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宇野常寛に関するggg123のブックマーク (4)

  • [書評]リトル・ピープルの時代(宇野常寛): 極東ブログ

    「リトル・ピープルの時代」(参照)で宇野常寛が展望する現在世界の見取り図は、理解しやすい簡素な構図で出来ている。 1948年にジョージ・オーウェルが著した「1984」(参照)の「ビッグ・ブラザーの世界」は、2009/2010年に村上春樹が「1Q84」(参照)で描いた「リトル・ピープルの時代」に変貌したということだ。では、ビッグ・ブラザーとはなにか。リトル・ピープルとはなにか。 ビッグ・ブラザー(偉大なる兄弟)は、オーウェルの脳裏ではスターリンだった。有田芳生氏の名前の由来となった「ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)」である。同志スターリンとも呼ばれたものだった。その他に毛沢東もビッグ・ブラザーであり、金正日もそうだ。カダフィーもそうだと言ってよい。大衆の前に写真で大きく掲げらる。全体主義国家の独裁者と理解されることが多い。 だが独裁的な国家の内側では慈父として信奉される。ある

    ggg123
    ggg123 2011/09/12
    ってことは人権ってもしかして・・
  • デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド - 自然主義的リアリズムとまんが・アニメ的リアリズム - 宇野常寛が見落としているもの

    S-Fマガジン 2007年 09月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/07/25メディア: 雑誌 クリック: 6回この商品を含むブログ (32件) を見るようやくというか何と言うべきか。1ヶ月近く遅れてしまったが『ゼロ年代の想像力』第3回を読んだので言及しておこうと思う。今回の要旨をまとめると次のようになる。 90年代前半までを支配したジャンプ的なトーナメントシステムとは、社会が用意したルールの中で戦うことを意味している(筆者註:これは大きな物語を指していると思われる) そのシステムの崩壊は、震災+地下鉄サリン事件エヴァが象徴的な1995年に起こった。同年、ジャンプの人気を支えていた『ドラゴンボール』と『幽遊白書』の連載が終了、トーナメントシステムの時代が終わりに向かう。ここから時代は決断主義/サヴァイブ感の準備期間に入る 9.11、ネオ・リベラリズムの登場。引

    デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド - 自然主義的リアリズムとまんが・アニメ的リアリズム - 宇野常寛が見落としているもの
    ggg123
    ggg123 2008/03/12
    まあ現実逃避?例えば「鬼平犯科帳」なんか見てて、「ああ江戸時代っていいなあ」とか「鬼平のなかにいる自分」とか想像しちゃうのと同じ地平ってことかな。ってそんなキモチワルイこと考えてるの私だけか。orz
  • 『ゼロ年代の想像力』が用意した90年代とゼロ年代の対立軸 - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド

    S-Fマガジン 2007年 10月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/08/25メディア: 雑誌 クリック: 7回この商品を含むブログ (15件) を見る相変わらずの周回遅れだが、第4回を読んだので言及しておこう。 『ゼロ年代の想像力』に関しては、第3回までを読んで『自然主義的リアリズムとまんが・アニメ的リアリズム - 宇野常寛の見落としているもの』というエントリで東浩紀、宇野常寛両氏の噛み合っていない部分を指摘した。第4回もあまり進歩的な内容ではなかったので当ブログの基的なスタンスも変わらない。両氏は相変わらず噛み合っているようには見えない。というか、宇野氏は東氏に上手く噛みつけていない。これが今のところの結論だ。 ただ、逆の視線を用意することは意外と簡単にできる。すなわち、どこに軸を置けば彼らの対立構造を素直に読み込むことができるのか、ということだ。今回はそ

    『ゼロ年代の想像力』が用意した90年代とゼロ年代の対立軸 - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド
  • 『ゼロ年代の想像力』を読んだ僕たちにできること、あるいはできないこと - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド

    遅ればせながらSFマガジン7月号に掲載された宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』を読んだ。第1回ということであまり詳しい内容ではなかったけれど、この連載は「いつまでも東浩紀や、彼に影響を受けた言説に支配されているようではどうしようもない。もっと多様性に富んだ批評がなければ、ゼロ年代以降の想像力が衰弱してしまう」ということを主張したいのだろう、つまりそれが宇野常寛の危惧していることなんだろうと考えている。俺はこれを正しいと思っていて、つまりは新しい作品群にもっと光を当てなければ新しい想像力が認められないまま、それこそ失われてしまうのではないかとは感じる。 だからこそ、彼はあえて挑発的な言葉を使ってこちら側に語りかけてきているんだろう。宇野常寛は、読者が動くことを期待している。ムーヴ、ムーヴ、ムーヴ。もちろん『ゼロ年代の想像力』をそのまま肯定しても構わないのだろうけれど、彼の意図としては、この疑問の

    『ゼロ年代の想像力』を読んだ僕たちにできること、あるいはできないこと - デイジーチェイン・アラウンド・ザ・ワールド
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