概要
Jeffery Ding ”Technology and the Great Powers” レジュメ。
イノベーションが重要であり、それが国⼒を決定するという議論は多いが、そうした 議論は通常、イノベーションが重要産業のリードを実現し、それが勝者総取りのよう な形で先⾏者利益を得ることで経済覇権が実現されるという⾒⽅を取る。だが実際に は、汎⽤技術が経済全体に浸透する拡散のほうが重要。これは第 1 次〜4 次産業⾰命 を⾒ても⾔える。それを実現する基盤は、エリート育成や戦略産業ではなく、産学を つなぐ広い受け⽫となる基盤(制度)の存在である、と主張。
視点はおもしろく、拡散に注⽬すべきだという点は理解できる。ただし実際の分析は (特に⽇本の興亡についての部分など) かなり雑。そもそもそれぞれの産業⾰命という のがあまりピンとこないうえ、第 1 次-2 次で重要だったはずの業界団体や草の根組織 の話は、第 3 次以降の分析では消えるし、AI についても具体的な汎⽤技術は不明との こと、後付け的な印象はある。だがまがりなりにも通史としては興味深く、考える上 での出発点とはなる。
しばらく前にTwitterでだれかが (著者当人だったかな?) が話題にしているのがタイムラインに流れてきて、おもしろいかな、と思ったんだよね。みんなイノベーションそのものばっかり見ているけれど、大事なのはそれがどういう風に広まるか=ディフュージョンするか、なのだ、という主張はその通りだと思うし、それをきちんとまとめているならいいなあ、と思った。
正直、経済学者とか政治学者とかテクノロジー音痴が多くて、イノベーションというとインターネットと蒸気機関しか出てこないで、しかもその技術が具体的に何にどう使われているかというのがなくて、モデルでも「これがイノベーション変数! これがあると生産性が年率2%高まるの!」みたいなトホホなモデル化したりするので全然説得力がなかったりする。その広まりまでちゃんと考えているというのはポイント高い。
それと個人的に概要見てツボだったのが、20世紀初頭のドイツの有機化学イノベーションについてきちんと見ていること。これは高校時代の先生が「化学小説アニリン!」としつこく言っていたのが記憶にあるせいもある。以下の小説評見て。
というわけで期待して見たんだが……ちょっと期待外れでした。まずそもそもの問題設定として、イノベーションの拡散を扱うのはいいんだが、それがもたらすものとして、国際的な覇権というのを持ち出してきたのがあまりに苦しいのではないか。技術→経済→政治的覇権 というのはなかなか一筋縄でいくものではないし、常にそういう因果関係で動くわけでもないんじゃないか。早い話が、ソ連は20世紀半ばにかなり覇権していたよね。でもそれはイノベーションと関連づけられるだろうか? あるとしても、政治的イノベーションとか労働動員手法のイノベーションとかで、本書が述べたがるような技術的イノベーションではないよね。
さらに、日本がなぜダメになったか、というのが、DXに対応できなかったから、という分析はちょっとクズにしてもひどすぎではないか。そしてそれ以前に、そもそも日本がなぜ発展できたのか、という技術的な要因がまったく分析されていない。一部産業での電算化などではないはずだよ。カイゼン運動がよかったのか、あるいはすごく車でも電気でもエレクトロニクスでもすごく厚いホビイスト層があったからかもしれない。それなしに、ダメな理由だけDX化というのは検討として不十分すぎるでしょう。これもソ連の話と同じ、技術的イノベーションだけで議論しようとするから苦しくなる。
最終的に、長期的にすべて技術で決まるのは事実ながら、20世紀末の10年単位のできごとを科学技術だけで見ようとするのは無理がある。それを中国とのAI競争にあてはめようとするのも、急ぎすぎだとは思う。分析において、AI技術が何にどう波及するか、というのがわからない、というので、結局は伝搬が重要だという部分の話はまったく実証やモデルが使えないただの憶測になってしまっている。伝搬においては、たとえば深圳においての技術発展は「公開(ゴンカイ)」/「開源 (オープンソース」が大きな役割を果たしたとされる。伝搬は中国でも効いた。じゃあこれからそれができない理由は? あまり明示的なものはない。印象だけだ。だからこれまでの分析の積み上げが何も効かない。
そもそも、どんな技術が重要で覇権をもたらすのか、というのは事前にはわからない。AIはいまはすごそうだけれど、それが覇権をもたらすかはわからない。また急に頭打ちになる可能性だってある。するとAIだの量子コンピュータだのだけに注目して、中国と米国を比べるのに意味はあるのか? その結果最終的に、いわば技術の民主化が大事で中国はそれできてないからダメ、というどこかできいたような一般論に終わってしまっているのは、ちょっともったいなすぎ。
それでもなんかいいポイントはかすっているような印象があるんだが、それをどうサルベージしてどことつないだものか……
各章要約
序章
BRICS、特に中国は技術優位と経済覇権の関係を重視しているようだ。これは:
イノベーション→先進産業(LS)→独占産業利益→覇権
という図式に基づく。ポール・ケネディその他多くの歴史家もこの図式にしたがう。
しかし、上の図式そのものについての検討は⾏われていない。だがこの⾒⽅は不⼗分 であり、実際の覇権とはあわない。汎⽤技術に注⽬すべきである。
第 2 章 GPT 拡散理論
これまで拡散についての理論はあまりなかった。このため、イノベーションだけに注⽬する傾 向が強い。このため、上の「先進産業」に注⽬する理論構築が多い:
イノベーション→先進産業(LS)→独占産業利益→覇権
しかし実際には、重要なのは汎⽤技術が国のあらゆる(または多くの産業)に広まるこ と。
イノベーション→汎⽤技術(GPT)→汎⽤技術の経済全体への浸透→覇権
よって重要なのは、汎⽤技術を各種産業に応⽤できるような制度があるかどうか。こ れは教育、汎⽤技術の伝搬を可能にするような産業のつながりなど。
第 3 章 第 1 次産業⾰命とイギリスの覇権
イギリスの蒸気機関による経済覇権は、それが⼤きく影響した綿⼯業の独占利益か ら⽣じたわけではなく、蒸気機関が様々な分野で活⽤された拡散の⼒が⼤きい。フ ランスやオランダは、イギリスに匹敵する教育⽔準があったが、それだけではイギ リスに追いつけなかった。
先進産業仮説と汎⽤技術仮説を考えるには、当時のイギリスの優位性としてそれぞ れ以下のものが考えられる。
先進産業:汎⽤技術
綿⼯業:集約型⼯業
製鉄:機械化
蒸気機関製造:蒸気機関
実際の産業発展を⾒ると、経済や⽣産⼒向上はかなり遅く、後期になってから。蒸 気機関ですぐに経済⼒増⼤が⽣じたわけではない。拡散による波及が重要。
それを⽀える「制度」は、必ずしも学校や博⼠号ではなく、あちこちにいた「ハッ カー」のような趣味の機械いじり屋の存在。知識が広まり、発明家と企業家、都市 と地⽅部がつながるネットワークが重要だった。
フランスはエリートばかり重視していた。オランダは応⽤技術への関⼼が低かっ た。このため汎⽤技術の拡散が遅れた。
第 4 章 第 2 次産業⾰命とアメリカの覇権
20 世紀冒頭から半ばまでの第⼆次産業⾰命は複合的。アメリカとドイツが様々な⾯ でイギリスを追い越したが、覇権を握ったのはアメリカだった。
先進産業仮説と汎⽤技術仮説を考えるには、当時の⽶独の優位性としてそれぞれ以 下のものが考えられる。
先進産業:汎⽤技術
製鉄:モジュラー製造業
電気機器:電化
化学:化学化
⾃動⾞:内燃機関
やはり、発明による独占産業という構図ではなく、汎⽤技術がゆっくり社会全体に 浸透する過程が重要。これはドイツでもアメリカでも同様だった。また、どの技術 についても、どの国が独占していたわけではない。それをどう使うかが重要であ り、これは拡散の問題。
このとき重要だった制度は、広い機械エンジニアの基盤。これは町⼯場の広がり、 機械愛好会のようなホビー集団もある。イギリスはそうした基盤がなかった。アメ リカは、トップの⼤学と地元の⼯場やホビイストのつながりが強く、業界組織も多 かった。ドイツはイギリスよりは優秀だが⼤学と産業とのつながりが弱かった。こ のためアメリカが覇権を握ることになった。化学でも、産学のつながりが重要だっ た。
第 5 章 第 3 次産業⾰命と⽇本の挑戦
⽇本は 1960 年代から 1990 年代にかけて、情報産業と⾔われる第 3 次産業⾰命の覇 者になりかけたが、覇権を握るには⾄らなかった。
先進産業:汎⽤技術
コンピュータ産業:コンピュータ化
家電産業
半導体産業
⽇本は⼀時的に先進産業で優位性を得たが、汎⽤技術の普及に失敗した。このため 覇権を得られなかった。先進産業モデルの不⼗分さを⽰す事例。
アメリカは計算機科学の学⽣の基盤を⼤きく広げたが、⽇本はそれに失敗した。⽇ 本は計算機科学卒が少なかったし、そこでのカリキュラムも古かった。これによ り、⽇本は⼀時的な産業優位を維持できなかった。
第 6 章 ソフトウェア技能インフラと電算化の統計分析
各国のソフトウェア教育やコンピュータ教育と、その国の電算化の進展を⾒てみる と、ある程度の相関が⾒られる。アメリカの優位性としては、理論研究より実⽤研 究の重視が⾒られる。
第 7 章 ⽶中 AI 競争と第 4 次産業⾰命
中国の猛追はしばしば懸念されるが、実は⽣産性を⾒るとそんなに追いつかれては いない。特に最近、ギャップは再び開き始めている。
先進産業:汎⽤技術
AI チップ:機械学習
“戦略”産業:ブロックチェーン
(⾒極められないとのこと):3D プリント、ロボティクス?
(これも諸説あるとのこと)
汎⽤技術が重要であるなら、その実際の影響が出るのは 2040-2050 年と当分先にな るはず。したがって、いますぐ影響が出るわけではなく、中国がすぐ覇権を握るわ けではない。
中国は、イノベーションにばかり注⽬するが、AI イノベーションがそんなに中国で 盛んとは考えにくい。かつての⽇本のようにある特定分野で⼀時的優位を⽰すだけ では?
ICT の応⽤を⾒ると、中国はアメリカに⼤きく遅れをとっており、汎⽤技術を経済全 体に波及させる⼒を持っていない可能性が⾼い。エリートは重視するがその産業化 が弱い。ロボットの普及はめざましいが、統計データが必ずしも信頼できない。戦 略産業を選んでそこに集中するモデルになっている。実際の各種 AI 分野の実務家の 数を⾒ても、中国はアメリカにはるかに⾒劣りする。⽶中ともに、AI 研究開発投資 を増やすと⾔うが、それだけでは汎⽤技術普及は実現しない。
第 8 章 結論
イノベーションは、先進産業の独占⼒で覇権につながるのではなく、汎⽤技術の経 済浸透と拡散を通じて⽣産⼒向上を経済全体にもたらすことで覇権につながること がおおむね⽰された。そのために必要なのは、エリート教育や戦略産業の集中投資 ではなく、産学をつなぐ広い基盤を持つ⼈材育成が重要。イノベーションだけでな く、拡散に注⽬した技術と経済のつながりを重視すべき。
コメント
汎⽤技術の拡散が重要というのは重要な視点ではある。ただし、何をもって汎⽤技 術を⾒なすかはきわめて恣意的。また分析も必ずしも説得性があるとは⾔えない。⽇ 本の⾼度成⻑は、家電と⽇⽶半導体戦争だけだったのか? トヨタはどこへいった? ⽇本の 90 年代の失墜は電算化が遅れたというだけの話なのか? また⽇本の家電産業 や半導体産業が⼀時的に優位を獲得できたというが、それはなぜ? TQC などは? そ れぞれの産業⾰命というのも、必ずしもピンとこない。なまじ定量化しようとしてか なり分析が苦しくなっている⾯はある。
さらに第 1 次、第 2 次で拡散のための制度基盤として重視されていた産業組織や学 術組織は半ホビイスト的な基盤、中⼩企業の広がりなどについてはその後⼀切登場し なくなる。中国もエリート教育だけと⾔われるが、⼀時の創客運動へのてこ⼊れな ど、草の根も結構やっているはず(最近は下⽕になっているのは確かだが)。
さらに、技術の受け⼊れ基盤の重要性という点については、シリコンバレーの分析 として名⾼いサクセニアン「現代の⼆都物語」、あるいは蒸気機関についてもワットの 発明よりニューコメンや業界団体による⼯夫と知識流通の重要性を指摘する⾒⽅はす でにある。本書は、それを国の覇権や国⼒にまでつなげようとするのが売りだが、技 術拡散後の覇権や国⼒の話となると、⽣産性が経済全体であがった、というだけであ り、物⾜りなさはある。
こうした⽋点はあるものの、過去の産業⾰命について、多少なりとも⼀貫した⾒⽅を しようとした本としては興味深い。無理な定量化を避ければ、もう少し⽰唆的なもの になり得るのではないか。