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表現と文学に関するardarimのブックマーク (3)

  • 「彼らは末長く暮らしましたとさ」「暗い嵐の夜だった」など8つの文学的な決まり文句とその起源とは?

    「むかしむかしあるところに」といったような、物語でよく使われる「慣用表現」ないし「決まり文句」が由来となったフレーズは数多くあります。決まり文句はむやみやたらに用いると「またか」と思われて悪い印象を与えることもありますが、多くの人が知るフレーズのため、巧みに用いると効果的に雰囲気を伝えることができます。そのような英語文学における使い古された8つの慣用表現について、ニューヨークに拠点を置く印刷やデジタルマガジンを扱うMental Flossのチームが「その表現が最初に登場した起源、元ネタ」について解説しています。 Before They Were Cliches: On the Origins of 8 Worn Out Idioms ‹ Literary Hub https://lithub.com/before-they-were-cliches-on-the-origins-of-8-

    「彼らは末長く暮らしましたとさ」「暗い嵐の夜だった」など8つの文学的な決まり文句とその起源とは?
    ardarim
    ardarim 2023/07/06
    スピンオフへの伏線「それはまた別のお話」も定型句よね
  • 「杳として」とか「寡聞にして」とかいう言葉を使わなくちゃいけない理由 -- 「文学的」という言葉の意味 -- @heis.blog101.fc2.com

    プライドの高そうな表現 - 蟹亭奇譚 彼の行方は杳として知れない。 「はっきりわからない」ではだめなのか。 ダメな場合がある、ということだと思う。 要件が通じればいい事務的な連絡事項であれば、「はっきり分からない」でもいいと思うが、これが文学作品だったらどうか。「杳として」という言葉を使わなければ表現できないもの、この言葉をつかったほうがより作家自身が伝えたいことを伝えられると判断された場合は、「杳として」という表現を使うことを、許してあげてもいいんじゃないか。 寡聞にして知らない。 辞書には「見聞の狭いこと。主に謙遜の意で用いる。」とあるが、ちっとも謙遜になっていない例である。 謙遜と感じるかどうかはひとえに、その言葉を発する側と受け取る側の関係性の問題である。だから、過剰敬語だと逆に失礼な意味になったりするし、貴様とかお前とか、もともとは尊敬語だったのにいつのまにかぞんざいな言葉になっ

    ardarim
    ardarim 2010/11/27
    文脈に文学性や時代性を要するかどうかは個人の受け取り方し次第だろう。そういう風に自然に受け入れられるということは高尚ということでもあり私個人はそうありたいと願う。ただ必然ではない。言葉は生き物である
  • 東京都は『源氏物語』を有害図書に指定しよう! ——「非実在青年・光源氏」と「ピカチュウ」のやりたい放題:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 前回も問題にした「非実在青年」が登場する東京都の「青少年健全育成条例」ですが、3月19日の都議会で継続審議となりました。拙速な採決などなかったのは何よりと思います。規制すると公称している対象と比べて、条例案の文言が指し示すエリアがあまりにも広すぎ、過失であるなら不注意が過ぎ、故意であるなら「思想統制」などと非難されて言い逃れのできない、恣意的運用が可能な作文でした。 当のことを言えば、今回は地下鉄サリン事件(1995年3月20日)から15年を迎えて、という内容を書きたい週でもあるのです。しかし、実はこの原稿を打っていた最中にも、都議会では議事が進行したのです(Twitter=ツイッター=で生中継してくださる方があり、いながらにして議事が手に

    東京都は『源氏物語』を有害図書に指定しよう! ——「非実在青年・光源氏」と「ピカチュウ」のやりたい放題:日経ビジネスオンライン
    ardarim
    ardarim 2010/04/02
    『巷の噂では、次の「コミケ」で、かなりの数の『太陽の季節』のエロ・コミック化作品が出回るだろう、との予測』 コミケで焚書坑儒は止めてくれ。マジでしゃれにならん。
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