0から始める著作権

  このブログでは著作権について解説していきます。

ポスト資本主義社会と、著作権(9)

前回までのシリーズで、「超「商品流通社会」と、著作権(1)~(8)」と題して、新しい経済、新しい社会制度の可能性を提示しました。

超「商品流通社会」という用語は耳慣れないので、今回、「ポスト資本主義社会と、著作権(1)~(9)」に改題します。

今回は、前回紹介した、「知的財産主導経済」と「知財主義社会制度」についてまとめます。

 

私の最大の問題意識は、IT技術、ネットワーク技術、AI技術などの「情報革命」が、一体何を加速させているのか、という問いです。

 

 

上の図の「○○主義?社会」は、果たして何なのでしょうか。

「情報革命」は、どのような経済・社会を加速させているのでしょうか・・・

 

過去の「産業革命」の出来事を踏まえると、この「情報革命」は、現在芽吹きつつある新しい経済・社会を花開かせていくものではないか、、、

現在の「情報革命」によって、仮想空間内で多くの人が著作物等の知的財産に囲まれて、誰もが著作権等の知的財産権を簡単に利用できるようになり、知的財産権が新たな知的財産権を生む社会になっていく。そのような経済・社会の到来を「情報革命」が加速させている。私はこのように考えています。

 

「情報革命」が加速させている新しい経済は、知的財産(著作物等)によって主導される経済です。

一言で言うならば、「知的財産主導経済」です。

そして、来るべき新しい社会制度は、知的財産権(著作権等)の管理・運営に長けた社会制度になります。

その社会制度を「知財主義社会制度」と命名します。

表にまとめると、以下のとおりです。

 

 

価値の源泉が、「土地」→「資本」→「知的財産」にシフトするのです。

物々交換で農作物を交換していた時代

 → 百貨店で商品を購入していた時代

  → 仮想空間上で知的財産を利用する時代、

という大変化です。

 

権利が権利を生む「知的財産主導経済」と、知的財産権を管理・運営する「知財主義社会制度」、、、

これらが、私の anticipation です。

 

本シリーズ「ポスト資本主義社会と、著作権」では、著作権を中心とした未来社会について展望しました。

次回からのシリーズでは、このような展望を抱きつつ、著作権の様々な話題を皆さんに紹介していきます。

 

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ポスト資本主義社会と、著作権(8)

前回は、農作物を生み出す土地の管理・運営に長けた社会制度が「封建主義社会制度」であり、商品を生み出す資本の管理・運営に長けた社会制度が「資本主義社会制度」であるという話をしました。

封建主義社会制度から資本主義社会制度への移行にあたり、何が決定的な契機になったのでしょうか。まずこれを考えてみましょう。

 

実は、封建主義社会においても、商品は生み出され、商品流通は行われていました。具体的には、農民が家内制手工業によって服飾品や日用品などを作り、それらが商品として都市部で売買されるということはありました。そして、各地域では陶芸品などの特産品が職人によって作られ、それらも他の地域に流通し、売買されていました。

しかし、それらの商品は大量生産されていたわけではなく、また、頻繁に商品を購入する購買力のある者も貴族や富裕な武士などの一部に限られていたので、農民を主とする封建主義社会の枠内で商品流通が行われていたにすぎません。すなわち、農作物中心経済である封建主義社会においては少量の商品生産と流通が行われていたにすぎないのです。

そうすると、、、もうお分かりですよね。「商品の大量生産」がキーワードになります。

 

商品の大量生産と、交通の発達による商品の流通によって、商品取引経済が花開きました。

そして、それを可能にしたのが「産業革命」だったのです。産業革命によって蒸気機関で動く紡績機が発明され、綿織物を大量生産することができるようになりました、また、産業革命によって蒸気機関車が発明され、多くの綿織物を一度に輸送することができるようになりました。

つまり、産業革命によって商品の大量生産・流通が実現し、多くの人に商品が行き届く商品取引経済が可能になったのです。

商品を生み出すものは「資本」であり、この資本の管理・運営に長けた社会制度が資本主義社会制度であるというのは前回述べました。

そうすると、詰まることろ、「産業革命が資本主義社会制度を加速させた」ということができます。

 

それでは、現在のIT技術・AI技術の情報革命は、いったい何を加速させているのでしょうか。どのような社会制度を加速させているのでしょうか・・・

図式化すると、以下のようになります。「○○主義」とは如何なるものなのでしょうか。

 

農業社会(封建主義社会)

 農作物中心経済

 |

 |← 産業革命

 | ~資本主義を加速

 ↓

工業社会(資本主義社会)

 商品取引経済

 |

 |← 情報革命

 | ~○○主義を加速

 ↓

情報社会(○○主義社会)

 

 

前回までに、近未来の新しい社会は、権利が権利を生む社会、すなわち著作権が他者の著作権に関係していく社会であり、ネット空間の中で無限に拡大していくという話をしました。

そして、メタバースや3DWebのような仮想空間が商空間になり、「著作物」が今まで以上にクローズアップされ、IT技術やAI技術によって著作権の取り扱いの仕組みが構築されて、著作物の創作者と、その著作物を鑑賞する者やそれを下敷きにして新たな創作を行う者がダイレクトに繋がるという話をしました。

つまり、近未来の情報社会は、著作権などを有する知的財産が経済を主導していくことになります。

 

情報社会(○○主義社会)

 知的財産主導経済

 

そうすると、上記「○○主義」には何が求められるか、、、

私はこれを仮に「知財主義」と命名することにします。

「第一の封建主義社会制度」「第二の資本主義社会制度」に続いて、「第三の知財主義社会制度」が興るという考察です。

 

次回は、この知的財産主導経済、知財主義社会制度についてまとめてみましょう

 

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ポスト資本主義社会と、著作権(7)

前回では、情報革命が、情報社会を効率よく運営する社会システムを生み出しているところであると述べました。情報革命が、ネットワーク技術やIT技術等によって単に便利な情報社会を生んでいるだけではなく、その情報社会を効率良く回していく仕組み(社会制度)を構築しつつある、という話です。

もう少し詳しく見ていきましょう。

 

トフラーは、農業社会 → 工業社会 → 情報社会への変遷を唱えました。第一の農業社会から考察しましょう。

農業社会での主たる流通の対象は何でしょうか。それは、紛れもなく「農作物」です。江戸時代までの日本社会は、少数の都市中央部を除いて社会の構成員のほとんどが農民であり、農民は一定量の土地で一定量の農作物を栽培して、封建領主などにその農作物の一部を収めていました。例えば、米を栽培している農民は年貢米を大名に納めていました。年貢米という現物を納めているので、年貢米を貨幣に置き換えることもなく、すなわち年貢米は「商品」ではありませんでした。

 

また、農業技術もそれほど進んでいなかったので、土地の大きさに比例して、農作物の生産量がほぼ決まっていました。一定量の土地から一定量の農作物が栽培されるので、土地の測量(検地)や土地の管理(誰がどのくらいの土地を有しているかの把握)が、社会を成り立たせる上で極めて重要になっていました。当然にして、土地の管理・運営に長けた社会制度が求められることとなり、その社会制度が「封建主義社会制度」でした。

封建主義社会制度は、封建領主が農民を護る仕組みであり、その見返りとして農民は封建領主に農作物を貢ぎます。(石高の得られる)武士であれば土地を仲立ちとした主従関係を封建領主と結び、封建領主から俸禄米をもらっていました。

 

 

第二の工業社会はどうでしょうか。工業社会での主たる流通の対象は、、、もうお分かりですよね。そうです。工業製品=商品です。

封建主義社会が農作物中心経済であるのに対して、工業社会は商品取引経済です。工業社会では大量の商品が生産され、流通されます。都市部のみならず、農村等を含む地方のあらゆる場所に商品が流通し、更には国境を超えて世界中に商品が流通します。世界中の消費者は自分の好みの商品を購入して、それを消費します。

商品には、衣食住の対象、すなわち服飾品、食料品、家屋・家財道具が含まれるのはもちろんのこと、自家用車等の実用品、趣味の嗜好品・骨董品、ライブ観劇やスポーツ観戦のチケットなど、ありとあらゆる種類のものが含まれます。もちろん、書籍、CD(音楽)、DVD(映画)などのコンテンツ商品なども含まれます。

 

そして、この商品を生み出すものは「資本」であり、資本が商品の生産・流通を生み出す価値の源泉になっています。『資本論』では、資本は「価値を生み出す価値」として説明されています。

さて、この資本の管理・運営に長けた社会制度は、、、紛れもない「資本主義社会制度」です。いま我々が生きている社会です。

 

次回は、「第一の封建主義社会制度」「第二の資本主義社会制度」を踏まえて、第三の社会制度、今まさに生まれようとしている新しい社会制度について考察しましょう!

 

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ポスト資本主義社会と、著作権(6)

前回では、著作物は仮想空間内でダイレクトで授受されるので、権利が権利を生む社会はネット空間の中で無限に拡大していくという話をしました。

20世紀モデルでは、著作物が化体した商品(書籍、レコード、放送番組など)が流通するので、その商品を製作・流通・販売する会社が著作権の処理を行っていて、著作権が前面に現れることはなかったのです。著作者は商品を取り扱う会社に著作権の管理を任せてしまい、会社に従属するかたちで著作物の創作を行ってきたのです。

これからは違います。物理的な商品が仮想空間内のモノに置き換わり、著作権がIT技術やAI技術によって目に見えるようになったとき、著作物の創作者と、その著作物を鑑賞する者やそれを下敷きにして新たな創作を行う者がダイレクトに繋がる、そういう世界になるのです。

 

IT技術やAI技術のような情報テクノロジーは、コンピュータ・サイエンスなどの最新科学の応用であり、極めて高度な情報化社会を実現するものです。それは情報革命と言うべきものです。

情報革命、・・・この言葉を用いた未来学者がいました。アルビン・トフラーです。彼は、今から45年前に、情報革命による情報化社会の到来を大きな視点で捉えました。

 

トフラーは、1980年に出版された著書「第三の波」(英語:The Third Wave)により、脱工業化社会として情報化社会を位置付けました。Wikipediaでは、次のように説明されています。

トフラーは本書の中で、人類はこれまで大変革の波を二度経験してきており、第一の波は農業革命(略)、第二の波は産業革命と呼ばれるものであり、これから第三の波として情報革命による脱産業社会(情報化社会)が押し寄せると唱えている。 ・・・本書の中でトフラーは、電子情報機器を装備したエレクトロニック・コテージにより在宅勤務が可能になることを予言した。また、これまでの消費者から、生産(produce)と消費(consume)が同時に行われる「プロシューマー」(prosumer)が農業革命時のように復活し、経済構造を変化させることを唱えた。

 

この解説をいま読むと、「在宅勤務」「プロシューマー」という語が光り輝いていますね。ちなみに、プロシューマー(生産消費者)はトフラーの造語であり、生産を行う消費者のことです。例えば、3Dプリンターを活用して独自に製品を作る消費者や、仮想空間内に独自のアバターを作るユーザーも、広義のプロシューマーに含まれるでしょう。彼の予言は、実際に在宅勤務をしている我々にとってとても示唆的です。

 

トフラーは、情報革命や情報社会について大局的に見ており、農業社会や工業社会と、情報化社会とを比較しました。トフラーの段階的社会モデルを図式化すると、以下のようになります。

第一の波 農業革命 → 農業社会

第二の波 産業革命 → 工業社会

第三の波 情報革命 → 情報社会

 

ここで更に踏み込んで考えてみたいことがあります。

農業革命は農業社会を実現させただけではなく、農業社会を効率よく運営する社会システムを生み出したのではないか、という視点です。

同様に、産業革命は工業社会を実現させただけではなく、工業社会を効率よく運営する社会システムを生み出したのではないか。

そして、情報革命(含:IT技術やAI技術)は、情報社会を効率よく運営する社会システムを今まさに生み出しているのではないか・・・

 

新しい技術の発達により、これまで人類は段階的な発展を遂げてきました。いま我々が目にしているIT技術、AI技術などの情報テクノロジーの急激な進歩が、ごく近い将来にどのような社会システムを生み出すことになるのか、トフラーのように大局的に考えていく必要があります。

その新しい社会は、従来の資本主義社会とは異なる超「商品流通社会」である可能性が高いです。次回以降、その全貌について考えていきましょう。

 

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ポスト資本主義社会と、著作権(5)

前回では、創作者が資本家に従属する20世紀モデルについて述べ、学校教育の場においても「創作」や「著作権」を軽視する例にも触れて、古いモデルからの脱却が資本主義社会全体の課題であるという話をしました。

学校は、知識を獲得する場ではなく、生徒自ら知的財産を生み出し、知的財産権を管理していく場になるべきであり、仮想空間の中で創作された小説、音楽、仮想商品などの著作物の取り扱いについても、著作者自らが意識的に計画的に著作権を管理するシステムを構築する必要がある、という話でした。

 

著作者、すなわち創作者自らが著作権などの知的財産権を管理する。・・・このハードルは(現状においては)高いといえます。

例えば、創作者に対して、上述のような必要性を語ったとしても、創作者の多くは、著作権を管理するのは法律畑の人間であって、自分は創作に没頭したい、出版会社、レコード会社、放送会社などの法務部に任せておけばよい、と回答するでしょう。20世紀モデルのままでよいと・・・

 

しかし、時代は、近未来のIT技術やAI技術は、その20世紀モデルを易々と超えていきます。メタバースや3D Webなどの仮想空間では、その中にある小説、音楽、仮想商品などの著作物について、誰が著作者であるのか、その著作者は著作物の利用を他者に認めているのか、どのような条件で認めているのか、対価は幾らか、などの著作権情報を(技術的には)提供することが可能になります。

20世紀モデルでは、それらの情報が個々の商品(書籍、レコード、放送番組など)に隠されており、その商品を製作・流通・販売する会社が、商品ビジネスの中で、個々の著作権の処理を(著作者に代わって)行っていたのです。

 

これからは違います。メタバースや3D Webなどの仮想空間を利用する者は、その中にある小説、音楽、仮想商品などの著作物にダイレクトにアクセスできます。そして、IT技術やAI技術によって、その著作物の著作権情報がわかりやすく提供されることになります。

 

 

著作者が、自ら著作権を管理するようになり、仮想空間を利用する者も、提供された著作権情報を理解した上で著作物を積極的に利用することとなるのです。

仮想空間を運営するプラットホームは、わかりやすい「著作権の管理」と「著作権情報の提供」を行っていく、これこそが重要です。

それを行ったプラットホームが、21世紀を制することとなります。

 

今はその入り口に立っています。AI技術開発や、メタバース表現技術など、個々の技術開発が各所で行われていますが、著作権という切り口でこれらの技術を総合して、わかりやすい「著作権の管理」と「著作権情報の提供」の実現に向けた取り組みを行う必要があります。

仮想空間内に存在する著作物に関して、それを創る側と、それを利用する側との間の関係を、著作権という権利を焦点にして構築し、著作権が新たな著作権を生む新しい社会を展望していく、これが今求められていることなのです。

 

権利が権利を生む新しい社会・・・ ある者が創作した著作物についての著作権が、その著作物を利用して創作した他者の著作物の著作権に関係していく。

この関係の構築には、現実空間内にリアルな物として存在する商品の製作・流通・販売を必要としません。著作物は仮想空間内でダイレクトで授受されるので、権利が権利を生む社会は、ネット空間の中で無限に拡大していくのです。

 

新しい社会が見えてきています。IT技術やAI技術がそれを可能にします。古いのは法律であり、従来の社会システムです。

この新しい社会は、商品流通経済を基本とする従来の資本主義社会とは異なるものです。

次回もまた、この新しい社会、超「商品流通社会」について考えていきましょう。

 

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ポスト資本主義社会と、著作権(4)

前回は、仮想空間においては、リアルな世界におけるよりも、著作物を生み出す著作者の立場が極めて大きくなっているという話をしました。

仮想世界の方が著作権が前面に出てきて、仮想空間の中で小説、音楽、仮想商品を創作する著作者の権限が、リアル世界よりもクローズアップされる、その入り口に我々は立っている。それを我々は直視して、新しい著作権管理システムを構築していく必要がある、という話でした。

 

これまでの歴史を振り返ると、中世では、王や貴族が芸術家を抱えて、その芸術家が絵画や彫刻を創り出していました。宗教の経典本の作成と流通は、教会や寺院が中心となって行っていました。モーツァルトも、宮廷に仕える作曲家であり、貴族たちのサロンで演奏をしていました。このように、中世においては、芸術家の創作物は、権力者たちによってコントロールされていました。

そして、20世紀では、出版、レコード、放送のシステムが普及し、出版社が商品としての書籍を出版・販売し、レコード製作者が商品としてのレコードを製造・販売し、放送会社が楽曲や演劇・映画などを放送するようになりました。その放送では、商品を製造販売する企業がスポンサーになっています。このように、20世紀に確立されたモデルでは、資本家が芸術作品を商品として製造・販売し、創作者は、その資本家に従属するかたちで、創作を行っています。

 

現在はどうでしょうか。

インターネットやSNSが隆盛を極める今日、クリエイターは、資本家の手を借りることなく、自らのクリエイティビティを発揮させて、読み手や視聴者にダイレクトに小説、音楽、映像などを届けるようになりました。ネット小説家が口コミによって一躍有名になったり、無名の作曲家がYouTubeでミリオン再生回数を果たしたり、新人の映像作家がTikTok配信で収益を獲得したり・・・

ただし、これらは、特定の小説投稿サイト、YouTube、TikTokなどのプラットホームの上で成り立っており、その意味で、まだ半分、資本家に従属しているといえます。

なぜ半分従属したままなのでしょうか。20世紀モデルを超えることはできないのでしょうか。

 

この問題の本質を考えるに当たって、そもそも「創作」とは何であるか、我々が創作を行う意味、意義は何であるかを問うことが重要です。

その上で、創作物(著作物)を保護して利用する著作権について、著作権という権利の目的、役割について、深く知ることが必要になります。

 

現状の一例として、学校教育において、特に小学校・中学校の教育において、「創作」はどのように取り扱われているかを見てみましょう。

「図画工作」「美術」「音楽」の授業において、手を動かすことはあっても、「創作」とは何であるか、創作の楽しさ、面白さについて、他人の創作とは異なるオリジナルな創作活動をすることの意味、意義について、そして、自分の創作物(著作物)を保護して利用する著作権の目的、役割について、果たして学校で教えられていたでしょうか。私はそれを学んだ記憶がありません。

国語の授業における作文、美術の授業における作画、音楽の授業における作曲を通じて、下手でもよいので、自ら作文、作画、作曲することの意味、意義を教える。そして、作文されたもの、作画されたもの、作曲されたものが自分の著作物であり、許可なしには他人がそれを利用することができないことを教える。これこそが重要であり、今の時代に必要なことです。

 

学校教育における創作の取り扱いについて、もう一つ重要な視点があります。それは、授業で生徒が作った文章、絵画、音楽そのものが著作物であり、著作権によって保護される、という視点です。

以前のブログで、5歳の幼児も著作者であることを述べました。例えば、モーツァルトは5歳の時に作曲をしています。

モーツァルトは別格だと言う意見もあるでしょう。しかし、最近ではタブレット上の作曲ソフト(楽譜・楽器なし)によって、小学生・中学生でも作曲は容易にできます。仮に、作曲が傑作でなくても音楽の著作物になり、その著作物は作曲をした生徒の許可がなければ利用できません。

問題は、学校側が、生徒が著作者であること、及び生徒が生み出した著作物は教師といえども勝手に利用することはできないことを認識していない、ということです。これは大問題です・・・

生徒Aが創作した俳句は、もしかしたら傑作かもしれません。傑作ではないにしても、それは生徒Aの著作物です。この著作物の取り扱いについて、学校として決めなければいけません。授業の中で生まれた習作だとしてファイルの中に埋もれたら、生徒の著作物は永久に葬られます。なぜならば、生徒自身も著作権について知らされていないので、自分の著作権の管理に思いが至らないからです。

 

・・・そうなんです。学校教育も、創作物(著作物)、著作権を基軸にして、再構築しなければいけないのです。

文章、絵画、音楽以外に、理科などの科学教育における「発明」についても同様です。生徒が発明をすることがあるのです。発明は特許になり得ます。したがって、生徒が生み出した著作物や発明などの知的財産、知的財産についての知的財産権の取り扱いを総合的に考えていく必要があります。

21世紀モデルでは、学校は、知識を獲得する場ではなく、生徒自ら知的財産を生み出し、知的財産権を管理していく場になるべきです。

 

どうして学校教育の場において、生徒が生み出す著作物や発明が軽視されているのでしょうか。

その理由は、ハッキリ言えば、20世紀モデルの学校が型通りの労働者を育成する場であって、その労働者には従順な知識獲得能力が主に求められており、授業の中での創作も枠にはまった内容が想定されているので、オリジナリティーは何ら求められていなかったからです。型通りの労働者は、資本家にとって好都合だからです。

似てますね・・・ 資本家が芸術作品を商品として製造・販売し、創作者はその資本家に従属するという20世紀モデルに。

 

今後は違います。生徒のオリジナリティーを伸ばす教育が求められます。問題を解く能力ではなく、問題を発見する能力を身につける。

そして、その問題発見のアプローチとして、オリジナルな「創作」を行うことと、その創作を著作権によって保護・利用することを自分で考えていく。その実践的能力を身につけさせる。

これが21世紀の学校教育の場で求められることなのです。

 

このような20世紀モデルからの脱却は、学校教育の場に限らず、この資本主義社会全体の課題として考えるべき問題です。

次回もまた、この問題について考えていきましょう。

 

ポスト資本主義社会と、著作権(3)

前回は、仮想空間の未来形には無限の可能性がある、その仮想空間を構成するものが「著作物」である、という話をしました。

今まで以上に「著作物」がクローズアップされる社会、仮想空間が商空間になる社会、その入り口に私たちは立っているのです。

数年後にはメタバースや3DWebは当たり前の社会になっていると思われます。今はその前哨戦の最中にある、という段階です。

 

前哨戦、というと、1980年代のインターネット前夜が思い出されます。

インターネットが当たり前になる前の1980年代に、インターネットの先駆けとなるサービスが実践されていました。カナダのテリドン(Telidon)や、日本のキャプテンシステムです。

Wikipediaでは、キャプテンシステムについて、このシステムは電話回線を介して情報センターと端末を結び、利用者の要求に応じて情報を呼び出せることが主な特徴であり、1980年代当時の日本ではニューメディアの代表格として扱われていた。・・・当時「高度情報通信社会」と呼ばれていた時代は、インターネットによって20年以上遅れて実現した」と説明されています。

1990年代後半からインターネットが普及して、キャプテンシステムは衰退しましたが、このシステムが目指した文字情報や図形情報の双方向交換は、今ではスマホのLINEアプリで誰もが当たり前に行っています。

文字情報や図形情報を双方向で交換するというアイデアに、技術が追いついた、という図式です。

 

メタバースや3DWebはどうでしょうか・・・

Call of Duty シリーズや、FORTNITEなどのオンライン対戦ゲーム(仮想空間におけるマルチプレーヤーによるリアルタイム対戦のゲーム)を見ていると、技術的には相当なレベルに達成していると私は見ています。

フォトリアリスティックなCG描写、リアルタイムレンダリングが可能なグラフィックエンジンなどによって、実物と見間違えるほどの仮想商品が仮想空間内に存在し、その完璧な仮想商品の姿を見ても、私たちは驚かなくなっています。そう、もう技術的にはメタバースや3DWebは可能なのです

では、メタバースや3DWebが本格的に花開かないのはどうしてなのでしょうか。勿論、コストパフォーマンスの問題はあるでしょう。でも、それが真の理由でしょうか。

 

何が障害なのか。メタバースや3DWebが開花しない原因は何であるのか。言い方を変えると、メタバースや3DWebを開花させない旧い仕組みは何であるのか・・・

それは、メタバースや3DWebの中に存在する著作物の取り扱いの問題がクリアになっていないからです。

著作権の仕組みが旧態依然としており、この(輝かしい)メタバースや3DWebの普及に歯止めがかかっているのです。

しかも、その歯止め自体がハッキリしたかたちで表れていない。旧い著作権システムのベールに隠されてしまっているのです。

このような状況に、創作者(クリエイター)は声を上げていかなければなりません。

 

今までは、リアルな世界で創作者は小説を書き、音楽を作曲してきました。そして、小説は書籍として、音楽はレコードしてリアル世界で流通していました。リアルな世界では、書籍の出版社や、レコード製作会社が、著作物(リアルな書籍やレコード)を流通させる主として君臨してきました。

これからは違います。

メタバースや3DWebの中で、作家や作曲家自身が、小説や音楽を流通させる主となります。リアルな書籍やレコードとしてではなく、メタバースや3DWebの中で、小説や音楽自体が存在しているからです。本物の小説や音楽がメタバースや3DWebの中に存在しているのです。この小説や音楽が著作物であることは、これまでのブログで述べてきました。

そして、仮想商品を生み出すクリエイターが、仮想商品を流通させる主となります。なぜならば、クリエイターは、仮想商品という著作物を生み出す著作者であるからです。

これらの著作物の取り扱いが明確になれば、わかりやすくなれば、メタバースや3DWebの世界の扉は一気に開かれます!

 

メタバースや3DWebのような仮想空間の中には、小説、音楽、仮想商品などが浮かんでおり、これらは、デジタルとして、曖昧ではないかたちで存在しています。

 

仮想空間の中に浮かんでいる小説、音楽、仮想商品は、それ自体が著作物であり、この著作物の取り扱いを明確にすることが急務ですが、現状では、その取り扱いについて積極的に前面に押し出すアプローチがとられていません。具体的には、どのようなアプローチが必要なのか。

例えば、仮想空間の中で、各自が小説、音楽、仮想商品を創作した日付を明確にしておく。なぜならば、著作権は、創作した時点で発生するからです。また、その著作物を他者が利用できるかどうかは著作者自身が決めることができて、他者は勝手にそれらの著作物を利用することはできません。このことは、これまでのブログで解説してきました。著作者自らが、他者にどのように利用してもらうかの情報を決めてそれを表示する。すなわち、小説、音楽、仮想商品の利用可能性や対価についての情報を表示する。このような情報表示技術は既に確立しています。IT技術として容易に実現できる筈です。

メタバースや3DWebのような仮想空間において、上記のような著作権の取り扱いの仕組みを構築すればよいのです。

 

こうして見ていくと、仮想空間においては、リアルな世界におけるよりも、より明確に著作物が「真」なるものとして存在しており、著作物を生み出す著作者の立場が極めて大きくなっているということができます。

つまり、簡単に言えば、仮想世界の方が、リアルな世界よりも、著作物が目立ってくる、著作権が前面に出てくるのです。

今こそ、仮想世界における著作権のあり方を真剣に考えていかなければなりません。これこそが仮想空間を構築する上での最重要課題なのです。

新しい技術に、旧い著作権システムが追いつく、という図式、これがまさに今求められているのです。

 

新しい扉が開かれようとしています。

もし貴方がクリエイターなら、あるいはクリエイターを応援する立場なら、著作権について、新しい著作権システムのあり方について、見識を持つべきです。そして、その扉を開ける側、新しい仮想世界をかたち作る側に立つべきです。

次回もまた、仮想空間内の「著作物」について考えていきましょう。