大河ドラマ「べらぼう」も徐々に佳境へと入ってきました。主人公の蔦屋重三郎のもとに、戯作者、狂歌師、絵師らが集まり始め、一時代の文化が花咲こうとしています。
戯作者や狂歌師の出身階層も幅広く、朋誠堂喜三二(平沢常富)のような秋田藩の重臣という武士もいれば、元木網・智恵内子夫婦のような湯屋を営む町民もいます。
ここで、半世紀前に学校で社会科を勉強していた私から、一つの疑問を投げかけましょう。それは「江戸時代って士農工商の身分制度があって、厳しく差別されていたのではないでしょうか?」ということ。
士農工商とは、江戸時代の封建制度の根幹をなす身分制度で、その序列は武士を頂点に農民、職人、商人と続くいうもの。当時の私は「現代では考えられない身分差別があったんだな」と理解していました。
ところが「べらぼう」では、ちょっと違う光景が見られました。
例えば、戯作者の恋川春町が地本問屋の鱗形屋に対し「不義理を働いた」と土下座して詫びるシーン。春町は駿河小島藩士という武士、鱗形屋はもちろん商人で、身分の差は歴然としているはず。
私が学んだとおりの歴史観であれば、平身低頭する鱗形屋に春町が上から目線で「不義理を働いたが許せ」と言い放つ、そんな場面を想像するのですが、ドラマでは逆転しているじゃありませんか・・・・
さらに言えば、蔦屋重三郎と平沢常富との関係。蔦重は吉原の人間で、町民からも差別的な扱いを受けていた存在に対し、平沢は身分の高い武士。にもかかわらず、二人は膝を交えて語らっているじゃないですか。
とまあ、言い出せばキリがありませんが、結論から言わせてもらえば「士農工商という上下関係は存在しなかった」ということ。つまり、何でもかんでも武士がエライわけではなかったのですね。
調べてみると、とっくの昔に教科書からは「士農工商」という言葉は姿を消しているようです。言い換えると、身分差別著しい封建制社会という江戸時代のイメージも根底から取り除かれているということ。
帯刀を許され、斬り捨て御免もできた武士が特権階級であったことは間違いありません。ただ、身分でがんじがらめに縛られているわけではなく、日常生活のなかでは武士も町民も対等な立場だったことがうかがえます。
教科書の学びが常識ではなくなった・・・以前にコラムで紹介した田沼意次の評価もそうですが、歴史というのは過去のものではなく、常に新しく塗り替えられる「現代の学問」なんですね(笑)
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