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2012年1月21日のブックマーク (4件)

  • Hang Reviewers High / サウスパーク「Episode 1110-1112 - Imaginationland」

    忙しくて結構前のことになってしまったが、このブログで「恋空」について書いていたら速水健朗さんに記事を引用していただいた。 速水さんの記事は、考えさせられるものだった。若い女の子の読者が「事実を元にしたものにしか興味を示さないという共通点」を持っているとされることに着目されて、そしてその「リアルさ」は突き詰めれば次のようなものだと書かれている。 大人の目にはかけらもリアルではないケータイ小説が、「リアル」として受け入れられているのは、なんのことはない、文字通り"当の話"であると謳うか謳わないのかの問題なのだ。しかも、「当」と謳う際も、実際のリアリティーはどうでもいい。 そして、速水さんは以下のようにも書かれているので、おそらくケータイ小説の読者たちがこのような軽薄な「リアルさ」を求めて作品を読むことに、どちらかと言えば批判的な立場を取っているのだと思う。これからを出す作家は題名に「ほん

  • クラシックコンサートでバイオリン演奏中に携帯電話が鳴るもバイオリニストの行動で場が盛り上がる!!機転を利かせたバイオリン奏者がカッコイイ!! | コモンポストムービー

    クラシックコンサートでバイオリン演奏中に携帯電話が鳴るもバイオリニストの行動で場が盛り上がる!!機転を利かせたバイオリン奏者がカッコイイ!! Tweet クラシックコンサートの最中に、観客の携帯電話が鳴ってしまい着信音によって演奏が台無しになってしまいます。しかし、バイオリン奏者が機転を利かせてある行動をとったことで、逆に場を盛り上げてしまいました。なかなかスマートでカッコイイバイオリニストのひらめきと高い演奏技術をご覧ください。 順調に演奏が進んでいるクラシックコンサートですが、観客席から携帯電話の着信音が聞こえてきます。この着信音によって演奏は中断し、せっかくの雰囲気が台無しになってしまいました。しかしバイオリニストは機転を利かして、今聞いたばかりの着信音をバイオリンで弾き、さらにアレンジを加えて素晴らしい曲に仕上げてしまいました。これには、ガックリとしていた観客からも笑い声が漏れ、演

    t-sat
    t-sat 2012/01/21
    良い反射神経だ。/しかし世の中は広く、1人芝居上演中に携帯電話を鳴らして、あまつさえその場で通話を始める人間もいたりする。ショックを受けて観劇どころではなかったよ。
  • 実話として流通する嘘に大喜びする愚民 島国大和のド畜生

    自分は、作り話を実話といって流通させる構造が嫌いだ。 アダムスキーの円盤同乗記だって、あれ小説だったら売れないから体験にして世界中に売った。嘘に決まってるじゃない。 町でこんなDQNに出会った、こんな人が気転を利かせて退治したのを見てた。嘘に決まってるじゃない。 マックでとなりの女子高生がこんな会話をしていた。嘘に決まってるじゃない。 日が大好きな外人がこんなことを言ってた。話盛りまくってるに決まってるじゃない。 俺の先祖が人をってたらしい。嘘に決まってんじゃない。 幽霊と出会いました。嘘に決まってんじゃない。 文字打つのが遅いとか、スマホだからってレス遅いとか、ちょっと用事があるのでPC離れるねとか、そんなもん「スレ速度コントロールしてるだけじゃん」ものによっては自演も混じってるじゃん。 さらにまとめサイトの編集で濃い感じに見せてるけど、実はスレ速度トロくて数人しかいなかったりじゃ

    t-sat
    t-sat 2012/01/21
    あれらの話を、実話or実話かも知れない、と思ってる人の割合については結構本気で興味がある。/『一杯のかけそば』ブームは本当に怖かったなぁ…。ちょっとした悪夢の味わい。
  • 西村清和『プラスチックの木でなにが悪いのか』:だらしない印象論と詰めの甘い議論によるトートロジーしかない本 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    プラスチックの木でなにが悪いのか: 環境美学入門 作者: 西村清和出版社/メーカー: 勁草書房発売日: 2011/12/21メディア: 単行購入: 2人 クリック: 226回この商品を含むブログを見る 情けなく空疎で無価値な。 一応論文集なんだが、扱われている問題は表題となっている論文(そして質問)に集約される。ぼくは最初、「何が悪いのか」だから、プラスチックの木でもいいはずだ、という議論だと思ったら、この人は当に悪いと思ってるのね。もちろんそういう考え方はあるだろう。 でも、その議論はすべてトートロジーにすぎない。たとえば一通り議論を終えたあとでのまとめのこんな文。 自然の木を断念してプラスチックの木に代えることは、それがけっして自然の木の美的経験の代わりになることはないから、単に自然に対する義務や自然の断念という倫理上の問題としてではなく、まずは美的にまちがいであり悪いのである。

    西村清和『プラスチックの木でなにが悪いのか』:だらしない印象論と詰めの甘い議論によるトートロジーしかない本 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
    t-sat
    t-sat 2012/01/21
    「精巧な」ってのの、程度問題にもなりそう(多分、取り上げられてる本の著者はそう考えてないんだろうが)。/人間が老化する限り「アルファさん」は異質だよなぁ。