RubyKaigi 2025 記録 Side D: 感情処理パート

タイトルの通りです。そろそろ終わらせて次に進まなくてはいけない。

これまでの記事へのリンクは以下。

あらゆることをやった

やったことの主だったことを列挙すると、「ローカルオーガナイザー業をした」「スピーカーとして登壇した」「RubyMusicMixinのDJをした」「野良のサイドイベントの企画をDay 0に行った(2件)」*1。Side Aにも書いたけど冷静に考えてやりすぎだ。これは1月に書いた"When you RubyKaigi, you must party hard!"を自分で実践したかったからである。オーガナイザーが楽しんでいないイベントを参加者が楽しいと思ってくれるはずがない。そして地元開催である以上地元のことは他の参加者よりも知っているわけだから、他の人よりも率先して地元の楽しみ方を見せていく必要があると思った。これは土曜日*2の時点からTwitterやDiscordで飲みに行きそうな人を探して飲みに出ていたことからもわかるだろう。

また、クロージングにて松田さんからもコメントがあったように、今回のローカルオーガナイザーのうち主だって動いていたのは私であるといってよいだろう。これは最後のほうまでタスクをうまいこと割り振れなかった私自身のマネジメント能力不足というのもあるが、私自身はRubyKaigiというイベントに対して並々ならない感情があり、一方で声をかけて手伝ってもらっているローカルの人はほとんど(少なくとも「第2世代RubyKaigi*3」は)初めてで感情に差があることは承知していて、であればまず自分が重荷を引き受けて見せないならば他の人がやってくれることはないだろう、と思っていたためでもある。

とはいえ、これはたまたま私がイベントオーガナイズ業・ロジスティクスの整備・渉外業務をあまりやったことがなく不得意であっただけで、このあたりは部活動でちゃんと運営の仕事を任されてこなしてきていれば経験がある人も多いだろうし、プログラマをしていなければこの手の業務は「社会人能力」の一部であるはずで、私が不得意というのは単に能力が足りないだけで、「社会人能力」がある人ならば私が今回やったことで苦労することはほとんどないだろう。事実、ここ数年のローカルオーガナイザーの中心的な役割を担ってきた人たちは「社会人能力」が高い「まっとうな大人」である。

父の実家のある街でRubyKaigiをするということ

Kaigi on Rails 2024のあと、sha256の下に埋めたのはこんな内容である。 これのsha256sumとタイムスタンプはこちらの記事にある

RubyKaigiを松山でやりたいと思ったことと、特にそこでしゃべりたいと思ったことの背景には、松山が父の実家のある都市である、という要素を外すことができない。コロナ禍の中東京を離れることを決め、移住先を決めたときには、確かに生活の利便性という意味で松山を選んだ部分もあったが、祖母に何かあっても駆けつけられる場所である、というので松山を選んだ部分もあった。そして松山に移住するからには、まだ四国に来たことのないRubyKaigiを松山でやりたい、というのは、引っ越した当初から考えていた。

あとは大筋sha256に埋めた内容通りである。もともとCfPが閉まる段階で8割くらいコードが実装できてなければ出すつもりはなかったし、そのように何人かには話していた。実際蓋を開けてみたらCfPが閉まった段階で使ったコードはよくて10%くらいしかしゃべった内容に生きていない。おそらくMLSのbuilding blockであるところのhpke gemを作ってたという活動の延長で可能だろうと思った人がいたからしゃべることができたのだろうと想像するが、「こんなこと書いてるけど普段コード書いてないじゃん」で落としていても全く不思議ではない。で実際コードに手がついたのは3月中旬くらい、ローカルオーガナイザー業がある程度ディスパッチできて、自分の主担当業務であるところのオフィシャルパーティーが「やれそう」と見えてきたところからである。でこうやってspeedrunした結果はSide Cに書いた通り、あまり有効な発表にならないで終わった。同じ時間枠がめちゃくちゃ強い内容だったというのはあるがそれはどの枠でやっても同じで、言及が少ないということは気になって見に来てくれた人に対しても印象を残すことができなかったということにほかならない。

このように、今回のローカルオーガナイザー業・スピーカー業をやらせていただくにあたっては私個人のエゴに基づくかなり「不純な」動機があったことは間違いがない。

通奏低音としての「まっとうな大人」になるということ

不純な動機ついでにもう少し個人的な話をしよう。

私は家族に対して東京を離れることにタイムリミットを設けていて、最初は2024年4月くらいには東京に戻る、というふうに宣言をしていた。これは東京で会社をやめて独立して地方に移ることが「都落ちである」と見られることに対して思いがあったからである。2018年〜21年頃、高校・大学などおで私の周りにいた人の中には海外で活躍する人が増えており、親同士の交流のある層も割とそうだった。私もそのような希望を持っていた時期があってそれを表明していたので、それができないのは私の能力不足であるという自認と、そのように見られている気持ちがあった。そんな中で、「社会」に適合することができず会社を辞めて、経済の中心地である東京を離れることを、人は東京で生存できなかった結果の「都落ち」と見るだろう。私自身はそのようには思っていないが、そのように見る向きを跳ね返すには、地方にいるからこそできる何かを為さないといけない、という思いがあった。

一方で地方に来てみたら、また別の考えを持つようになった。地方で雇用を産み他人の人生に責任を持って生きている人を見て、自らに対してのみ責任を負うだけでよいフリーランスなど気楽で、他人の人生に責任を負えない人間は半人前である、という考えを持つようになった。これは自分のライフステージ的に、周囲の人間は結婚して家庭を持つようになっているのに対して自分はそのようにできていないことに対しても同様に感じている。いくら金を稼いで金を落としたところで、他人の人生を背負っていない以上半人前でしかない。ちなみに、地方でそれを高いレベルで実現しているロールモデルとしては昨年のローカルオーガナイザーのさぼさんが挙げられる。フリーランスとして生存するだけでなく沖縄で雇用を産みエンジニアをRubyKaigiに送り込んでいることが非常に尊敬できる。

そのうえでsha256に埋めた内容に戻ると、コミュニティの年長者に「30を過ぎてお前のような生き方・考え方をしてるなら、お前は一生大した人間にならない」とこき下ろされた*4ことに対して、今でも強烈な感情を持っている。その結果、今回のRubyKaigiの私の取り組みには「大人になること」「コミュニティに認められること」が通奏低音として大きな要素を持っている。実際このように言い放った人がRubyKaigiのようなインパクトを地元にもたらせたか?と思うところはあっても、結局自分は自分のエゴでしか動いておらず、自分のことしか考えておらず、周りのことを何も見えていないし考えてもいない、だからその人の言うことは正しい。MAX.(period)の挑戦権を得て Over the "Period"を達成するには、 まずEGOISM 440を倒さないといけないのですよ。 *5

よかったこと

いい話もしよう。

Kyoto.rbの事前勉強会がうまく行った

これまでRubyKaigiの事前勉強会・事後勉強会のようなイベントはほとんど東京でのみ行われており、西日本に住んでいるとこれらが盛り上がってるのを見てうらやましいと思っていた。そこでKaigi on Railsのときにそのようなことをtweetしたところ、Kyoto.rb主催のluccafortさんに拾っていただき、RubyKaigiで事前勉強会をやるなら行く、という話をした。そこで実現したのが3/9の回である。世界最速でタイムチャート解説を行い、しかもその解説メンバーがCfPを全部読んでいるローカルオーガナイザー2名*6にコミッター2名*7、それぞれ得意分野も散っているためかなり網羅的な解説ができた。この回はいつもの2倍程度の参加者がいたそうだし、これをきっかけにRubyKaigi現地参加を決めたという方もいたようだった。四国から京都は遠いとはいえ、広い意味での西日本のコミュニティの盛り上げに少しでも貢献できたなら幸いである。

「廊下」概念が浸透した

これは私の言い出した言葉では全くないが、昨年からunasuke.fmの出演回とか"When you RubyKaigi, you must party hard!"記事とかで物理開催カンファレンスにおける「廊下」の体験の重要性について書いたりしゃべったりしていて、でローカルオーガナイザーの重要な役目としてイベント内外(主に外)の「廊下」の体験を作ることがあると考えていた。Cosenseのまとめに載っている参加者の感想を見ても「廊下」というワードに言及している人が思ったよりも多く、単なる一般名詞ではなくキーワードとして用いている人も何人か見られた。

事後勉強会の発表について

speakerdeck.com

この発表は私が今年のローカルオーガナイザー業をやった結果「これをやる前から知っておければよかった」と思っていることを、会期の前から少しずつ書き溜めてきたものの結晶である。実は本編トークよりも前にこのスライドの大部分はできていた(がだいぶ書き直してはいる)。

一般参加者向けのメッセージとしては32ページ「KaigiのDay 10+を生きるということ」というスライドにまとまっている。

(念の為、これはオーガナイザーの立場では個別の迷惑事案について観測できてしまうことは多少は影響しているが、個別の迷惑事案を念頭に書いているわけではない)

一般論ではないが、地方においては現在でも第一次産業第二次産業こそが「仕事」であり、額に汗を流すわけでもないプログラマなど「仕事をしていない」とみなす向きがあることは私自身知っているし、そういう考えを「単なる古い考え」と切り捨てるつもりはなくむしろ現実として理解を示している。田舎におけるコミュニティというのは相互に支え合わないと物理的に生活が成立しないというコミュニティである。お金を持っていれば何とでも交換できる都市のコミュニティとは動作原理が異なるのだ。インフラを物理的に維持する人や食を作る人こそ「AIで代替されない」仕事であり実業であり、地方に住むことでこれらの人々の存在をより意識し敬意を持つようになった。そしてITがあらゆる分野に浸透しつつある今、近い将来か遠い将来か技術の発展によって、彼らは我々IT分野にdisruptされ破壊されるのではなく、むしろ我々の顧客になる可能性がある、と考えている。

そのうえで、なんか知らないけど同じ格好をしたプログラマ?ルビー?の人?の集団が街のコミュニティに悪い印象を残していくようなことがあったら、将来顧客になる可能性のある人々への印象を損なうことになるのではないか。ただでさえ地方では先の理由によりIT業界は少し不利な位置からスタートしていると思ってもよい。「旅の恥はかき捨て」というが、そのかき捨てた恥は巡り巡って地元民のプログラマに降ってくるし、ひいては将来の顧客を逃すことで大都市の人たちにも降ってくるのではないか?

大街道の広告のキャッチフレーズにこれを採用したのはその点でよかったと思っている。我々RubyistがniceであればRubyKaigiというイベントについていい印象を持ってもらうことができ、単に「めっちゃお金が動いて一時的に街が儲かる」を超えて、将来の顧客になるかもしれない人にRubyistプログラマ、IT業界というものについていい印象を持ってもらうことができると考えている。

だいたいこのへんのtweetがうまくその感情を表現してくれているので引用させていただきます:

おわりに

ともあれ、多くの方にねぎらいの声や楽しかったとの声をいただいたことは大変嬉しかった。私個人のエゴのためにRubyKaigiという巨大な器を巻き込み多くの人を巻き込んだとはいえ、それで為したことについて満足してもらえたならばそれはそれでよいのかもしれない。RubyKaigiが普通の業者がやるようなカンファレンスにしたくないという意思で動いているのならば、そこに強烈な感情が入って動かすことも、悪くないのではないか。

Rubyistのみなさん、本当にありがとうございました。今度は一般Rubyistとしてお会いしましょう。

*1:ついでにRubyKaigi外でDay 4に地元のDJイベントに出た

*2:Day -3。なおこの時点ではしゃべる内容は完成しきっていない

*3:2015年(築地)開催以降の、松田さんがチーフオーガナイザーをやるようになってからのこと。2014年(船堀)も第2世代の萌芽はあったように思うが、明確にチーフオーガナイザーが変わってから第2世代とすることが多いように思う

*4:これには多少背景の説明が要るが、飲み会の場である人に気持ちよく飲んでもらおうと煽り気味に飲ませていたところ、素面の人に「お前は年長者に対する敬意が足りない」と叱られたのに食ってかかったことから発展した事態である

*5:これは今回のトークで"Why do you need...?"というMAX.(period)に由来する表現を使ったことと関連する。インターネットの自由の終焉とそれの超克という壮大なことぶち上げる前に、己のエゴと向き合って大人になることが先で、それもできないんじゃ大言壮語に意味はない、という主張

*6:もう1人はonkさん

*7:ydahさんとznzさん