B’z、TUBE、ZARD、WANDS、大黒摩季、DEEN、T-BOLAN……。1990年代、「ビーイング・サウンド」が日本の音楽チャートを席巻した。 【画像あり】B’zのゲリラライブに3000人が殺到 音楽プロデューサーの長戸大幸氏率いる音楽事務所「ビーイング」(現・B ZONE)は数多くのアーティストを発掘し、ビッグヒットを連発した。そのサウンドの礎を作ったのが、音楽プロデューサーの明石昌夫さん。「3人目のB’z」と呼ばれる存在だった。 その明石さんが、5月19日、亡くなった。68歳だった。死因は非公表。本誌は、2025年1月7日、明石さんに90分の独占インタビューをおこなっていた。生前最後となった肉声を、未公開エピソードを中心に紹介する。 ――明石さんがB’zのアレンジャーとして関わるようになったきっかけから教えてください 30歳で上京して、僕を拾ってくれたのがビーイングでした。当時
