チリの炭鉱労働者救出作戦は、なかなかどうして味わい深い見世物だった。

 全世界同時生中継。21世紀のサブタレニアン・ホームシック・ブルース。地下生活者の酒気帯び運転。W杯優勝級の国威大宣伝。名誉の落盤。禍転じて福利厚生。地球規模の腸閉塞、その手術と治癒過程。S字結腸の英雄。栄光のバイパスシャトル。素晴らしいライブだった。

 一方、感動の帰還の影では、円相場が沸騰し、ベイスターズが店晒しにされ、北朝鮮の後継者が外交デビューし、アンダー19男子サッカー日本代表が韓国に敗れていた。
 どのニュースが最重要であるのか、意見は分かれるだろう。

 ディレクターの判断はチリネタの一択だ。
 理由は、絵になるから。
 それに、このニュースは視聴者の感情に訴える要素を万事遺漏なく備えている。報道サイエンスバラエティードキュメンタリーサスペンススポーツドラマとしての救出ライブ中継。完璧だ。

 当欄はキム・ジョンウン氏に注目する。
 描きやすいからだ。
 それに、ジョンウン氏をめぐるエピソードは、応用がきく。
 いつでもそうだ。あの国のお話は常に寓話じみている。寓話立国。むかしむかしあるところに式の、本当は怖い大人のおとぎばなし。素晴らしくイマジネーションを刺激してくれる。地下700メートルで暮らした男たちの物語と同じぐらいに。

 今朝配信の記事が伝えるところによれば、朝鮮労働党創建65周年の関連行事に出席するため訪朝していた中国共産党代表団は、キム・ジョンウン氏に贈り物を手渡している。
 つまり、ジョンウン氏は国際社会に認められたのだ。
 もっともこの場合の「国際社会」は、いまのところ中朝二国間に限られている。が、彼らにとっては中朝すなわち全世界だ。残余は蛇足。落盤炭鉱夫の地下生活と一緒。外界は幻覚に過ぎない。

 とにかく、これで三代続けての世襲が確定したことになる。
 異様といえば異様だが、見方を変えれば、現実的だというふうに評価することも不可能ではない。
 なぜなら、北朝鮮は、曲がりなりにも「次」に備えて手を打っているからだ。
 あの国の人たちは、ああ見えてきちんと未来のことを考えているのだ。むろん、あくまでも、彼らなりに、ではあるが。

 ひるがえってわが国を眺めれば、ここには、未来を見ることを拒否している人々が意外なほどたくさんいる。
 具体的に申し上げると、北朝鮮に負けず劣らずのワンマン体制が敷かれているにもかかわらず、「次」を想定していない組織が少なくないのだ。しかも、トップの人間は金正日氏よりはるかに年齢が上だったりする。大丈夫なのか? ボスに万一のことがあったら、全員が殉死か? それがワンマンの潜在的な願望だというのはあり得る話なのだとして、どうして部下たちは手をこまねいているんだ? 破局を待っているのか? 思考停止して。

 たとえば、ある宗教団体では、会長の任にある人間が、就任以来、ナンバー2の人間を次から次へと追い落として、現在に至っている。50年間。半世紀にわたって、だ。
 だから、後継者はいまだにはっきりしていない。

 他人事ながら心配になる。
 こんなことで、組織が継承できるのだろうか? 死後の教団分裂を回避することはもはや不可能なんじゃないのか?
 彼らは、始皇帝の死後、秦がどんなことになったのか、学校で勉強しなかったのだろうか。
 それとも、マジで会長の不老長寿を信じているのか?

 まさか。
 いずれにしても、来るべき時は必ずやって来る。きっと数年のうちに。
 その時、組織がどうなるのか、われわれはいまから注視しておかねばならない。現状では、後継者の指名どころか、葬儀の段取りさえシミュレートされていない。
 おそらく、その種の組織では、トップの死(「引退」も)に類する事態を想定すること自体が「不敬」とみなされるのだと思う。いや、不敬で済めばまだ良い。へたをすると後継体制のシミュレーションは謀反の企てとして、摘発・排除の対象になるのかもしれない。

 宗教団体の運営が必ずしも開明的でないのは、これは、原理上仕方がない。信仰は秘儀でもあるからだ。すべてが民主的かつオープンに運ぶものではない。当然だ。
 問題は、企業にも似たようなところがけっこうあるということだ。さよう。わが国には北朝鮮顔負けの密室ライクな組織が少数ながらそれでも各所に生き残っている。

 創業社長が第一戦で頑張っているタイプの中小企業にその種の会社が多いことはなんとなく見当がつく。
 が、それだけではない。
 一見先進的に見えるIT関連の会社にも、社長のカリスマだけで事業を動かしている企業がゴロゴロある。
 メディア系の企業も然り。出版社や新聞社には、ボスの鶴の一声ですべてがひっくり返るタイプの会社がいくらもある。それも業界最大手の中に。信じられない話だ。

 プロスポーツの競技団体や各種財団法人にも上意下達の硬直体質の組織がある。そういう団体のオフィスでは、一人のボスが10年以上同じポストに君臨している。あるいは地方豪族が盤踞するみたいな形で、少数の権力者が権益を分かち合っている。まるで江戸時代だ。

 この種の組織は、ボスが倒れた瞬間に壊滅的な打撃を被ることになる。即座に壊滅はしないまでも、混乱し、分裂し、主導権争いに陥り、方向性を見失い、そのうち同業他社に吸収合併されるか、でなければ、タコが自分の足を食べるみたいな自己消化縮小モードに突入して行くはずだ。

 ダメな組織がボスの消滅とともに滅びること自体は必ずしも嘆くべきことではない。前近代の遺物は淘汰されるべきだ。消えればそれだけ世の中が明るくなる。種の滅亡は生態系発展の一過程でもある。

この記事は会員登録(無料)で続きをご覧いただけます
残り3689文字 / 全文文字

【年間購読で7,500円おトク】有料会員なら…

  • 毎月約400本更新される新着記事が読み放題
  • 日経ビジネス13年分のバックナンバーも読み放題
  • 会員限定の動画コンテンツが見放題