ドモボーイ雑記

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(エルデンリングDLC考察)王と神の関係

 どもども。エルデンリングDLC Shadow of the Erdtree をプレイしたので、以前考察したミケラの目的の答え合わせを簡単にしつつ王と神の関係について考察を進めていきたいと思います。ですので今回は前回の考察記事ミケラの目的も多少絡んできますので事前に読んで頂ければより理解しやすいと思います。

 

 

ミケラの目的の訂正

 前回の考察の結論で言及したミケラの目的を振り返りましょう。ミケラの目的は”古い雫(=最初の雫=琥珀)であり、それを使ってゴッドウィンの復活を試みている”と考察しました。しかし、ゴッドウィンに関してはあまり情報が出てきませんでしたね(汗)。実際の目的は何だったかというと、神になることだったようです。さらに言えば、ラダーンを王(伴侶)としミケラ自身が神になり独自の律を掲げることが目的だったのではないかと思います。しかしなぜ王の存在が必要だったのでしょうか。今回は王と神の関係性がどういったものか考察していこうと思います。

 では早速、王と神の関係の一端が書かれている、≪秘儀の巻物≫のテキストを見てみましょう。

 

秘儀の巻物

”神の帰還は王により導かれ”

 

このテキストから、ミケラが神となるためには王が必要だったと読み取れます。では王は具体的に何をすることによって神の帰還が達成されるのでしょうか?

 

王は一体何をするのか?

 神の帰還のために王は一体何をするのか。それについては、DLCの影の城で手に入る≪王の受領のタリスマン≫のテキストに赤線の箇所にヒントがあります。

 

王の受領のタリスマン

 

”最初のエルデの王、ゴッドフレイの”

”雫の受領の様を象ったタリスマン”

 

このテキストから”エルデの王は雫を受領する”ということが分かります。雫の受領は王にとってかなり重要なイベントであり、”ミケラが神になるためには王の雫の受領が必要”でだったのではないでしょうか。以前考察した通り、結局のところミケラは古い雫(=最初の雫=琥珀)を得るために影樹の存在する影の地に赴く必要があったと考えられます。しかし、じゃあなんで神になるために王の雫の受領が必要だったのか…?次項では雫が持つ力について見ていきます。

 

雫の力とは

 雫の力が具体的にどんなものなのか。先ほど確認した≪王の受領のタリスマン≫のテキストですが、気になるところが他にあります。後半の青線が引いてある文章です。

 

王の受領のタリスマン

”王の受領は堂々と力強く”

”僅かに揺らぐことすらなかったという”

”黄金樹の王は、大地に聳える”

 

”大地に聳える”とはどういうことでしょうか?”聳える”という言葉をネットで検索すると次のように説明されています。”山などが非常に高く立つ。そそりたつ”。なんとなく凄く大きいものが立っているイメージが湧きます。このイメージと何か繋がる存在はないでしょうか?以前の考察記事でも見ましたが≪緋琥珀メダリオンのテキストにそのイメージのヒントがあります。

 

 

琥珀とは、黄金樹の古い雫であり”

”それは生命の原始的な力を宿している”

 

このテキストから、”琥珀(=雫)には生命の原始的な力を宿している”ことが分かります。以前は、単純に「生命の源になるんやろな~」ぐらいの感想でしたが、今回はもう少し踏み込んだ見方ができそうです。”原始的な力”にはもう少し具体性があるのです。それが一体何なのか?≪坩堝鱗のタリスマン≫のテキストを見ていきましょう。

 

坩堝鱗のタリスマン

”古い時代、人の身体に生じたという”

”諸相の混ざった鱗のタリスマン”

”それは、生命の原初たる坩堝の名残である”

 

このテキストから”人の身体に生じた鱗は坩堝の名残であり生命の原初である”と解釈できます。≪緋琥珀メダリオンのテキストに書かれている”生命の原始的な力”というのは坩堝の名残を指しているのではないでしょうか?しかし坩堝の名残と言っても角、羽、鱗、花など様々なものがあります。一番”原始的な力”と言えるのは何でしょうか?その答えはラウフの古遺跡で手に入る≪全ての坩堝のタリスマン≫のテキストに書かれています。

 

全ての坩堝のタリスマン

 

”坩堝の諸相、その全てが混ざった巨大な塊”

”かつて、巨人の身体に生じたものとされ”

”塔の神話では、坩堝の母とも呼ばれている”

 

このテキストから”角、羽、鱗などの坩堝は巨人の身体に生じた巨大な塊”と分かります。すなわち元々巨人が存在し、その巨人から巨大な塊が生まれ坩堝が生じた(又は巨人の内部にある坩堝が発露した)のです。よって”生命の原始的な力”とは巨人のことではないでしょうか。王の雫の受領を”大地に聳える”と表現して湧いてくる大きなもののイメージは、雫の受領が実質的に巨人の力を得ることを示しているのではないでしょうか。巨人の力=大樹の力と言えるかもしれません。

 という訳で王は雫の受領によって巨人の力を得るのではないかと分かってきましたが…だからなんなんですか?って話ですね。その辺りも頑張って考察していきます。

 

巨人の力とは

 前項では、王が雫を受領することにより巨人の力を与えてくれるのではないかと考察しました。しかし巨人の力とは具体的にどういったもので、なぜそのことが神と関係しているのでしょうか?その辺りを考察するために、王都ローデイルで手に入る≪ハンマー≫のテキストを見ていきましょう。

 

ハンマー


”鍛冶仕事は、古くは巨人の技であったといい”

”この武器の打撃は、とても重い”

 

このテキスト通り、鍛冶仕事は重い打撃を繰り出せる巨人にとって得意分野だったことが分かります。おそらく”巨人の力を得ること=鍛冶の能力を得る”のだと思います。しかし王が鍛冶なんてできて何になるのか?いえいえ、狭間の地において鍛冶仕事は特別重要なことなのです。鍛冶仕事が特別であることが分かる≪トロルハンマー≫のテキストを見てみましょう。

 

トロルハンマー

 

”これは古い祭具、鍛冶道具であるという”

”古では、鍛冶とは神事であった”

 

このテキストから、エルデンリングの世界では鍛冶とは特別であり神事であったことが分かります。神事と出てきたことにより神に近づいてまいりました。しかし鍛冶と神にどんな関係があるのでしょうか?そのヒントは≪マリカの鎚≫にあるので、そのテキストを見ていきましょう。

 

マリカの鎚

 

”女王マリカが、エルデンリングを砕こうとし”

”ラダゴンが、それを修復しようとした得物”

 

このテキストから、鎚を使ってエルデンリングを砕いたり修復できることが分かります。そんなことは多くのプレイヤーが知っており今更…と思うかもしれませんが、このことが今回の考察では重要です。何が言いたいかと言うと、”エルデンリングを修復すること”は”鍛冶仕事”と言い換えることができるのです。王であるラダゴンには巨人のように神事的な鍛冶をする能力があったということです。つまり”ラダゴンは王になり、雫の受領により巨人の力を得て、エルデンリングに干渉できる鍛冶の力を得た”と考えることができるのではないでしょうか。

 

ゲームオープニングより

ですからエルデンリングを形成し神に組み込むのは王の役割であり、そのエルデンリングを神人が受領することにより神となり、神がその律を体現するのではないでしょうか。実際、プレイヤーがエルデンリングを鍛えて直接変化をもたらすことはできないものの、手持ちのルーンで様々なエルデンリングの形を選択できます。

 

様々なエルデンリング

 

また、エルデンリングの意匠はゲームパッケージとファルム・アズラ、王都ローデイルで見られますが、やはり形が違います。

 

エルデンリング比較

パッケージと王都ローデイルのものは分かりにくいですが、弧の有無の違いがあります。これは王が変わったことにより律が変化しているのだと思います。

 このことから、角人の老婆がマリカを”奸婦”と罵しっており、マリカは多くの伴侶を持った事実が分かりますがその理由も見えてくるのではないでしょうか。マリカが様々な王を伴侶としてきたのはエルデンリング、すなわち律の変更を試みた結果であったと考えられます。黄金律とはラダゴンの介入によってできたものであり、それ以前のゴッドフレイの時代ではまた違った”黄金樹の律”があった可能性があります。ミケラが望んだ律はラダーンが王でないと実現し得ないものだったのかもしれません。

 しかし、一つ疑問が出てくると思います。なぜ王ではないマリカがエルデンリングを破壊することができたのか。それはもうこの一言で解決です。”ラダゴンとはマリカである”からです。自分自身であるラダゴンが王であったため、マリカがエルデンリングを壊すことが可能になった…いや、それを狙ってラダゴンを王にした可能性もあるのではないでしょうか。

 蛇足にはなりますが、王の役割が分かったことで、≪ミドラーの狂い火≫のテキストの意味も見え方が変わってきます。

 

ミドラー

”狂い火の王は、焼き溶かす”

”苦痛、絶望、呪い。あらゆる罪と苦しみを”

”だがミドラーもまた、王としては弱すぎた”

 

このテキストから、”ミドラーという王は弱いことが原因で、狂い火の王としての役割、あらゆる罪と苦しみを焼き溶かすことが果たせない”と読むことができます。律なき律と言え、狂い火の王も他の王と同様に、この世界の理である律に介入するためにはエルデンリングへの介入が必要で、雫の受領し巨人の力を振るうにはそれなりの強さが必要であり、故に弱き王にその権利はなかったのではないでしょうか。強さこそがエルデの王の証明であり神の伴侶となる資格だったのでしょう。

 ということで今回の考察は以上です。次回は地下世界の石碑の考察について訂正し生命の起源の謎にせまりたいと思います(内容は予告なく変更する場合あり)。

 

おわり

 読んで頂きありがとうございました。もうちょっと情報欲しいです。DLCゴッドウィン編ください。

久々にFF10のエンディングを見て

 

 どもども、こんにちは。YoutubeのおすすめにFF10エンディング反応集みたいなのが流れてきまして約20年ぶりにFF10のエンディングを鑑賞しました。ちょっと初プレイとは違った感想になったので備忘録を兼ねて記事にしておこうかと。まあ大した話でもないので軽く読んで頂ければと思います。

 

どんな動画

 動画は配信者たちがエンディングでボロ泣きしているところを紹介したものなんですが、ユウナの演説の過去のモンタージュシーモアとユウナのキスシーンが出てきたところで多くの配信者が「はぁ~?!」とか「おいおい(失笑)」みたいな反応で笑ってしまいました。しかし笑ったと同時に、このシーンが入ってくるのはなんともゲームらしくて良いなーと少しジーンとしてしまいました。

 

ゲームらしさ

 このシーンの前後のユウナの発言は「いなくなった人たちのこと時々でいいから……思い出してください」なんですが、じゃあこのモンタージュって誰の記憶なんですか?というと恐らくプレイヤーなんですよね。初めはユウナの思い出かな?と思ったのですが、このシーンにユウナも出てくるのでユウナ視点だと自分は出てこないはずなんです。このシーンは、最後の最後に、長かったゲーム体験をプレイヤーに思い出してもらうためのものだと思います。これがなんともゲームならではの演出で良いな~と。ある意味、ユウナはメタい発言をしているとも捉えることができるんですよね。

 また、ユウナの「いなくなった人たちのこと時々でいいから……思い出してください」ですが、私は英語版で見たので「The people and the friends that we have lost, or the dreams that have faded... Never forget them.」となっていて言葉が追加されていました。和訳すると、「いなくなった人たちや”消えさった夢”を…忘れないでください」となります。この表現に対して「the dreams that have faded ってほとんど忘れてしまった俺の20年前のゲーム体験のことやーん!!」と二重に感慨深くなりまして。ユウナを通して製作者に「たまにはFF10のこと思い出してね」と言われてるみたいで… まあ普通に考えれば召喚されていた夢のことであって、20年振りに見る人を想定した内容ではないのでしょうけど…

 製作者の意図がどうだったのか分からないですが、まあ、そんなことを思ったよ、ぐらいの話です。ではでは

(エルデンリングポエム)外なる神

 どもども。考察カテゴリに入れてますが今回はポエムっぽいやつです。考察書いてたらいつの間にか出来上がったものです。ボツにするのもアレなんで投稿しました。意味分かんない感じなのでトイレで気張ってるときにでも読んで頂けたらと思います。

 

外なる神について

 エルデンリングの世界では「外なる神」という存在がテキストで現れてくる。しかし実際の容姿は分からないし目に分かる形での影響もない。この「外なる神」という存在、一体なのだろうか?という訳で、その存在について少し回りくどく論じてみる。

 まず、エルデンリングのゲームの話ではなく私たちが住んでいる現実世界のことについて話していく。人間に限った話ではないが、私たちが生きているこの世界では命あるものいつしか死んでいく。合理的に考えれば、この死という現象は進化の仕組みの一部と捉えることができる。生き物は、日々世代毎に変化する環境への適応を強いられており、適応できなかったものは死に、適応できたものは子孫を残し(子孫を残したものが適応できたと言った方が良いかもしれない)…そして残された子孫も、また環境適応を強いられ、”死”と”子を為す”という分岐した道を選択していく。もし生物に死が無いとなればどうなっていただろうか?人間の遠い祖先としてカンブリア紀ピカイアがいるが、もしそのピカイアが不死であった場合どうなっていただろう?どんな環境でも死なない…それはもう、これ以上環境適応の必要はなく子孫を残さない存在ではないだろうか。そうなると、今ここに存在している人間も存在していなかっただろう。もちろん多くの生物がこのピカイアから枝分かれし産まれてきたのだから、今生きている人間だけでなく地球上に現存する多くの生物は誕生していないだろう。しかし、そのピカイアは実際には不死ではなく様々な個体を生みこの世から去っていきました。そしてまたその生み出された個体が自然淘汰の篩いかけられ生き残ったものが、また、自分とは似ているが少し違った個体を生み出し…これを5億年もの長い間繰り返し、私たちという人間がここに存在する。そして現代の私たちも、冷酷ですが、その進化という過程を強いられている訳である。

 しかし、進化や統計などの視点から合理的に私たち人間の存在を見て、進化の過程上、死は仕方がないと思ったとしても死というものはやはり中々受け入れがたいものである。多くの人は、大切な人の生死を別つ場面では神に祈ったり、安寧の地への赴きや輪廻転生を願わざるおえない。そして、それは恐らく、死のルーンという存在を知っている”神”とて例外ではないのではないだろうか。神という存在も死や大切な人への不幸を恐れ、自分たち神の世界の外の神「外なる神」を信じ祈ったのではないか。

(エルデンリング考察)神たる資格

 

 

※2024/06/14追記:いろいろと修正したいところ追加したいところがあるのでまた後日修正版を出すかもしれません

 

DLC発売後の考察はこちらです王と神の関係

 

 エルデンリングDLC Shadow of the Erdtree 全裸待機勢の皆さん、どもども。今回は神たる資格(神に必要な資格)について考察を書いていきます。少しとっちらかっていますが頑張って読み取ってください。お願いします。

 

 

神たる資格とはなんぞ?

 ゲーム内では「外なる神」や「大いなる意志」などの神的な存在が仄めかされていますが、ここで言及する神は王を伴侶としエルデの地を統治する神のこと。具体的には”神であるマリカ””神候補である神人の3人(ラニ、マレニア、ミケラ)”のことです。この神・神人たちは神である為のある資格を有してると考えています。ノリで二本指が選んだんやろな~みんな可愛いし~(ミケラとか見たことないけど~)と鼻を(二本指で)ほじりながら考えがちですが、そうではありません。理由がちゃんとあります。

 まずその資格が何なのか考察の結論を言っちゃいましょう。それは、子を産み落とす能力を有しているこ。恐らくこれが神に必要な資格でしょう。マリカと神人候補であるマレニア、ミケラ、ラニの三人の共通点は女性です。これは子を産み落とすことのできる母体を持つことが神たる資格であることを意味しているのではないでしょうか。では早速、神人たちが具体的にどのように子を産み落とすのか見ていきましょう。

 

マレニアの神たり得る資格

 ゲームをプレイしていて一番分かり易いのはマレニアだと思います。まず、ミリセントイベント終盤で手に入るタリスマン<<腐敗翼剣の徽章>>のテキストを見てみましょう。

 ”四姉妹は、エオニアの沼に生まれ落ち”

 ”ゴーリーの手引きにより、聖樹へと至った”

 ”だが彼女たちは、出来損ないの蕾であった”

 

聖樹の支えエブレフェールでミリセントと敵対する4姉妹が出てきたと思いますが、このテキストから、彼女らはエオニアの沼で産まれ落ちたことが分かります。今度は賢者ゴーリーの発言を見てみましょう。

賢者のありがたいお言葉

 ”…ミリセントは、私が拾い上げたのですよ”

 ”まだほんの幼い赤子の頃、エオニアの沼でね”

 

この発言から、ミリセントも同じくエオニアの沼で産まれたことが分かります。そして更に彼女はエブレフェールの祈祷室でこんなことを言っています。

考察の魔の手が伸びてるとも知らずべらべら喋るミリセント

 ”実は、私はマレニアの血縁のようなのだ”

 ”私が彼女の子なのか、妹なのか、あるいは分け身なのか、それは分からない”

 ”けれど確かに、彼女との間に、近親の繋がりを感じるのだ”

 

これはもう、「マレニアには意志(のようなもの)を継いだ子を産み落とす能力があるよ!」とミリセントからの魂の叫びです。恐らくマレニアは蕾と関連した子を産み落とす能力を持つと考えられます。

 話は逸れますが、また、メリナも”母を知らない”、”使命に突き動かされいる”、”旅の服”とミリセントと共通点が多いので恐らくデミゴッドレベル以上の誰かから産み落とされた存在だと推測できます。

 

ラニの神たり得る資格

 次はラニですが、子を産み落としそうな描写があったか!?って話ですね。まあ無いです。しかし直接の描写が無くとも間接的に解明できます母親のレナラに目を向けてみましょう。レナラにも子を産み落とす能力があり、恐らくラニはそれと似た能力を受け継いでいるのではないでしょうか。

レナラの子を産み落とす能力

 まず、ボスとしてレナラと対峙するときに印象的なのは無数の這いずり回る子供です。この子たちはどうやって産まれてきたのでしょうか?その答えは、カーリア王家の裏にある墓地で入手できる<<幼年学徒のローブ>><<産まれなき者の大ルーン>>のテキストに書かれています。

幼年学徒

”レアルカリアの長たる女王レナラ”

”その琥珀のタマゴにより産まれ直した”

”幼年の魔術学徒のローブ”

 

生まれなき者

”レナラの、産まれ直した子供たちは”

”皆脆弱であり、また短命である”

”それは完全ではなかったのだ”

 

これらのテキストからレナラが”琥珀”を使用して不完全な産まれ直しを行っていると読み取れます。そしてこの事実と主人公の褪せ人が”雫の幼生”を使用して完全な産まれ直しができることから、こう推測することが出来るのではないでしょうか。”琥珀”が実体を持たない(又は、脆弱な実体しか持たない)魂や意志のようなものを生み出し、それに対してレナラが雫の幼生を使うことによって完全な”子”を産み落とすことができると。レナラの子を産み落とす能力は満月と関りが深いと考えていますが、少し長くなるので今回は割愛します(余裕があれば別で記事にします)。

 という訳で、レナラには子を産み落とす能力があり、その能力をラニは受け継いでいると考えることができます。次は少し横道に逸れますが”琥珀”と”雫の幼生”について深堀していこうと思います。

琥珀と雫の幼生の関係

 更に琥珀”と”雫の幼生”の関係を示唆する興味深いイベントがあります。聖別雪原の棄教の廃屋でのラティナイベントです。ここでは”大きな妹”に対してラティナはこう語り掛けています。

 

高身長女

 

”受け入れておくれ、最初の雫を”
”そして命を為しておくれ。我らすべてのしろがねのために”

 

そして”大きな妹”の前には<<白銀の盾>>が置かれています。このテキストも見てみましょう。

 

白銀の盾

琥珀の埋め込まれた、輝く白銀の盾”

”その形は、密かに雫を模しているといい”

 

これらのことから、白銀の盾は”琥珀”と”雫の幼生”が合わさることによってしろがね人は不完全な形(足が弱く短命)での生ではなく完全な生を与られることを表しているのだと考えられます。ラティナが”大きな妹”に残した”最初の雫”とは”琥珀”であり、それをもって究極完全体しろがね人であろうとしたのではないでしょうか。

 ここでちょっと琥珀ってなんぞ?という話をしておきます。<<緋琥珀メダリオン>>のテキストを見てみましょう。

メダリオン

琥珀とは、黄金樹の古い雫であり”

”それは生命の原始的な力を宿している”

 

このテキストから琥珀とは黄金樹の古い雫でありエルデの世界で生命を生命たらしめている力があると読み取れます。琥珀=黄金樹の雫なのです。ですから”最初の雫”=”琥珀”=”黄金樹の雫”と言えます。

 そしてラティナイベントの解釈を合わせるとなぜミケラが聖樹を作ろうとしたのか、②なぜしろがね人がミケラの聖樹を目指したのか、その具体的な理由が浮かび上がってきます。①の理由は聖樹を完成することによってその聖樹から生成される雫(琥珀)を作ることです。聖樹の支えエブレフェールには至る所に盃があります。これらは”聖樹からの雫”を願って造られたものだと考えられます。②はもちろん、琥珀を手に入れて不完全なしろがね人を完全なものとするためです。しかし聖樹から雫を生成する前にミケラは連れ去られた為、ラティナは”最初の雫”を求めて狭間の地を旅していたのではないでしょうか。

 

デミゴッドとの正体

 ”琥珀”と”雫の幼生”の関係性を読み解いたことでデミゴッドの正体についても考察することができます。<<産まれなき者の大ルーン>>にはこう書かれています。

 

”満月の女王、レナラの抱く琥珀のタマゴ”

”産まれなかったデミゴッドの大ルーン”

 

このテキストから琥珀のタマゴ”=”産まれなかったデミゴッド”と読み取れます。そう、琥珀はデミゴッドになるです。恐らくデミゴッドは”琥珀(黄金樹の雫)”と”雫の幼生”から何らかの儀式を経て生み出された存在だと思います。前項で琥珀から魂や意志といったものを生み出すと書きましたが、デミゴッドは琥珀から出来ておりデミゴッド自体から魂や意志が生まれてくるという仕組みではないでしょうか。ミリセントはマレニアを構成する琥珀から産まれし者と言えるかもしれません。

 また、デミゴッドを産み出すには何らかの儀式と書きましたが、そこには”王という伴侶”が絡んでくるのではないでしょうか。また、大ルーンが絡んでくる可能性もあるかもしれませんね!(詳しくは、、、分かりません!)

 又、レガシーダンジョン内の教会全て?に甕を傾けて雫を垂らしている様子を模した意匠や像がありますが、それは自分たちデミゴッドの出自である雫(琥珀)を信仰の対象にしていた証ではないでしょうか。

 

ミケラの神たり得る資格

 ミケラの聖樹や聖樹の支えエブレフェールにはのようなものがあります。恐らく繭が、マレニアにとっての蕾と似たような役割、子を産み落とす能力に関係しているのではないでしょうか。

 余談ですが、ミケラの行動(聖樹の完成、影の地への進出)の目的は全てゴッドウィンが理由なのかもしれません。デミゴッドにとって琥珀とは魂を司るものであり、”ゴッドウィンの魂の死”が意味するところは、”琥珀の破壊”。その破壊された魂(琥珀)の修復のために、ミケラは琥珀(黄金樹の雫)を求めて聖樹を作ったが叶わず。そういった経緯を経て最後の望み、”の地の原初の黄金樹の雫”を求めてモーグに敢えて捕らえられたのかもしれません。

雫が目的だった?

 

マリカの神たる資格

 マリカに関しては全く分からないです(汗)。王都ローデイルの意匠などからいろいろと妄想が膨らみますが…余裕があればいずれ…

 

まとめ

 かなりとっちらかってしまいましたが、簡単に纏めると、、、

琥珀”は魂を司る存在。その”琥珀”本体と”雫の幼生”が組み合わさったものがデミゴッド。そして女性のデミゴッドに限り、”琥珀”から”子のような存在”を産み落とす。その”子を産み落とす能力”が神になれる資格ではないか、

 という話です。分かり難くてすみません!

 

おわり

 最後まで読んでいただきありがとうございました。何かあれば気軽にコメントしてください。記事をもっと小分けにしてもう少し丁寧に説明した方が良いような気もしますが、DLCが発売してしまうと状況が変わってしまうので今のうちにという思いで…あと色々な情報が絡み合っているので大きな枠で捉えないと上手く書けなくて。

 まあ何はともあれDLCで何が明かされるのかワクワクしますね…トレーラー見ましたけど全然意味が分かりませんでした。ではでは

ファイナルファンタジー15感想


 今更ですがファイナルファンタジー15(PS4版)をクリアしたので感想をちょろちょろと。ネタバレありです

 初めてプレイしたRPGはFF5でFFシリーズは自分にとって特別な作品。FF1~FF13(オンライン除く)のナンバリングタイトルは遊びましたが、FF15発売当時はゲームから離れていたタイミングで遊ぶ機会を逃していました。思い出深いシリーズなので少し暴走気味なところもあるかと思いますがよろしくお願いします(※プレイしたのは通常版です。FF15関連のDLCや映画、小説の内容は知りませんのでその辺りはご了承ください)

 

 

全体所感

 ざっと纏めると、”グラフィックは凄い、バトルは悪くない、横道逸れるの楽しい、世界設定や物語は面白そう、けどシナリオが雑でもったいないゲーム”。世界観に魅力はあるので魅入られる人の気持ちも分かるし、シナリオの微妙さから酷評している人の気持ちも分かる感じです。個人的には楽しめましたしクソゲーは言い過ぎかと思いますが、FFナンバリングタイトルとしての期待に応えられている完成度かと言われれば厳しいと思います。フワッとしたことを言っててもあれなんで、具体的な感想を述べていきます!

 

グラフィック

 FF15はPS4で発売された作品で約8年前になりますが、とにかくグラフィックが綺麗で凄いと感じました。最新のオープンワールドゲームでも遠くを見るとペラッとしたグラフィックで遠近感が掴めないのですが、FF15は遠近感がしっかりしてて遠くを眺めたときのリアリティが凄くフィールドを移動していて気持ち良いです。オルティシエに着いたときも感動しました。

 また召喚獣も、グラフィックの良さも相まって今までのFFよりも重厚でこの世界のキーとなる存在感を醸し出しています。イベントシーンも意味は良く分からないが雰囲気が圧倒的なのでなんか良い感じです。

 

オープンワールド

 FF15がオープンワールドかと言われるとよく分からないのですが、ストーリーを進めるに当たっては分岐は存在しません。ストーリーとは全く無関係なクエスト(モンスター討伐など)もありますが依頼を受けると目的地にアイコンが表示され、そこに向かっていき到着するとまた次の目的地にアイコンが表示され…という流れです。アイコンを無視して自主的に世界を探索するといったことは自分の場合はほとんどありませんでした。ですから、”自由度の高い”オープンワールドを求めている人には物足りなさを感じると思います。初めは好き勝手色々な所に行ってみようかと思いましたが進めない所だったり見えない壁が多いので、すぐにクエストの指示通りに移動するだけに。進めない場所は地図で何かしら表示してくれたら助かったかなと。ですがエストをこなすこと自体は凄く楽しい。景色の良い中キャンプしたり釣りしたりパーティー4人は道中よく喋ってワイワイ楽しんでる感が良かった

 しかしオープンワールド的な楽しみ方ができるのは前半のみ。前半は広大なフィールドを移動できますが、後半はフィールドの無い一方的にストーリーが進む別ゲーになっています。この辺りはちょっと残念でしたね。

 

バトルシステム

 FFシリーズ初となるアクションバトル。個人的にはつまらないことはないが特段面白いこともないと言ったところ。勝負を分けるポイントが良く分からず回復しながらダラダラやってると大体勝ててしまうので緊張感は全くないが、怠過ぎることもなくちょっとした爽快感がある感じ(操作感はもっさりしているので凄く爽快感がある訳ではない)。ボス戦もイベント戦みたいなノリで手応えもあまりありません。まあストーリー重視のゲームだと個人的に思ってるので難し過ぎてイライラするよりかは良かったかな?

 APを使ってアビリティを覚える要素もありますが、戦闘での変化が少ないので強くなった実感が湧きにくいので少し空気でした(実際には楽になってると思いますが)。大技を覚えて使えるみたいな要素があれば戦闘での変化も分かり易いですし、キャラに技を覚えさせるインセンティブも出てきてクエストでの稼ぎも更に楽しくなったのかなーと思います。

 魔法は、道中で魔法の元となるエレメントを補給し、それをポーションなどのアイテムを組み合わせて精製し、装備をすることによって使うことができます。正直、この過程が倒でボス戦以外はあまり使いませんでした。遠距離から魔法を放つこと自体は楽しかったしエフェクトも綺麗だったのでもう少し簡単に扱えるようになってたら戦闘もバリエーションが出て良かったかもしれません。

 

シナリオ

 FF15の評判が悪い原因は恐らくシナリオではないでしょうか。とにかく話の作り込みが甘い上に、物語が8章までスカスカでそれ以降の章に詰め込み過ぎに感じます(全15章)。いくつか例を挙げて説明していきます。

 

パーティの3人

 まず、主人公と共に旅をする3人について。プロンプトは小さな時からの知り合い、グラディオラスは代々王家の盾として仕えている家の人物…ぐらいしか分かりません。人物描写も表面的なものしかなくキャラクター内面の魅力がほとんど分からず、悪い意味でプレイ後も第一印象そのままです。グラディオラスが意味深にパーティを途中離脱しますが、戻ってきても何の説明もありません。リヴァイアサン戦後もイグニスがいきなり失明していて具体的なことは全く分からず。終盤プロンプトがニフルハイム人だったことを唐突に告白してきますが、ニフルハイム人であることのいざこざも特にないのでどう受け止めて良いのやら。

 

敵対勢力

 ニフルハイム帝国についても同様です。ルシス王国と敵対している重要な存在ですが、全くと言っていいほど帝国内部での人間模様が出てきません。クリア後もイドラ皇帝?誰それ?という感想です(マジでどこいった?)。話の流れ的にはめちゃくちゃ憎むべき存在のような雰囲気ですが、憎むべき相手であることの描写が不足しているように感じました。その上アーデンが早くから出しゃばってきたこともありニフルハイム帝国の影は薄いです。これはプロンプトがニフルハイム人であることをどう捉えていいか分からないことにも繋がっていると思います。

 

世界設定

 そして、このゲームの世界について。世界設定は複雑に作り込まれてそうですが、ずっと作り込まれて”そう”止まり。光燿の指輪やクリスタルなど大事なことが悉く説明がない上、当事者である王子ノクティスやその仲間もこの世界に対して大して興味が無さげで色々知ってそうな人から情報を聞きだすこともせず流されるがまま。最後にノクティスが「覚悟して来たけど…やっぱツライ(意訳)」と吐露するシーンが流れますが、王としての責務や覚悟に本当に向き合ってんの?と感じられるほど受け身で正直感情移入があまりできなかったです。

 

 とにかくあらゆるところで込み入った話や描写を避けているように感じます。そうであるにも拘わらず、グラフィックや雰囲気の良さでちょっと感動してしまいますし、世界観にも引き込まれるものもあります。凄くもったいないゲームだと思います。

 

余談

 色々言いましたが、世間で言われているほど悪くないのでやったことない人は(大きな期待をせず)軽い気持ちでやって欲しいですね。雰囲気は良いのでハマる人はハマる感じだと思います。値段もかなり安いですし。自分は300円で買いました。P C版は高いですがロードが短いと思うので好みで。時は金なり。DLCもそんなに高くないので気が向けばいつか…

 それと、クリア後にFF15関連の情報をちょっと見てみましたが、かなり難産でノクトのセリフも本来予定していた量の1/3程度しか入れられなかったらしいですね。あと開発費回収のために本来本編に必要な内容をDLCに分割したんじゃないか?みたいな疑いもあるようで…(真偽不明)。まあ他のゲームには無い唯一無二の作品を作る地力はありそうだしFFシリーズ好きなので頑張って欲しいです。FF15から7年後に発売されたFF16もPC版出るっぽいしいつかやりたい(PS5持ってない民)

 ざっとしてますが、ここまで読んで頂きありがとうございます。ではでは。

(エルデンリング考察)影の地の場所

※エルデンリング考察記事は今後こちらで更新していきます

note.com

note.com

 

 

 みなさん、どもども、ドモボーイごなべです。

 

 今回は、エルデンリングDLC、Shadow of the erdtreeの影の地の場所について拙いですが考察を書いていきます。

※神やデミゴッドの出自の謎に迫る考察も書いたのでこちらもよろしければ

gonabe.hatenablog.com

 

 では早速、私が影の地だと予想する場所を言いましょう。この辺りです。

赤枠のところが影の地だ!

 

 影の地がここだと考える根拠を述べる前に、根拠に関わる、エルデンリングの世界で観測できるあるものについて説明します。

 

 

色を失くした太陽は実際に確認できる

 多くの褪せ人は聖樹の秘割符を得るためにソール城砦に立ち寄ると思いますが、ここの日蝕教会で<<蝕みのショーテル>>が手に入ります。この武器のテキストには、こう書かれています。

 

”蝕まれ、色を失くした太陽を象ったもの”

 

またこの場所にいる霊体の発言も見てみましょう。

日蝕教会の霊体

”おお太陽よ!ソールの冷たい太陽よ!”
”どうか、蝕まれ給え”
”魂無き骸に再誕をっ…”

 

聖樹の秘割符にいる霊体

”申し訳ありませぬ、ミケラ様”
”まだ、太陽は蝕まれませぬ。我らの祈りが弱いばかりに”
”貴方の友は、魂無きままなのです…”
”もう、見ることは叶わないでしょう”
”貴方の聖樹を”

 

これらの文章から、恐らく、”色を失くした太陽”は死王子ゴッドウィンなどが連想されると思います。しかし実際には他のものを指しています(勿論死王子との関連は深いと思いますが)。じゃあこの”色を失くした太陽”とは何なのかそれは風車村ドミヌラで確認できます。

 

この村では皆和気藹々と踊っています。過酷な長旅に疲れた褪せ人にとっては単なる癒しのステージに感じるプレイヤーが大半だと思います。しかしただ全員が踊り狂っているわけではありません。ボスである神肌の使徒が出現する手前では敬虔に祈っているような、又は、崇めているような村人もいます。

 

崇めている?

この村人たちは何をしているのでしょうか?神肌の使徒を崇めているのでしょうか?実はこの人たち、”色を失くした太陽”を崇めているのです。この村人たちの先を見てみると霧がかって何も無いように見えますが、よく見ると、波紋のようなものが見えます。

わかりにくい

見え難いので色調を弄ります。

見えますか?

波紋のようなものが見えますね。しかもこの波紋、時間が経つにつれてじわじわ上方に移動します。

徐々に高くなっていくぅ~

画像では微妙な気もするので動画も撮ってみました。

youtu.be

波紋の他に、広範囲に覆っている布のようなものや崖下の方向には木が見えます。

 

この波紋のようなものの中心が”色を失くした太陽”です。

ゲームの仕様上、変に見えてしまってるだけか?と思いましたが、話が繋がる点が多いのできっとまだ見つかっていないと言われているものの正体ではないでしょうか(既出だったらごめんなさい

 

影の地の場所の根拠

 ではここからこの太陽を元に影の地が上記の場所だと考えた三つの根拠について説明します。

影の地を隠す役割をしているのは”色を失くした太陽”ではないか?

 これはDLCの下記画像からの推測ですが、DLCの舞台全体がヴェールで覆われているように見えます。

公式画像

恐らく、影の地はヴェールで全体を覆われている可能性があります。そしてヴェールで覆われた影の地を見えなくする役割を担っているのが、上記で説明した”色を失くした太陽”ではないでしょうか(又はヴェール=色を失くした太陽)。恐らく、影の地を隠すたためのものが太陽のように見えるので信仰の対象になったのではないでしょうか。またドミヌラから見える波紋の模様は全体を見るとどことなくヴェールのように見えなくもありません。

布のようなオーラのような(色調は弄ってます)

そしてドミヌラ周辺を覆っているということはドミヌラ周辺に影の地があるということです。

 またソール城砦の聖樹の秘割符が手に入る場所の霊体の発言から、影の地に聖樹があり、”色を失くした太陽”によってミケラはその地に赴くことができない状態だと解釈できるのではないでしょうか。

 

②祈祷<<火の大罪>>の入手場所

 祈祷<<火の大罪>>にはこう書かれています。

原初

 

”黄金樹を焼くは、原初の大罪”

「原初」と書かれています。これは二つの意味で捉えることができます。一つは、プレイヤーが焼く以前にも黄金樹は焼かれたことを示唆していること。もう一つは現存する黄金樹の話ではなく原初の黄金樹が存在しそれが焼かれたと示唆していること。この二つを指しているのではないでしょうか。そしてこの祈祷が拾える場所はどこか?そこは、風車村ドミヌラの崖際、”色を失くした太陽”が見える場所です。ここから原初の黄金樹が燃えるのを見ることが出来ただろうことを示唆しています。わざわざ”色を失くした太陽”が見れる位置に配置されていることは原初の黄金樹の場所=影の地の場所を示しているのではないでしょうか。そして上記動画にてちらりと見える木が関係しているのではないでしょうか。(日陰城北東の崖際からも確認できます)

 

③死の根の底が真下にある

 上記でソール城砦の霊体の発言を引用しましたが、その中で”貴方の友は、魂無きままなのです…”とあります。恐らくこれはゴッドウィンを指し、ゴッドウィンは影の地と深い関係があるのだと思います。死の根の底では異形のゴッドウィンの影響が広範囲にわたっていると思いますが、地図を見てみると最初に赤枠で示した影の地の真下にまで死の根の底のマップが及んでいることが分かります。

根らしきものが影の地と予想される範囲まで及んでいます

 

ゴッドウィンへの言及からも位置的な関係があるのではないでしょうか。

 

以上3つのことから影の地の場所を考えました。リムグレイブよりちょっと大きい気もしますしここでしょう!

 

おわり

 DLC発売までにもまだまだ興味深い話が出てきそうですね。発売から2年経っても楽しめるエルデンリング、恐ろしいです。

マザーボードの選び方

 みなさん、どもども、ドモボーイごなべです。

 

 今回は初PC自作を終えて、マザーボードについてここは押さえておいた方が良かったな~と感じた点について書いていきます。かなり適当にマザーボードを選んであとから色々な気付きがあったもので記録しておこうかと。失敗とまでは言わなくとももっと良い選択肢はあったように感じています。今使ってるのもので十分ではあるのですが、2000円程度足せば更に機能が充実したものを買えた可能性も。

 

 個人的にマザーボードにおいて気にした方が良いのはサイズとVRM。CPUのソケットの形状やUSBなどの端子、拡張できるストレージの数などはすぐ分かると思うので割愛します。

 

マザーボードのサイズ

 マザーボードには、ATXMicroATXMini-ITXといった大きさの違ったマザーボードがあります。この中では、Mini-ITXが一番小さくミニPCを組むときに重宝します。勿論小さいので、他のサイズのものと比べると拡張性などが劣ります。また、値段も高いです。この中で一番大きいのはATXですが、拡張性が高く、あとから色々とパーツを付け足す余地が多くあります。また、某キャプチャーボードメーカーの配信で言及されていたことなんですが、サイズが大きいので通信回路や電源回路の設計に余裕がありノイズなどが乘り難いらしくキャプチャーした画像が乱れにくいといった利点もあるらしいす。他のサイズでもキャプチャーボードなどの使用は普通にできると思いますが、大きいと不具合が出にくいといったところでしょうか。そしてATXとMini-ATXの中間がMicroATXとなります。

 予め自分の欲しいM.2 SSDのスロット、PCIeスロット、ファンの電源コネクタなどの数を見積もってそれにあったマザーボードを選択するのが良いと思います。まあ極小PCを組みたいならMini-ITX一択です特に小さいPCにしないのならMini-ITXを選択することはないと思うので、一般的にはATXMicro-ATXの二択でしょうか。

 

VRM

 VRMとはCPUに送る電流を制御する回路で、VRMの性能の優劣で使えるCPUのスペックが決まってきます。CPUの性能が高くてもVRMが貧弱だと動きはするもののすぐ高温になってしまいサーマルスロットリングが起きて性能を最大限に引き出せません。ですのでVRMの性能がどの程度のものなのかの確認が必要です。VRMの優劣は、フェーズ数、ヒートシンクの有無、回路の種類の3つで決まってきます。フェーズ数が多ければ多いほど良いです。回路もDr.MOSなどを使用していればより良いです。ヒートシンクもあった方が良いです。しかしフェーズ数が多いが回路にDr.MOSが使われていないというパターンもあり実際に使ってみないと優劣を測りきれないところがあります。そういった場合はネット上のレビューなどを参考にしていきましょう。

 私が購入したマザーボードのフェーズ数は8で回路にDr.Mosは使われておらずヒートシンクが着いていませんが、i5-12400程度なら何の問題もありません。恐らくi5-13500辺りまでは大きな問題はないのではないでしょうか。それ以上のK付きモデルやi7となってくると対応できないと思います。フェーズ数が6個などになってくるとi5-12400,13400でも厳しくなりi3-13100などが限界になってくる感じです。

 個人的には目安で良いのでどれぐらいの消費電力(PL1、PL2など)のCPUがターゲットなのか明記しておいてくれよ!と思うのですが…そりゃあどのCPUクーラー使ってるとかエアフローがどうだかで少し変わってくると思いますけど流石に怠慢だろうと。オープンフレーム+リテールクーラーの条件で10分間なんかのベンチマークテスト的なものを回してサーマルスロットリングが起きない消費電力とか頼みます。

 

まとめ

 高いマザーボードを買えば機能がもりもりでハイスペックなCPUにも対応しているので将来性を考えると良いと言えます。しかし、せっかく低価格帯のCPUを選んだのにマザーボードが高いせいで、BTOで買うのと同等の値段、またはそれ以上になってしまうのも個人的にはなんだかな~と思ってしまいます。世代が跨ぐとソケットが対応しておらず、スペックに物足りなくなって新調となると結局マザーボードも新しいのが必要になる可能性も高いです。それなら初めから良いCPUを検討に入れて~とまた値段が跳ね上がり負のループ…しかもCPUって古い世代の中古でもあまり安くないんですよね。今現在私はi5-12400を使っていますが、例えば将来的にi5-13400やi5-13500に新調しようと思っても大して安くなっていない可能性が高いです(高くなっている可能性もある)。試しに2世代前のi5-10400fの価格を調べてみましたがi5-12400fとほぼ同じ値段()です。将来的に急激な円高でも来ない限りは微妙でしょう。

 そんな感じのことを考えていたら13400か13500にしとけば良かったかなぁ~とか思い始め…まあ別に今ので足りてるんですけど。

 自作は短期的には安いが長期的には高くつきます(物欲が刺激されるため)