馮は1980年代に、中国国内で会社の経営や民間の研究機関である中国企業発展研究所の所長を務めていた。1989年5月に、中国人民解放軍による六四天安門事件の弾圧を批判する声明を発表したため、当局の監視下に置かれた。それ以後は逮捕され、2001年から2003年まで服役した。それ以後は中国、日本において活動を続けている。2009年6月に中国に帰国しようとしたところ、中国当局から帰国を拒否されたのを始めに、以後8回に渡って中国への入国拒否が続いた[3]。 馮のパスポートは3年間有効で、日本の在留許可・再上陸許可は、2010年(平成22年)6月30日まで有効である[4]。日本では、日本人と結婚し千葉県内に住む妹の家に世話になっていた。2009年(平成21年)11月9日に、中華人民共和国への帰国を試みるが、入国審査で上陸を拒否され日本に送還された。その後、中国政府への抗議として、日本への入国審査を拒み