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2008年12月22日
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さて、「かみぽこ政治学」です。

麻生内閣の支持率が
20%台前半にまで急落したね。

ふう。。。

麻生首相については、
「かみぽこ政治学」の
はじめの頃から

「小泉人事」

に翻弄されたり、
総裁選での

「数の論理」

に泣き続けたりで、
何度も書き続けたものだ。

ただ、それは麻生首相の
政治家としての手腕を
高く評価してきたからこそ
政局に翻弄される姿が
ある意味絵になってきたというか
書きやすかったわけだ。

だから、私は常に
麻生首相に対しては
激励の気持ちを持って
書いてきたつもりだ。

それが、首相になったとたん、
どうしちゃったのだろうね。

麻生首相の支持率低下の原因は、
まず、首相の度重なる

「失言」、

次に、定額給付金など
第二次補正予算を巡って
首相の方針が二転三転したり、
なにより、

「まずは景気だ!」

と言い放って、
衆院解散を先送りしながら、
第二次補正予算の国会提出を
年明けの通常国会に先送りした

「政策の迷走」

だということらしい。

そして、支持率の低下によって、
自民党内から、様々な麻生批判が
起こってきた。

麻生内閣への求心力は急速に失われ、
与党税制改正大綱で
麻生首相が指示した
消費税引き上げ時期の
明示がなされないなど、
政策の検討に対する与党への

「首相指示」が

公然と無視されるなど
これまでありえなかったような
事態が起こっている。

うん。。。

私はずっと麻生首相の
閣僚時代の手腕を
評価してきたからかも
しれないけれども、
麻生首相の「失言」とか
「漢字の読み間違い」とか
そういうのは、
麻生内閣の迷走の
本質的な原因ではないと
思うんだよね。

というのは、むしろ
麻生首相の就任直後の
初動の誤りに問題があったと
考えるからだ。

前回に続いて、
私が某所に書いた
文章を取り上げるけど
(2008年10月14日
民主党への安易な挑発が、麻生首相の経済対策を困難にする

麻生首相は、

「次の総裁の仕事は、
あの小沢一郎と戦うことだ!」

言い放って、
与党議員に対して自らが

「選挙の顔」

であることを期待させて
総裁選を勝ち抜いた。

おそらく、公明党に対しても、
「すぐに総選挙をやる!」と
軽口を叩いていたはずだ。

だから、公明党も総選挙に走った。

10月の時点で、
このブログの掲示板に
このようなことを書いた時は
あまりそうだと思う人は
いなかったかもしれない。

麻生首相は公式には

「総選挙について話したことはない」

と、言ってたからね。

しかし今、私が
麻生首相が軽口を
叩いていたと言ったら
そうだよなあと思う人が
多いんじゃないかな。

要するに、麻生首相は
「選挙の顔」として
与党から期待されると同時に、
麻生首相自身も選挙を煽り、
与党議員を選挙に走らせた。

ところが、彼はそんな与党議員の
梯子を外すようなことをした。

麻生首相は欲を出してしまった。
やはり、

「とにかく、どんな形ででも首相に1回なれればいい」

というものではなく、
首相になれば

「やりたい政策を実現したい」

という思うものだからだ。
(2008年10月8日
麻生太郎の「茨の道」:自民・民主・公明は選挙後どう動くか。(後編)

麻生首相は景気や金融危機を
自分の手で解決したいと考えた。

しかし、繰り返しだが
そのやり方があまりに稚拙で
戦略性がなかった。
(2008年10月14日
民主党への安易な挑発が、麻生首相の経済対策を困難にする

既に書いたように、
「選挙の顔」を期待させて
梯子を外したこともそうだけど、
それとともに、
麻生首相が自らのことを
政界には数少ない
「企業経営の経験」を根拠に、
政界の誰よりも
ビジネスの現場を知っている、

「自民党随一の経済通」

だと思い込んでいて、
自分が景気・金融危機を
解決することを
与党内の議員たちも
支持していると思ったのが
間違いだった。

与党内の多くは、麻生首相に
経済を任せたいと
思っていたわけではなかった。

また、政策の中身についても
定額給付金(元々、定額減税)など
いわゆる「バラまき」的な
政策について、
与党内にコンセンサスが
なかったわけだ。

そもそも自民党内では

「財政タカ派」VS「上げ潮派」

が、経済路線の対立軸だった
わけだからね。

つまり、「定額減税」という
「バラまき」は、
麻生さんが幹事長になった時に
突如、公明党と組んで
始めたわけで、
自民党内のほとんどは
寝耳に水みたいな話だったのだ。
(私は、この麻生さんの勝手な行動が
福田内閣総辞職の引き金を引いたと思っている。
=2008年9月2日
福田首相辞任に思うこと。

つまり、経済路線について
麻生さんは自民党内で

「異端」

でしかなかったわけだ。

だから、麻生さんが

「定額給付金」(「定額減税」が
いつのまにか「給付金」に変わった)

を、打ち出した後、
自民党内から細部について
異論・反論が続出したのは、
ある意味必然だったと言える。

麻生首相と与党の間で
ちゃんと打ち合わせが
できてないんだからね。

その上、国会対策委員会での
民主党との早期解散の約束を
反故にしたのはムチャだった。

更に、施政方針演説で
いわゆる「逆質問」をやって
民主党をカンカンに怒らせた。

結果、麻生首相が
解散しないとわかった途端、
民主党は徹底的な政府攻撃に転じた。
 
そして、それが原因で
支持率低下となると、

「『選挙の顔』として
総理・総裁にしたのに
話が違うじゃないか。。。」

ということになるし、
自分の選挙が
本当にヤバくなってしまって、
与党内はパニックになってしまった。

結果、麻生内閣は福田内閣以上の

「死に体」
に陥ってしまった。

そして、その結果浮き上がってきたのは、
このエントリーで書いたように、

「世代間闘争」

であった。
(2008年9月2日
金融危機の政局(2):旧「政策新人類」の復権はなるか。

麻生首相の景気・金融危機対策が、
「異端」の政策を押し付けて、
結果、支持率を低下させると
いうものだったから
かつて「金融国会」で活躍した、

「政策新人類世代」
(このブログでは「93年組」と
呼んできた)
 
が浮上し、麻生内閣批判を展開し、
今後の政局の新たな対立構図となった。

彼らは自民党では
塩崎官房長官など
安倍内閣で入閣し
度重なるスキャンダルや
年金問題への対処に失敗して
「お友達内閣」と批判され、
参院選で惨敗した人たち、
そして、民主党では
いわゆる「永田メール事件」の
処理でつまずき、
退陣に追い込まれた
前原誠司代表を中心とする
人たちである。

彼らは、与野党ともに
無能の烙印を押され、
不遇をかこっていたが、
景気・金融危機対策が
焦点となることで
再浮上のきっかけをつかんだ。

「政治の世界では、
誰かのピンチは
誰かのチャンス」

だからね。

さて、ここまでのことは、
私は10月の麻生内閣発足直後に
書いていたわけだけれども、
ここで重要だと思うのは、
たとえ、いわゆる「失言」や
「漢字の読み間違い」などが
なかったとしても、
麻生内閣は苦境に
陥っただろうということだ。

つまり、麻生首相は首相就任直後、
これから政権を運営していくに当たって、
きっちり抑えるべきところを、
ことごとくいい加減にしてきたから、
政権運営が立ちいかなくなったのだ。

「失言」や「漢字の読み間違い」のような、
表面的な話ではないのだ。

私は、10月の時点で
このことが気になったので、
「解散の時期」ばかりが
焦点になっていたけど、
あえて地味にそのことを
書いておいた。

近頃の政治評論の風潮として、

「国会対策委員会での合意」
「連立相手との信義」

のような、少々古めかしい

「政界の慣習」

のようなことを
恰好が悪いからか
軽視する傾向があるように思う。

だから、総理総裁就任後、
麻生さんが「まずは景気だ」と言って
解散先送りをし始めたとき、
民主や公明との
信義がどうなのかを気にする人が
少なかったんじゃなかろうか。

しかし、結局こういう「慣習」は
政界ではいまだ重要なのだと思う。

例えば、小泉さんは首相在任時、
「自民党をぶっ壊す」とか言いながら、
実は、「派閥」「自民党政調会や総務会の段取り」
「公明党との協議」を
決して軽視しなかった。

軽視しなかったからこそ、
それを利用して政局を乗り切ったし、
いざというとき
それを打ち破ることも
できたのだと思う。

だから私は、麻生首相が
「慣習」を軽視したことが、
私はとても気になった。

これが、10月の時点で
「解散風」にかかわらず、
そのことを書いた理由である。





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最終更新日  2008年12月22日 23時35分23秒



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