週末の過ごし方
ギンギラギンに、この先も。
─走りつづける男・近藤真彦の“やり方”とは?─【後編】
2025.05.30

僕には、断られる怖さ、
恐れを厭わないようなところがある。
ダメでもそれを受け止める。
公演の座長、レース界のチーム監督や団体のまとめ役がふってくるマッチには、やはりもともリーダーとしての才があるのだろう。
「いや、まとめるのはうまくないですよ。ただ、僕には、断られる怖さ、恐れを厭わないようなところがあるんだと思う。相手に対して、正直に面と向かってバーンと思うことをぶつけて、そこで『そうじゃねえよ』と返されても、『そうじゃねえよ』をちゃんと受け取められちゃう。普通の人は『怖いから言えない』となるのかもしれないけど、僕にはそれがない。
ギンギラの出演者に対しても、その場その場で思うことはすぐに言った。そうやって、目の前にある問題点を一個一個つぶしていくことが大事だと思うんです」
それはこの世界に入ったときからのスタイルでもあるのだろう。

「いまもその性格は変わらないと思う。単純に年をとって角が取れ、丸くなったというだけで、熱量とか恐れないこととかは昔のまま」
いまは次の夢を探している途中、
どんな夢を持つかを考えているところ。
“マッチは格好よく生きる”ために。

60代を迎えたマッチは、どんな道を目指していくのか。
「最近よく思うのは、よく60まで生きてきたなということ。少年だった頃、60まで生きるなんて思っていなかった。だからといって、いつ死んでもいいやじゃない。ただ、自分の中ではわりと長生きしたんじゃないかと思っているんです」
あえて「では、たったいまやりたいこと、『夢』は?」と訊くと、30秒ほど考えてこう言った。
「……なんなのかなぁ。もうできないと思っていた武道館ができて、もうないだろうと思っていた全国ツアーができて、夢はかなったんですよね、僕の中では。座長の仕事だって1年前はやると思っていなかったんだからさ。いまは次の夢を探している途中、どんな夢を持つかを考え中というところだと思います」

2025年はすでに野村義男とのツアーで幕が開け、3月からはスーパーフォーミュラ・シリーズも始まった。そんな充実の日々を背負いながら、マッチは同時に、新たな道を模索しはじめている。
近藤真彦(こんどう・まさひこ)
1964年生まれ。歌手、俳優、レーシングチームオーナー兼監督、実業家。1979年テレビドラマ『3年B組金八先生』でデビュー。1980年以降はソロ歌手として、『スニーカーぶる~す』『ギンギラギンにさりげなく』『ハイティーン・ブギ』『ケジメなさい』『愚か者』などなど、ヒット曲を多数発表。現在もコンサートやディナーショーで多くの観客を魅了し、そのスター性は健在。
Photograph: [Stage] Satoru Tada(Rooster),
[Bar] Akira Maeda(MAETTICO)
Styling: Eiji Ishikawa(TABLE ROCK.STUDIO)
Hair & Make-up: GONTA(weather)
Text: Haruo Isshi