本当は別のタイトルを考えていたのだが、ちょっと迷った。 吉本隆明が語ったこと - HPO:機密日誌 この講演で吉本隆明が語りたかったことって、人生お金じゃないよ、ということではないかと最近思う。資本論の最初の方くらいしか読んでいないが、しつこく価値とはなにか、価値を比較するにはどうしたらよいかということをマルクスは書いていたように記憶している。結局、マルクスの価値論とは、時間とお金の収斂したように思う。「タイム・イズ・マネー」であるから、究極的にはお金という一元的な価値で資本論のすべては構築されているのではないだろうか? ももちさんが「お金は便利だし、私も好きだ」とおっしゃった。逆に言えば、みんながお金が好きだから私もお金が好きだということになる。みんなが好きなものであるから、世界中のものの価値をお金に換算することができる。一元の価値であり、みんなが好きなものであれば、国境を越えてどこまで
これまた、目からウロコの本でした。 『オデッセウスの鎖』 ― 適応プログラムとしての感情 R.H.フランク (著) 大坪 庸介 サイエンス社 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4781907520/qid%3D1105954843/250-5587908-3779445 生物進化が利己的遺伝子を中心とする淘汰と繁殖のプロセスであるとしても、そういう遺伝子を持ったヒトが、利己的だということには必ずしもならない。 血縁淘汰、包括適応度とか、しっぺ返しの報復戦略、互恵的利他行動なんかよりもずっと広い意味で、高尚で純粋な?道徳感情や利他的行動が、自然淘汰のメカニズムからも生まれうる。タダ乗りの利己的なペテン師(フリ-ライダー)が繁殖し、道徳的な正直者がカモにされて淘汰されるのではない、というような理論です。それを、コミットメント・モデルということ
赤間さんところで土曜の朝日新聞で経済思想関係の記事があったことを知り、ちょっと読んでみた。 http://d.hatena.ne.jp/akamac/20090207/1234016184 折しも,藤生京子「古典の思想家 再注目 世界不況の経済学」(朝日新聞,2009年2月7日付)の記事があった。危機の時代を迎え,スミス,ケインズ,ハイエク,シュンペーター,ガルブレイスなど近現代の「経済学・経済思想の泰斗」が引っ張りだこで,「遠ざけられがちだった古典」が注目されている,という。スミス,ケインズ,ハイエクの写真を載せ,堂目さん,間宮さん,稲葉さんらの談話などを引いて,「公共政策と個人の生活をつなぐ回路が,人間社会を,深く多角的に洞察する古典の知見から見つかるかもしれない」と結んでいる。 元記事http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY20090
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