残留孤児、最後の訪中団 高齢化と「反日」で細る交流
【北京時事】終戦直後に中国に取り残され、その後日本に帰国した残留孤児の訪中団が今月、中国東北部の黒竜江省ハルビン市を訪れた。戦後80年がたち、残留孤児も高齢化。大規模な訪中団は今回が最後となる見込みだ。中国では反日宣伝も強まっており、交流の先細りが懸念されている。
訪中団は、NPO法人「中国帰国者・日中友好の会」が6年ぶりに企画。残留孤児を育てた中国人養父母は全員が世を去ったが、「育ての国」に感謝の意を示そうと、10~14日の日程で残留孤児やその2世ら約90人が参加した。
さいたま市から参加した高橋秀哉さん(80)は、生後約半年の時、同省寧安で中国人夫妻に引き取られた。母親が預け先を記録しており、1967年に身元が判明、82年に帰国した。
終戦直後の混乱で、高橋さんの父は行方不明。9人兄弟のうち、高橋さんを含め3人が残留孤児となった。「戦争は絶対にいけない」。そう訴える高橋さんは「日本にいても中国のことは忘れることができない」と訪中した。
東京都板橋区から参加した中本富子さん(80)は、吉林省長春市生まれ。終戦直後、母親が身を寄せた中国人家庭に預けられた。幼いころ、養父母の会話で自分が日本人と知ったという。
養父母の没後、95年から肉親捜しを始めたが、親族は見つからなかった。「平尾」という名字しか分からなかったため、中国と日本、日本の象徴である富士山から一文字ずつ取って新たな名前をつくった。「肉親が分からず、人生に何かが欠けたままだ。戦争がとても憎い」と話す。
過酷な人生を送った残留孤児たち。同NPOは、中国の人々にもその経験を伝えようと、訪中のたびに残留孤児をテーマにした劇を披露したり、政府要人と面会したりしてきた。
だが、今回は中国側が直前になって難色を示し、一時は劇の公演が危ぶまれた。黒竜江省内にある中国人養父母の供養塔の参拝も、地元政府の許可が出ず断念した。習近平政権が「戦勝80年」で反日宣伝を強めていることが背景にあるとみられる。
「戦争で被害を受けたのは、日中両国の庶民だ。政治がどうであれ、市民同士の交流は続けるべきだ」。参加した残留孤児の男性は、そう願っている。