最近、そのためのヒントとして紐解いた著作がハイデガー『存在と時間』とホフマイヤー『生命記号論』である。どちらも膨大な時間をかけて読んだのだ。特に『存在と時間』を読破するには二ヶ月もの時間がかかった。おかげで僕の研究は大幅な足止めを食らった挙句、ほぼ収穫がなかった。 なぜこんなことになってしまったのか? 僕は気がついた。「一見、労働とは関係ないテーマを労働に結びつけて語る俺、教養幅広くてかっけー」がやりたかっただけで、身の丈に合わないことをしてしまったのではないかと。そのような動機が全くなかったと言えば嘘になる。僕だって人並みに虚栄心を持っているのだ。最近の知的最先端の理論化を自称する哲学者や思想家は、唐突に量子力学を持ち出したりするが、あれと同じことである(そういう姿勢が、アラン・ソーカルのような人に批判されるのだろう)。 というわけで、僕は初心に帰ることにした。『労働の思想史』という何と
