LWのサイゼリヤ

ミラノ風ドリア300円

99/99/99 LWのサイゼリヤにようこそ

オタクのブログです。

/* メモ
トップ記事更新:25/5/12
2020年4月以降の記事は全部載せたがそれ以前の記事は絞っている
人気記事に★マークつけた

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■『魔法少女七周忌♡うるかリユニオン』掲載中

あれから七年、皆が魔法を拗らせた。
元魔法少女と元敵幹部が再会するガールミーツガール。

www.alphapolis.co.jp

 

■アニメ・映画感想
ボーはおそれている
16bitセンセーション
君たちはどう生きるか
★ぼっち・ざ・ろっく
★リコリス・リコイル
ウマ娘 プリティーダービー Season2
★劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト
★シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇
Re:ゼロから始める異世界生活(第2期前半)
遊戯王ZEXAL
仮面ライダー555
傷物語
ウォッチメン
プリンセスコネクト!Re:Dive
遊戯王5D's
PSYCHO-PASS
アキハバラ電脳組
ソードアートオンライン
バットマンvsスーパーマン
マギアレコード
痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。
アズールレーン
劇場版ハイスクールフリート
異種族レビュアーズ
★パラサイト 半地下の家族
ドラえもん のび太と鉄人兵団
マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)
Re:ゼロから始める異世界生活(第1期)
オーバーロード
グランベルム前
ジョーカー
トイ・ストーリー4
遊戯王ARC-V
通常攻撃が全体攻撃で二回攻撃のお母さんは好きですか?
魔法少女なのはストライカーズ
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲
★遊戯王GX
八月のシンデレラナイン
バーチャルさんはみている
輪るピングドラム

■漫画・ラノベ感想
ウソツキ!ゴクオーくん
★呪術廻戦
バリ山行・サンショウウオの四十九日
暗号学園のいろは
バトゥーキ・嘘喰い
★ダンジョン飯
鉄鍋のジャン
死亡遊戯で飯を食う。
★東京卍リベンジャーズ
進撃の巨人
二月の勝者
がっこうぐらし
サムライ8
進撃の巨人
ワールドトリガー前
ワンピース

■お題箱
181/182/183/184/185/186/縮小/187/188/189/190/
171/172/173/174/175/176/177/178/179/180/
161/162/163/164/165/166/167/168/169/170/
151/152/153/154/155/156/157/158/159/160/
141/142/143/144/145/146/147/148/149/150/
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111/112/113/114/115/116/117/118/119/120/
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■消費コンテンツ
2025年 1/2~3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/
2024年 2~3/4/5~6/7/8~9/10~11/12/
2023年 1/2/3/4~6/7~9/10~翌1/
2022年 1~2/3~4/5/6~8/9~11/12/
2021年 1/2/3/4/5/6/7/8~9/10~12/売却コンテンツ12/
2020年 4/5/6/7/8/9/10/11/12/2020春アニメ12/2020秋アニメ/

■創作
魔法少女七周忌♡うるかリユニオン(うるユニ)』あとがき
席には限りがございます!(にはりが)』解説大反省会1大反省会2
ゲーミング自殺、16連射アルマゲドン(ゲーマゲ)』解説
皇白花には蛆が憑いている(すめうじ)』解説
Vだけど、Vじゃない!(VV)』

■サイゼミ
1/2/3/4/5前/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/17/

■理系トピックス
スピリチュアルに負けないために学び直す量子力学
★タネンバウムの『コンピュータネットワーク』を読んでワンランク上の現代人になった
ソシャゲのデータサイエンスというのはガチャの排出率を考えることではなくて……
ひろゆきと親しむ身近な因果推論
データサイエンティスト業務用リハビリ書籍感想
★データサイエンス系資格だいたい全部取った
データサイエンスエキスパート攻略
『入門 統計的因果推論(Judea Pearl)』メモ
統計検定1級とかいうゲームに勝利した
複雑ネットワーク科学入門書籍の感想
竹村彰通『新装改訂版 現代数理統計学』の感想
ポインタと確定記述、変数名と固有名のアナロジーについて
機械学習入門書籍レビュー

■その他
観光地を完全無視して秋田~青森~函館を巡る5泊6日
★美大芸大の卒展巡りにハマったから良かった作品を紹介するぜ
2024年らへんに買ったりして良かった寄りのもの約10選
冬合宿でプレイしたカード・ボードゲーム初見レビュー
ここ最近のデスゲーム系ラノベを10冊読んだ
★東大卒無職のTwitter就活記
カードゲーム『CROSS GEAR』紹介/解説1234
★マジでカードゲーム強い人たちにマジで強くなる方法聞いてきた
2023年買って良かったもの
★「生成AIの『学習』は学術用語だ」ということをそろそろちゃんと説明した方がいい
2023俺が選ぶ歌い手ベスト10
★就活に苦しむインテリの学生に社会の真実を教える
★『粛聖!!ロリ神レクイエム☆』はロリコンソングではありません
中学生ぶりにラノベ熱が再燃したので女性主人公ラノベレビュー12
「入間人間の手口がだいぶわかってきた」って何やねん
1秒もプレイしてないNIKKEキャラデザ真剣評価
重い腰を上げて10年前に積んだ女性主人公ラノベ83冊を崩した1234
AI挿絵付きWeb小説を投稿し始めて2ヶ月経った話
★君はAI創作の最前線にして最底辺「AI拓也」を知っているか
プランナー目線の生成AI妥協論
何故AIにはイラストを発注できないのか?
★小二で全国模試一位を取った男の半生延長戦
人生で初めて歌ってみたに激ハマりしてる話
2021年買ってよかったもの
白上フブキは存在し、かつ、狐であるのか:Vtuberの存在論と意味論延長戦
ゲートルーラーは「本物」かもしれない
表紙が三枚あるノートを特注した話
ロラン・バルト『物語の構造分析』メモ 構造分析vsテクスト分析
プライムデーセールでKindle端末を買うべきか?
『Vだけど、Vじゃない!』:Vtuberはどこにいるのか?
ダブルマスターズドラフト攻略
倫理は永井均しか勝たない
ポストモダニズムから資本主義リアリズムまでの間に何があった!?
『リアリティーショーを批判しているオタクもVTuber見てんじゃん』を受けて
ハッシュタグの氾濫、メタ政治性を巡る闘争
100日後に死ぬワニはなぜ失敗したのか
オタクの中韓コンテンツ張り
『ダンベル何キロ持てる?』を見たオタクが3ヶ月筋トレした結果……
日本興行収入上位映画100本を見た感想
実用系アニメのポテンシャルを評価せよ
ガチャを叩く時代は終わった

25/5/11 2025年2~3月消費・生産コンテンツ

メディア別リスト

書籍(8冊)

新版 量子論の基礎
量子の不可解な偶然
リアルワールドバグハンティング
DNS & BIND 第5版
実務で使える メール技術の教科書
DTOPIA
ゲーテはすべてを言った
コンピュータネットワーク

良かった順リスト

人生に残るコンテンツ

コンピュータネットワーク

消費して良かったコンテンツ

リアルワールドバグハンティング
新版 量子論の基礎
量子の不可解な偶然

消費して損はなかったコンテンツ

DNS & BIND 第5版
実務で使える メール技術の教科書
ゲーテはすべてを言った
DTOPIA

たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

(特になし)

以降の人生でもう一度関わるかどうか怪しいコンテンツ

(特になし)

ピックアップ

コンピュータネットワーク

類稀な良著。体系的な知見とはこういうものを言う。
個人的にも人生で色々触れてきた情報系の知識が収斂していく感じで熱かった。
saize-lw.hatenablog.com 

新版 量子論の基礎・量子の不可解な偶然

いずれも良著。以下に書いた。
saize-lw.hatenablog.com 

リアルワールドバグハンティング

かなり面白かった。
世の中には「(エシカルな)ハッカーが発見した脆弱性をレポーティングするとバウンティを貰える報酬プログラム」なるものが存在し、そこで実際にバウンティを獲得した実例を紹介することでセキュリティについて解説する本。

セキュリティ本は世の中に数多あるが、これは脆弱性に取り組む主体がウェブエンジニアではなくハッカー側なのがポイント。全てがハッカー目線で解説されると共に、読者も当然のようにハッカーで想定されている。
例えば豊富な事例にはいちいち教訓が付与されているが、そこで語られるのは「一見すると安全そうなサイトでも諦めずに粘り強くセキュリティホールを探し続けましょう」のようなハッカー目線でのマインドである。「クエリストリングを使う時にはここに気をつけよう」みたいな実装目線の記述が一切ないのが新鮮で面白く読みやすい。

難易度もそこまで高くなく、多少の情報学への心得があればエンジニアでなくても読める。ただネットワークの基礎的な知識は必要なので、「ブラウザがふつうに色々表示するときはサーバにHTTPリクエストを送って受け取ったレスポンスを表示している」くらいのことはわかっていた方がよい。

防衛側ではなく攻略側の話なので、スタレの銀狼みたいなハッカーキャラがやっていることが人間的な次元でかなり深く理解できたのが良かった。

これ何してんの問題

ハッキングとは、結局のところ誰かが作ったシステムが提供するインターフェイスから内部挙動を悪用する話だ。システムが利用者に対してサービスを行うには、ほとんどの場合でインターフェースが必要になる。それは大枠ではHTTPなどのプロトコル自体だし、細かく見ればログインや遷移に必要な入力パラメタでもある。それらを介して受け取ったリクエストを内部で処理してレスポンスを返すのがウェブ上の対話的なシステムの流れだ。
だがインターフェースとは、その定義上、大なり小なりシステムの内部に干渉できるルートでもある。つまりインターフェースから受け取った情報に応じて何らかの処理を行うということは、視点を逆にすれば、何らかの処理を行わせるためにインターフェースを利用できるということでもある。
内部処理の詳細は公開されていないブラックボックスであるにせよ、攻撃者が「だいたいこんなことをしているのだろう」と処理内容を予測できれば有効な攻撃を逆算で組み立てられる。こうして不可避に提供しなければならない窓口から、攻撃者が実装者の想定を越えていくことでハッキングが成功する。

この流れは対人ゲームとそう変わらない。結局のところ人が作ったものを人がどう攻略するかという話で、相手がどのような戦略までを想定しているかをこちらで想定し、その想定外を突きに行くというゲームにおける一般的なプロセスがある。細かい実現技術はjavascriptだったりSQLだったりphpだったり色々あるにせよ、セキュリティ上の攻防はそういう読み合いで出来ている。

DNS & BIND 第5版

DNS & BIND 第5版

DNS & BIND 第5版

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DNSというかFQDNが微妙によくわからなくなったので読んだ。
別に自分で実装するわけではないので後半のBIND部分(DNSの実装技術)はあまり読んでいない。これに限らず、オライリーの厚い本は具体的なプロダクトや設定手順に興味がなくても歴史や理論を概観する最初の1/3くらいだけ読んでおくと有用なことが多い。

結局、FQDNは当たり前のようにホスト名とドメイン名を跨いで濫用されているということが全ての混乱の元だった気がする。冷静に考えると普通にわかりにくすぎる。
例えばserver.example.comというFQDNがあったとして、これはホスト名としてもドメイン名としても解釈できる。つまりホスト名としての解釈は「ドメインexample.comに所属するホストserver」だが、そのホスト自体がサブドメインとして機能して配下に別のホストを持っている場合(例えばhost1.server.example.comが存在する場合)、server.example.comはドメイン名という解釈になる。どちらを指しているかは文脈によるし、あまり厳密に区別せずに緩く両方を指しているケースもある(サブドメインを統括するものとしてホストを指すニュアンスなど)。

DNSが構成する木構造を考えるとこれらが全く違うものを指していることがよりわかりやすくなる。ホストはノードであるのに対し、ドメインは部分木であり、論理的に指している集合が全く違う。
百歩譲って常にあるノードが配下の部分木全てを統括しているようなシステムしかこの世にないのであればギリギリ問題にならないが、実際のところ、DNSサーバーを用いてドメインの管理を行うゾーン概念においては全くそうではない。ゾーンは部分木全てを包括しているとは限らず、下流のあるノードから先をまた別のゾーンに分譲して残った中間部分みたいな形になることも少なくない。
このあたりがちゃんとわかってよかったと言えばよかった。

DTOPIA

DTOPIA

DTOPIA

Amazon
最新の芥川賞受賞作その一。いつものブロッコリーマンの読書会で読んだ。
芥川賞の中では面白い方だが、前半の面白さに反して後半が別にという感じですごく勿体なかった。

序盤は明確に良かった。タイトルにもなっているDTOPIAという恋愛リアリティーショーは非常にエキサイティングで面白い。
いきなりファックバトルを繰り広げたり現代的なネット配信消費文化に合わせて時系列をシャッフルしたり、見せ方や展開に工夫があって飽きずに読み進められる。時折挿入される「私はリベラルな事柄についてよく考えています」というポーズは人文系の典型的な内輪ネタとして芥川賞での標準装備になっているが、それも『東京都同情塔』のようにベタにテーマになるわけでもなく、恋愛バトルを左右するトリッキーな飛び道具として組み込まれてエンタメ要素を盛り上げていたと思う。

また珍しい二人称形式の小説でもあり、そのギミックも含めてここからどう運ぶのかと楽しみにしていると、なんかいきなり金玉の切除からノワール編が始まってDTOPIAに戻ってこなくなってしまう。
ノワール編が長い割にはどうでもよくてよくなかった。文章としてのクオリティは高いと思うし、アイデンティティ探しの渦中にいる若者たちの生き様について紋切り型にならないように一定のリアリティや葛藤を組み込んでいることは評価できる。ただなんかそもそもの話が何か起きそうで何も起きない割には着地点がなくていまいちどうともならない。バケモンみたいな金玉カットマンの怪物性をもっと掘り下げてエンタメにすればよかったくない?

という、マジョリティの安直な要求を牽制する構造があることは分かっている。つまりエンタメ志向の読者が持つキャラクターへのステレオタイプな期待自体がマイノリティの多様性を抑圧する暴力であり、そういう読者への期待に応えないこと自体がアイデンティティ小説としての価値を生むというロジックはわかる。だが、それを承知した上でなおこちらにはそのゲームに乗る理由がない。
だから俺は「頑張ってて偉いね、でも小説としては面白くないね」と言わなければならない……おれがきみらの敵だ!

これはシンプルに価値観の衝突であって別にどちらが悪いという話でもないが(という言い方はさりげなく自分が悪くないことを主張していてかなり狡い)、「面白くしない合理性があるからといって面白いことにはならない」という点は動かない。
特に前半戦の恋愛バトルはエンタメとして非常に面白かっただけに、そのポテンシャルが実らなかったことを勿体なく感じる。すぐにメタゲームを始めてしまってベタな面白さへの梯子を外す、芥川賞というか人文インテリの悪いところが出ている。

ゲーテはすべてを言った

最新の芥川賞受賞作その二。いつものブロッコリーマンの読書会で読んだ。
俺はこっちの方が面白かった。ベースになってるインテリの世界が割とあるあるネタというか、ありそう感で構成されていてスイスイ読めるのと、全体の構成も上手くオチも綺麗。芥川賞では『バリ山行』と並んで最も好きな作品の一つ。

まあ雑学が披露され続けるのが鼻につくのは確かだしそれを雑学小説と批判する向きもわかるが、インテリは鼻につくものなのでそれはもう仕方ない。学術的な事柄とか理屈っぽい事柄とかだから何だよみたいな事柄を全部面白いと思っていて、いちいちそれを通貨にして流通させなければ気が済まないのだ。

芥川賞にしては珍しいことに、最大のキーアイテムであるゲーテ疑惑の引用句について「どこから来てどこへ行くのか」という顛末を最後までちゃんと処理しているのが良かった(芥川賞は人間の実存にしか興味がないため、主人公が内的に一皮剥けたりしたことで終わってしまって外的な事件を解決せず放置することが多い)。
序盤は主人公がスレていない学者らしく引用句を運命的なアイテムとみなして過度にロマンティックな世界観の下でアカデミア流儀での探求を進めていくのだが、それが行き詰まってくると彼氏だの娘だのという俗っぽい要素が出てくるようになり、伴ってインターネット検索や製造元への問い合わせなどのもっと現実的な探索方針にスライドしていく。それと同時に「引用という行為をどう扱うか」というより抽象的な話題についてもアカデミックなスタンスから日常的な見え方へとスライドしていく構成はお見事。

途中からドイツに飛んだりして都合の良い三文小説っぽく展開していくのも明らかに意図された構成だ。温度感が移り変わっていく中で我々が言葉をどう使うのか、言った言われたというよりは言うか言わないかじゃんという話にもなってきて、最後にサザエさんみたいなテンションで皆が引っくり返って終わるところまで綺麗にまとまっている。

感想:「芥川賞はもう良くない?」からの直木賞の時代へ

今回の二作を読んで「芥川賞はもう良くない?」と思った。

さっきも少し触れたが、芥川賞は人間の実存の話しかしないことがわかったからだ。
非常に乱暴に言うと、ほとんどの小説は「外部で起こる事件」と「主人公の内面の変化」がセットになっていると思うのだが、芥川賞では後者にしか関心がない。主人公が自分の中で落とし所を見つけるなり結論を出すなりするのが最終目的で、事件の方はそのエンジンにすぎないため、主人公が満足するとなんか良かったねという感じになって事件の方は投げっぱなしで終わりがちだ。
これは純粋に好みの問題だが、俺は普通に事件の顛末の方が気になるので「お前の満足はどうでもいいからこの事件はどうなったん?」と思うことが多くてたぶん普通に相性が悪い。これも誰かに怒られそうな乱暴な区分だが、なんか「人間を描きたい純文学派閥 vs イベントを描きたいエンタメ派閥」みたいな大きな価値観の相違があって、芥川賞は前者なのに対して俺は後者なのだ。

文学に詳しいブロッコリーマン曰く、それには制度的・歴史的な経緯もけっこう絡んでいるらしい。例えば芥川賞は中編小説向けの賞なので大きな事件を描き切るほどの尺が取れなかったり、文学の黎明期に誰かがどこかで「人間が描けていない」という批判を受けたことに対するトラウマが今も尾を引いたりしているようだ(という俺の知ったことではない事情がある)。

特に今回の二作を読んでいるときにこの辺りのギャップを強く感じた。
まず『DTOPIA』はあれだけ面白そうなゲームからスタートしたにも関わらず途中から知らんやつのアイデンティティの話に移行してゲームは中断されてしまった。逆に『ゲーテはすべてを言った』の方は事件を最後まできちんと追っているので俺は高く評価したのだが、冷静に考えるとそれはエンタメとしては最低条件というか、「作中の事件がちゃんと解決されているから」というのを高評価の要因にするのはなんか違くない?(not for meなものを無理に読んでいるんじゃない?)ということを自覚するきっかけになった。

ともかく俺は「芥川賞から吸えるものは全部吸ったし多分合ってないからもういいかな」と思って、「直木賞の方がエンタメ寄りらしいから直木賞にせん?」と読書会に申請したのが受理された。実はもう直木賞の名作『テスカトリポカ』の読書会を4月末にやったのだが、これは本当に面白く、確かに直木賞の方が向いているっぽいという学びを得た(『テスカトリポカ』の感想は4月の消費コンテンツとして書く)。

生産コンテンツ:不死者八人のデスゲーム

創作クラスタに所属してないからTwitterでの進捗報告とかは全然してないけど、去年の秋くらいからほぼ毎日ペースでずっと次のラノベを書き続けている。進捗は今15万字くらい埋まってて、完成はちょうど20万字くらいだと思う。

去年再就職したあたりで「創作を健全で持続可能な趣味とする」という目標を立てたが、これはかなり派手にしくじっており、あまり健全ではない精神状態で毎日書く羽目になっている(創作を中断する選択肢はないので精神が良くない状態で必死の進捗が生まれ続けている)。
今にして思えば「一年に一本は二十万字前後くらいの長編を書く」という目標の立て方があまり良くなかった。俺には元々「一度立てた目標は絶対に達成しようとする」という特性があり、これは概ねメリット寄りの能力として受験や資格や仕事などを支える基盤になってきたが、その反面「目標を達成するまでは強い強迫観念を抱え続ける」という強烈なデメリットと裏表になっている(だから軽率に目標を立てることを禁じており、年始に一年の目標を立てたりもしない)。
今回は「一年に一本」とかいうクソアバウトなスパンで目標を立ててしまったため、一日作業すれば一日早く終わる、目標達成が確実になると囁く亡霊の追い立てに一年中責められ続けており、空き時間がすぐに「創作をしていない時間」になってしまうのがかなり精神に悪い。次の一年は「この月はここまで、この週はここまで」みたいなもっと細切れの目標にした方がいい。

そんな感じで焦燥感に追われながら書いている「不死者八人がデスゲームをやる話(タイトル未定)」をよろしくお願いします。
残りで怒涛のオリキャラ紹介をします。こいつらと一緒に苦しんでいる。ちょっとキャラクターシート作るの億劫になってきたんだけどヘッダーくらいでいい?(NovelAI v4)

参加者① 【ゲーマー女子】三途(サンズ)

「ウチに任せといてよ」「それはそう!」

主人公。不死者。死亡した瞬間にリスポーンする。
明るく、騒がしく、鬱陶しい。基本的にコミュニケーションがインターネットで対人距離がバグっているが、わりと博愛主義で悪意がないので大抵の相手とは仲良くなれる。
デスゲームに対しても「どうせ死なないし面白そうだから」というモチベーションで能天気に参加している。

参加者② 【地雷系】萌え様

「あたしはどうでもいいけどー」「そんなことなくない?」

不死者。死亡後に錠剤を服用することで蘇生できる。
可愛く着飾った服とは裏腹にだいぶ死んだ目をしており、ダウナーで甘ったるく語尾の伸びた話し方をする。不死を活かしてメンヘラと心中してあげる慈善事業を行っていたことがある。
参加者の中でもいち早く真相に到達し、他の不死者たちを煽りながらデスゲームを楽しんでいる。

参加者③ 【吸血鬼】ヴァンヒール

「それは妾に言っているので?」「死んだらコトだわ、なんて」

不死者。生命を無限に持つので死亡しない。
常に上から目線で高飛車だが、他人を見下すことは高い矜持の現れでもある。貴族的な振る舞いに徹し、冷たい物言いが多い割には意外と面倒見が良かったりする。
不死者の中でも屈指の戦力を持つ。初対面の三途曰くTierSキャラ、腐れ縁のHEAVEN曰く災害に近い存在。

参加者④ 【バトルシスター】HEAVEN

「わたくしで宜しければ」「視野が狭いですね」

不死者。自身の肉体を無胚受胎することで死を免れる。
宇宙の熱的死を避けるために自らを人類の擁護者と位置付けている。物腰が柔らかく誰に対しても丁寧な敬語を用いるが、デスゲーム開始前からヴァンヒールを敵視している。
聖職者らしい視座の高さを持ち、今回巻き込まれたデスゲームの本質的な善悪を見極めようとしている。

参加者⑤ 【帯刀軍人】泥夢(デイム)

「我に頼る可きでは無い筈」「其れは少し後だ」

不死者。致命傷が死亡に至る前に高速で治癒再生する。
金属のブーツで固い音を立てながら歩き、厚く着込んだ軍服からは血と泥の臭いがする。威圧的な外見に加えて表情に乏しいため無口に見えるが、実はけっこうよく喋る。
不死者としての勝負の在り方については一家言あり、デスゲームの最中にも自らの思想を研いでいる。

参加者⑥ 【少女名探偵】シャルリロ

「事件解決は僕の仕事です」「嫌いじゃないですよ」

不死者。死亡時に謎の大きな手が出現して新しい自分自身を再配置する。
他の不死者たちにお姉さん属性が多い中、小柄で中学生くらいに見えるので三途に可愛がられている。概ね冷静で合理的な分析を行うが、見た目年齢相応の幼さが出ることもある。
探偵という職能に誇りを持っており、デスゲームに潜む謎を解き明かすことを目指す。

参加者⑦ 【奇術師】遊道楽(ユドラ)

「遊道楽にかかれば一網打尽である!」「これは君へのサービス無料」

不死者。自らが死亡するイベントを事後的に奇術扱いとして死ななかったことにできる。
常に舞台上にいるような芝居がかった口調で話し、ハイテンションで声もでかい。同じトリックを扱う職業である探偵のシャルリロと仲が良く、新人不死者の三途に対してもフランクに接する。
デスゲームも自らが主演する舞台の一つと見做して張り切っている。

参加者⑧ 【継ぎ接ぎ】ゾンちゃん

「俺様もう眠いぜ、です」「何言ってますぜ?」

不死者。どんな致命傷を負っても見た目さえそれっぽく修復できれば復活する。
小さな身体に無数の継ぎ痕があって痛々しいが、本人は特に気にしていない様子。外見に反して異常な怪力を持ち、親指と人差し指だけでステンレスを粉状に擦り潰せる。
猫のように気ままで何を考えているのかわからないが、デスゲームに対してはそれなりに前向きな姿勢を見せる。

25/5/4 観光地を完全無視して秋田~青森~函館を巡る5泊6日

GWの前半で東京から秋田~青森~函館を旅してきた。
目的は「ぼだっこ飯(秋田)」と「ラッキーピエロ(函館)」を食べることだけで、当初は2泊3日くらいの見積もりで出発したが結局流れで5泊6日もズルズル旅していた。
今回は割といい感じに旅行できた気がするし、AI時代には己の経験の価値が高いので覚えているうちに残しておく。

1日目:東京~秋田

朝、寝坊して予約していた秋田新幹線に乗り遅れるスタート。
俺は普段目覚ましさえかけていればその音で必ず起きられるタイプなので、起床に失敗したのは結構な大問題だ。起きるべき時間にアラームが鳴っていたことはiphoneの挙動から恐らく確かであり(新しくアラームを設定した場合は明示的に解除しない限りは勝手に有効になるはず)、もし俺がアラームを貫通して熟睡していたのだとすれば、今後のアラームの信頼性にも関わってくる。

補足582:「アラームを貫通して寝坊」ってよく言うけど、むしろ眠りに対して貫通しなかったから寝坊したのでは? 起きるのと起きないののどっちが貫通なのかは微妙なところだ。

色々確認したところ、アラームが「サウンドなしバイブのみ」の設定になっていたことが判明して一応は解決した。
たぶん会社のソファーで昼寝するときに「会社でアラーム鳴らすのもアレやな」と思ってバイブ設定にしたのが設定時のデフォルトとして残存していたと思われる。これで今後は問題なく起床できるはずだが、その修正のためだけに新幹線代15000円という手痛い勉強料を支払うこととなった。

昼頃に秋田の大曲に到着し、目的地のスーパー「しゅしゅえっとまるしぇ」で目当てのぼだっこ飯が売り切れていたツイートが謎にバズる。この辺りの詳細は急遽ビジホで書いたnoteを参照(→)。
このバズによって以後3日間くらいはTwitterの通知欄が常時点灯する状態になり(毎秒10件くらい通知が来る)、大小のWebメディアからDMで取材・掲載依頼が計6件来た(全てにOKを出したので各所で順次掲載されている)。基本的には無償なので特に何があるわけでもないが、気が利くところは少額のギフトカードをくれたり、俺の肩書きをブロガーということにしてこのブログのリンクを貼ってくれたりした。

午後下がりに宿のグリーンホテル大曲に到着。部屋は可も不可もなくという感じだが、安い割には大浴場があるのがかなり嬉しいところだ。
www.greenhotel-o.net

ぼだっこ飯以外には秋田には用事がないので、あとはビジホに籠ってipadと一緒に翌日の北上戦略を練る。
ざっくり青森からフェリーで函館に向かう予定だが、北に上るには西回りルートと東回りルートがある。

西回りだと秋田市を通りつつポートタワーセリオンに寄れるが(東京で言うスカイツリー)、東回りだと秋田内陸線に乗って山奥を突っ切ることができる。俺はふだん車を運転しないので、山奥を通る経験の方が貴重だと判断して東回りを選択した。
ただ、地方マイナー路線は本数が少ないのでシビアな時間管理が必要になる。東京では「駅がある」とはすなわち「即座にワープ移動できる」を意味するが、地方では時間によって移動できたりできなかったりまちまちだ。二時間くらいは余裕で待ったりするし、電車があったところで在来線なら20分500円くらいの区間で新幹線しか来なくて4000円持っていかれたりして油断できない。
NAVITIME時刻表と格闘しながら、何故かビジホに必ず置いてある例のメモ用紙に翌日の移動計画をなんとか完成させるのに2時間くらいかかった。

ついでに夕飯を探していたところ、はいふりカメラでレビューされているラーメン屋を見つけたのでそこに行くことにする。


tabelog.com

煮干しラーメンはちゃんと美味かった。東京でも通用する味ではあるが、逆に言えば東京のラーメン以上のものでもないということでもある。
基本的に東京の食い物は美味い。別に銀座とか六本木の話ではなく、新宿とか渋谷のその辺にあるラーメン屋も相当美味い。地価が高い上に競合が無限におり、少しでも不味いと一瞬で潰れてしまうシビアな世界だ。
特に調理上の制約があまりない料理で東京を超えることは難しいため、俺を含む多くの都民たちが「地方では鮮度が重要な地産食品を食べた方が良い」と考えている(じゃあ何でラーメン食ってるの?)。

翌朝に食べるパンを確保してからビジホの大浴場に入って就寝。

移動:30000円
食費:2000円
ホテル:5000円

 

2日目:秋田~青森

昨日立てた北上計画に沿って北へ移動する。計画によると朝7時2分発の電車に乗るしかないため、6時台での早起きを余儀なくされた(他の時間でも行けないことはないが、無駄に新幹線に乗る羽目になるので3000円以上高くなってしまう)。

しかし朝から雨でクソ寒い。
discordで東京勢が「最高の天気」などと言っているのを横目で見ながら、一桁台の気温の中で傘を差し菓子パンを食いながら歩く。

追加の服が欲しいが田舎の朝で服屋が開いているはずもなく、手持ちの服を可能な限り着込むがまだ寒い。

足元がサンダルなのが一番厳しく(サンダルで旅行に来るな)、一応靴下は履いたが足先の冷えが止まらない。特に水溜まりを踏んだ瞬間に靴下が濡れて死亡確定なので、小学生がよくやる「横断歩道の白を踏んだら死ぬやつ」のマジで死ぬ版で緊張感があった。
角館でのJR田沢湖線から秋田内陸線への乗り換えで2時間ほど待機する時間帯があり、そこの待ちで凍死しそうだったら諦めてタクシーでも呼んで銭湯かホテルに行こうと思っていたのだが、駅に暖房が効いた待合室があって耐えた。
これは他の駅も通る中で知ったことだが、東北は元々寒い地域なので乗り換えなどで滞在時間が長くなると思われる駅にはだいたい暖房が効いた待合室がある。これのおかげで移動自体は割と体温に余裕を持って行うことができた。

秋田内陸線の車内も暖かくてありがたかったが、朝早起きしたせいでだいたい座席で寝ていて外はあまり見なかった。
途中で周りが騒がしくなってきて目が覚めて、なんかサビっぽい場所を通ってるっぽくて一枚だけ写真を撮れた。寝起きで慌てて撮ったので起動に時間がかかるはいふりカメラではなく通常カメラを使っている。


これを撮ってまた寝て終点の鷹巣に着き、行こうと思っていたそば屋が閉じていたので代わりにまたラーメンを食う。
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立地に似合わずかなりモードな一杯を出すラーメン屋だった。これも東京で戦える味。

一時間ほど待合室で待ってから今度はスーパーつがる1号で青森へ。
幸いにも天気は小雨を維持していたが、北に移動するにつれて寒さは強まる一方だ。青森駅ビル内の無印良品でヒートテック的なものを買おうとするも、既に売り場が夏モードに突入しておりほぼ半袖の服しか売っていない。
店員に聞いて厚手のシャツを出してもらい、「半袖Tシャツ+長袖厚手シャツ(New!)+上着+ジャケット」の4枚装備にアップデートしてなんとかギリギリ戦えるようになった。これが青森移動中の標準装備となり、函館までずっとこれだった。
ABCマートが目に入って靴の買い替えもチラつくが、割と気に入っているサンダルを処分するのは惜しいためそのまま続行。

駅前市街地にスーパー銭湯があるらしいので身体を温めに向かう。
aomori.atinnhotels.com


スーパー銭湯に入った瞬間の安心感がすごい。しばらくゴロゴロしながら、青森は海沿いなのでそろそろ本気で海鮮を食いまくることに決め、評判の良さそうな魚屋へ向かう。
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店に入ったとき外人が多くて終わったかと思った。「外人が多い=外人向けの価格設定=不当に高い」みたいな連想は少なくとも東京ではかなり確度の高いもので、店に外人がいるだけで脳内アラートが警告してくるのは都民の良くないところだ。
ただちゃんと美味かったので海鮮丼にプラスで刺し身も注文して食べた。魚の味が濃い。
魚の旨さって根本から味が違うみたいなことはあんまりないので、最終的には「食感が良い」か「味が濃い」か「臭いが悪くない」の三択に帰着される気がする(触覚・味覚・嗅覚のクオリティ上位)。

飯を食い終わったら駅前のアパホテルへ移動。
実はアパホテルに泊まるのは初めてだが、本当に部屋の中に変な本が色々置いてあって感動した。アパホテルをよく使っている同僚が「アパホテルが全部屋に極右本を置いてるのはマナーの悪い中国人観光客が泊まれないようにして民度を上げる経営戦略なんですよ~」とか言っていたが本当かもしれない。
全国展開しているだけあって部屋やチェックインの感じも洗練されており、特にモニターがバカでかくて最悪それで映画を無料で見れば何とかなるという最低保証がある。

せっかくだしデカいモニターでAVを流しながら就寝。

移動:5000円
食費:5000円
ホテル:7000円
スパ銭:1000円

 

3日目:青森滞在

2日目が大移動だったこともあり、連続して移動すると疲れそうなので一日くらいは青森に滞在することにした。
とはいえ青森で見たいものはマインクラフトザムービーくらいしかないため、新青森のイオンシネマまで足を伸ばすことにする。

ステイ日ということで時間にも余裕がある。朝はたっぷり遅めに起きてホテルに近い寿司屋で朝昼兼用の寿司を食う。


ぼちぼち立派な値段と見た目の回らない寿司だが、味はまあという感じだった。気さくな職人と喋っても「美味しいです」とは頑なに言わない若さを見せる。

イオンシネマで見たマインクラフトザムービーはぼちぼち面白かった。
別に映画としてはそんなに面白くないというか、もしマインクラフトではないオリジナル映画だったら擁護できないが、俺はマインクラフトがけっこう好きなのでかなり耐えた。「マインクラフトをやったことがない人は見なくていい、やったことがあってけっこう好きな人は見てもいい」という映画だが、今のキッズは皆マインクラフトを通ってきているのでそれでも相対的にパイが大きい。

ついでにイオンシネマの近所にある青森メトロポリスというゲーセンに寄るのを楽しみにしていたのだが、2021年に閉店していた。
代わりにカード屋に寄ったらワンピとポケカがメイン、遊戯王とデュエマは申し訳程度にストレージが数本ある程度で時代の流れを感じる。十年ぶりくらいにストレージを漁ってみたら文字が小さくて色々書いてある知らないカードたちの中に魂を削る死霊とかジャイアントオークを見つけて懐かしさに泣く。

夕食はけっこう有名らしい店でホタテ定食を食った。
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これはかなり美味かった。普段ホタテを食わないのであまり自信がないが、他の鮮魚類と同じラインで考えるなら恐らくこれはギリギリ東京では食えないラインと思われる。

せっかくだしデカいモニターでAVを流しながら就寝。

移動:1000円
食費:7000円
ホテル:7000円
映画:1500円

 

4日目:青森~函館

函館への移動日。
青函フェリーのオンライン予約は間に合わなかったが、朝7時起きの睡眠不足に目を擦りながら行けば何とかなるだろの精神でフェリーターミナルに向かう。

その前に新鮮市場内の食堂で朝飯を食う。
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これはめちゃめちゃ美味かった! 魚が美味すぎるので醤油が要らない海鮮丼は初めて食べた。これは明確に現地で食う価値ありです。
ちなみに青森の海鮮といえば「青森のっけ丼」というやつが有名なのだが、何年か前に食べたとき歩いて具を回収していく謎の手続きが面倒な割にはそこまで美味しくなかったので今回はスルーした。

青森駅からシャトルバスに乗って津軽海峡フェリーターミナルへ。

幸いなことに予約なしの当日チケットでもかなり空いていた。スタンダードプランという広くて何もない留置場みたいな空間にまとめてぶち込まれる最安プランを購入したのだが、定員20人近くのところ3~4人しかおらずかなり余裕があった。
以前にも函館から青森までフェリーで移動したことがあり、この留置場みたいな場所では仰向けになって気持ちよく眠れることを知っていた俺はあえて前日に睡眠時間を削っていた(伏線回収)。ちなみにワンランク上のビューシートプランだとマッサージチェアみたいなやつに座る羽目になるため、仰向けになってしっかり眠りたい人はスタンダードプランを利用した方がよい。

ぐっすり眠って着いた函館でラッキーピエロに入店。秋田のぼだっこ飯に続き、二つ目の明確な旅目標を回収する。
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めちゃめちゃ混んでいて20人くらい並んでいた。ラッキーピエロは函館市内にたくさんあるが、ここは特にターミナル駅前で立地が良いので観光客が殺到するのだろう。
ラッキーピエロに限らず函館は秋田・青森より明確に人が多く、ようやくGWらしい観光地に来た感じがする。


ピザソースみたいなやつがかかっているポテトはかなり美味いが、一番人気のチャイニーズチキンバーガーは唐揚げに味付けしたくらいの素朴な味。美味いが、この内装の濃さの割にこのシンプルな味付けで勝負してるのかとは思った。

そのまま函館市電に乗って五稜郭公園前駅へ移動。函館は市電によって要所要所にアクセスしやすく、観光都市としての完成度を感じる。
大量の観光客たちと共に五稜郭に向かう、と見せかけて一人だけ方向転換してビッグバン函館店(ゲーセン)に向かう。

そこで北斗の拳のメダルゲームをプレイ。


100円50クレと張り紙してあったのに100円16クレしか計上されないことを店員に伝えたら機械の設定は直せないのか詫びメダルを多めにもらった(それでいいのか?)。
珍しくメダルを山なりに飛ばす仕組みになっており、素直にメダルを押し出して整地するのではなく連射することでチャッカーに入れる腕が出るのは面白い。ただ、その分メダル消費が激しい割には道中のドラム回転がシブい気がする。クレジットのレートが良くなかったら一瞬で死んでいる。

満足いくまで遊んでから函館に戻り、一応名産なので塩ラーメンを食っておく。
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美味いが、やはり東京でも食えそうではあり、旅先ではあまりラーメンを食べない方がいいという説が補強された。

暗くなってきたあたりで宿のルートイングランティア函館駅前へ。
ルートインの中でもグランティアという高級路線の上位種らしく、確かにワンランク上感があって良かった。
まず立地が有り得ないくらい良い。本当に駅前にあり、部屋から函館駅の全てが見下ろせるので行き交う人々を見るだけで時間を潰せる。

駅側から見るとこんな感じ。

赤で囲った最上階部分が浴場になっていて、風呂に入りながら函館駅を見下ろせるのがめちゃめちゃ良かった。狭いがサウナもある。部屋も「どこでもいい」で予約したらダブルベッドの広い部屋が割り当てられて快適。
料金も1泊7000円くらいだし、GWで賑わう函館で直前に取ってこの値段なら全然安い。東京なら何もない日にその辺に泊まるだけで10000円は持っていかれる。

「もういい年齢だし並のビジホよりはちょっとだけ良いホテルに泊まりたい」とはうっすら思っていたが、かといって高級旅館とかにはあんまり関心がないし、ファミリー向けホテルに単騎で泊まるのもなんか違うよなと思っていたところでルートイン上位種という一つの回答を得た気がする。
今後も全国的に展開していくつもりらしい(エレベーターの貼り紙に書いてあった)ので行き先にルートイングランティアがあったら宿泊を検討してみてほしい。オススメです。

移動:4500円
食費:4000円
ホテル:7000円
ゲーセン:2000円

 

5日目:函館滞在

函館2泊目。
本当は函館に長居する気はなかったのだが、羽田まで帰る安い飛行機が2日先だったため延泊。どのくらい安いかと言うと、直近の飛行機は35000円くらいなのに2日先の飛行機は15000円くらいで乗れる。ホテル代と差し引きで考えても延泊して待った方が収支で安い。

旅行中の飯は極力現地っぽいものを食べることにしているし、実際ここまではそうしてきたのだが、ルートイングランティアの格が想定外に高くてフルチャンありそうな雰囲気だったので信条を曲げて朝食バイキングへ向かう。


めちゃめちゃ美味くてこの判断は正解だった。この旅で最も感動的だった飯の一つ。
スクランブルエッグやベーコンなどいかにもビジホの朝食っぽいラインナップであるにも関わらず、全てがちゃんと作られていて美味い。寿司やパスタにもクオリティの優劣があるように、「ビジホの朝バイキング」というメニューにおいてワンランク上のクオリティが存在することを初めて知った。

バイキングなので食いすぎてしまい、いきなり動くのもしんどいので部屋で軽く昼寝してから改めて函館山へ。函館山へも市電で直通できてありがたい。


「北海道の隅っこにあるしカップルがよく夜景見てるし公園みたいなもんだろ?」と思ってコンビニ袋片手にサンダル履きというクソ舐めた格好でトライしたが、普通にちゃんとした登山で終わった。
割と登るのしんどかったし帰りはロープウェイに乗るか……と思ったら強風で止まっていて終わり。爆風の中をサンダルで駆け下りる羽目になった。

帰りは函館市電を昭和橋で降りて函太郎とかいう評判の良いローカル回転寿司屋に行く。こういう現地民もよく行く地元の回転寿司の海鮮が一番美味いとネットではよく言われている。
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美味いが、だいぶ高いので値段ほどではなかった。これはギリギリ東京でも食えるライン。この旅で寿司は当たりを引かなかった。

まだ割と時間が早いので昨日に引き続き五稜郭公園前のゲーセンに行って別のメダルゲームをプレイ。古くて画面もリッチではない地味な機種だが、やっぱり俺は一枚ずつゆっくりメダルを落としていくタイプの方が性に合っている。

ルートイングランティアで二日連続の展望浴場とサウナに入り満足して就寝。朝のバイキングを食いすぎたのでこの日は二食しか食べていない。

移動:1000円
食費:4000円
ホテル:7000円
ゲーセン:2000円

 

6日目:函館~東京

朝早めにチェックアウトして函館駅前に高級うに丼を食べに行く。最後だし奮発して有終の美を飾りたい。
中国語と英語しか聞こえない待機列に疑心暗鬼になりながらも1時間くらい待ってようやく目当てのうに丼に辿り着く。
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これは圧倒的に美味かった! 人生でまだ食ったことがないウニ。
食感・味・臭い全てが東京のその辺のウニの上位互換。鮮度で勝っているので現地で食うバリューも高く、完全に勝利の一皿だった。こういうのが食いたくて旅先で現地っぽいものを食っている。

そのままバスで函館空港へ。
AIR DOから来た案内メールに「空港でのチェックインは早めにしましょう」みたいなことが書いてあったので出発5時間前に行ったが、手続きは10分くらいで終わって5時間暇になっただけだった。仕方ないので空き時間にモースの贈与論を読み終わり、お土産も適当に買ってから飛んだ。
羽田空港に着いてからは神奈川で高校同期が焼き肉をしていたので合流して肉を焼いて食ってから帰る。

移動:15000円
食費:6000円(焼肉は旅終了後判定なので含まず)

 

まとめ

出費は以下。

移動:56500円
食費:28000円
ホテル:33000円
その他:6500円

合計:124000円

まとめて見ると思ったより高い気もするが、食費に糸目を付けずに移動しながら5泊6日と思うと概ね妥当なラインだろう。
なおこれは主要な出費だけなので、道中で細かく買った充電ケーブルや飲み物や上着などの雑費が5000円くらいはかかっていると思う。また、寝坊によって新幹線チケット15000円を完全にドブに捨てているので、もう少し頑張れば10万円に収めることもできたはずだ。

今回は全体的にかなり上手く旅できた気がする。アドリブだらけかつ満足度の高い旅だった。
旅行全体の計画は全く立てていなかったが(そもそも2泊3日くらいかと思っていたのが5泊6日になるくらい無計画だった)、ホテル内で翌日のプランくらいはきっちり立てていたのが良かった。大局的な旅行全体は無計画でいいが、局所的な翌日の行動は計画的なのが良い塩梅なのだと思う。
飯屋・ゲーセン・映画館・山・スパ銭・中古屋・タワー・図書館など、自分の関心がある施設を足を運べる範囲でリサーチしてそれを軸にして気になるところに向かうと良い流れになる。無理に観光する必要は全くないし、東京でもできることを旅行先でやっても全然いい。映画を見てもいいしゲーセンに行ってもいい。青森で観光するのも青森でマインクラフトザムービーを見るのもどうせ同じくらい思い出に残る。
逆に言えば、別に東京にいたとて旅行先と同じようなことしかしないということでもある。俺は何となく旅の途中でいきなり帰りたくなることがけっこうある方だが、「別に東京に帰ってやりたいことなんて旅行中でも全部できるんだし今やればいいだろ」と思い直すことで事なきを得るシーンも多かった。
旅行先で旅行先特有のムーブに流されることなく、平時の自分がやりたいだろうことをきっちりキャッチして動くのが大事なのだろう。

25/4/5 ウソツキ!ゴクオーくんの感想 NO LIE, NO LIFE

ゴクオーくんが面白い

完全版発売記念で無料公開されていたので読んだ。かなり面白かった!

コロコロコミックに掲載されていた漫画だが、子供も大人も両受けできる作品として非常に秀逸だった。
一見すると「ゴクオーくんが嘘吐きを成敗する」という一話完結型の勧善懲悪ストーリーでありながら、同時に「ゴクオーくんが嘘を通じて人間理解を深めていく」という文学的なテーマも並走している。ミクロなエンタメの質とマクロなテーマの質がきっちりシナジーして相乗効果を生んでいる、類稀な傑作だった。

3/31で無料公開が終了したかと思いきや、エイプリルフールで復活して今月末まで読める。今すぐ全話読め!

www.corocoro.jp

勧善懲悪ストーリー!

一話を読めばわかるように、ゴクオーくんの各エピソードは以下のフォーマットで構成されている。

①事件が発生する
②ゴクオーくんが嘘吐きの犯人を推理する
③ゴクオーくんが犯人を地獄に落として舌を抜く(悪漢べー)
④犯人に「嘘が吐けない舌」が与えられ、皆の前で真相や動機を自白する

神がかった決めセリフ(第1話)

一話の尺の中で事件の発生から解決までをスピーディーに描く、推理漫画としてオーソドックスなフォーマットである。こうしてまとめるといかにも子供向けの単調な流れのようにも見えて、実際のところ、第一話から最終話までこのフォーマットを擦り続けても全く飽きが来ないのがすごい。

読者を飽きさせないポイントとして、まずゴクオーくんの「嘘を以て嘘を制す」という独特の推理スタイルがある。
ゴクオーくんは推理中に自ら嘘を吐くことで犯人の発言を誘導し、矛盾を引き出して論破する手順を踏む(「ウソを暴くこと」と「ウソによって暴くこと」のダブルミーニングとして、作中では「ウソ暴き」と呼ばれている)。
つまり、まず犯人が都合の悪い真相を隠すために最初の嘘を吐き、そこにゴクオーくんが乗っかって嘘を塗り重ねる。嘘に嘘を重ねることで真相への距離は一時的に遠のくが、矛盾が生じた瞬間にゴクオーくんが「ウソだよ~」と自らの嘘を取り下げると同時に全ての嘘が暴かれ、今度は一気に真相が白日の下へと晒される。
あえて嘘を重ねることで真相開示時の落差が増幅されると同時に、探偵側が真実を述べているという前提をいつでも崩せるため、読者にとっては情報的な変数が多くエキサイティングで予想しにくい展開を作りやすくなっている。

毎話登場する犯人たちもバリエーション豊富で魅力的だ。
舞台が小学校なので、犯人は概ねクラスメイトの小学生であることが多い(たまに先生とか部外者のパターンもある)。伴って、扱われる事件も名前が付く犯罪というよりは些末な揉め事に留まるが、それが却ってバリエーションの創出に貢献している。
リスクを知る大人は余程のことがなければ嘘を吐かないが、まだ立場や規範が未成熟で切れる手札も乏しい小学生はそうではない。ちょっとした事故を隠蔽するためだったり、どうしても欲しいものがあったりして嘘という手段に走ってしまう経験は誰にでも身に覚えのあるところだ。どんな子供でも嘘を吐いて何かの犯人になれるのが小学生という時代であり、インフレが進んだ後半には変な方向にこだわりの強い強キャラも登場してくるのがかなり面白い。

スタンド使いみたいな女子(第91話)

 

言うほど勧善懲悪か?

そんなエピソード群を楽しんでいるうちに気付くことが一つある。それはゴクオーくんは言うほど勧善懲悪の話ではない、ということだ。

確かに一話単位で見ればゴクオーくんが犯人をスカッと論破する強固なフォーマットが崩れない。しかし続き物として長い目で読んでみると、悪人の嘘を暴いてそれで全部終わり、という単純な末路はむしろ慎重に避けられていることがわかる。
さっき「小学生はどこからでも嘘を吐ける」と書いたが、逆に言えば、嘘を吐くことは必ずしも根本的な悪性の発露とは限らない。根っから悪人の小学生はほとんどおらず、小学校で起こる程度の事件なら逮捕されることもない。嘘を吐いたあとには周囲に謝罪したり周囲から怒られたりする禊を済ませることで、むしろ一皮剥けてコミュニティへ戻っていく様子が丁寧に描かれている。

犯人を単なる悪として排除しないために活かされているのが「嘘を吐けない舌」というガジェットだ。
ゴクオーくんに嘘を暴かれた犯人は、嘘吐きの舌を抜かれた代わりに嘘を吐けない舌をプレゼントされる。その効果によって犯人は事件の真相を強制的に全て白状させられてしまうのだが、そうやって真相を語るのが客観的に状況を語る探偵の舌ではなく、事件を起こした犯人自身の舌であることが決定的に重要なのだ。
嘘を吐けない舌は単発の推理ものとしては犯人の動機を最速で披露して最速で事件を畳むガジェットでありながら、嘘というテーマをより深く掘り下げるにあたっては事件を最も生産的な形で収拾する役割も担っている。

定義上、嘘とは現実に合致しない命題を主張する行為であり、すなわち現実を捻じ曲げようとする行為である。
故に嘘を吐く者は常に眼前の現実を否認することを試みている。何かを失敗した現実、弱い自分という現実、受け入れられない現実を避けるために嘘を吐き、存在しない世界へ逃避しようとする。
しかしゴクオーくんがその嘘を暴いた上で嘘を吐けない舌を与えることにより、嘘吐きは当初嘘によって避けようとしたところの現実を全て白状せざるを得なくなるのだ。そしてウソ暴きはコミュニティ内での事件解決でもあることから、その告白は周囲の全員が耳にすることになる。
公衆の面前で強制的に現実と向き合わざるを得ない状況に置かれたとき、そこで発される言葉は必ずしも懺悔ばかりではない。例えば第68話の犯人である一久世くんは「真面目キャラ」として扱われる現実にフラストレーションを溜めていたことを明かし、「むしろスッキリしたよ」と語りさえする。

嘘という抑圧からの解放(第68話)

何にせよ、真正の内面を開示した犯人は必ず周囲から真正の反応を得る。そのレスポンスには色々なパターンがあるが、一度人間関係を本音でリセットして自らが置かれている現実を直視する機会を得られることは間違いない。
こうして嘘を吐けない舌によって、犯人は単に悪として成敗されるだけではなく、同時に周囲の現実と向き合って成長する機会を得られる。犯人が真実を話したからといって悪者としてパージされることはほとんどなく、再登場したときにはむしろ現実と理想をすり合わせた大人になって帰ってくるのだ。

嘘を悪としてパージするのではなく、自分を見つめ直して前に進む機会として捉え直すこと。ゴクオーくんにおいては、嘘とは現実との葛藤の中で生み出された成長の契機でもある。

補足577:犯人が大人であるレアケースでは犯人は二度と再登場しない傾向がある。単に大人はネームドではないゲストキャラなので再登場させる動機がないという事情ではあるだろうが、既に成長を終えた大人は嘘を吐いたところでもう伸びしろがないという読みをしても面白い。

補足578:嘘は昔から哲学者の関心をよく引いており、その倫理や機能に関しては多くの議論が蓄積されている。体感的にはプラトンやカントのように嘘を悪と見做す派閥が多数派である一方、ニーチェのようにそこそこポジティブな評価を与える者も少数いる。学生時代だったら哲学的な議論を引いてきてゴクオーくんについて論じる記事を書いていたような気もする。

ゴクオーくんが人間に持っている関心は、嘘そのものというよりは自らの葛藤と向き合って内破していく成長の可能性である。それは嘘によって生じることが多いものの、時には悩み苦しむ正直者を高く評価することもある。
ゴクオーくんが正直者と協調した変則的なエピソードとして、第31話は本当にいい回だ。何に対してもバカ正直な「ガククン」はその融通の効かなさ故に厳しい立場に追い込まれるのだが、ゴクオーくんが助太刀して敵の嘘を暴くことでガククンを救う。

意外な高評価(第31話)

この話において、ガククンは絶対に嘘を吐かずに現実的ではない極端な理想を追い求めるという点で、現実とのズレの中で葛藤する嘘吐きと似たような立場にいる。
ゴクオーくんがガククンを深く理解することで嘘吐きvs正直者という素朴な対立が脱構築され、現実との葛藤というより上位のテーマを巡る中でむしろ同質のポジションを与えられる示唆深い回でもある。

最高傑作サタン編

こうした「嘘にこそ人間の可能性を見る」という挑戦的なテーマはサタン編で結実した。

第二部サタン編のラスボスである悪魔王・サタンは典型的な性悪論者だ。嘘を吐く人間の本性を悪と考え、破滅的な嘘によって人間界を悪で染め上げることを望む。
しかしゴクオーくんとサタンの対立は単なる正義vs悪という構図では全くないことは何度強調してもしすぎることはない。そもそもゴクオーくん自身も嘘吐きなのだから、人間が嘘を吐かないようにしたくてサタンと対立するわけではない(それは単に主張の仕方を裏返しただけでサタンと同じである)。
そうではなく、嘘という行為の価値をどう見るかに価値観の相違があるのだ。嘘にこそ人間の可能性を見出しているゴクオーくんと、嘘を単なる悪徳と見做しているサタンの間で対立が生じる。人間を信じずに破滅的な嘘に走るサタンの存在によって、嘘を吐くが故に人間を信じるというゴクオーくんの転倒的なポジションが浮かび上がってくる。

最終的に、サタンは自らにも僅かな善性があったことを認めて敗北する。サタン自身ですら完全な悪ではない以上、世界は性悪論で汲み尽くせるような単純なものではないのだ。
以下はサタン編クライマックスでの象徴的な名セリフだが、ここに「善の心」を含めているのが本当に素晴らしいと思う。

屈指の名セリフ(第61話)

一般的にはサタンが言うように嘘は悪だと見なされている。だから「だれにでも悪の心がある、だから嘘が存在する」というセリフならわかりやすいのだが、実際にはゴクオーくんは嘘の存在理由に善と悪の両方をはっきり含めているのだ。

これはちょっとした言葉の綾ではなく、強く意図して組み込まれたセリフだ。
なぜなら、サタンが自らに善性があることを認めたきっかけは、ヒロインの天子が自らにも悪性があると伝えたことだからだ。それまでずっと善の象徴のように描かれていた天子にも秘めた悪意があり、それ故に悪の象徴であったサタンにも秘めた善意があるのである。

ゴクオーくんの人間観においては善悪のどちらが優位であるかは重要ではなく、善悪を併せ持つことが嘘と人間の成立要件なのだ。誰しもが完全な善でも完全な悪でもなく、善と悪があるからこそ、それらが対立する葛藤の中で嘘が生じる。
現実と向き合うスタンスには常に善悪のアンビバレンスが併存し、それを乗り越えるために嘘を吐きながら人間は成長していく。この描写に揺るがない説得力を与えているのは積み重ねた一話完結型のエピソードでもある。それらが単純な勧善懲悪では終わっていなかったからこそ、嘘は善悪を超えて存在するのだとゴクオーくんが主張できるようになる。

そして、このセリフはゴクオーくん自身の成長物語の到達点でもある。
ゴクオーくんが当初は人間に対してサタンと同様に性悪説のスタンスを取っていたことは、ゴクオーくんが自ら語っているだけではなく実は第一話からきちんと描かれている。第一話ラストでゴクオーくんは「オレっちはウソつきに地獄を見せてやるぜ」などと述べているが、これは単純に嘘を咎めているだけで嘘吐きへの評価はサタンとほぼ変わらない。

ゴクオーくんはそんなこと言わない(第1話)

しかし、この第1話から続く物語の中でゴクオーくんは嘘を暴かれて成長していく人間の様子を目の当たりにしていく(その象徴的なものの一つがさっき紹介したガククンのエピソードでもある)。
推理ものの探偵役としては閻魔大王として超越的な立場から犯人を裁くゴクオーくんだが、小学校の仲間として嘘や正直の奥深さを知って考えを変えていく様子がしっかり描かれており、それがサタン編のクライマックスにまで繋がっていく。ゴクオーくんは嘘を咎めて裁く存在から、嘘を通じて人間の成長を促す存在へと連載を通じて徐々に変化していく。

補足579:現実問題、連載当初はあまり固く決まっていなかったテーマが徐々に確定していったのかもしれないとは思っている(ゴクオーくんのスタンスの変化が最初から意図されていたものかは定かではない)。しかし俺は作品の評価に生成過程を含める必要はないと考える派閥なので問題にしない。

このサタン編でいよいよ作品にテーマの筋が通り、個別エピソードのクオリティも更に一段上がった印象がある。
サタン編以降は隠蔽や虚言のようなわかりやすい嘘ばかりではなく、より微妙で複雑な嘘がフィーチャーされることが増えてくる。無自覚な嘘、周りを喜ばせるつもりの嘘、地味に相手を失望させる嘘、自分への欺瞞としての嘘など、様々なレパートリーは正直なところ小学生にはレベルが高いのではないか、一定人生経験を積んだ大人にこそ刺さるのではないかと感じる回も多い。

個人的な好みとしては番崎くんメイン回の完成度は更に頭一つ抜けていると思う。
特に第70話が好きで、自信満々なガキ大将の番崎くんが上位互換みたいな子供に出会ったことで自分のアイデンティティを失って苦しむこのページが凄すぎる。

アイデンティティクライシス!(第70話)

人生で初めて圧倒的な現実を前にして、自分を守るために自分への嘘を重ねる悲痛な内面が本当によく描かれている。まず強力な疑義が生じたあと(オレってぜんぜんたいしたことないやつだったのか?)、最初から否定の結論を出し(ちがう!)、辛うじて合理的な回避方法を探りながら(もう会うこともねーだろう)、最後には完全な嘘に縋り付く(本気出しゃ勝てた)。表情が変遷する描き込みも凄い。
実はこの回で行われるゴクオーくんのウソ暴き自体は番崎くんのアイデンティティクライシスとはあまり関係ないのだが、しかしだからこそゴクオーくんという漫画のスコープが単なる痛快論破劇に留まらないことを雄弁に語る回でもある。嘘と成長が螺旋のように絡み合う様子を描き続けてきたからこそ、本来のフォーマットを外れた部分で人間的なテーマを描き込むことも容易なのだ。
このあと番崎くんが持ち直していく姿はネームドキャラ特有の回を跨いだ設定もしっかり活かした素晴らしいものだが、それは自分の目で確かめてほしい。

嘘の敵は奇跡

コロコロの漫画によくある流れとして、定期的に新しいボスキャラが出てきて単発エピソードに紛れ込んでくるようになり、緊張が頂点に達したところでボス戦が発生して一件落着する。サタン以外のボスたちも皆いいキャラをしており、やはり人間の可能性を信じるゴクオーくんvs信じない敵たちという構図が様々なバリエーションで繰り返し描かれる(嘘を吐き続けるだけの敵は別に出てこない)。

実際のところ、一番トリッキーなボスだったのは一番最初に登場したユリ太郎だ。ユリ太郎は地獄の閻魔であるゴクオーくんと対になる天国の天使であり、それ故に人間の救済を目的としている善側のキャラだ。
しかし天使の救済とは奇跡によって人間を勝手に救うパターナリスティックなものであり、「人間は救われなければならない」と考えている点で本質的に人間を信じていない。嘘を通じて人間自らの可能性を見出すゴクオーくんの立場からすると、人間を一様に悪と見るサタンも人間を一様に救おうとするユリ太郎もそう大きく変わる相手ではないのだ。ユリ太郎とサタンに続いて登場する奇跡の使い手ネクストや洗脳持ちの邪仏といったボスたちも、結局のところ価値観の根底では人間を安く見ているところが共通している。

補足580:正直、邪仏だけ妙にキャラが浅い印象を受けたのだが、Twitterによるとページ数の都合で背景を掘り下げる回が描けなかったらしい。めっちゃ読みたいので完全版に載せてほしい。

そして、これらのボスキャラたちが軒並み「キセキ」という能力を使うのは非常に面白いところだ。キセキとはすなわち奇跡のことであり、物理的に何でもできるのはもちろん、運命を操ることさえ容易い。
どのボスとの戦いでも「ウソ」を使うゴクオーくんvs「キセキ」を使うボスという対立が明確にある、すなわち嘘の対概念として奇跡が位置付けられているのはよく考えると少し奇妙かもしれない。何故なら、少なくとも日本語においては「嘘みたいな光景」と「奇跡みたいな光景」がほぼ同義であるように、この二つは信じられないものという意味では似た概念だからだ。

しかしゴクオーくんにおいては、可能性に満ちた嘘に対して可能性を打ち消す奇跡は明確な敵であることが繰り返し描かれる。
奇跡によって実現される内容が問題なのではなく、奇跡それ自体が嘘の敵なのだ。奇跡による現実改変をゴクオーくんは「ルール違反」と呼び、いつもの嘘事件とは全く異なる次元で強く糾弾する。

ルール違反だ!(第14話)

ゴクオーくんが語るように現実というルールの中で葛藤して嘘を吐きながら生きていくのが人間であり、奇跡によって現実の方を改変してしまうことは人間の生き様を最も馬鹿にする行為になる。
逆に、嘘に対してゴクオーくんが「ルール違反」という言葉で批難することは一度もない(たとえ嘘によってその場のルールがどれだけ破られていたとしても)。人間が現実を生きる上で絶対に超えてはいけないラインとは、現実を捻じ曲げるために嘘を吐くことではなく、嘘を吐かなくてもよいように現実を捻じ曲げることなのだ。

一般にはポジティブに捉えられることが多い「奇跡」を敵専用の能力として位置付け、逆にネガティブな印象が強い「嘘」の方にこそ現実を辛うじて生き抜くための価値を与える。それは嘘にこそ人間の可能性を見出すゴクオーくんに特有の観点として非常に面白い対比である。

まとめ

総じて非常に秀逸な漫画だった。
浅く読んでも深く読んでも面白いという神業を成し遂げる作品は一定数あるが(近年で最も成功したのはちいかわ)、ゴクオーくんもその一つだと思う。
テーマである嘘を徹底的に掘り下げ、コロコロ掲載漫画らしく一話完結の短編としても面白いエンタメでありながら、嘘の意義という全体を貫く骨太なテーマに対しても大人の鑑賞にも堪える示唆がふんだんに盛り込まれている。
子供と大人を両受けしつつエンタメとしての面白さと批評的な深みを同時に備える、児童漫画の枠に全く留まらない類稀な傑作。もう一度言うが、今月末までは全話無料なので今すぐ読んでおいた方がいい(順次発売される完全版を買ってもいいが!)。
www.corocoro.jp

補足581:だからどうという話でもないので補足に回すが、ゴクオーくんのテーマは昔WJで連載されていた『魔人探偵脳噛ネウロ』と酷似している。ゴクオーくんは「当初は人間を軽んじていた人外が嘘を通じて人間の可能性を見出すようになり、人間を安く見る者たちに対して人間の擁護者として戦う」という話だが、ネウロは対象年齢層が一つ高いので嘘の代わりに犯罪が代入されて、「当初は人間を軽んじていた人外が犯罪を通じて人間の可能性を見出すようになり、人間を安く見る者たちに対して人間の擁護者として戦う」という話である。そちらも非常に面白いのでオススメ。

25/3/22 スピリチュアルに負けないために学び直す量子力学

1月末~2月頭の半月くらいでなんとなく量子力学を学び直していた。

ここまでのあらすじ

思えば、応用物理系出身なのに量子力学がよくわからないまま卒業してしまった人生だった。

学生時代に履修した量子論絡みの講義はたしか三つだったように思う。
まず学部一年か二年の頃に背伸びをして量子力学基礎みたいな選択科目を取ったはいいが、「なんかシュレディンガー方程式が運動方程式的なものらしい」くらいしか理解できず単位を落とした。戦略的撤退ではなく普通に試験を受けて普通に単位を落としたのはあれが最初で最後だった気がする。
続いて学部三年時に物理系共通で量子力学の講義を受けた。ここでも「関数ってベクトルらしい」「物理量って演算子らしい」という断片的なTips集を仕入れるに留まり、単位を落とすことこそ無かったが全体像はよくわからないまま終わった。
最後は学部四年時に量子コンピュータの講義を取ったはずだ。これは物理法則自体を扱うというよりは電気回路のようにモジュール化した素子を処理するパズルっぽい内容だったのでそれなりに理解できたが、物理的な理解を先送りにしてしまったとも言える。
結局そのまま機械学習ブームに便乗して情報系の人間になってしまい、CNNで卒論を書いたりしているうちに細かい物理学は全部忘れてしまった。

正直なところ、物理学の理論自体に大した興味がなかったので電磁気学も熱力学も解析力学もそんなによく覚えていないが、量子論に限っては社会人になってからも正確な理論を知っておきたい需要が根強い。というのも、量子論の神秘的に見える主張の数々はスピリチュアルやエンタメのような他分野での濫用が甚だしいため、正確なところをしっかり判断したくなるシーンが多いからだ。

補足576:現代的な物理学として量子論と双璧を成す相対論(相対論はあくまでも古典の範疇なので現代物理学と呼んではいけないらしい)の方は、学部二年の入門講義で割とスムーズに骨子を理解できた。ただ相対論の方は大して濫用されておらず、ウラシマ効果なども正しい理解が普及しているように感じる(『ほしのこえ』を見よ)。強いて言えば相対論用語の「世界線」はパラレルワールドを全く含意しないが、それも学術用語というよりはサブカル用語としてドメインの棲み分けに成功しているように感じる。

量子力学を学び直したいという思いが決定的になったのは因果性に関する哲学書を読んでいたときだ。
特にヒュームが主張したものが有名だが、因果性の要件に「空間的隣接性」を挙げることには一定の説得力がある。すなわち因果とは常に衝突や伝播のような直接接触イベントを伴うものであり、一見すると離れて生じているように見える因果であっても、微視的に見れば空気や光を媒質として近接効果が連鎖しているに過ぎないということだ(それは物理学的にはアインシュタインの世界観でもある)。

しかしこの話を持ち出すとき、哲学者たちは揃って「最新の物理学によるとそうでもないらしいが、」という保険をかける傾向がある。
ここで意識されているのは量子もつれ、すなわち量子力学によれば離れた位置にある量子同士が媒介なしで互いに何らかの影響を及ぼし合うことができるらしい……という巷に流れる例の噂のことだ。その昔、カントが認識の条件に時間と空間をそれぞれ含めてしまったことが後世の相対論によって普通に否定された轍を踏まないように慎重になっているかどうかは定かではないにせよ、とにかく因果性の議論をするにあたっては量子もつれに対する予防線を張っておく風潮が一定ある。
それは彼らが深入りするほど物理学に詳しくないからでもあるかもしれないが、経験上、人文系の学者がグラフ理論やデータサイエンスに関して誤ったことを言うケースは少なくないため、理系サイドとしては実際のところを数式レベルできっちり把握しておきたい気持ちが生じる。

上記のような経緯を踏まえて、ざっくり以下の二点が目標になった。

①量子力学の基本的な枠組みを数式レベルで理解する
所与の実験結果や理論によって導かれる帰結というよりは、数学的構造のようなボキャブラリーについて目的意識を含めて把握したい。

②量子もつれの実際のところを理解する
結局、哲学者たちが目配せするような非局所的因果はあるのかないのか。そしてそれは基本的な枠組みの中でどのように説明できるのか。

逆に言うと、これら以外の理解はあまり目指していない。例えば水素原子モデルやトンネル効果を導くための数学的技巧など。
読む本はAmazonとか本屋で良さげなものを三冊選んだ。最近出た入門書を一冊、由緒正しい教科書を一冊、話題に特化した一般書を一冊。

基礎から鍛える量子力学

良著。
『初学の編集者がわかるまで書き直した 基礎から鍛える量子力学 基本の数理から現実の物理まで一歩一歩』というオモコロの記事タイトルみたいな書名を名乗るだけあって確かに入門向けによく配慮されている。こういう見た目の本を手に取るときは著者がちゃんとしているかを確認する必要があるが(せいぜい修士卒のサイエンスライターとかでないか?)、これは職業物理学者が書いているので信頼できる。

本文の丁寧な筆致を示唆するようにAmazonの紹介文がやたら長い。

【内容紹介】
本書は、基礎となる数理・物理から出発し、丁寧なステップを積み上げながら、量子力学のスタンダードな計算を自分の手で実行できるようになることを目指す、独習可能な教科書です。
・言葉や雰囲気だけの量子力学では飽き足りず、
・誤魔化しなく、自分の言葉で量子力学を理解したい、
・けれども、専門書の行間を埋めながら読むのはちょっとつらい ⋯という方を想定しています。社会に出てから改めて学びたくなった方や、量子力学に初めて触れる大学生がちょうど当てはまるでしょう。高校数学から説明しているので、学ぶ意欲があれば高校生でも読めるはずです。大まかな構成は以下の通りです。
出発点は古典力学です。古典と侮ることなかれ。ニュートンの運動方程式を突き詰めると、「時間発展はハミルトニアンによって生成される」という理解に到達します。この構造は、量子力学にそのまま受け継がれる非常に重要なものであり、量子の世界へのアクセスポイントになります。
続いて、量子を表現するために必要な数理の代表格、線形代数の基礎を構築します。具体例を用いて、ベクトルの本質が線形性にあることを学び、それを自然に抽象化することで、量子の道具であるベクトルと線形演算子の概念を手に入れます。これらの理解を総合し、ハイゼンベルク形式の量子力学、別名行列力学を構成することが前半の目標です。
ハイゼンベルク形式は、古典力学との接点が見やすい半面、少々扱いづらいのが難点です。そこで私たちは、量子力学を、より扱いやすいシュレディンガー形式、別名波動力学に書き換えます。これによって、いわゆる「シュレディンガー方程式」という、扱いやすい微分方程式を通じて量子力学を扱えるようになります。
ここから先は、論点が「量子力学を構成すること」から「完成した量子力学を使って自然現象を説明すること」にシフトします。量子力学で説明できる自然現象は多岐にわたりますが、本書では、シュレディンガー方程式が手計算で解けて、量子の典型的な特性を学べる題材に絞ります。具体的には、外力が働かない自由粒子、ポテンシャル障壁をすり抜けるトンネル効果、解ける量子系の典型例である調和振動子、そして、量子力学の金字塔である水素原子について個別に解説します。
これらをひと通り学び終えた暁には、皆さんは自信を持って、「私は量子力学の基礎を修めた!」と言えるようになることでしょう。

ここにあるように、解説内容は概ね①ハミルトン形式の解析力学(物理学の準備)、②抽象線形代数(数学の準備)、③量子力学理論(物理学と数学の融合)、④量子力学実践(理論の適用)という4ステップに分かれている。

準備に二章を割いていることからわかるように数式ベースで理論をしっかり展開しつつも、説明が公理からの厳密な演繹ではなくお気持ちメインなのが画期的でありがたい。
理系のほとんどの分野において所与の公準から定理などを演繹していく説明スタイルが主流である中、理論を咀嚼して現実的な意味を吐き戻す解釈作業は捨象されることが多い(それは研究室内の口伝とかに任されてきた)。
しかしこの本では「|x>は量子力学での位置みたいなものです」みたいなアバウトなイメージの伝達を先にやってくれるので個々の数式を物理的な解釈に接続しやすい。特に抽象化した線形代数を導入するにあたって例の線形空間の公理群を本文中で述べずにコーヒーブレイクに回しているのが偉かった。

個人的には、ハミルトン力学と抽象線形代数の使い道が明確にわかったのが良かった。
この二つについては、理屈はわかっても理学部の連中が一般化フェチを満たす以上の意義がどこにあるのかよくわかっていなかった。ハミルトン力学はニュートン力学に等価な変形を繰り返しているだけだし、抽象線形代数も実用上では成分計算に戻ってくるのであれば途中でそれをあえて追放する素振りを見せる必要はない。悪く言えば、この二つは同じことをわかりにくく言い換えているだけのような感じもする。
しかし、今回の「量子力学を導出する」という文脈に照らすと意義がはっきりしてくる。ハミルトン力学については交換関係と同じ数学的構造を持ったポアソン括弧を用いた表式であるために量子力学とのアナロジーを与える際に都合がいいし、状態ベクトルから様々な物理量を得るにあたっては細かい成分の数値よりはどの基底で展開するかという選択の方が本質的だ。一つ前の記事もそうだが(『コンピュータネットワーク』)、工学部出身なので最終的に何がどう嬉しいのかがはっきりした方が嬉しい。

ただ、やはり厳密な話を省いているために深く考えようとすると説明不足でよくわからなくなる箇所はいくつかあった(これは説明上のトレードオフなので決して瑕疵ではないが)。
例えば、連続固有値に対応する固有ベクトルの内積はδ(0)となって発散するはずだ。これは状態の確率的な解釈と矛盾を来すが、本文中ではこの問題が生じないように巧妙に回避されている。なお、後述の清水本では「連続固有値に属する固有ベクトルは、実はHの元ではない(p72、なおHとは複素ヒルベルト空間を指す)」とはっきり明言されている。
また、位置演算子の固有ベクトルを求めるところで固有ベクトル|λ>ではなく代わりに固有関数ψ_λ(x)を求めて済ませるところもよくわからなかった。実体としては同じという雰囲気はわかるが、厳密に言えば型が違う(プログラミング語で言うと異なるクラスに対してポリモーフィズムが仮定されている)。これも詳しい人に聞くと「これ俺はよくないと思ってるんだけど、関数を関数に写す演算子と同じ記号でケットをケットに写す演算子を表記してるから同一視を飛び越えて違うものを同じ記号で表してるんだよね」とのことで、確かに記号の濫用が背景にあるらしい。

量子論の基礎

あの清水明謹製の教科書シリーズ。一般向けというよりは物理学徒のニュービー向け。

全ての量子論に共通する基本原理から始めて、具体化し、個々のケースの応用例に向かうという、従来とは逆の流れで量子学を説明する。基礎と本質をきちんと、しかし易しく解説した量子論の教科書。2003年刊の新版。

松浦本に比べるとかなり理論重視でトップダウンに構成されており、あちらが導出対象としていた命題も所与としていることが多い。
例えば、シュレディンガー方程式についてあちらではハミルトン形式から類推したハイゼンベルグ方程式の時変部分を推移させる形で導出していたが、清水本では単に所与となっている(もっとも、松浦本でもアナロジーを解説しているだけで厳密に物理的ないし数学的な立証が行われたわけではない。身も蓋もないことを言えば、最終的には実験事実に符号するというチェックが全てではある)。

学部一年の頃に同著者の『熱力学の基礎』を読んだときはそれほど感じなかったが、今読むと清水本の体裁のありがたさが身に沁みる。とにかく全体の文脈がしっかり把握できるようによく配慮されている。

まず「続く記述は発展的な内容なので読み飛ばしてよい」ことを明示する♠マークが嬉しい。
これは物理学どころか学術的な文章に限ったことでもないが、任意の説明文においてあらゆる文章のウェイトが等しいことは滅多にない。大抵、説明の根幹を成す「絶対に読まなければならない内容」と、例外的な事柄への補足や想定反論への反論のような「最悪読まなくてもいい内容」の間に様々なグラデーションがある。
この二つが区別しにくいのは「文章は一次元的にしか進行できないから」という単なる表現形式上の制約に過ぎず、可能なら記号か何かで弁別できた方がよい。細かい末節に拘うことなく本論を最後までバッと追えた方が全体の流れを抑えやすい。

また、最も一般的な公理としての命題を「要請」として明示する論理構成もありがたい。
論理的な構造物において、多くの繋がった情報を一気に説明すると仮定や事実や帰結のような異なるレイヤーの情報が入り乱れて混乱してしまうことが多い。特に量子力学では高度に数学的な構造の上であまり直感に沿わない物理的な事実を扱うため、推論の経路も数学と物理の二タイプに分かれてなおさら混沌としてくる。
例えば数学的な構造に対する公理(線形空間の公理など)、物理的な実験結果としての事実(物理量の測定結果が確率的であることなど)、純粋に数学的な操作によって導出される定理(デルタ関数の挙動など)、数学的構造と物理的解釈の設定(ボルンの確率解釈など)、数学的な帰結に対して物理的な解釈を加えることで推定される事柄(ハイゼンベルグの不確定性原理)など。
これらが微妙に違うレイヤーにあるため、論理的なラベリングとしてトップダウンで要請を切り出してくれることによって全体像が見えやすくなる効果が大きい。

この本では「直感的ではない微視的な物理法則をどのような数学的構造で表現するか」という、いわばプラットフォーム作りをドラマチックに追うことができた。俺が一番詳しいのはデータサイエンスなので「状態は物理量を確率分布に移す写像である」という説明が非常にわかりやすい。
物理量は古典力学では実数の確定値だが、量子力学では確率分布として与えられる。よって、理論的な予測対象は時間変化する実数ではなく時間変化する確率分布になる。故に時間変化する物理量は古典力学では位置と運動量で張った位相空間上の軌道として記述できるが、量子力学では時間変化する多次元確率分布が必要になるとも言える。それに加えて運動に内包されている物理的な原理、すなわち物理法則に従う時間発展を組み込むための数学的な構造が要求される。

この課題を処理するために線形代数が呼び出される。
アバウトに言えば、あるベクトルに対してある物理量に対応する基底を指定したときの成分を物理量に対する確率分布と見做してしまえばいい、というだけの話ではある。このボルンの確率解釈こそ、デカルトが夢想した松果体のように数学的構造と量子力学的解釈を接合する要石になる。
ベクトルの成分を確率分布の表現に用いるというアクロバティックな流用はかなり面白く、古典力学では運動方程式と時間微分で記述されていた物理法則が量子力学ではシュレディンガー方程式と正準交換関係になる(この数学表現に感心できるようになったのは確率分布と線形代数を別用途で使う経験を積んだおかげでもある)。

量子の不可解な偶然

量子もつれにおける非局所的な挙動の説明に特化した本。一般書の立て付けではあるが、実験中心の有名物理学者が書いているので信頼できる。

量子コンピュータや量子暗号、量子テレポーテーションといった近未来の科学技術は「量子もつれ」と呼ばれる量子の世界の性質に基づいている。量子もつれは、これまで我々が抱いていた常識的な世界観では理解できない、空間を跳び越えて働く不思議な性質(非局所性)を備えている。それゆえ、かのアインシュタインも生涯その正当性に疑いを持ち続けることになったが、現在では量子もつれの存在は量子技術の進展とともに実験的に確証され、新しい情報科学として応用されつつある。
著者のジザンは量子物理学の世界的研究者の一人であり、量子の非局所性の基礎研究から量子情報技術の応用まで広い分野での顕著な業績で知られる。その彼が、量子もつれの本質から量子情報科学への応用に至るまでを数式に頼らず、直感的かつ正確に解説したのが本書である。特に量子もつれの不思議さの徹底した分析を通じて、「遠隔地に現れる偶然性」の考えのもとで量子の非局所性を理解する新しい自然観が提示される。
現代は科学史上、ニュートンの時代に次いで最大の科学革命の時代だと言われる。それは主として量子物理学の革新によるものであり、とりわけ量子もつれのもたらす非局所性がその根幹を成す。読者は本書を読み進めることにより、新時代の科学革命の内容を新たな常識として身につけることができるだろう。
量子論は驚くほど整合的で美しい!

ワンイシューだし読みやすい本だった。
結論から言えば「確かに非局所的な相関はあるが、それは非局所的な因果を意味しない」が答えのようだ。「異なる場所にいる二人がサイコロを振って、実際に出る目はわからないが同じ目が出る」という説明が最もわかりやすかった。
同じ目が出るということは「一方が大きいときもう一方が大きい」という意味で数量的な相関関係があるが、しかし出る目自体はそれぞれの地点でアンコントローラブルなので、どちらかが原因か結果になることはできない。
データサイエンスの枠組みで言えば、これはいわゆる「相関関係は因果関係を意味しない」の話でもある。統計的に同じような振る舞いをするからといってそれが因果を伝えるとは限らない。例えば、海難事故件数とアイスの販売数は明らかに正の相関関係にあるが、一方を増やすことでもう一方を増やすことはできない。

Future Work

色々読んでいる間に気になってくることとして、量子力学の理論的な説明スコープは「不可解な現象を正しく表現・予言すること」のみであるから、予言自体の不可解さは依然として温存されていて直感的な理解を拒んでしまうことがある。
例えばシュレディンガー方程式を解いて運動を予測したところで「そもそも物理量が確率的にしか観測されないのは何故なのか」という疑問は全くクリアされないし、非局所相関においても「なぜ遠隔で状態を重ね合わせることが許容されるのか(遠隔での重ね合わせ状態が許容されるのであれば確かに量子状態の数学的構造から量子もつれの挙動が導出されることはわかるが、そもそも状態の表現範囲に遠隔での重ね合わせ状態を許容する理由がわからない)」という疑問に関して同じである。
恐らく実験科学としては「それはそういうものとして受け入れるしかない」というのが正しい態度なのだろうが、そうなってくるとエヴェレットの多世界解釈のような魅力的な説明への欲求を退けることが理論というよりは倫理の問題になってしまう。任意のファンタジーを展開したいわけではないにせよ、自然科学の心と齟齬を来さない範囲でもう少し原理に踏み込んだ説明がある方が嬉しいという微妙な状態がある。

詳しくないのでよくわからないが、この辺りの問いに一定のアンサーを与えるかもしれないものとして、最近は量子論を情報理論と見做す流れが現れ始めているらしい……みたいな話をちょいちょい耳にする。

この堀田本がその代表選手であり、ボルンの確率解釈を所与とせずに量子力学を構築するらしい。もしそれが可能なのだとしたら、すなわち「確率的に振る舞う物理量」という全く直感的ではない観点ではなく、「観測による情報量の変化」という直感的に理解しやすい観点から理論を基礎づけることが可能なのだとしたら、(仮に実験理論としての予言能力は同じだったとしても)門外漢としては直感を超えた解釈を要求しない点でより優れた説明という評価を与えて問題ないと思う。

と言いつつ、この辺りで飽きてきてしまったので堀田本までは読んでいない。いつかまた気になったら続きをやる。

25/3/16 タネンバウムの『コンピュータネットワーク』を読んでワンランク上の現代人になった

タネンバウム『コンピュータネットワーク』

ここ1ヶ月くらいタネンバウムの『コンピュータネットワーク』(第6版)をずっと読んでいた。

Amazonの書影で見てもわかりにくいが、技術書としては最大級に重厚な本である。23.4 x 17.8 x 4.1cmという辞書クラスのサイズ、手近にあった宗教学辞典より大きい。紙版で904ページ、kindle版に至っては1629ページ。重量は一冊で1.5kgに及ぶ。

でけえー

しかしあまりにも面白すぎたので最近はどこに行くにも持ち歩いて読んでいた。分量は多いが面白すぎるのでサクサク読めて1周あたり2週間くらい。面白すぎて通読を2周したため、2週間×2周分をこの本に拘束されていてブログの更新が4週間止まった。

補足575:最初に中野図書館で借りたら次の予約を入れられてしまって延長ができなくなり、仕方なく千代田図書館で借り直した。Twitter上では書名を出さずに黙って読んでいたのは、下手に褒めるツイートをしてまた予約されて延長できなくなるのを防ぐため(さっき延長が通って懸念が消えたのでこの記事を投稿している)。ちなみに版が変わるごとに時代に合わせて別物と言えるほど内容が大きく変わるタイプの本なので(マイナーチェンジで済むタイプの本ではないので)、読みたい場合は最新の第6版を探すことを強く勧める。
 

技術者、学生必読の伝説的名著の最新版らしい

元々存在を知っていたわけではなく、単に図書館でパラパラ捲ってみて面白そうだったから借りたのだが、ネットワークエンジニアの知り合いによれば界隈ではけっこう有名な本らしい。Amazonに書いてある紹介文は以下の通り。

技術者、学生必読の伝説的名著の最新版が登場!
MINIXの開発者であり、コンピュータ・サイエンスの分野で世界的な定番となっている数々の教科書の著者であるアンドリュー・S・タネンバウム教授の名著『コンピュータネットワーク』の最新版。ナイキストの定理のようなデータ通信の理論的な基礎から、スマホなどで使われている最新のネットワーク技術までを体系的に学べます。共著者にシカゴ大学のニック・フィームスター教授を迎え、第5世代セルラー・ネットワーク、100ギガビット・イーサネット、そして11ギガbpsに至る802.11axのWiFiといった最先端技術の解説を充実させました。

ネットワークの技術書ということで、いわゆるプロトコルスタックに対応する物理層からアプリケーション層までを下から順に一層ずつ詳しく解説している(厳密に言うと、IPA試験によって日本では有名なOSI参照モデルとは若干異なる切り分けを採用している)。ネットワークの全てを表現したモデルに準拠した解説の順序自体はオーソドックスなものと言って差し支えない。

しかしその辺の技術書と一線を画しているのは、単なる理論の解説に留まらずに歴史的な経緯や政治的な事情が常に同時に展開されるところだ。
例えばある技術が一つあったとして、その需要は歴史的な経緯と政治的な交渉によって生じ、数式の外から来る制約を背負っていたりもする。そういう「実際のところはどうなっているのか」というエキサイティングな現実がこれでもかとばかりに詰め込まれているため、技術への解像度が有り得ないくらい上がる素晴らしい本だった。

回線張り直したくないから技術でどうにかしてよ

例えば、技術的に言えばネットワーク回線が世界中に張り巡らされて地球規模での通信が可能になっているのが今我々も使っているインターネットである。ここまではいい。
だが、電柱や海溝を走る回線は山や野を走る河川と違って原初の時代から自然に存在していたわけではない(創造論者の技術者なら「世界設計の要件には含まれていなかった」と言うかもしれない)。だったらいつ誰がどのように創ったのか。
実は最初からインターネットを作ろうという意気込みによって回線が張られたわけでは全くなく、既に使われていた電話やケーブルテレビの回線をそのまま使うことにしたのである。つまり現在のインターネット網は一から張ったというよりは転用によるところがかなり大きい。

ところが、その転用を行う前は現在のインターネット用途はもちろん想定していなかったのであるから、物理特性やトポロジーは満足な設計になっていない。
物理特性において最も典型的なのは信号の周波数帯域だ。物理回線の種類によって定まる帯域幅はナイキストないしシャノンの定理によって単位時間あたりの情報量に、すなわち皆さんがfast.comで毎日測っている通信速度としてボトルネックに直結する。
また、トポロジーに関しては転用元にした回線のタイプによって事情が異なる。電話線は加入者が別個に通話を行うために加入者間の独立性が比較的保たれている一方、ケーブルテレビは逆に加入者全員に同じ動画を下りで配信するためのシステムなので加入者間の分離がイマイチ弱い。

これらの問題を解決してインターネットを創世するにはどうすればいいのだろうか? このように商業的・歴史的な経緯によって不可避に生じてしまった課題を解決するために初めて技術理論が登場する。
まず世界中の物理回線を張り換える工事のコストを払わずに狭い帯域で何とかして通信速度を確保するためには、帯域あたりで伝えられる情報量を増やすしかない。こうして1シンボル1bitの原始的な波形ではなく、周波数や振幅を組み合わせて1シンボルあたり4~8bit程度を一気に表現して情報量を16倍や256倍に盛るQAM技術への需要が生じる。
またトポロジーの問題で加入者間での電気信号の物理分離が難しいのであれば、アルゴリズミックな信号処理手法で分離を試みなければならない。周波数を使えばFDM、時間を使えばTDM、位相を使えばPSKのように状況に合わせた様々な手段がある。

ここまでの説明において、歴史的な経緯による要請から合目的的に理論の有用性を主張できていることに注目したい。
確かにフーリエ変換や変調技術を純粋な理論として学ぶことも可能ではあるが、その現実的な需要が「インターネット黎明期からの回線の転用」という学術的には非常にせせこましい、しかし経済的には極めて重要な背景に結びついていたと丁寧に説明しているのがこの本だ。

このように『コンピュータネットワーク』では具体的な理論に即した現実的な経緯が常にセットで説明されるため、両方を折衷したワンランク上の理解に到達できる。
「同じ帯域でたくさん情報を運べる方が嬉しいよね」という定性的な理論で満足してもいいが、「元々の電話回線ではせいぜい56kbpsくらいしか出なかったんだけど、最大15bit/シンボル程度のQAMで今普通に使ってるような10Mbpsまで何とか伸ばしたんだよね」という定量的な肌感を養うのも悪くないだろう。

ルーティングするなら金をくれ

こうした理論と現実を折衷した解説は政治や金銭が陽に絡んでくるシーンで更にエキサイティングになってくる。

例えばパケットルーティングにおける計算リソースの分担について考えてみよう。
TCP/IPの一般的なルーティングの説明として「インターネット上の情報はパケットに分割されて世界中のルーターを伝うことで地球の裏側にも伝わる」みたいなことはどのネットワーク技術書にも書いてあるが、よく考えるとこれはけっこうおかしな話である。

というのも、パケットのヘッダーを処理して適切に中継するのにも貴重なCPU計算コストがかかるからだ。インターネット利用者のうち、自分と関係ないパケットを運ぶために自分の電気代を支払いたいお人良しはいったいどのくらいいるのだろうか?
確かにインターネットは紳士協定で回っている部分もあるにせよ、結局はDNSがナイーブなUDP使用を諦めなければならなかったように、いまや悪意と札束が跋扈する仮想空間で計算リソースを無償提供するボランティアが全ての伝送を支えているという性善説はあまりにも説得力に乏しい。

そこのところ、世界が往々にしてそうであるように、実はルーティング界においてもトランジット契約という名の金銭授受によって調和が保たれているのだ、というところまでこの本は解説してくれる。
現代のインターネットで長距離パケットを中継する主体は主にはISPなどの組織的ネットワークであり、それらの間でお互いに情報と金銭を交換して誰が誰のパケットをいくらで中継するのかがきっちり定まっているのだ。ここは技術と理論ではなく政治と交渉の世界であり、お互いに利益があるのなら無償でのピア契約でもいいが、テーブルについた相手方の第一声が「こちらは契約しなくても構わないのですが?」なのであれば、会議が終わる頃には有償でのトランジット契約が結ばれていることだろう(もちろんこちらが支払う側で)。

その上で、この本はあくまでビジネス書ではなく技術書であるから、そうした契約の内容に応じてアドバタイズ(ルーティングに必要な情報提供)がどのように内部的なアルゴリズムとして処理されるのかまで解説しているのが素晴らしい。
これで契約と実装がきっちり結び付き、パケットルーティングは単なる理論上のプロトコルで済むものではなく、リソースを交換し合う社会的な契約がアルゴリズムに組み込まれている……という現実にまではっきり視座が上がる。

帯域利用効率13%……カスです

ここまで物理層における回線とネットワーク層におけるルーティングについて紹介したが、このような話があらゆる技術に付随して展開していく。
解説が下層から上層に進むにつれて、プロトコルスタック自体がそうであるように、現実に即した深い理解が異なる層の異なる技術に対しても波及していくのがこの本の真骨頂だ。技術と現実が繋がる水平的な事情を理解していると、層を跨ぐ垂直的な論理に対しても縦横無尽に物分かりが繋がっていく。

例えば再送管理などがそうで、上位層が行う再送方式の選択も元を辿れば下位層の特性に依存してくるところが大きい。
再送方式には様々なパターンがある。全てを再送することもできるが、誤った要素だけを部分的に再送してもいいし、あるいは誤り訂正符号で済ませることにして再送しなくてもいい。ある状況においてどれが望ましいかは、最終的にはやはり物理層からの要請で決まってくる。
例えば元々誤り率が低い最近の有線物理回線を使っているなら、誤り訂正まで行かずとも誤り検出だけして再送で対応するのが帯域効率が最も良いかもしれない(一般に誤り検出よりも誤り訂正の方が大きな冗長性を必要とする)。こうして回線の信頼性は再送方式を定め、再送方式が帯域利用効率を定め、帯域利用効率が輻輳制御を定め……というように、全ての設計が連鎖していく。
要請が逆に上から下に伝播するパターンもあるのが面白い。例えばBluetoothは安価な無線方式であるために外乱に対して極めて脆弱であり、様々な箇所でデータを3回(!)繰り返すという絶望的な方式で冗長性を確保している。ここに周波数ホッピングとヘッダーまで加わった結果、帯域利用効率は驚異の13%(!!)という異常な低レートを叩き出す。
しかしBlutoothは元々PAN向けの技術であるから、伝送効率が多少悪かったところで半径10mより外のネットワーク帯域を圧迫して輻輳被害を招くことはないのだ。こちらは帯域の余裕が実装の余裕に繋がり、実装の余裕が金銭の余裕に繋がっていくケースと言える。

問:暴力団員と国際標準を交配すると何が生まれるか?

技術の需要や整合性を密に考えるにあたって、単なる解説だけではなく批評や批判が多く紹介されるのも楽しいところだ。

例えば日本では著名なOSI参照モデルは実際のところ規格としては人気がないことが記されていて衝撃を受けた。「七つの層の選択は技術によるよりも政治によるほうが大きく、層のうちの二つ(セッション層とプレゼンテーション層)はほとんど空であり、別の二つの層(データ・リンク層とネットワーク層)は詰め込みすぎである(p61)」らしい。

他にも「IPSecでAHとESPが共存しているのは歴史的経緯によるものでしかない(ので、AHは早晩使われなくなる可能性が高い)」「IPマスカレードはIPv6が普及するまでの応急対応策に過ぎず批判が絶えない(実際、紙面を見開きで使って七項目に及ぶ批判が列挙されている)」「HMACの真骨頂は速さにあり、暗号化処理を挟むより暗号鍵ごとハッシュにする方が圧倒的に早い(ので、完全性をチェックしたいだけならHMACが優位)」など、内実を踏まえた直截の批評の紹介には枚挙に暇がなく、技術的な原理だけではなく現実を見据えたトレードオフについてもはっきり知ることができる。

ちなみに誤解のないように書いておくが、この本で比較されるのは言語などの実現方式に依拠しない標準規格や抽象理論のレイヤーにおいてであって、言語依存のコーディングレベルにまで下りることはまずない。つまりここまで「理論と現実の橋渡し」と言って指している現実とは歴史的経緯や物理的要請に厳密に限られ、読者が現実に利用する際の個別具体的な手順ではない。
ただ、個人的にはそれも含めて非常にありがたかった。別に仕事で使ったりはしないので実装には大した興味がない。特にアーキテクチャやライブラリに固有のアドホックな説明は全く求めておらず(例:「cook_ramen()は現時点で道系ラーメンをサポートしていない」)、一般性が高く実現方法に依存しない解説が読めるのは門外漢にも優しい。

あなたの敵がMossadなら、あなたは死ぬでしょう

そんな周辺事情の話をふんだんに詰め込んでいるために情報量の多い本でありながら、文章が普通に面白いのも素晴らしい。文才のある海外の学者や理論家に特有の機知に富んだ言い回しが多用され、これだけ文章量が多くても全く飽きずに二周できるのはひとえに文章が面白いからに他ならない。
例えばセキュリティ対策には仮想敵に合わせた適切なレベルが必要なことを説明するにつけても以下の調子である。

もし、あなたの敵がMossad(訳注:イスラエル諜報特務庁)なら、あなたは死ぬでしょうし、あなたができることは何もないでしょう。Mossadは、あなたがhttps://を採用したところで怖気づくことはない。Mossadがあなたのデータを欲しがるのなら、ドローンを使ってあなたの携帯電話を携帯電話の形をしたウランの欠片と交換し、あなたが腫瘍で死んだら、彼らは記者会見を開き、「IT WAS DEFINITELY US(私たちの仕業だ)」と書かれたTシャツを着て、「私たちではない」と述べるでしょう。それから、あなたの遺品をすべて買うでしょう。
(p696-697)

だいたいこんな文章が割とよく挿入される。技術書に文学的なウィットがどれだけ必要かどうかは趣味の問題だが、俺はライトノベルと同列に読んでいるのでこの進行は非常に嬉しい。

応用情報の取得が……できるなら

勧めるからには通読に必要な事前知識についても書いておこう。

残念ながら、全くの初学者がこの本を読むのは不可能に近いということをここで言っておかなければフェアではない。
フーリエ解析やグラフ理論の基礎は一応軽く説明されるとはいえ、それだけで技術的な応用に耐えるレベルの理解を得るのはまず不可能と思われる。この本だけでは理解できないのになぜ書いてあるのかというと、この手の本にはよくあることだが、学部を卒業したあたりでフーリエ変換の係数導出式を頭の引き出しにしまい込んだまま忘れてしまった人が再びその在処を見つけるための灯火を提供しているだけだ。

コンピュータサイエンスの一般的な知識は説明なしで用いられることも多く、例えばバッファや排他的論理和がわからないようだと必要なボキャブラリーがまだ備わっていないと言わざるを得ない。また、プログラミングに通暁している必要はないにせよ、C言語のコードを見て何をやっているのかくらいはふんわりわかった方がよい(コードの詳細には踏み込まないにせよ、典型的な処理を説明するための疑似コード的な使い方では何度か出てくるので)。

私見ではあるが、この本を読むのに問題ないラインは恐らく応用情報技術者か情報学部後期くらいだと思う。

人生に残る名著

総じて感動的な一冊だった。
人生において読んだ時期もちょうど良かったのかもしれない。個人的にはネットワーク技術に関しては一定理解しているが別に専門でもないので知識がふんわり散在している状態だったため、全ての理解が有機的に繋がって筋の通った形に収斂していく快感があった。
実際のところ、この本は辞書のような見た目に反し、狭く深くというよりは明らかに広く浅くの本である。ネットワークに詳しい人、特に何らかの形でネットワークを運用する当事者は担当項目においてはより深いレベルで物を知っているはずだ。とはいえ、実装に寄りすぎない奇跡的なバランスで概ね誰にでもわかるように実情を網羅しているという情報管理にこの本の意義と読書の価値がある。
仕事や趣味で使う予定は一切ないが、読書として本当に面白かった。これを読める知識基盤がある人には誰にでもお勧めできる。

25/2/15 美大芸大の卒展巡りにハマったから良かった作品を紹介するぜ

卒展巡りが面白い

1月末頃から卒展巡りにハマって都内の美大・芸大を巡っていた。

補足573:美術大学と芸術大学の違いをよく知らなかったが、ざっくり言うと美術は芸術の部分集合で視覚芸術のみを扱うらしい(音楽も扱っていると芸術大学になるらしい)。ちなみに東京に芸術大学は東京藝術大学しかないので、関東で藝大と言うと芸術大学の略ではなく東京藝術大学を指す固有名詞になる。

稀にプロの美術展に行くこともあるが、一番面白いプロの美術展より一番面白くない卒展の方が面白い。
卒展の最も良いところはジャンルや作品数の圧倒的な豊富さだ。美術展と違って全体コンセプトが特に統一されておらず、色々な学科の色々な学生たちが各自の成果を個別に展示している。古典芸術だけではなく現代メディアを扱っていることも多く、絵画も建築も彫刻もゲームも漫画もアニメも何でもありだ。作品ではなくデザインやUIに関する研究資料が成果物になっていることもある。
個人的にはやはりサブカルっぽいものや情報系の展示に惹かれるが、ロジカルな筋が通っていて感心する研究などもたまにあったりする。

正直なところ、作品のクオリティはピンキリではある。
「学生の時点でこんなに上手かったら残りの人生で何するんだろう?」みたいなやつがあれば、「美術部の高校生でももうちょっとマシなもの作るんじゃないか?」みたいなやつもある。
とはいえ、それこそがむしろ卒展の面白さだ。作品は無限にあるので興味を惹かないものはスルーして問題ないし、全体を回っているうちに二つや三つは気に入る作品が見つかる宝探しのような楽しみがある。
技術的には拙くてもキャプションを読めばやりたかったことが伝わってきて「なるほど」と思うものも多い。金を払っていたら「何やねん」と思うかもしれないが、そもそも入場無料である。

それぞれの展示会の感想と、特に良かった展示を二・三個ずつ上げる。
ただあまりちゃんと記録していなかったのでタイトルがわからないものが多い。卒展の展示はネットにも情報が出ないので現地で情報をチェックしなければ失われてしまう。そういう一期一会感も良い。

補足574:個別の作品に対する批判はSNSやブログに絶対に書かないことにしている。金を貰って作品を作っているプロには何を言ってもいいが、無料で展示している学生にネガティブなことを書くのは良くない。
 

武蔵野美術大学

1月20日来訪。
かなり広いキャンパスのほぼ全域を会場として利用しており、作品数の多さやジャンルやクオリティの多様さでは群を抜いていた。物理作品ばかりではなく、アプリ開発を行ったりワークショップを開催したりした成果を発表している展示もある。
「卒展って面白いな」と思ったのは一番最初に武蔵美に行ったおかげかもしれない。オススメ。

月光の怪盗

現代的なキャラクターデザインを成果物とする展示においてコミケのブースみたいなやつが展開していることは割とよくある。
キャラパネルやタペストリーやグッズ類がふんだんに置かれ、(少なくとも商業的には)世界に存在しないコンテンツが「大人気アニメ化作品でござい」という顔で絢爛にディスプレイされている現実侵食感がかなり好きだ。

その中でも明示的に「メディアミックスを活用した表現」をテーマにしており、特にクオリティが群を抜いていた一作。全体的な色やデザインのトーンにきっちり統一が取れており、小物類まで含めていかにもありそう感が凄い。

ツイート一枚目の背景に見える「研究概要」には以下の通り書かれている。卒展では作品が何かの研究成果という立て付けになっていがちで、こうして意図がきっちり提示されることが多い。

当研究は「メディアミックスを活用した作品展開による人物キャラクターの表現」をテーマとしている。
様々な人物キャラクターが登場するロールプレイングゲーム作品を想定し、作品の全体的なストーリーと、登場するキャラクターを考案する。イラストや映像など、制作したキャラクターに関する情報の補強を目的としてビジュアルコンテンツを複数制作し、作品設定とこれらのコンテンツを活用した展示空間を構築し、展示空間自体もコンテンツ表現として位置付ける。
……

想定するだけあって、例えばツイート3枚目でMacに映っているゲーム画面のモックで立ち絵の後ろにちゃんとSDキャラが配置されている細かさが良い。
ノベルゲーム作品ではなくロールプレイングゲーム作品を想定しているのであればこの画面が正しい。操作対象はSDキャラクターで、会話シーンでのみ立ち絵が挿入される状態遷移になっているのだろう。

存在しないコンテンツであるが故にディテールの想定とこだわりがいくらでも楽しめる、虚構作品の在り方という文脈でも非常に刺激的な一作。

平成37年

平成初期のサイバー空間(という単語も古い!)をテーマにした展示作品。
映像はYouTubeにもアップされている。
www.youtube.com

個人的なことを言えば2000年ちょうど頃のインターネット黎明期は物心つくかつかないかくらいではあって、はっきり言語化された形で記憶に残っているわけではない。
それだけに存在しない記憶や存在するイメージが色々と胸に去来してかなり見入ってしまった。今にして思えば当時ワイヤーフレーム系の表現が多用されたのは単に映像処理能力が低くてまともに面を描けなかっただけなのだが、それが逆に先進的なものとして印象されていたのは面白い。PS3あたりから普通にリアルを志向できるようになったことで、現実と切り離されて独立した「先進的なイメージ」という概念自体がかなり後退した……など。

研究ノートには当時のニュース番組などのサンプルを収集してそれっぽいものを作った旨が記載されていた。
普通に計算すると恐らく制作者は世代というわけでもないはずで、何となくのイメージではなくきっちり当時の資料に当たって制作されているところがちゃんと研究で偉い。一度切断された上で明確にリバイバルという文脈での作品を享受する世代になったことを感慨深くも思う。


武蔵美には他にも「キュート・ベア・アグレッション」とか「架空のボート利用受付所」とか印象的な作品がいくつかあったのだが、写真を撮っていなかった。
卒展の作品は自分で写真を撮らないとネットにも大して上がらないことがわかり、反省してこれ以降はきっちり撮るようにしている。

東京藝術大学

1月28日来訪。
さすがに天下の藝大だけあって全体的なクオリティがシンプルに高い。きちんと美術館でやっているしエリート感が凄い。
他大の作品では模型の角がピシッと揃っていなかったり細かい装飾をきちんと造形していなかったりして(細部で若干手を抜いておるな……)と感じることがよくあるが、藝大はそういうのもほとんどない。逆に言うと、卒展特有のガチャガチャ感は他の大学ほど感じられないかもしれない。

芸術エリートに特有の挙動なのかどうか、圧倒的に作品のキャプションにポエムを書きがちなのも藝大だった。
基本的に文章の主語が「作品」ではなく「私」であり、「この作品は何なのか」ではなく「私が何をどう悩み考えてこの作品を出力したのか」みたいなフォーマットで間接的にしか作品を説明しないものが多い。
質の高い作品を作るだけの段階は既に通過してしまって作家としてのオリジナリティを含めないと勝負にならないのかもしれない。単に我が強いだけかもしれない。

シンプルに上手い山か海


藝大生のハイスペックぶりを象徴するシンプルに上手すぎる一枚。絵画はあまり興味ないが最初にこれで度肝を抜かれた。
藝大は一枚絵の展示がかなり多いが、基本どれもこのくらい上手い上にめちゃめちゃでかい(写真ではよくわからないがこれも数メートル四方ある)。このクオリティの作品が特にガラス的なものを被せられることもなくノーガードで壁にかかって展示されているので不安になってしまう。
これ写真撮ったときは海だと思ったけどよく見たら建物描いてあるし山かもしれない。上手いからどっちでもいいが。

スタレの新キャラみたいなやつ


これめっちゃ好き! オンパロス編の次のPUこのキャラにせん?(虚数・記憶)
今一番流行ってるソシャゲの絵柄はまさにこんな感じだ。藝大は美少女イラストがレアなのでふつうに絵画に並んで展示されているこのキャラが異彩を放っていた。
大陸系ソシャゲで一線級のイラストレーターやデザイナーはサブカルチャーの出自というよりはハイカルチャーをきちんと学んだ経歴があるという噂を聞いたことがあるが(真偽不明)、このイラストを見ると確かにそうかもしれないと思う。日本のソシャゲ界でスターを目指してみないか?

家にいるときの俺みたいな像


俺も家にいるときこんな感じでベッドで同人音声聞きながら股間触ってるから親近感があって良かった。こういうチョケてる感じの作品も隙なく完璧に仕上げてくるあたりが流石の藝大である。

宝塚大学

2/8来訪。近所にある新宿の芸術系大学。

本拠地は大阪にあって看護とかもやっているらしいが、新宿キャンパスはメディア芸術学科の配下だ。マンガ・イラスト・ゲーム・アニメ・メディアなどキャッチーなものが揃っている。コクーンタワーも近いしだいたいHAL東京みたいなものだろうと俺は勝手に思っている。

キャンパスはビル一棟しかなく規模感では他大にやや見劣りするが、ほぼ全てエンタメ系の展示なので個人的には密度が高くてかなり楽しめた。
恐らく実践志向での指導をしているために良い意味で趣味の延長上にある作ってみた路線の作品が多く、展示ついでにアクスタやキーホルダーが売っていたりとデザフェスのような賑やかさがある。

その反面、実践志向だとどうしても評価軸がクオリティ一本になるため、見慣れた商業作品が比較対象になってしまって印象には残りにくい感じもあった。
実際、感心して写真を撮った作品は結局のところエンタメ自体ではないアプローチの作品や、学部生よりも明確にワンランクレベルの高い大学院生の作品(9Fフロア展示)に限られる。

Unityのシェーダー改善


トゥーンレンダリング向けにUnityのシェーダー制御をコードレベルで改善した作品。ゲーム学科のフロアで周囲が皆ゲームを一本作って試遊させている中では異色の展示だった。
一人だけエンジンレベルのことをやっているだけに気合が入っており、他展示のレポートよりしっかりした論文が付随している。既存シェーダーの問題点を指摘し、ライティングやシャドウなど多角的な面から改善を試みる説明は論理的にも筋が通っていてしばらく読み込んでしまった。


割と話し掛けてくるタイプの学生さんだったので「既存手法の法線ベクトルを用いたライティングだと何が問題なんですか?」「影の処理を指数からステップにして関数を非連続化させた意図は?」とか色々聞いてみたが、どれもきっちり筋の通った答えが返ってくるので「おお」と思った。
専門学校レベルだと「作ってみた」で終わりがちなゲーム制作周りにおいて、明確な目的からトップダウンで手法を選択・実装して既存手法との差異を言語化できるのは偉い。ゲーム会社とかでかなり重宝される人材だと思う。

会社ロゴ制作


これも宝塚大学では珍しい、エンタメ要素が一切ない異色の展示。実在する会社に対して今風のロゴをデザインしている。
実際の利害関係者にヒアリングしてコンセプトからデザインを演繹するということをちゃんとやっていたのは見た限りではこの展示だけだったと思う。
他展示も一応研究という立て付けなので一定の調査はしているのだが、「同ジャンルの既存作品を調べてみて共通項を抽出する」という事例収集で終わっているものがほとんどだ。当然ながらそれではデザイン業務としては成り立たないわけで、別に仕事ではなく卒展なので期末レポートレベルでも全然いいのだが、この会社ロゴ制作だけめっちゃ正しくかっちりリアルな仕事をしているのでかなり印象に残った。

アークナイツの新キャラみたいなやつ


9F展示の大学院勢は明確にクオリティのアベレージがワンランク上がっており、その中でも俺が好きそうなキャラがいた。
実際には「赤十字の標章及び名称等の使用の制限に関する法律」の第一条によって使用が禁止されるデザインと思われるが、その辺りも卒展らしさがあって良い。


このキャラにもキャラクターデザインの構造化という研究が紐づいており、意識的にモチーフを解体・選択して繋ぎ合わせた経緯などが語られている。
職業イラストレーターは皆やっていることだとは思うが、自覚的に作業手順を解体して実際にデザインまで実行してみましたというところまで試みの筋が通っているのは素晴らしい。特にソシャゲやVtuberのキャラクターはキャラクターの図像で売らないといけないため、内面も含めた人間的なキャラクターというよりは視覚的なキャラクターデザインの粒度で徹底的に構造化しなければならず、この研究の問題意識は非常に正しい。
結果的にキャラクターをデザインすることになった作品は多々あれど、キャラデザそのものを本丸とした研究は他ではあまり見なかった。

25/2/7 2025年1月消費コンテンツ

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    • 転性魔王さまは勇者に勝てない!
    • 機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)

メディア別リスト

書籍(7冊)

おいしいごはんが食べられますように
哲学がわかる 因果性
現代哲学のキーコンセプト 因果性
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初学の編集者がわかるまで書き直した 基礎から鍛える量子力学 基本の数理から現実の物理まで一歩一歩
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たまに思い出すかもしれないくらいのコンテンツ

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メイズ・ランナー

ピックアップ

現代思想入門

千葉雅也の評判が良いやつをようやく読んだ。確かにかなりの良著。

あとがきでは千葉雅也にとって総決算の一冊だったことが語られているが、俺にとっても二十代の読書の一つの総決算みたいな感じだった。俺の現代思想理解がほぼそのまま解説されており、BLEACHの終盤くらいスススッと読めた。
別に千葉雅也と同じ水準に到達していると自負しているわけではなく、職業哲学者が長年取り組んだ上でさわりだけ抽出した内容と、素人が適当に入門書などを摘まんで表面だけ齧った内容がだいたい同じところに落ち着いたのだろう。あとサイゼミ創立メンバー(最近来ないけど)のゆあさの専門がフーコーだったのでその影響を受けているのもある。

実際、俺がたまに言う逸脱とか例外のニュアンスはだいたい全部ここに書いてある通りである。
例えばこの本ではデリダの脱構築的な考え方や使い方が丁寧に解説されているが、それは俺がよく使っている思考パターンでもある。ブログで感想を書くときとかにも便利で、「一見対立しているものでも突き詰めれば同じ」とか「論理を極限まで押し進めると最後には反転する」みたいな二項対立を超えるアイデアを理系ではなく人文系から得てきたことは間違いない。

現代思想のパターンから読み方まで網羅しており、内容にも筆致にも気を遣って易しく書かれた類稀な良著だが、強いて言えば、色々な哲学者を紹介している都合で初見だと情報量が多すぎるかもしれない。
俺はどの哲学者も解説書か何かを一・二冊くらいは通っているから全部そうだねそうだよねという感じで読めるが、読んだことがない人はそれぞれ一冊ずつくらい読んでみた方が良さそうだ(そのためのガイドも豊富)。

哲学がわかる 因果性

第17回サイゼミで因果推論をやったので(→)、哲学文脈もさらっておこうと思って一応読んでおいた。
結局サイゼミで使うことは特になかったが、使わなくても使いそうなところをカバーしておくと何か聞かれたときにさも当たり前のように答えられて本来よりもかなり見識が広いように見せられる。こういうひと手間は大事。

期待通りに哲学文脈での様々な因果性の学説をざっとさらっていく良著で、専門的ではあるが初心者向け。
前提として哲学業界では因果の定義に明確なコンセンサスがないため、様々な学説に対してメリットやデメリットを解説することになる。この本で主に取り扱われているのは主に三つ、すなわち①規則性、②半事実的条件依存性、③物理量。どれも因果性の説明と言われてすぐにパッと思い浮かぶものだ。

②③に関しては既知の事柄が多かったが、①に絡んで「規則性のパラドックス」や「時間先行と空間隣接の矛盾」という論点は面白かった。
ざっくり言うと、前者は因果性を規則性で定義してしまうと「何度も起きた出来事」より「一度しか起きなかった出来事」の方を確実な因果として評価してしまうのが直観に反すること(一度しか起きなかった出来事は100%の頻度で起きることになるため)。後者は、原因から結果への物理的な伝達に際して空間的な隣接は同時に生じるのが原因は結果に先行するという直観と両立しないこと(特に空間隣接と時間先行を揃えて因果性の要件に挙げたヒュームは自己矛盾している、それはそう)。

現代哲学のキーコンセプト 因果性

同じ目的でもう一冊読んでおいた。上の本よりはもうワンランク包括的で視座が高い。

各説をそれぞれ別個に検討するというよりは、各説を一定の軸上に位置付けてより抽象的なレベルでそれぞれの共通点や相違点を語っている。
とりわけ確率上昇や因果構造といったデータサイエンスに馴染みの深い学説も取り上げられているのが嬉しいところだ。数理的な取り扱いは何となく体系化されているにせよ、具体的な現実に対して事象の切り分けが恣意的になっているというのは指摘の通りだと思う(「雨が降った」という事象の定義を厳密に与えることは容易ではない)。

ただ、因果性を適用する具体的な議論の例としてよりにもよって心身問題を取り上げているのはだいぶ萎えた。それは哲学業界の身内ネタすぎないか? と思いつつ、元々一般論の啓蒙書というよりは現代哲学に誘うポジションの本なので問題はないのかもしれない。

説明がなくても伝わる図解の教科書

職場で仕事に飽きたときその辺の棚にあったので三十分くらいでパッと読んだ。
よくある図解系デザイン本で、ざっくりした内容は結局名著『ノンデザイナーズ・デザインブック』で挙げられていた四原則(近接・整列・反復・対比)と大差ないようにも感じる。

ただこの本に特有の点として、論理的な要件よりは受け手の気持ちに寄り添うことを図解のポイントとしていることがある。
例えば「一瞬で伝える」「理解する気を起こさせる」「不安を解消する」「真剣に受け止めてもらう」「誤解を阻止する」などの現実的な観点は改めて提示されると、それはそれで別の視点からの体系化としてかなり頷ける。
作者の来歴を見てみると、もともと外国人向けにピクトグラムを織り込んだ案内を作るような局面でデザイン力を培ったらしい。確かに言葉が通じない状況での目的としては徹底的に受け手ドリブンで考えるのも納得だ。
そういう経緯であるため、ビジネス文脈からスタートして説得を目指すデザイン本に比べると、案内のような日常的なシーン、そしてtoBよりはtoCに親和的な印象を受ける。

初学の編集者がわかるまで書き直した 基礎から鍛える量子力学 基本の数理から現実の物理まで一歩一歩

良著。以下にまとめて感想を書いた。saize-lw.hatenablog.com


刑の重さは何で決まるのか

タイトル通り、刑法学の目的、犯罪の成立、量刑の決定などが読みやすくさっとまとまっている。
意外性はないが勉強になった、というときの「意外性はない」というのは意外と重要なところだ。例えば「刑法は被害者感情の充足を通常考慮していない」というのは言われてみれば当然ではあるが、SNSで跋扈する素人法律論ではそうもいかない。未だかつてなく大衆の意見が暴走しがちなこの時代、当たり前の土台に立ち返る起点を持っておくことは法律以外でも忘れないようにしたい。

ゼイリブ

ゼイリブ(字幕版)

ゼイリブ(字幕版)

  • ロディ・パイパー
Amazon
全体としてはだいぶイマイチだが、資本主義を戯画化した支配者の描き方はかなり良かった。
特にフシギ眼鏡をかけると街中の商品や広告がサブリミナルメッセージに書き換わる演出は明確に良い。逆に良いのはそこだけなので、そこまで見たら続きはもう見なくてもいいという説もある。
最後のオチも一発ネタ以上のものではないし、途中の喧嘩シーンが異常に長いという変なこだわりは適当に作られていた昔の映画っぽいが面白くはない。

メイズ・ランナー

明確に面白くなかった。よくあるB級アクション映画。そんなにワクワクしないアクション、そして予想の範囲を出ない割には結論が出ないオチ(露骨な続編誘導)。
ただ主人公の声優が九十九遊馬なので、クライマックスで仲間たちとの結束が高まるにつれて完全に遊馬の叫びになるところだけかなり面白かった。畠中祐に感謝。

おいしいごはんが食べられますように

ブロッコリーマンの芥川賞読書会でちょいちょい名前が出るので読んでみた。
面白くなくはないけど、明確に嫌いなタイプの人間が描かれて特に最初から最後まで変化もないので「こいつムカつくな」という気持ちだけが残る。まあどんな感情であれ読者を感情的にさせる小説は良作ではある。
社会的な営みとしての食事に対して逆張る話、「皆で食べる暖かい食事」みたいな社会的な同調圧力が嫌だねという話自体は一定頷けるし描き甲斐のある視点だと思う。ただ、それを語るいかにも文学好きそうな雑魚繊細人(ザコ・せんさいんちゅ)の描写が秀逸なだけで何も起こらない。自我が肥大化している割にはそれを主張することもできない、もっと真面目に生きろ!
押尾が開き直ったシーンだけは唯一ちょっと熱かったが、その開き直り方もなんかこう記号的というか、そういう局面でのリアリティの引き出しがないのかもしれんなと思った。

転性魔王さまは勇者に勝てない!

Twitterで流れてきたイラストがいい感じだったのでかなり珍しくエロゲーをプレイしたが、まあ……という感じ。
一本道のあってもなくてもいいストーリーが付いたCG集タイプのゲームで特に何も起きない。あまりにも内容が薄いので、始める前には(見た目が)好きだったキャラがプレイ後にはあまり好きではなくなるというデバフまで食らってしまっていよいよ何のためにプレイしたのかわからない(キャラに関してはそういうことが稀によくある)。
一応、勇者があまりにもロリコンすぎて仲間を何人も殺した相手とイチャコラできるみたいなところにキャラクターの異常性は一本筋が通っていたのかもしれないし、単におねロリのテンプレートをなぞっただけかもしれない。

機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)


ネタバレを含むので追記に回す。

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