コロナ禍ですっかり私たちの日常に定着したUberEats。それは、外出せずとも食事を調達できるという便利さをもたらしました。一方で、コロナ禍で職業を失った人たちの経済を救ったという一面もあります。特に非正規の雇用で働いていた人たち、飲食店で働いていた人たちにとって、雇用の一時的な受け皿になったことは間違いありません。
誰もいない新宿の街をUberEatsの箱を担いで黙々と走り抜ける配達員。対面禁止の中、ようやくたどり着いた先で差し出されるのは「手」だけ。預金が数百円になる中、雨が降っても、タイヤがパンクしても、アプリが鳴れば自転車を漕ぎ続ける――。
山梨で働きながら映画製作をしていたところ、コロナ禍で職を失い、2020年3月に上京してUberEats配達員となった映画監督の青柳拓さん。ホテルや友人の家を転々としながら東京を自転車で走り抜け、奮闘した3カ月間を映画に記録した『東京自転車節』が7月10日より公開されます。
現在もUberEats配達員を続けているという青柳さん。配達員から見たコロナ禍の社会とはどのようなものなのか、話を聞きました。
地方にはなかった
――山梨で仕事がなくなり、東京に出てUberEatsの配達員になったとのことですが、どのような仕事をされていたのでしょうか。
青柳:自分は映像制作の傍ら運転代行の仕事をしていたのですが、緊急事態宣言で仕事がなくなってしまったんです。代行は飲みに行く時には車で行って、帰って来る時に使うサービスですが、多くの人が飲みに行けなくなってその仕事はなくなってしまいました。
僕はそのタイミングで東京に出て来て配達員を始めましたが、いつでも都合のいい時に働けるUberEatsは、映画監督の仕事もしている僕にとってはありがたいものでした。山梨にもUberEatsがあればよかったんですが。

――2020年の3月から6月にかけては地方から出てきている人も多かったのでしょうか。
青柳:配達員同士は一言二言挨拶するくらいなので、詳しいことはわかりませんが、地方から東京・大阪・名古屋・福岡などへ出てきた人は多かったのではないでしょうか。UberEatsがない県は山梨以外にもたくさんありますから。2020年5月末時点では配達エリアは16都道府県だけでした。商店街が密集している地域でないと成り立たないんです。7月1日現在、41都道府県でサービスが展開されていますが、一部の地域しか配達エリアになっていないところもまだたくさんあります。
ちなみに、マクドナルドの前でたむろしているUberEats配達員を「マック地蔵」というのですが、そこにいる人たちは外国人、特に東南アジアの人たちが多かったです。
というのも、彼らは在留資格の関係で労働時間に制限があります。特に、留学ビザで来ている人たちは勉強することが主たる目的なので、1週間に28時間までしか働けません。そうなると、マックの前でピーク時間だけ短時間で稼ぐというやり方がいいんです。