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createとexpressionに関するchrojuのブックマーク (2)

  • 物を作る能力と物を見る能力は似て非なるものではないか

    「どこそこの店の料理は出汁が塩辛すぎて不味かった」「そのイラストは首と頭の部分が立体的にずれているから頭が飛び出て変に感じる」「ピアノが若干先走りすぎてたかな。もう少しゆっくり弾いてくれた方が心地よかったと思う」……ネットでは今日も至る所で創作・演奏・作品・その他もろもろについてあれやこれやと批評を書く人が後を絶たない。そして、同じように、その批評に納得が出来ない人が反論として 「そう思うならお前がもっと美味いものを作れよ」「偉そうに言いますが、じゃあ、あなたはもっと上手に描けるわけですね。絵をアップしてみてくださいよ」「嫉妬乙。おまえの演奏よりも1000%向こうの方が上手いから」……と、批評の内容に対して反論するのではなく、「その作品を創る技術が無いものがそもそも批評をするな」という、意見の封じ込めをしようとする人も後をたたない。 確かに一見正しく見える意見なのだが、最近どうにも違和感を

    物を作る能力と物を見る能力は似て非なるものではないか
    chroju
    chroju 2009/08/23
    批評に対して「ならお前がもっと上手いのを~」と反論するのは的外れという指摘/ニコ動によくいる。創作者vs創作者ならアリだが、批評家vs批評家でこの反論しても滑稽。自分が創れないものはすべて素晴らしいのか?
  • なぜ僕はブログを書きたいと思うに至るのか - the world was not enough

    書くことの快感 たぶん、書くことそのものが快感なんだよなァ。そのメカニズムや具体的な理由だとかを説明はできないんだけど、「書く」こと自体が気持ちいい。ネタがないときでも、「ブログ更新したいなーうずうず」という欲にかられるときがあるのだが、それは他でもない、「何か書きたいなーうずうず」と言い換えられるのだ僕の場合。ポメラを買ってしまい、ベタボレしているのも、「どこでも書いていたい」という僕の欲望の顕れと解釈できる。 関連:ポメラかわいいよ、ポメラ - 一詩人の最初の歌 なんだろう、自分の内にあるものを吐き出す過程が心地よいのだろうか。思えば合唱をやっていたときも、「外に出す!」って感覚がすごく好きだった*1。歌うことは、自分の内的エネルギーを音という形に昇華する作業に思えていた。 思ったこと、考えたこと、感じたこと、あるいは自分の中にたまったストレスやプレッシャー。それらを溜めておくことは不

    なぜ僕はブログを書きたいと思うに至るのか - the world was not enough
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