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エジプトに避難したガザの人々の訴え “世界はなぜ見捨てたのか”

ガザ地区で、イスラエルとイスラム主義組織ハマスが戦闘を始めてから、7日で1年。
戦火はイスラエルの隣国レバノンに拡大し、イスラエルと軍事大国イランとの全面衝突に発展する懸念も出ています。

この先の中東地域の動向に注目が集まる中で、私はガザが今どのような状態になっているのか知りたい、ガザの人々に直接話を聞くことはできないか、との思いを強くするようになりました。

そこで向かったのが、ガザの住民10万人以上が避難したとされるエジプトでした。
私がエジプト入りしたのは、番組が放送されるおよそ10日前。
撮影期間は5日間。ガザ支援を行う日本のNGO「パルシック」からの情報提供を受けながら、ガザの人々を訪ねてまわりました。

取材を通して見えてきたのは、ガザの“地獄”がさらに深刻化している現実や、エジプトに避難したガザの人々が戦火から逃れたからといって安心できる状態ではない実態。そして、事態が一向に改善しないことへの深い絶望感でした。

※記事の後半で、ガザ支援を行うNGOの情報を掲載しています。

(報道局 社会番組部 ディレクター 藤原拓也)

“子どものために” ガザから決死の避難

私がまず出会ったのは、エジプト・カイロ近郊の町に暮らすヌールさんでした。生後8か月から7歳までの4人の幼い子どもを育てているヌールさん。エジプトに避難したのはことし1月。当時、4人目のこどもの出産を間近に控えていました。

ヌールさんと4人目の子ども・アハマドくん

当時、私は妊娠9か月で出産が近づいていました。しかし、ガザ内では病院のほとんどが壊滅していて出産できる場所がなかったのです。もちろん薬や食べ物は不足していました。清潔な水はなく、塩水を飲むような生活でした。

また空爆で2人のおじや友人たちが次々と亡くなっていくなかで、子どもたちだけは守りたいと思ったのも避難を決めた大きな理由でした。

長女のイマンちゃん(8)は、ガザにいたときの恐怖を鮮明に覚えていました。

イマンちゃん

寝ていたとき隣の家が空爆されたの。目が覚めて叫んだわ。それで友達が死んじゃったの。

臨月の体で、3人の幼子を連れての避難。エジプトに到着した1週間後、アハマドくんが生まれました。その直後、ガザにあるヌールさんの自宅が空爆で破壊されました。

退避後に破壊されたガザの自宅

ヌールさんたちが命からがらエジプトに避難した一方、両親や兄弟は越境が認められずガザに残らざるを得ませんでした。母・サハルさんとは、避難の際、ガザとエジプトの境界にある「ラファ検問所」で別れたきり、会えていません。

ラファ検問所にて・左上 ヌールさん

ガザに残した家族と連絡をとろうにも、通信状況が不安定なため、数日間、不通になることがあると言います。ヌールさんはそのたびに脳裏に不安がよぎると訴えます。

家族のことを話すとき、彼女の目には涙が浮かんでいました。

涙を浮かべるヌールさん

子どもを安全な場所に連れてこられた、無事に出産ができた、そのことはうれしく思っています。ただ、ガザに家族を残し、自分だけが安全な場所にいることに後ろめたさを感じています。きょう家族は無事なのか、なぜ連絡は通じないのか、常に不安に襲われるのです。

次第に難しくなるエジプトへの避難

なぜ、家族全員でエジプトに避難することができないのか。
その経緯を語ってくれたのが、ことし4月、妻と2人の娘とエジプトに避難してきたマジェドさんと、大学院に通うために数年前からエジプトで生活していた弟のアメールさんでした。

マジェドさん

マジェドさんもまた、避難するときに大勢の親族をガザに残さざるを得ませんでした。

戦争が始まってから娘が肝炎にかかりました。衛生状態が劣悪な環境で過ごしていたため、その影響で発症したと思われます。彼女の顔色は悪くなり、腹痛もひどかったです。病状から特定の食品を食べることができなくなりましたが、他に食べられるものがなく、仕方なく与えるしかありませんでした。病院は、けが人で混雑しており、まともに治療できず、無力感ばかりが積み上がっていきました。

肝炎にかかったマジェドさんの娘

そうした中、エジプトに避難することを決めました。親や兄弟、親族たちに別れを告げてまわりました。まるで心の一部が引き裂かれるような感覚でした。そのとき感じた「また会えるのだろうか?これが正しい決断だったのだろうか?」との思いは、今も抱え続けています

ガザの住民がエジプトへ避難するには、多くの場合、越境を手配する「ブローカー」の手を借りる必要があります。このブローカーとやりとりをしていたのが、弟のアメールさんでした。
去年の戦闘開始後、時間の経過とともに越境はどんどん困難になっていったと言います。

マジェドさんの弟 アメールさん

ブローカーのもとには人々が殺到していて、越境の手続きを進めるだけでも1~2か月待つ必要がありました。ガザ以外の外国の国籍を持っている人はガザから出ることが可能でしたが、私たちの家族は他の国籍を持っていないため、そのような手段はとれませんでした。ブローカーを通じてしか家族を救うことはできず、それが唯一の選択肢でした。


越境にかかる住民1人あたりの費用は、戦闘が始まる前は300ドル~500ドル程度でしたが、戦闘が始まってからは2000ドル、3000ドル、そして5000ドルと費用が跳ね上がっていきました。もちろん家族を救うためなら、この費用を支払ってでも越境するつもりでした。しかし、私にはマジェドの他にも大勢の兄弟がいます。ほとんどが結婚していて、それぞれが3人~5人の子どもがいます。すべての家族を越境させる金銭的な余裕はなく、現実的に難しい状況だったのです。

ガザで親族と話し合う中で、子どものために一家で先にエジプトに避難することを決めたマジェドさん。エジプトでは難民認定を受けることができないため、生活に大きな支障が出ていると訴えます。

私たちは安全な場所に来ることができましたが、生活は全く安定していません。娘をエジプトの幼稚園に登録しようとしましたが、それもできませんでした。子どもを学校に通わせるどころか、私たちはエジプトで仕事をすることもできず、他の国へ行くためのビザを取得することもできません。それが今の大きな問題なのです。

“ガザに安全な場所などない” 残された家族から届く惨状

両親や兄弟をガザに残してきたことを悔いていたヌールさん。
通信環境が安定したとき、ガザの家族からは中の様子を知らせる映像が届いていました。

そこに映っていたのは、空爆でガレキと化した実家の光景。

破壊されたヌールさんのガザの実家

また、ゴミの山から物資を探し出そうとする困窮した子どもたちの様子。

そして、栄養不足などから感染症にかかった姪や甥の姿でした。

「家族を避難させたい」。ヌールさんはクラウドファンディングで寄付を募っていました。
しかし、避難に必要な金額は全く集まっていません。

クラウドファンディングで呼びかける様子

ガザに安全な場所などありません。なんとかして家族を避難させたいのです。

イスラエル軍の拷問によって刻まれた、深い傷

ガザの人々の脅威となっているのは、戦闘や病気だけではありません。
ことし4月、エジプトに避難してきたメドハトさんです。メドハトさんは日本のNGOの紹介ではなく、現地の取材中に出会った方でした。

ガザでは衣類の製造工場で働いていたメドハトさん。しかし、去年の12月、避難の最中に逃げ込んだ病院がイスラエル軍に囲まれ、理由も告げられずに拘束されました。

メドハトさん

病院の地下室に避難したのですが、周囲を軍の戦車とブルドーザーに囲まれていました。5~6時間すると周囲は静まり返り、銃声も兵士の声も聞こえませんでした。そのとき、いとこが水を取りに行くために外に出たのですが、心臓のあたりを撃たれ、その場で亡くなりました。


拘束されたあとは、殴られたり、侮辱されたり、裸にされたり、考えられるあらゆる種類の拷問がありました。中には12歳から18歳までの子どもや、高齢者や障害者など、ありとあらゆる人が拷問を受けていました。


彼らは僕たちを鉄のフェンスに立たせ、手を頭の上に挙げさせたり、後ろに回させたりした。棒で何度も叩かれ、指や骨が折れました。数日後、せきをすると血が出るようになり、息をするのも苦しくなりました。ろっ骨のあたりが影響を受けていたからです。殴られているときこう思うんです。『もう殺してくれ、楽にしてくれ』って。僕たちが耐えているこの苦痛から解放してほしい。銃で撃たれて殺されたほうがまだマシだと。


また縛られた状態で、60時間連続で大きなスピーカーのそばに座らされたこともあります。外国の歌やヘブライ語の歌が非常に大きな音で流され続けていました。その間、何度も兵士たちがやってきては私を殴りました。この拷問の後、立ち上がることすらできず、頭の中で歌が流れ続けていて、何も理解できませんでした。誰とも会話できず、話すこともできませんでした。私の頭は完全におかしくなっていて、ただ音楽が頭の中で響き続けていました。

こうした拷問に加え、電気を使った拷問、性器を縛られ銃口を突きつけられるなどの暴行は20日間に及んだと言います。

彼らの憎しみは単なる憎しみを超えていました。まるで動物扱いでした。『お前らは人間じゃない』『殺してやる、燃やしてやる、切り刻んでやる』『パレスチナもガザも存在しない』と。

メドハトさんの妻が撮影した映像には、釈放された直後のメドハトさんの姿が映っていました。
手足を常に縛られ続けていたせいで、体がその形で硬直してしまっていたと言います。

釈放直後のメドハトさん

メドハトさんは脚への後遺症が残り、膝を曲げての礼拝ができなくなりました。
拷問の記憶は、今も脳裏から離れないと言います。

肉体的な痛みよりも精神的な痛みの方が強いです。今でも寝ているときに監獄での悪夢を見ます。そこで何が起こったのか、どんな生活だったのかを、毎日、思い出してしまいます。そして夜中に、その悪夢から飛び起きて動揺するのです。

周りの人が『もう過ぎたことだ、忘れよう』と言っても、私はまだ戦闘の渦中で生きています。体の痛みを感じるたび、拷問のことを思い出します。すべてのことを思い出してしまいます。決して忘れられないもので、頭から消し去ることは不可能です。もう拷問前のような人生に戻ることは死ぬまでないのでしょう。

“世界が憎い” 避難がほぼ不可能になったガザ

人道危機が深まるガザ。そこから家族を出したいと模索してきたヌールさんは、厳しい現実を突きつけられていました。

ことし5月、イスラエル軍がガザ南部ラファで地上作戦を開始し、ヌールさんたちがエジプトへ避難する際に通ったラファ検問所を閉鎖。これにより新たに避難することはほぼ不可能になりました。

取材中、ヌールさんのもとにガザにいる母・サハルさんから1本の電話がかかってきました。つい先日、親しかった知人が亡くなったという知らせでした。

ガザにいる母と電話するヌールさん
ヌール)あの家の誰が亡くなったの?

母・サハル)お母さんとお父さん、息子さん、それに3人の子どもたちよ。

母・サハル)私はガザから出られなくてもいいの。でも子どもたちには出てほしい、まだ将来があるから。ガザで未来を過ごすのは厳しい。

どうしたらいいのか分かりません。電話で様子を知ったところで無力さを感じます。率直に言って世界が憎いです。ガザで起きていることを誰も止められないからです。

“停戦を、今すぐに” 日本のNGO共同声明

戦闘が始まって1年となるのを前に、ガザでの支援活動にあたっている国内の6つのNGOが合同で声明文を発出。私が帰国した翌日の10月5日には、都内で停戦を訴える催しが開かれていました。

合同声明文
「ガザの問題は、イスラエル・パレスチナ間の問題に留まるものではありません。基本的な人権や命までもが奪われていく。このようなことが許される世界で良いのでしょうか? 私たちは、パレスチナに関わるNGOとして、それ以前に1人の市民として、一刻も早い恒久的な停戦と占領の終結、この理不尽な暴力の終息を強く訴えます」

主催したパレスチナの人道支援に関わり続けてきたNGOは以下です。現在もガザでの支援活動を続け、それぞれに現地支援につながる寄付金も受け付けています

ガザ支援を行うNGOの情報

下記のリンクをクリックするとNHKサイトを離れます。

■パルシック
https://www.parcic.org/index.html
■パレスチナ子どものキャンペーン
https://ccp-ngo.jp/
■ピースウィンズ・ジャパン
https://peace-winds.org/
■セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン
https://www.savechildren.or.jp/
■日本国際ボランティアセンター
https://www.ngo-jvc.net/
■ピースボート
https://peaceboat.org/

取材を通して

今回の取材を通して、ガザの人々が共通して話していたことが2つありました。

ひとつは、どんなに破壊されていても「いつかはガザに帰りたい」という思い。ガザの人々は取材の合間に、いかにガザが美しいところだったか、どのような文化があったのかを話してくれました。〝天井のない監獄〟と表現されるなど、ガザでは、暮らしのさまざまな面で多くの制約がある中でも、彼らがそこで築いてきた文化や歴史があり、何があっても自分たちの住む場所はガザなのだという強い思いを感じました。

そして、もうひとつは、「ガザは世界に見捨てられた」という日に日に高まる絶望感です。この1年、危機的な状況を世界の人々が目にしながら、誰もそれを止められず、一向に事態が改善に向かわないことが彼らを絶望の淵に追い込んでいました。

彼らが抱く圧倒的な絶望に、正直、無力感すら覚えました。それでも、これからも困難に直面する人たちの取材を重ね、決して世界はあなたたちを忘れていないと伝え続けたい。いまできることは何か、私たちそれぞれが問われているのだと感じました。

みんなのコメント(28件)

質問
30代 女性
2024年12月4日
ガザの現状を伝える記事をありがとうございます。「何人が死亡」などというだけでなく、このように一人一人の体験を詳しく書いた記事をもっと出してほしいです。よろしくお願いします。
提言
まるこ
50代 女性
2024年11月19日
Instagramで#gazaを見てください。写真を見れば、赤ちゃんや子供の悲惨な姿を見たら涙が出ます。自分の子供や孫に重なります。この現代において、こんなことが許される世界は異常です。どうにかしなければいけない。少しでも一人一人できることがあると思います。政府は103万円の壁とか小さいことばかりずっと議論ばかりして本当に恥ずかしいです。
感想
けん
40代 男性
2024年11月14日
朝、このニュースを見て胸が苦しくなりました。。
「世界は、なぜ、私たちを見捨てたのか?」
見て見ぬ振りをしていた自分が何とも言えない気持ちになりました。

まずは、Facebookのプロフィールカバーにはピースシンボルを載せ、会社のポリシーには、「戦争反対」の宣言を載せました。一人ひとりが、「戦争反対」を見える形で示さないと、と感じました。
提言
高橋良平
40代 男性
2024年11月13日
声を上げましょう。
日本に住む私たちには声を上げる機会もあり、そして私たちにはその能力もあります。
各地で集会やデモが行われています。
そちらに参加しましょう。
政府に対してイスラエルに制裁な圧力をかけるように要求しましょう。
アメリカに対して、パレスの人々を殺す爆弾を送るなと、政府が働きかけるように要求しましょう。
私たちにはできることがたくさんあります。
声を上げましょう。行動しましょう。
感想
k
2024年11月13日
暴力は擁護できませんが、10月7日のハマスの攻撃に至るまでにはイスラエルによる長年の迫害があったことを多くのメディアが説明しないのは問題だと思います。ハマスが人質を返せば解決するという人もいますが、ここで取り上げられたようにイスラエルはずっと行政拘束を続けている。理由の説明も裁判もなく、無期限拘束されている人が多いとNHKスペシャルで観ました。人数だって桁違いなのに、なぜそちらは大きく取り上げられないのか疑問です。
感想
こり
50代 女性
2024年11月13日
ガザでの虐殺を報道してくれてありがとうございます。
現地の悲惨な状況を全く知らないでいる日本人はまだたくさんいると思います、理解がひろがってくれますように。
これまでパレスチナ=ハマスと報道してきたのは、TV報道の規制があったのでしょうか。多くの人が、虐殺を戦争と誤解してきた原因の一つだと思うのでその解説もぜひお願いします。
感想
こまこ
40代 女性
2024年11月13日
ブローカーは人の心がないのかな。足元を見て値段をつりあげるなんて…。寄付金も相当集まってると思うのですが、お金があればどうという問題でもない気がします。
拷問をうければPTSDになるのは当然です。イスラエルの人も同じ人間のはずなのに。
一部の手を汚さない人たちのゲームに付き合わされているように感じてしまいました。
質問
加地書店
50代 女性
2024年11月13日
どうすれば、いいのか分からない。一人のいま、ここに存在している人間に なにをしたらいいのか教えて欲しいくらいです。ニュースをみるたび 心が痛みます。食事しながら見ていることもあります。平和な日本だから…頭では理解はしています。だんだん世の中が 戦争へとヒシヒシ進んで行ってる空気を感じます。日本もそうなっていくのだろうか。
日本でも クレーム言う人の意見の方が通っている空気を感じています。なぜ、その人達の意見を重視するのか。スパッと切り捨てることは出来なかったのか。結果 幼い大人がどんどん排出されていってるような気がします。政治家の不倫とか、そんなのは、どうでもいい。きちんと国民を引っ張ってくれる人なら。ちゃんと仕事をしてくれるのであれば。マスコミにも責任あるでしょう?大いに
個々の人間が 戦争へ向かうこの世の中をどうやったら止められるのか 誰か、教えて欲しいです。私は何をすればいい?
質問
チャオ
40代 男性
2024年11月13日
なんでイスラエル側が悪いという報道しかしないのですか?イスラエルが100%悪い戦争のようです。ハマスはテロ組織と聞いていますが。
感想
サナ
20代 女性
2024年10月15日
パレスチナの人々への取材ありがとうございます。
今のパレスチナで起こっている出来事は、私たち人間の道徳心を試していると思います。インスタグラムなどの、ソーシャルメディアには、パレスチナの人々が最も残酷な方法で殺され、拷問され、困窮し、私たちに助けを求めている投稿と、全く無関係なエンターテイメントの情報が混在しています。
パレスチナの人々の投稿を、指でスクロールし、忘れてしまうことは本当に簡単です。実際、パレスチナの人々の投稿を優先的に見る人はかなり少数です。
政府だけではなく、人道的な危機に瀕している人々の助けを、画面越しの私たちが無視していることも事実だと思います。
辛い思いを少しでも分かち合うこと、寄り添う姿勢、助けようとする、個人の気持ちが彼らを助けることにつながると思います。

担当 クロ現 取材ノートの
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