日本の博士号取得者の数は他の先進国を大きく下回り、しかも10年前よりも減少している――かつての「教育大国」から、今や「低学歴国」となりつつある日本。その真因は一体どこにあるのか? どうすれば、競争力低下に歯止めをかけることができるのか? 日本経済新聞社編 『「低学歴国」ニッポン』 (日経プレミアシリーズ)より抜粋して解説します。(登場人物の肩書は取材当時)

他先進国を大きく下回る博士号取得者数

 「大学教育が普及し、国民の教育水準が高い」。私たちはそんなニッポン像を持っていないか。

 だがそれは幻想だ。日本は先進国の中で「低学歴国」になりつつある。

 文部科学省科学技術・学術政策研究所の「科学技術指標2021」で人口100万人当たりの博士号取得者数を見ると、日本は米英独韓4カ国を大きく下回っている。日本の博士号取得者は2018年度に120人だが米国は281人。ドイツは336人、英国は375人、韓国は284人だ。

 しかも、10年前の08年より減少しているのは中国も加えた6カ国中、日本だけだ。米国で博士号を取得する日本人もピーク時の07年には276人いたが、17年には117人まで減った。国別の順位は21位だ。

(出所)『「低学歴国」ニッポン』(日経プレミアシリーズ)
(出所)『「低学歴国」ニッポン』(日経プレミアシリーズ)
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 修士課程を終えて博士課程に進む学生の数は03年度の1万1637人がピークで、18年度には約半分の6022人まで落ち込んだ。正規雇用で安定した研究ポストが減り、博士号を取ってもその先の展望が描きにくいことが背景にある。

 次に、日本の研究力を見てみよう。注目度の高い科学論文数の国際順位は1990年代前半まで世界3位だったのが18年は10位まで落ちた。同じ平成の30年間に産業競争力も低落。鉄鋼・造船のような重厚長大型産業だけでなく、家電製品やパソコン、半導体のようなハイテク分野でも国際市場シェアの低下が進んだ。

 産学そろっての地盤沈下を招いた「主犯」は、イノベーションの担い手を育てる仕組みの弱さだ。

 イノベーションといっても日本が得意とした「よりよいものを、より安く作る」式のプロセスイノベーションではない。米アップルのiPhone(アイフォーン)のようなプロダクト(製品)イノベーションである。プロセスの改善から製品の創造へ、というイノベーションの変化に日本は乗り遅れた。

 ちなみに、日本の自動車産業は国際競争力を維持している。「自動車では同質の集団で改善改良を積み重ねていくモデルがまだ通用するからだ」という経営共創基盤の冨山和彦グループ会長の指摘は興味深い。ただ、環境負荷の低い電気自動車(EV)への転換が進む中で、日本のクルマ産業もプロダクトイノベーションの力を問われるようになっている。

大学名ばかり重視する社会の限界

 イノベーションを生み出せる、高い知的戦闘力を持った人材が育っていない。それが日本の弱点だ。その根っこには大学院に対する日本社会の評価の低さ、期待の欠如がある。

 日本企業は新卒採用に際して応募者を学歴、つまり「どの大学に合格したか」でふるい分けするやり方を長く続けてきた。大学でどんな学び(知的訓練)を経たか、そこで何を身につけたかは、ほとんど問われない。

 そうした社会では、学びは入試を突破して学部に入った時点で終わりだ。大学院は研究者を目指す、ごく限られた層の学生が集まる場となり、魅力が高まるはずはなかった。

 高校段階までの教育で人材の質が保たれていたことも見逃せない。関西学院大学の村田治学長は「日本や東アジア諸国の成長を支えたのは充実した初等中等教育。大学で学力が伸びなくても何とかなった。高校までの教育にばらつきのある米国が大学・大学院を強化したのと対照的だ」と指摘する。

 学歴社会に対する過剰な批判や、学問より社会経験を重視する一種の「反知性主義」も大学院軽視の岩盤を強固にした。入社同期が「横一線」で競争を始めることをよしとする企業風土の下では、学士、修士、博士といった学位の違いは重視されない。

 先ほどの「科学技術指標2021」によると、米国では19年時点で21万5500人の博士が企業で働く。大学などは24万1050人で、企業との差はさほど大きくない。一方、日本は企業で働く博士は2万4470人(20年時点)。約18万人いる博士号保持者の75%、13万6082人が大学などに集中する。

 企業の研究者に占める博士の割合も日本は4.4%で、フランス(12.1%)や米国(10.1%)を大きく下回り、韓国(6.7%)、台湾(6.2%)にも後れをとる(文科省調べ)。

日本の「企業で働く博士の数」は米国に比べてはるかに少ない(写真/Shutterstock)
日本の「企業で働く博士の数」は米国に比べてはるかに少ない(写真/Shutterstock)
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 経営者の学歴差も鮮明だ。経済産業省作成の資料によると、日米の時価総額上位100社の経営者のうち、日本では84%が学部卒で大学院修了は15%。米国は67%が院卒で、博士課程修了者も1割いる。

 企業人たちの学びの到達点の低さ、本当の意味での「低学歴」が、日本企業の競争力向上を妨げているように見えてならない。

経営者が学部卒では堪えられなくなる時代

 危機感は急速に広がっている。

 中央教育審議会の渡辺光一郎会長(第一生命ホールディングス会長)は「ものづくり・大量生産型の社会が情報化・グローバル化した社会に変わる段階で日本は産学がともに出遅れ、改革を進められなかった。80年代の蹉跌(さてつ)だ」と指摘し、こう続ける。「私の世代までは企業の経営者が学部卒でも何とか堪(た)えられたが、これからは違う。大学も企業も変わり、リカレント教育(社会人の学び直し)を通じて仕事と学びの好循環を実現すべきだ」

 その芽はある。早稲田大学を幹事校とする国公私立の13大学が18年に始めた「パワー・エネルギー・プロフェッショナル育成プログラム(PEP)」。世界最高水準の教育・研究力を備えた大学院をつくる文科省の事業「卓越大学院プログラム」の対象に採択された。修士段階から5年一貫の教育課程で育てるのは、大学や企業で脱炭素を含むエネルギー分野の革新に貢献できる博士だ。

 各大学の学部からの進学者に加え、大手商社や電力会社の社員らも参加。大学と産業界の間の壁を取り払い、企業での実習やビジネスアイデアを練る演習を通じて磨き合う。

 文系の大学院も教授の後継者を育てる場から脱皮する必要がある。関西学院大学の村田学長は「学問で身につく大局観や学び続ける習慣、科学的に人を説得する技術は経営者になる訓練として有効だ」と指摘。民間に就職する学生にとっても意味のある大学院教育の実現に向け、教員の意識改革を求める。

 最大の課題は教育と経済にまたがる岩盤を砕くドリルが見えないことだ。

 文科省は義務教育の管理官庁の性格が強く、高等教育政策の司令塔としての存在感は薄い。多くの企業も院卒採用の経験・ノウハウがなく、博士の採用拡大に向けて大胆な一歩を踏み出せずにいる。採用選考の担当者や責任者が学部卒で大学院教育を知らず、院卒者をどう評価してよいか分からないことも多い。

脱「低学歴国ニッポン」への一歩

 ネット関連企業のGMOインターネットグループは23年春入社から、文系理系を問わず高度なスキルを持つ専門人材の初任給を年収710万円(月額換算では約59万円)に引き上げた。人の能力をきちんと評価し、優秀さに応じて手厚く処遇する動きが広がれば、博士の活躍の場を広げる上でも追い風になる。

 高校生に将来の進路として、大学院進学があることを知らせていくことも大事だ。日本はこれまで、大学院を含む高等教育が社会の中でどのような役割を果たすべきなのかを、きちんと考えてこなかった。その結果、企業は大学院教育に期待せず、大学院は研究者を育てるだけで満足し、学生もより高度な学位に挑戦しないという、三者それぞれが低いレベルで納得してしまう状態が生まれた。

 そうしたぬるま湯のような均衡を、いつまで続けるのだろうか。

 産業界には戦後の高度成長をなし遂げた成功体験がいまだに強く残ることも、従来モデルからの脱却を難しくさせている。だからこそ、産学官が連携してビジョンを描き、実行することなしに「低学歴国ニッポン」の危機は脱せない。

日経プレミアシリーズ『 「低学歴国」ニッポン
理解が早い子も遅い子も満足できない学校教育、真のエリートを輩出しづらい入試システム、いまだにPTA頼みの学校運営……日本の教育界にはびこる旧弊を追いかけ、その打開策を考える。日経連載「教育岩盤」を大幅加筆のうえ書籍化。

日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/990円(税込み)