昭和31年 勤め人片倉政幸の日記

亡くなった父親が昭和31年に書いた日記を再録します。娘からの感想もふくめて、ある時代のある家族の記録として残します

9月28日(金)

 颱風一過。よい秋晴で風もすが〱しい。

カメラを返さねばならないのでフイルム後六枚

残つてゐるのを撮つてしまふため 花見橋の方

に行つてよいバツクを選ぶーーー

どれがよいのが、五六枚あつてほしい。

人のカメラではこわしてもわるいし

コンデシヨンがわからないし。やはり自分で一ツ

ほしいがこれも又仲々である。

ほしい物一ツ々々計画的に買ふ事だが

今では、まだ、どうにもならない。

勤続十年になつたら、少しはよくなるだらう。

賃上げと、昇給と、ボーナスの値上と

居残時間を最大限にやる事よりない。

 

 注:花見橋 横浜市内を流れる二級河川大岡川」にかかる橋。昭和34年竣工、と横浜市道路局建設部橋梁課のサイトにあるが、この日記の花見橋はそれよりも古いものだろうか。南区弘明寺町202-6。

 娘から

 欲しい物はいろいろあれど、冷蔵庫・洗濯機・炊飯器・テレビよりもまず「カメラ」。生活必需品よりも文化的な香りが欲しかったのだろうか。この時代の人たちのカメラへの憧れは、現代の、とくに若い人たちからは想像もつかないくらい強かった。

 安くはないフィルムの残り枚数を気にしながら1枚いちまい大切に撮って、写真屋さんにプリントに出す。うまく写っているかどうか心配しながら出来上がりを待つ。シャッターを押してから写真の現物を手にするまで、一週間はかかる。気の長い話だった。スマホでいくらでも撮り放題、その場で画像を加工して1クリックでネットにupできる現代とは一枚の写真の持つ価値も意味も全然違う。アルバムの中の古ぼけた写真が愛おしいのは、ありきたりな観光名所や平凡な家族のスナップといっしょに「その写真を撮ってからでき上がった絵をみんなで見るまで」の時間と手間も大切にした、むかしの人たちの気持ちも写り込んでいるからではないだろうか。

 「20枚撮りフィルムの値段で24枚写せる、どっちがトクかよーく考えてみよ~!」サクラカラーのCMに欽ちゃんがフィルムの箱を両手に持って現れたころ(1976年)から、フィルム代を気にせず誰でもバシバシ写真を写せるようになった感がある。フィルムを買うのも、現像と同時プリントを頼むのも街なかの個人商店の「カメラ屋さん」だった。商店街の中にあった癖の強そうな店主がいるカメラ屋に入るときは少しドキドキした。昭和の終り頃からDPE受付はスーパーや文具店、初期のコンビニエンスストアでも扱うようになった。フィルムが製造中止になり現像してくれる店もなくなって、2025年の現在、フィルムカメラで写真を撮る時はプロの写真家でさえも「シャッター1回押すとXX円…耳の中でチャリンチャリ~ンとお金の音がする」と懐具合を心配しながら撮影する、らしい(CP+一過。よい秋晴で風もすが〱しい。

 

カメラを返さねばならないのでフイルム後六枚

 

残つてゐるのを撮つてしまふため 花見橋の方

 

に行つてよいバツクを選ぶーーー

 

どれがよいのが、五六枚あつてほしい。

 

人のカメラではこわしてもわるいし

 

コンデシヨンがわからないし。やはり自分で一ツ

 

ほしいがこれも又仲々である。

 

ほしい物一ツ々々計画的に買ふ事だが

 

今では、まだ、どうにもならない。

 

勤続十年になつたら、少しはよくなるだらう。

 

賃上げと、昇給と、ボーナスの値上と

 

居残時間を最大限にやる事よりない。

 

 

 

 注:花見橋 横浜市内を流れる二級河川大岡川」にかかる橋。昭和34年竣工、と横浜市道路局建設部橋梁課のサイトにあるが、この日記の花見橋はそれよりも古いものだろうか。南区弘明寺町202-6。

 

 娘から

 

 欲しい物はいろいろあれど、冷蔵庫・洗濯機・炊飯器・テレビよりもまず「カメラ」。生活必需品よりも文化的な香りが欲しかったのだろうか。この時代の人たちのカメラへの憧れは、現代の、とくに若い人たちからは想像もつかないくらい強かった。

 

 安くはないフィルムの残り枚数を気にしながら1枚いちまい大切に撮って、写真屋さんにプリントに出す。うまく写っているかどうか心配しながら出来上がりを待つ。シャッターを押してから写真の現物を手にするまで、一週間はかかる。気の長い話だった。スマホでいくらでも撮り放題、その場で画像を加工して1クリックでネットにupできる現代とは一枚の写真の持つ価値も意味も全然違う。アルバムの中の古ぼけた写真が愛おしいのは、ありきたりな観光名所や平凡な家族のスナップといっしょに「その写真を撮ってからでき上がった絵をみんなで見るまで」の時間と手間も大切にした、むかしの人たちの気持ちも写り込んでいるからではないだろうか。

 

 「20枚撮りフィルムの値段で24枚写せる、どっちがトクかよーく考えてみよ~!」サクラカラーのCMに欽ちゃんがフィルムの箱を両手に持って現れたころ(1976年)から、フィルム代を気にせず誰でもバシバシ写真を写せるようになった感がある。フィルムを買うのも、現像と同時プリントを頼むのも街なかの個人商店の「カメラ屋さん」だった。商店街の中にあった癖の強そうな店主がいるカメラ屋に入るときは少しドキドキした。昭和の終り頃からDPE受付はスーパーや文具店、初期のコンビニエンスストアでも扱うようになった。フィルムが製造中止になり現像してくれる店もなくなって、2025年の現在、フィルムカメラで写真を撮る時はプロの写真家でさえも「シャッター1回押すとXX円…耳の中でチャリンチャリ~ンとお金の音がする」と懐具合を心配しながら撮影するそうだ。(CP+2025でのトークイベントで語られていた)なんだか時代が一回りしたようで面白い。