ANORA アノーラがアカデミー賞を席巻しているらしいです。
では観てみようと思いまして、明日予約を取りました。
監督は「ショーン・ベイカー」さんなる人物でして、私はこの方の作品を拝見したことがなく。
それではということで標題の「フロリダ・プロジェクト」を観てみることにいたしました。今回の記事はその感想です。
※以降、ネタバレを含みますのでご注意ください。
この映画で美しいと感じたのは「貧しくも支え合っている人々」が描かれているところです。
主人公は「ムーニー」という女の子と、彼女の母親である(シングルマザーの)「ヘイリー」。
彼女らは「マジック・キャッスル」という貧乏モーテルで生活しています。そのモーテルの管理人が「ボビー」。
この「ボビー」がなかなかいい奴でして。
ヘイリー一家はボビーからすれば「厄介もの」です。ヘイリーはほぼ無職で、宿泊費も滞留しがち。ムーニーはいたずら三昧でトラブルを引き起こしがち。
「ボビー」もそんな親子にうんざりしている様子が描かれます。
しかし子供たちに不審者近づいてきた時などは強制的に追い払ったりします。
このシーンで「こいついい奴だな」「支え合っているんだな」と思った時、この映画は「支え合い」に溢れていることに気づきました。
ヘイリーの友達のアシュリーはバイト先(ダイナー)から食料を無償で分け与えてくれたり。
あと個人的に好きなシーンでは「ランドリーのおばさんがヘイリーを“gonna be ok”と呟きながらハグしてくれたり。
彼らの支え合いには欺瞞や利己心があまり感じられません。「困っているから支え合っている」というシンプルさが美しく感じるのです。
しかしこの「支え合い」が彼女たちの命綱でもあります。
ある日、ムーニーたちのいたずらが過ぎて廃墟に火事を起こしてしまいます。
このことをきっかけにヘイリーの友達とは疎遠になってしまいます。
「支え合い」の連帯から外れてしまったヘイリーは、途端に生活が行き届かなくなります。
そしてお金を稼ぐために売春行為に手を染めてしまいます。最終的には通報されて我が子と引き離されることに。
じゃあ、どうすればよかったのか?
映画では現実的な解法などは述べるに至りません。最後、少女は近所の友達とディズニーランドに駆け込んで行くシーンで映画は終わります。
「支え合い」の美しさを描きつつも、それが貧困という極限状態が生み出しているというところに皮肉を感じます。
(映画の終盤でムーニーを連れて行こうとする児童局の職員たちはムーニーに対して、ほとんど嘘しか言いません)
ラストシーンの「ディズニーランドへ駆け込む」の解釈として、「幻想に逃げ込むしかない」と暗示しているようにも見受けられました。
あと劇中ところどころに差し込まれる「ヘリが離陸していくシーン」。
あのヘリはどこに飛んで行くのでしょうか?
という感じで『フロリダ・プロジェクト』とても良い映画だと思います。
アノーラも楽しみです。