「ネッ友」という言葉は古いのだろうか。
昨今、インターネット上で知り合った人と現実で会うことが、良くも悪くも普通になってきている。思い返すと私も漏れなく「インターネットで知り合った人と友達になった」ことがある。
時は遡り、Nintendoの3DSが全盛期だった頃。(懐かしい)
3DSには「フレンドコード」という一意の番号が存在した。それを3DSを持った友人とお互いのフレンドコードを教えあい登録することで、オンライン(3DSで遊んでいる状態)かどうか確認できたりする機能があった。
幼き日の私は「もしかしてインターネットにフレンドコード書いている人がいるのでは?もっと多くの人とフレンドになれるのでは!」と思い、早速3DS内にあるブラウザ機能から検索すると、見事ヒット。
何人かに「交換しましょう!」と声をかけた。実際に交換できたのは、2,3人くらいだったと思う。(交換できるんだー!と知ることが出来ただけで満足だった記憶)
交換したなかで同じ年齢で気が合った女の子、Aがいた。その子とは、最終的には文通するまで仲良くなった。同じく絵を描くことが好きということも気が合ったきっかけだった。
文通するとなると、お互いの住所を教えなければならない。一応、インターネット上で知り合った素性の知らない人ということで警戒はしていた。そのため、3DSの「いつの間に交換日記」というソフトを使って交流を深め、変な人(年齢や性別偽っている人)じゃないよね、ということはしっかりと確認していた。その上で、親に許可を得て文通をしていた。2,3年くらい続いていたと思う。ただ、3DSの衰退とともに交流がなくなっていった。
もちろんフレンドコードを交換した中には、Aのように文通が出来るほど仲が良くなった人ばかりではない。ネット上の関係だからといってこんなこともあったのを覚えている。
「とびだせどうぶつのもり」で、インターネットを経由して私の村に通信で遊びに来ていた女の子Bがいた。Bもたしか同い年くらいで、Aから紹介してもらった。ゲーム内でチャットでコミュニケーションを取ることが出来るため、Bが私が家の周りに植えていたスズランに興味を持ったようで
「いいなースズラン」
とチャットがきた。スズランは、とびだせどうぶつのもりのゲーム内では、一定の条件をクリアしなければ咲かない花。そのときの私はものすごく頑張っていたため、5つ程植えていた。いいでしょ、頑張ったんだよ、という意味で
「いいでしょ~(決め顔のジェスチャー)」
と送った。今考えるとめちゃくちゃに煽っているなと思う。若気のいたりと言うことにしておきましょう。()
すると少しして突然「Bさんがお帰りになります」とゲーム内に流れた。このときの私は「あー、もしかして通信状況悪くて切れちゃったかな~」と思っていた。当時は、通信しているときは自分、もしくは相手の通信状況が悪いと強制的に自分の村に帰らされていた。今回もそのパターンだと思ったのだ。通信状況が悪いとチャットで「ごめん、通信悪かったぽい」と連絡して、再度通信し直すのが主流であった。たまに「ごめん、ごはん食べるからおちるわ」ということもあった。懐かしい。
しかし、その子から一切連絡がない。それどころかオンラインかどうか確認できなくなった。どうしたんだろうな~と思い、なんとなくゲーム内の自分の家に帰ろうとするとスズランが1つなくなっていた。事件現場に遭遇した気分だった。花の上を走ると散ってしまうため、大事な花を植えている家の周辺では走らないように徹底していた。そのため、散ったということは考えられない。これは確実にBが何の断りもなく取った...盗んで行ったのだと確信した。
AにBがオンラインになっているか確認してもらうと、オンラインになっているとのこと。おや?私の画面ではオンラインになっていないぞ...これはつまり、スズランを盗んで気まずくなるからフレンドを消した、あるいはスズランをゲットできればお前は用済みさ☆ということか、と納得した。
そりゃそうだよなーいい人ばかりじゃないよなー、と学んだのだ。
インターネット上で出会う人は、良い人ばかりでも、悪い人ばかりでもない。私たちの世代が、SNSが普及する前にインターネットである程度のリテラシーを学べたことは良かったのではないかと思う。
今後もますます、子どもたちとインターネットやSNSの付き合い方に向き合う必要がありそうだ。