蓮實重彦さんの「些事にこだわり」第27回を「ちくま」9月号より転載します。 「民主主義」の名のもとに、もっともらしく展開される「投票」という行為がはらむ「代理させる」「代理させられる」ことの不気味さについて。ご覧下さい。 ✑蓮實重彦 ときに例外的なケースもあるとは思うが、一般に「投票」と呼ばれる振る舞いは、ほとんどの場合、投票所と呼ばれる異空間で、どこの誰が提供したのか見当もつかない一枚の紙きれに、会ったことも言葉を交わしたこともない未知の人物の名前を涼しい顔で表記してから、しかるべき箱に投入するという不気味な儀式にほかならない。であるが故に、その不気味さに耐えることが、どうやら等しく民意を問うものとされる「民主主義」の根幹をなしていることになる。実際、国政選挙であれ、地方自治体の場合であれ、この国の多くの男女は、その「不気味な儀式」にしぶとく耐えているかに見える。そのとき紙片に「他人」の
