岩波新書はけっこうaudibleに来てるので、語り口こそ少し硬いけど、間違いない内容で短めの本を読みたいという人にはベストなレーベルだと思う。

 

『ビジネスと人生に効く 教養としてのチャップリン』

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ビジネス書ライクな書名だが、オススメの映画本。チャップリンが役者・創作者・経営者として「何がどうスゴイのか」を専門家がわかりやすく語る本で、名作映画の副読本にも最適だと思う。

大野先生の本は『チャップリンとヒトラー』が特に面白くて、数年前のベスト本に選んだりした。『教養としての〜』にもあったが、ヒトラーが人類史上初めて実行したといえる強力なメディア戦略を、全力でハックしたのがチャップリンであり、その結晶が『独裁者』と考えるとアツイのよね。ニセヒトラーみたいなのが世界各地で暴れてる今日このごろだし、文化や笑いを愛する人がチャップリンから学ぶことは多いと思う。

 

『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』

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日頃ナチスが話題になるとよくオススメする本(あまり日頃ナチスが話題になってほしくないものだが…)。

最近もこちらの読書感想記事で言及しましたね↓ 悪人、PRだけはうますぎ問題

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ざっくりいえばナチスは(大量虐殺なんかするだけあって)言うまでもなく徹頭徹尾ロクでもなく、良いことも何もしていないし、一見した「良いこと」も単に先人の功績をかすめとっただけなのだが、ネットでもどこでもいまだに「ナチスは良いこともした」という人が絶えず、それはなぜなのか、という問題を実証的に探っていく。短くて読みやすく、audible版も5時間程度なのでぜひ。(私の記憶が正しければたしか戦争中はナチス側だった)日本でこそ特に読まれるべき一冊といえよう。

 

『キャンセルカルチャー』

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「すぐキャンセルされる社会、息苦しいよね」みたいな(日本でもありがちな)単純すぎる切り口の本ではなく、アメリカ社会でそもそも「キャンセルカルチャー」という言葉や概念がどんな感じに根付いてきたのか、そして(主に右派によって)どのように"活用"されてきたのか、という経緯を現地に詳しい人が批評的に論じる興味深い内容。

(audible版では省略されてるみたいだが、「アメリカ、貶めあう社会」という副題で、内容的にこの「どっちもどっち」っぽいタイトルは適切なのか…?とは正直思うが、まぁセールス的な事情もあるんでしょうね)

正直、「キャンセルカルチャー」も普及の経緯を省みればもうそんなに気軽に使わないほうが良い言葉だと思うのだが(その意味では「ポリコレ」や「woke」と同じ枠に入った感)、まぁ左右問わずだいぶ人口に膾炙してしまったようなので、改めて言葉が生まれた過程を知っておくのが良いと思う。

 

『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? ; これからの経済と女性の話』

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audible、これ入ってるのエライねと思える枠。スウェーデン発のフェミニズム的視点のある経済本。

アダム・スミスの神格化はけっこうなことだが、やつが研究してる間、身の回りのケアしてたのは誰やねん!?(答え→女性やで)という視点で経済学に切り込んでいく。始まりからして女性不在で、無償の"ケア"を無視してきた経済学の、歪んだ神話やイデオロギーを切り崩す知的興奮は読書の醍醐味。ユーモアを織り交ぜて社会の空隙を突く、パンチの効いた面白い本なので、音声で聴いても楽しめると思う。

 

番外:ポッドキャスト

『アトロク・ブック・クラブ』~アフター6ジャンクション presents

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audible、オリジナルのポッドキャストもけっこうあって、アトロクのスピンオフ企画である「宇多丸分室」はよく聴く。最近読んだ本とか、それこそaudibleのオススメ本の話題も多いので参考にしてる。「13人しか聴いてない」が決め台詞なのだが(さすがにもっと多いだろ…笑)、みんなもっと聞いてほしいな、と「13人」のうち1人としてお願いしておく。

内容もTBSラジオのアトロク本放送より色々と率直で面白いし、個人的には最近こっちのほうをむしろ頻繁に聴いてるかも。ちなみに探したら私が出た回もあるよ、べつに聞かなくていいけど…笑

 

もう1万5千字!そろそろ終わろう。1万字オーバーの記事はさすがに避けよう、と新年に掲げたが早くもこの体たらく。今後もaudibleの活用は個人的にも進める&勧めるつもりなので気が向いたらチェックしてほしい。音でも紙でも電子でも、いかなる形であっても本と読書を存続させ、文明を崩壊から救いましょう(決め台詞)

 

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読書メモ:『地球温暖化バッシング 懐疑論を焚きつける正体』

 

気候学者であるレイモンド・ブラッドレーは、いち早く地球温暖化の甚大なリスクに気づき、党派を超えて乗り越えられると信じて政治家に対処を訴えた。政治家たちは地球レベルの危機に一致団結し、科学を最優先し、みごと気候危機対策に全力で取り組みました、めでたしめでたし…なんてことは、もちろんなかった。科学は全く党派を超えなかった。それどころか事態はどんどん泥沼化。石油資本と癒着した右派の政治家やシンクタンクが、全力で科学者をバッシングしたのだ。

気候変動否定論の"本場"である(迷惑なことに日本にも輸出!)アメリカで、気候学者が繰り広げてきた闘いの記録が、本書『地球温暖化バッシング 懐疑論を焚きつける正体』だ。

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世界でいちばん気候変動否定論者の猛攻の矢面に立ってきた気候科学者のひとり(映画監督ではない方のマイケル・マンと並ぶだろう)であるブラッドレー氏本人が書いているだけあって臨場感がある。

文中で、教会の権威に対して「それでも地球は回る」と言ったというガリレオ・ガリレイの伝説をもじって、「それでも地球は温暖化する」と言った科学者(ブラッドレーたち)は現代のガリレオだ!と報じられた、という件が冗談めかして書かれていたが、気候変動の人類文明への影響を考えても、対立する化石燃料業界の圧倒的なマネーとパワーを考えても、まぁ……実際そうじゃね?実質ガリレオじゃね?と思わずにはいられなかった。

今でこそ、もはや目に見える/肌で感じる証拠がありすぎるし、地球温暖化そのものを否定している人はさすがに減ってきたかなという印象だが、数十年前くらいは有名人が平気で否定論をぶちまけたりしていた。この『地球温暖化バッシング』を読むまで知らなかったが、『ジュラシック・パーク』等で知られる作家マイケル・クライトンも、けっこう悪名高い温暖化否定論者だったのね…。

医者でもあったクライトンを念頭においた、気候科学をナメて口を挟む他の科学者(ただの門外漢)に辛辣なブラッドレー氏のコメント↓

"科学について何がしかのトレーニングを受けてさえいれば、誰もがどんな問題にでも関われると思われるようになったのは、比較的最近のことだ。(…)自分が病気になった時に、気候学者に診てもらおうとは思わない。同じように、医師の称号を持つからといって、気候科学について声高に話せる資格がその人にあると思うことが、私にはとても理解できない。私は何年間もフルタイムの気候学者としてやってきたが、気候科学について知らないことはまだ山ほどある。全く異なる学問分野に参入しようと思うことは、よく言ってもおこがましいことだし、悪く言えばバカだ。"

こういう現象、今も日本でも、残念ながらよく見かけるんだよね。物理学者とか地質学者とか、「いやたしかにその分野では専門家なんだろうけど気候の専門家ではないでしょ」というバックグラウンドの人が、自分の「科学者」としての箔を悪用して、温暖化否定論者の先鋒となる、みたいな事例は散見される。

世間の人にも、専門外の科学者のいうことを過大評価して、肝心の気候科学者の99.9%が同意している事実を無視するなよと言いたくなってしまう。

厄介なのは、こうした否定論は、決して「うっかり」ではなく、意図的・戦略的にばらまかれているということ。

本文より↓

地球温暖化の科学的基礎を効果的に揺るがすことができないため、疑惑の商人たちは些細な点に焦点を当て、十分に認識された不確実性を誇張する。最も悪質なのは、関係する科学者の動機と誠実さを攻撃することだ。

(…)

そんな戦略は以前にも展開され、その時も少なからず成功を収めた。疑惑の種がまかれて、タバコの消費を削減する法案が通るのが何十年も遅れたのだ。業界の幹部たちが喫煙と癌との関係について、個人的には認識していたにもかかわらずだ。さらに油断ならないことは、タバコ業界の肩を持った多くの科学者たちが、今、人為起源の気候変動の重大性を疑っている科学者と同一人物であるという事実だ。

(…)

彼らは概して、強い自由主義的、保守的思想を持っていて、あらゆる規制を彼らの信念に反するものと見ている。したがって、どんな環境問題であっても、政府介入は不要であり、それは社会主義の始まり、さらに極端には共産主義の始まりと同じであると考えようとする。

最近読んだ『図説 人新世: 環境破壊と気候変動の人類史』でも、こうした(タバコ産業に並び立つほどアンチ科学的で大規模な)気候変動否定ビジネスと背後の保守政治の存在について警鐘が鳴らされていた。日本でも読まれている本の著者・ロンボルグとかね↓

『図説 人新世: 環境破壊と気候変動の人類史』読了。 「無知と否定」という章では、気候変動対策を阻止したい勢力による科学研究の攻撃やロビー活動など、「戦略的無知」がどのように展開しているかを紹介する。 そんな中『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』という本(日本での出版は2003年、訳者は山形浩生氏)に批判的な言及がされていた。 著者のロンボルグは「地球温暖化は、決して主たる環境上の脅威ではない」と断言した気候変動否定論者で、デンマーク政府からも「科学的に不誠実」のお墨付きを受けている。 こうした「科学的に、冷静に」を装った実は非科学的な本、日本でも多く出版されてるのよね…

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SNS上やネットでもカジュアルに目にする気候変動否定や懐疑論、再エネへのマイナスイメージの流布なども、元を辿ればこういうビジネスの下流にあるといえることも多いと思うので、くれぐれも気をつけてほしいと思う。

『地球温暖化バッシング 懐疑論を焚きつける正体』で、最も大事だと思う箇所。

「科学は壁のように築き上げられる。最初は不安定かもしれない。勝手に落ちるレンガがあるかもしれない。他のレンガに潰されてしまうレンガがあるかもしれない。けれども、その中に、しっかりと構造物に組み込まれて、あらゆる外圧に耐えられるものもある。科学はそうして新しい理解に向けて進む。たくさんの崩れたレンガに囲まれながら、レンガは少しずつ積み上がる。壁は高くなっていくが、大切なことは最新のレンガに焦点を当てすぎないことだ。そのレンガは残らないかもしれないから。」

否定論者は「最新のレンガ」の細部にケチをつけ、全体を揺るがそうと狙うので注意すべきだろう。このやり口は、ジャンルは全く違うが、映画『否定と肯定』(原題:Denial)でも描かれたホロコースト否定論の手口と重なる部分が大きい。科学や歴史など、事実ベースの営みを否定する悪党のやり口は古今東西変わらないのだろう。

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そんなわけで『地球温暖化バッシング 懐疑論を焚きつける正体』、2012年に出た本なのだが、十数年ほど時を経たからというべきか、巡り巡って否定論者の親玉が大統領にまでなってしまった今読んでも得るものが多い。映画『ドント・ルック・アップ』がノンフィクションである世の中は、いいかげん終わりにしなければならない。

www.netflix.com

内容は深刻だけどブラッドレー博士の辛口な書きぶりにクスッとするところも多いので、ぜひ一読を…↓

『CROSSING 心の交差点』感想

映画『CROSSING 心の交差点』鑑賞したので感想まとめ。2026年の新年1本目となったが、良い映画でした。(東京でも2館しかやってないのが若干オススメしづらいが…)

mimosafilms.com

ジョージアで暮らす中年女性が、行方不明となったトランスジェンダーの姪を探して、彼女を知るという若者を引き連れ、トルコのイスタンブールをさまよう…という映画。

おぼろげな情報を頼りに、街で暮らす様々な人々や、マイノリティの権利を守る弁護士(自身もトランス女性)の力も借りて捜索を続けるが、迷宮のような都市に迷い込んでいくうち、姿を消した姪への複雑な想いや、失意や後悔や疑念が、深い霧のように視界を包んでゆく。

ジョージアの伝統舞踏と揺らぐセクシュアリティの交錯を鋭く描いた傑作『ダンサー そして私たちは踊った』のレバン・アキン監督の新作として、期待を裏切らない、見事な奥深さをもつ映画だった。

『ダンサー そして私たちは踊った』の感想↓(もう6年前か、見返さねば)

『CROSSING 心の交差点』、ジョージアやトルコにおけるLGBTQ+の人々が現実に直面している抑圧を随所で描きつつも、イスタンブールという、様々な人や価値観が「CROSSING」=交差する都市に捧げる(監督の言葉を借りれば)ラブレターのような映画でもある。

アキン監督自身がスウェーデン生まれのジョージア人(両親はトルコ生まれ)で、ゲイであることを公言している。様々な文化や価値観が交錯する中で育った作り手であり、前作『ダンサー』もまさにそうしたテーマの作品だった。イスタンブールは監督自身を擬人化ならぬ擬街化(?)したような舞台といえるかも。

劇場パンフより、アキン監督の言葉↓

「イスタンブールの面白いところは、ほんの短い距離の中に正反対の世界が共存することです。ある通りはとても宗教的で保守的でありながら、2本先の通りに入ると、男性同士が手をつなきながら歩くクィアの楽園のような場所がある。私はこの二面性を映画の中で描きたかったのです。」

エルドアン大統領の反LGBTQ+な言動もあり、西欧メディアでもそのような描かれ方をされることが多いイスタンブールだが、そうした単純化はできない複雑な都市だと監督。保守的な(その性質は異なるが)国の首都でありながら、保守性と開放性が同居する大都市という意味では、東京と重なる部分も大きいかもしれない。

『CROSSING 心の交差点』、冒頭で “トルコ語とジョージア語は、性差別がない言語であり、文法上においても、男女の区別はない。”という文が表示される。(※一般にヨーロッパの言語は男性/女性名詞など、性の区別がある。)

トルコやジョージアで、保守的な性規範に当てはまらないLGBTQ+の人々への風当たりが強いことを考えると、皮肉なニュアンスも感じさせる文だが、映画の中で様々な性や属性や立場の人々がタイトル通り「CROSSING」していく過程が描かれることで、規範の檻が切り崩されていく。性に基づくバカバカしい差別に満ちた現実社会が、銘文のごとく刻まれた冒頭の文に一歩ずつ近づいていくと示すように。

『CROSSING 心の交差点』、主要キャラクターが皆よかった。

主人公のリアはジョージアで暮らす退職した教師で、亡き姉の遺言に従い、失踪したトランスジェンダーの姪テクラを探す。自立した女性として祖国でたくましく生きつつも、LGBTQ+への理解が深いとかでは別にないのだが、だからこそ旅を通じて彼女がテクラへの向き合い方を自省する過程は、私たち不完全な観客にも考えることを促す。

もう一人の主人公であるジョージアの若者アチは、国での生活を息苦しく感じ、外に出たい一心でリアの人探しに同行する。彼が踏み入り目にすることになるイスタンブールの複雑な表情は、ジョージアやトルコの流動性と変化を象徴している。

『CROSSING 心の交差点』、特筆すべきキャラクターはやはり、トランスジェンダー女性の弁護士であるエヴリム。

本作の大筋は「失踪したトランスジェンダーの姪テクラを探す」話であり、テクラが「不在の中心」として物語を牽引するのだが、マイノリティの存在が単なる物語上の機能や背景に堕していないのは、エヴリムの実在感と丁寧な描写のおかげだろう。

ドキュメンタリー『トランスジェンダーとハリウッド』で描かれたように、トランスのキャラは何かと露悪的な暴力、性に結びつく悲劇、身体的な暴露にさらされがちだったが、そうしたメディア史的な反省を活かしたような、知性的かつ「普通」の人生をもつキャラ造形になっている。

『CROSSING 心の交差点』も良かったが、日本でも『ブルーボーイ事件』など、マイノリティの描写やトランスジェンダーを扱う主題の点で、世界水準といっていい映画が公開された。声だけはデカい極右のバックラッシュ的な言動や、それに屈従する大手メディアの振る舞いを見るとひたすら悲惨に思えるものの、日本を含めて必ずしも先進的とはいえなかった国の映画から、変化の兆しが見えるのは希望といえる。

『ブルーボーイ事件』鑑賞。 1960年代の日本を舞台に、性別適合手術を巡る裁判を描いた映画。特筆すべきは主演の中川未悠さん(演技初挑戦とは信じがたい素晴らしい説得力と奥行き)を筆頭にした役者陣や、監督の飯塚花笑さんも含め、トランスジェンダー当事者の方を中心に制作陣を固めていること。 劇中で示されるようにマイノリティの道のりは前途多難だし、60年代と変わらないこと言ってる人多すぎだろ問題とか見ると暗くもなるが、こうした真摯な映画の存在自体に、時代は変わるもんだなとも思わされるし、変えていかなければならない。性的マイノリティを題材に描いた日本映画の新しい基準となるだろう、誠実に撮られた良作だった。

ぬまがさワタリ@『いきものニュース図解』ほか3/19同時発売 (@numagasa.bsky.social) 2025-11-23T03:05:32.549Z

bsky.app

『CROSSING 心の交差点』劇場パンフレットの最後に、トランスジェンダーの人々への理解を深めるための参考図書も4冊ほど紹介されていた。

うち1冊が『トランスジェンダー問題——議論は正義のために』。

2022年のベスト本にも選んだ本でした↓

numagasablog.com

『トランスジェンダー問題』の訳者さんが書いた、より入門っぽい日本の新書であるこちらもぜひ↓

読書メモ:『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』

『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』という本を、audibleで見かけて読んでみた(聴いてみた)のだが、けっこう面白かった。

若さや青春ばかりをもてはやし、歳を重ねることや成熟することを軽視、なんなら拒否、もっといえば恐怖する世の中に対して、「大人になる」ことの良さと必要性を説く…というかマイルドに説教していく感じの本。

www.eastpress.co.jp

公式サイトの内容紹介より↓

世間で「大人」と言われる年齢になったみなさん、立派な「大人」になれた実感はありますか? 人生の選択肢が多様に広がったからこそ、生き方が定まりにくいこの現代。それでも月日は流れ、いやおうなく私たちは年老いていきます。「成熟のロールモデル」が見えなくなった社会において、「若者」の立場を卒業し、「大人」を実践するとはどういうことか? 異なる世代との付き合い方、恋愛・結婚観、趣味とともに生きていくことについて。リアリティと現実のギャップに戸惑う人びとへ、新たな指針を示す人生論。

著者は精神科医で、専門を活かして現代人の社会適応とかそういうテーマでよく執筆しているとのこと。

時間の経過に伴う自分自身の肉体/精神の変化(要するに老い)を軽視したり、拒否したり、恐れたりすることは不幸を生むだけだ…というのは、古今東西いろんな宗教や思想などでも語られてきたことだと思うが、本書『「若者」をやめて、「大人」を始める』はそうしたテーマを身近な言葉で語る内容になっていた。

このような老いへの拒否や恐怖は、上の世代には下の世代への嫉妬や蔑視として、逆に下の世代には上の世代への反感や嫌悪として現れることが多く、どの年齢層の人にとってもタメにならない。だからこそ宗教などの形を借りて、人類が長く語り継いできた教えなのだろう。

語り口はあくまで柔らかいが、著者自身もオタクだったゆえか(特にゲームの『CLANNAD』が好きだったそう)、オタク的な人への物言いがけっこう率直というか、火の玉ストレートという感じなので、状況によってはド直球に刺さってしまう人も多いかもしれない。

たとえばアニメとかゲームとかアイドルとか(映画もまぁ部分的にはそうかな…)オタク/サブカル的な、一種の幼稚さが起爆剤になるような趣味や楽しみに、心底ハマってる時は「人生をこれに費やしてもいい!」「趣味に全賭けだ!」と思うかもしれないし、「成熟なんかどうでもいい」「大人になんかならないよ」とオバQみたいな(というたとえは通じるのだろうか)ことを思うかもしれない。

でもどうしたって自分も周囲も時間とともに変化していくものだから、いつしか楽しさも色褪せて、「趣味に全賭け」した人生を目指したはずが、趣味も楽しみもなくなった空っぽの中高年になってしまった…みたいな、実写オバQのような(こっちのほうがむしろ通じたりしてな)辛いルートについても、考えておくべきじゃないか、といった話が出たりする。(audibleで聴いたので直接ちゃんと引用できなくて恐縮だが。)

これに関しては、実際そうだよなと。「好きを大事にする」というテーゼは、オタク的な性向のある人の間ではほとんど絶対善のようなもので、それはオタク的な人たちが実際に「好きを大事にしてきた」人ばかりだから、というバイアスもあると思うし、「好きを大事にしてる俺ら vs 好きを大事にできなかったあいつら=一般人」みたいな(意地悪な言い方をすれば)選民意識や優越感を持てるかもしれない。その結果、オタク的コミュニティの中でも、オタク的コンテンツ(に限らずフィクションのかなり広い範囲でそうかもだが)自体の中でも、「好きを大事にしよう!」というテーマやメッセージがあふれかえることになる。

ただここで考えるべきなのは、「好き」は移り変わるということである。「好き」という感情は、その対象がものであれ人であれ、本質的に不安定なものだ。人間が変化するものである以上、本来は何一つ悪いことではないはずだが、オタク的な趣味を自分のアイデンティティにしてきた人は、ここで苦しむことになり、すでに飽きているはずの趣味や楽しみにしがみつき、余計に人生をこじらせることもあるかもしれない。別に、ただの趣味なんだから、いつやめたって、新しい何かを探したって、別にいいはずなのだが…。

自分としてもオタク界隈にそれなりに入り浸っていて(基準としてはユルイだろうがコミケも以前よく行ってたし、何回か同人誌を出したこともある)、性格的にも相当オタク的傾向が強い身としても、まぁやっぱ本書で語られる「成熟」は、広義/狭義の「オタク」な人たちこそが本当に重視すべき(だった)テーマだよな、と今起きている色んなことを眺めても思わざるをえない。

もっと言えば、成熟を軽視してきたことのしわ寄せが、オタク的カルチャーの作り手にもファンにも一気に襲いかかってきているのが今なのかもな、と思う。成熟を拒み、大人になることを拒み、居心地のいい子ども部屋にとどまり続けることを選んでも、未来に待つのはどん詰まり、くらいの危機感が求められるのかもしれない。

たとえば先日、庵野監督が「子ども向けのアニメーションが少ない」という話をしてる対談を見かけた。

news.yahoo.co.jp

庵野監督(と山崎監督)という、アニメや実写で日本エンタメの一線を担う人ならではの懸念もあるようで、もちろん2人が言ってることもよくわかるんだけど、個人的には、日本アニメのもっと根本的な問題って、「本当の意味で大人向けのアニメが少ない」ってことではないだろうか…などと不躾なことを思ったりはした。幼さが一種の呪いになってるというか。

もっと言うと、それは庵野監督が危惧する「子ども向けが少ない」問題と根っこが同じなのではないかと。

良質な「子ども向け」作品も、良質な「大人向け」作品も、結局のところ成熟した大人にしか作れないと思うんだよね。そして見る側も(子ども部屋から出られないオタクではなく)成熟した大人である必要があるんだろうなと。

たとえば引き合いに出して恐縮だが、中国の『羅小黒戦記』シリーズは、web版とかのノリをみても、たぶん作ってる人みんな超オタクなんだろうな笑と思う一方で、映画版(特に先日の『2』)を観て、そんなオタク連中に(失礼)どうしてこうも「成熟」した内容の作品が作れたんだろう、と、そのこと自体に感銘を受けたりした。

numagasablog.com

日本でも、昨日TVでやったという『かぐや姫の物語』とか、文句無しに世界最高水準の、本来的な意味での「大人向けアニメーション」と言って良いと思うけど、やっぱどうしたってド異端というかウルトラ外れ値の超上澄みといわざるをえないし、商業的に成立させるのも難しい(これはさすがに極端な例だが、『かぐや姫の物語』は制作費52億円→興行収入25億円という壮大な大赤字。)

正直ここまで圧倒的に凄くなくていいから、もうちょい作画とかもユルくていいから、少なくとも脚本面で『かぐや姫の物語』くらいの強度や社会的視線、それこそ「成熟」を感じさせるような大人向けのアニメ作品とか、もっと観られると嬉しいなと思う。ややマイナー系になればそれなりに思いつくのだが…(昨年でも『無名の人生』『ひゃくえむ。』『劇場版 モノノ怪』など)

まぁアニメ談義になると長くなるし本題からズレるので、また別の機会に。

 

話を『「若者」をやめて、「大人」を始める』に戻すと、本自体は面白かったし時々はこういうマイルド説教本も読むべきだなと思えたが、その一方、具体的な「大人の始め方」の話だと結局(そればっかりじゃないけど)結婚とか育児の重要性にウェイトがいく感じで、別にいいんだが、日本社会のわりと素朴な保守性みたいなところにスポッとハマれた著者なんだろうな、とは感じた。(たとえば、いや同性愛者の人は結婚も育児も実質できんやん、この国で…みたいな視点はまるでない。)

もちろんそうした、結婚や育児のような(狭義の)人間関係や他者への貢献が「成熟」を推進しうることに異論はないが、いま「成熟」の話をするのであれば、もっと「社会」のウェイトを上げることも必要では、と思う。たとえば結婚も育児もしないが、世の中を良くするために働きかける、みたいな人生も立派に「成熟した大人」の生き方だろうし。

いうなれば「オタク、大人になろうよ」とはぜひ言いたいし言われたいが、別に「オタク、結婚と子育てしようよ」と言いたいわけではないし、言われたくもない。(誰もそんなことを言われる筋合いはないし、誰でも結婚と子育てができるわけでもないし、向いてるとも限らないし、皆が多少がんばったところで日本の少子高齢化は回避不能だし、人類はマスでみればもうそんなに増える必要ないし、etc)

もちろん『「若者」をやめて、「大人」を始める』は、安易に結婚や育児で君も成熟!みたいな単純な内容ではなく(それなら読んでられなかっただろう…)、本書で定義されていたような「成熟」を実現する上で本当に重要なのは、自分だけの利己的で狭い「子ども部屋」にこもらず、もっと「社会」や「世界」や「人類」といった大きな視点を尊重することだと思うが、違うだろうか。このへん、言い方まちがえたらただのパターナリズムになっちゃうし、バランスって難しいよね。

というわけで全部に賛同するわけでもないのだが、時々はこういう本も読んで思考に刺激を与えよう、と思うのでした。

Audible版はデジタルボイスだけど普通に聞きやすかった(ぶっちゃけクセの強めな人間の読み手よりも聴きやすい、まであるかも…)

Audible、ちょうど3ヶ月99円キャンペーンやってたので興味あればぜひ↓

amzn.to

ところで『「若者」をやめて、「大人」を始める』と似たテーマを扱った、より当事者性が強い関連書といえそうな、『パーティーが終わって、中年が始まる』という本も、この前なんかで見かけて読んでみたけど興味深かったな。(電子半額してた↓ 1/10時点)

 

著者pha氏のことはよく知らなかったが、「日本一有名なニート」の異名をもつ方らしい。気楽な生き方指南などで人気だったが、最近は中年の危機も意識するようになり、若者時代の気楽さを相対化して見るようになった、的な内容。

やや世知辛いタイトルながら、気楽で自由な若さの終わりも見据えつつ、老いという大地に軟着陸する方法を考えるのは、万人にとって大事だろうなと。着陸方法は人それぞれだと思うが、時間の経過や自分の変化を恐れすぎず、時には自分のため、時には世のため人のために、生きていきたいものですね(まとめ)

ビニールタッキーさんの「月間おもしろ映画宣伝」最終回を特別寄稿しました。

昨年10月に残念ながら亡くなった友人ビニールタッキーさんが、映画ナタリーで連載していたコラム「月間おもしろ映画宣伝」。

このたび不肖私が、その最終回(とささやかなイラスト)を代わりに書かせてもらいました。

心優しき映画宣伝ウォッチャー・ビニールタッキーさんの、この世での旅路は終わっても、映画宣伝の物語は続く!という気持ちで、悲しい気持ちに押しつぶされぬよう、なるべく明るい最終回になるよう書いてみましたので、よろしければお読みください。

natalie.mu

本ブログで思い出を語った記事はこちら↓

numagasablog.com

 

ビニールタッキーさんの奥様

ナタリー担当編集の松本さん

昨年末にはビニールタッキーさんと交友のあった映画ファンのお友達と集まって、でかいスイーツでビニタキさん(あひるのすがた)を包囲したのだった。ちょいちょい集まって思い出を語れたらいいな。