栃木県内で3つのゴルフ場を経営する鹿沼グループ(栃木県鹿沼市)。福島範治社長が、その苦難と再生の道のりを著した新刊書籍『負債1400億円を背負った男の逆転人生』を基に、特につらかった出来事を赤裸々に記す短期集中連載。企業再生の要点、後継者としての心の持ち方、古参幹部との接し方などを学ぶ。その第2回。

 鹿沼グループの柱はゴルフ場の経営だ。新設された私たち経営企画室のメンバーは、各ゴルフ場に挨拶をして回った。初めて鹿沼カントリー倶楽部を訪れたときの光景は忘れられない。一番歴史があり、一番稼いでいる45ホールの巨大ゴルフ場。資金繰りも業者への支払いも順調だった。「社長以外には協力しない」という剛の強い支配人をはじめ、ありとあらゆる抵抗勢力がそろっていた。

 応接室で私たちと、鹿沼カントリー倶楽部の支配人以下、各部門の所属長10人が机を挟んで向かい合った。名刺を渡したが相手からの名刺はない。ソファに座って腕組みしたベテラン勢の表情からは「おまえたちは何しに来たんだ」というメッセージが伝わってきた。

 人は「攻撃される」と思うと自分を守ろうとする。自分たちの権限や利益を守ろうとするほど、抵抗心が強く働く。彼らの態度も至極当然のことだったが、そのときは「この人たちに協力する気はあるのか」と腹立たしかった。しかし、末席にいた私には何を語ることもできなかった。そもそも、鹿沼カントリー俱楽部の人々は、父の正妻のことを「姉さん」と呼んで慕っていた。非嫡出子の私ではダメなのだ。そんなことすら当時の私は気づいていなかった。

最悪のアンケート結果

 時を同じくして社内アンケートも実施した。4つのゴルフ場、本社、営業事務所、関連会社に勤務する計382人の正社員に記名式で行った。質問は「あなたは現在の職場に満足していますか」から始まる計10問。回答は選択式で、フリー回答欄も設けた。

 回答結果は衝撃的だった。「現在の職場に満足していない」と答えた人は382人中の281人。「分からない」と答えた人も含めると、8割の正社員が満足していなかった。「改善するにあたって行動を起こそうと思いますか」という質問は、7割が「思わない」と答えた。

鹿沼グループ入社直後に実施した社内アンケートの結果。社員の8割が不満を抱いていた
鹿沼グループ入社直後に実施した社内アンケートの結果。社員の8割が不満を抱いていた

 何よりひどかったのはフリー回答欄だ。半数近くの人がさまざまな内容を書き込んでいた。夜中に1人でアンケート用紙に書かれている文字を黙々とパソコンに打ち込んだ。「私利私欲、職権乱用の役員、自分だけ生き残ることを考えて後継者を作らずとは」「放漫経営のため、役員同士の意思疎通はなく、ただ経営者にゴマすりをしているだけが現状だ」――。

 尊敬していた父が経営を続けた結果、社員たちはこのように感じているのか。「経営者を信用できない」とも書かれていた。正社員の8割が満足していない職場で再建などできるのか。そもそも、この会社を再建する必要があるのだろうか。そんなことまで考えた。

役員定年制に猛反発

 経営改善の柱の1つが、役員定年制の導入だった。役員退職金を支払い、相当数にやめてもらった。取締役が56人もいたからだ。働いていない親戚も、部長クラスの取締役もたくさんいた。予想はしていたことだが、猛反発を招いた。

 ある役員は、退職金を振り込んだ後も出社していた。理由を尋ねると、「『おまえは特別だから残ってくれ』と社長に言われている」。

 その役員と共に、社長の父を訪ね、「残ってもらうと言ったの?」と聞くが、父は何も答えない。役員は必死の形相で「社長、残れと言ってくれましたよね!」と訴えかける。それでも父は頭を抱えたまま全く答えない。

 そんなやり取りがしばらく続き、私は「もう出ましょう」と言った。本人はうなだれた様子で「裏切られた」といったことを口にした。

 しかし、役員の退職による人件費削減効果はわずかだった。低価格競争でゴルフ場収入は減り、多角化した事業もバブル崩壊後の不況の影響で、グループの売り上げは前年を下回り続けた。

 資金繰りを詳細にまとめた表を作成したところ、早晩、給与の支払いどころか、事業継続に必要な電気代すら賄えないことが発覚した。それでも社内は「最後は足利銀行が何とかするだろう」くらいのゆるい雰囲気だった。

メインバンクの足利銀行に提出した再建計画(写真=鹿沼グループ提供)
メインバンクの足利銀行に提出した再建計画(写真=鹿沼グループ提供)

 メインバンクの足利銀行からは、抜本的な改革を求められた。そして信用担保のために出された条件は、私が「代表取締役副社長」に就任することだった。代表者になったらもう逃げられないし、新聞の転職欄も読んではいられない。棺桶に片足だけ突っ込んだ状況から、両足を突っ込んで身を沈めるような感覚を抱いた。

経営理念は「金儲け」

 副社長としての最初の仕事が社員への謝罪だった。再建のために給与カットをしなくてはならない。各事業所で説明会を開き、「グループで相当額の負債があり、資金繰りが大変厳しく、皆さんの雇用を守るために……」と深く頭を下げ、丁寧に事情を説明したが、ほとんどの社員が「私には関係ない」と思っていたことだろう。

 ゴルフ場の来場者数はピーク時よりは下がってきていたものの、それでも栃木県内や御殿場地区でトップクラスだった。こんなに混んでいるのに、なぜ給与をカットされるのか。誰もが不信感を抱いている様子だった。

 この頃から経営理念が必要だと思い始めていた。再建は手段である。手段には目的がある。何のために再建するのか。総務担当のA常務に「うちの経営理念って何ですか?」と聞くと、「金儲けだよ」と笑いながら返ってきた。いつの日か、いい経営理念を作りたい。そのときを夢見ながら、目の前の厳しい現実の橋を歩いていった。

 都心の一等地にあった本社ビルなど不動産の売却のほか、コストダウンも実施した。ゴルフ場の取引先数百社に向け、値下げ依頼書をファクスで一斉送信した。「下げなければ、違う業者に替える」という一方的な内容だった。

 怒りの電話がかかってきた。「支払いも遅れているというのに何を考えているんだ」「俺たちがどれだけ鹿沼グループに協力してきたと思っているんだ」。返信用のファクスに「こんな会社は潰れてしまえ」と書かれていることもあった。

(写真=天神木 健一郎)
(写真=天神木 健一郎)

日没でゴルフができない

 会員権販売も見直した。発展期にゴルフ場経営に進出した父は100人以上の女性社員を抱えて営業部を組織し、会員権を売りまくった。私が入社した1990年代後半で、鹿沼グループのゴルフ場のプレー単価は1人1万円ほどだった。一方、会員権は1本売ると少なくとも50万円は入ってくる。顧客1人につき約50倍の収入だ。

 50万円の収入と言えば聞こえはいいが、預託金証書を発行するので借金を増やすことになる。しかしキャッシュフローは極大化する。営業社員に募手(ぼて、募集手数料)を支払っても相応の収入となった。

 会員権の営業は私が入社したときも続いていた。当時、会員数は鹿沼カントリー倶楽部だけでも2万人を超えていた。公称会員数は5000人なので、その4倍以上の会員がいた計算になる。ゴルフ場のキャパシティーを超えていた。それでも売り上げ(資金繰り)のために会員権を販売し続けた。

 私たちは県内でもトップ3に入る来場者数を誇っていたが、実際は「来場者が多すぎる」と常にクレームを受けていた。ラストの組は日没でラウンドできなくなることもザラにあった。昼食の待ち時間は2時間以上。そもそも、会員であってもなかなか予約が取れない状況だった。

「神セブン」からの説教

 そこで会員権募集を止める決断をした。新規発行した会員権(預託金)で負債が増えていく従来の営業活動から、会員権を売却したい人から欲しい人に売却し、その際に発生する名義書換料を得る仕組みに変えることにした。

 名義書換料のみでは、1件当たりの収入は半分以下になる。従来は会員権販売額の10%前後が募手として営業社員個人に配分されていた。いわゆる歩合制で、バブル期は1本50万円という多額の募手を稼いでいた。2000年代に入ってからも1本5万〜10万円で、稼ぐ社員は月に100万円近くの金額を受け取っていた。

 収入を補填するためにゴルフ場の集客業務にもあたってもらうことにしたものの、会員権募集の見直しは営業社員にとって受け入れ難いものだった。

 当時のベテラン女性営業社員の中には「神セブン」という七人衆がいた。彼女たちは「常に好成績で、社長に最もかわいがられた」と自負していて、発言力が大きく、社内で幅を利かせていた。ある日、社歴20年以上になる、そのリーダー格2人に「話があるから来てちょうだい」と呼びつけられた。バブル時代の雰囲気が残る、六本木の「貴奈」という観葉植物に囲まれた喫茶店で説教を受けた。

 「あんたね、私たちのこれまでの努力を分かっているわけ?」

 「社長にはとても世話になったけど、あんたには世話になっていないし。そもそも社長は何て言っているの?」

 終始こんな感じだった。ひたすら頭を下げ続けた。100人以上いた女性営業社員たちは結局、半分以下の30人ほどになった。

「あーやまれ!」のコール

 キャディー制度も改革した。当時は国内のほぼすべてのゴルフ場がキャディー付きプレーで、当社にも100人以上の正社員のキャディーがいた。一方、顧客のトレンドはセルフプレーに移行しつつあった。このような情勢の変化に合わせてキャディーの給与体系を変えることにした。正社員として雇用していたキャディーを個人事業主として契約し、ラウンド手当という歩合給の割合を高くするという方針を打ち出した。

 いったん退職してもらい、会社都合で退職金を支払う。その後は個人事業主として再契約するので、社会保険も国民健康保険に変更になる。歩合給を多くするので、ラウンド回数が増えればキャディーの手取りは増える。自分の努力次第で収入が上がる仕組みである。この個人事業主化の制度を「プロキャディー制度」と命名した。

 キャディーを統括するキャディーマスターやゴルフ場の総務担当者とも議論を重ねた内容であり、ラウンド数次第では手取りは増えるので、キャディーからは了承を得られると楽観視していた。だが、一筋縄ではいかなかった。

 栃木県内のキャディー約80人を集めて、説明会を実施した。変更点の説明に続いて質疑応答に進むと場の空気が一変した。「国民健康保険なんて不安がある。手続きはどうするのか」「これからキャディー付きは増えるのか」。キャディーが攻撃的な質問をすると、他のキャディーたちが拍手で同調する事態になってしまった。

 そして、あるキャディーが他のキャディーに向かって「ねえ、みんな、会社はいつも私たちにしわ寄せするよね。いつも私たちが割を食うんだよ。こんなの許されないよね。謝ってもらおうよ!」と叫んだ。すると、どこからともなく「あーやまれ、あーやまれ!」というコールと手拍子が起きた。その場にいる、ほぼ全員のキャディーが手拍子をしながら叫んだ。

 私は頭が真っ白になった。

福島範治(ふくしま・のりはる)
福島範治(ふくしま・のりはる)
1970年東京都生まれ。93年青山学院大学経営学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。98年、父親が社長を務める鹿沼カントリー倶楽部に入社。経営企画室課長を経て、99年代表取締役副社長。足利銀行の一時国有化を受け、2004年民事再生法の適用を申請。代表取締役を退任し、執行役員副社長に。スポンサーを入れずに自力再生を成し遂げ、08年代表取締役社長に就任。鹿沼グループ代表として栃木県内で3つのゴルフ場を運営する(写真=鹿沼グループ提供)

日経ビジネス電子版 2025年4月16日付の記事を転載/「日経トップリーダー」2025年4月号の記事を基に構成]

ゴルフ漫画の金字塔「風の大地」の舞台で起きた胸熱企業ドラマ! 債権者4万人以上。栃木県最大の負債額1400億円を抱えて経営破綻した鹿沼グループは、老舗ゴルフ場の鹿沼カントリー倶楽部などを経営するほか、「栃木新聞社」の経営にも乗り出し、バブルとともに隆盛を極めた企業集団だった。メインバンクの足利銀行が連れてきた非嫡出子の元銀行マンの後継者は組織力・財務力・事業力・精神力をどう再生したのか。

福島範治著/日経BP/1870円(税込み)
創刊55年を超える日経ビジネスでおそらく史上初となるゴルフコンペを開催します。1日目は経営者向けのセミナーと交流会。2日目にコンペを実施します。場所は栃木県鹿沼市の鹿沼カントリー倶楽部。名作ゴルフ漫画「風の大地」の舞台になったゴルフコースです。特別ゲストとして日経ビジネスで「チップス」を好評連載中の作家・真山仁氏が登壇します。

【講師紹介】
真山 仁 氏(作家)
1962年大阪府生まれ。 87年に同志社大学を卒業し、中部読売新聞に入社。89年に退職し、フリーライターを経て、2004年に『ハゲタカ』( ダイヤモンド社) でデビュー。近著は『タングル』(小学館) 。現在「日経ビジネス」で、米中の覇権争いで揺れる台湾、そして日本や世界の半導体産業の行方に焦点を当てたハゲタカシリーズ最新作「チップス」を連載中。
福島 範治 氏(鹿沼グループ 代表取締役社長)
1970年東京都生まれ。93年青山学院大学卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。98年、父親が社長を務める鹿沼カントリー倶楽部に入社。99年副社長。足利銀行の一時国有化を受け、2004年民事再生法の適用を申請。代表取締役を退任し、執行役員副社長に。スポンサーを入れずに自力再生を成し遂げ、08年代表取締役社長に就任。

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