はじめに 福沢諭吉に補足
(青空文庫)に、僭越ながら補足しておく。
(福沢以後の歴史研究としては、
明治期初期から中期の家庭の教育力に関する一考察―一家団欒に焦点をあてて― | 学術機関リポジトリデータベース
を参考。)
家庭は環境の一部
福沢氏は言う。
いわゆる教育なるものは
則 ち能力の培養にして、人始めて生まれ落ちしより成人に及ぶまで、父母の言行によって養われ、あるいは学校の教授によって導かれ、あるいは世の有様に誘 われ、世俗の空気に暴 されて、それ相応に萌芽を出し生長を遂 ぐるものなれば、その出来不出来は、その培養たる教育の良否によって定まることなり。就中 幼少の時、見習い聞き覚えて習慣となりたることは、深く染み込めて容易に矯 め直しの出来ぬものなり。
・教育は学校教育、制度的教育に限られず、家庭や社会の非制度的教育も含む。
・子どもは大人を模倣することは、
教採対策 教育の目的⑥ 内田樹の『下流志向』 - sazaesansazaesan’s diary
で引いた 3月22日 - 内田樹の研究室でも言われる。
学校教育におけるケア的かかわりの再考 : ケアと正義の視点からの養護教諭の存在意義 | 学術機関リポジトリデータベース
(博士論文)p41に家庭の近代と家庭の教育的機能についてはまとまっている。
人格への影響
全体これらの父母たるものが、教育といえばただ字を教え、読み書きの
稽古 をのみするものと心得、その事をさえ程能 く教え込むときは立派な人間になるべしと思い、自身の挙動 にはさほど心を用いざるものの如し。されども少しく考え見るときは、身の挙動にて教うることは書を読みて教うるよりも深く心の底に染み込むものにて、かえって大切なる教育なれば、自身の所業は決して等閑 にすべからず。
・今でいう教科指導と生徒指導に分けて、教科指導だけでは教育ではない、と主張。
・さらに、現代には親以外にも、メディアを通じて、いろいろ学んでいる。
現代の若者と特別活動 : ではない | 学術機関リポジトリデータベース
P13
いずれにせよ,良いことも悪いことも,酸いも甘いも,「人間として」の善と悪に関わる何かを,若者たちは「環境」から学んでいるのである。学校も,またそれ以外のSNSを含めたサイバー空間も,すべてが彼らを取り巻く教育環境の一つである。
学校と家庭は生徒の環境?(私の想像)
福沢は、子どもが学校と家庭と社会から教育を受けるとしている。
以下は教員採用試験の小論文対策のために私が想像したこと。
現代の生徒はより多くのアクターから影響を受けている(ように思う)
生徒にとって、
先生、学校全体、クラス、部活動、学校以外の友人関係、家庭・・・などはすべて環境では?
これらそれぞれがある個人を見る見方は異なる。多面的でとらえがたい。
↓
・家庭が子の全体像を把握することは難しく、家庭だけで習慣を形成できるとは限らないのでは?
・ならば、学校としては、何をしたらいいのか?
福沢はなぜ家庭教育を重視するのか?
簡単に答えられないが、理由の1つとして、
第2編で
国法の何ものたるを知らず、
己 が職分の何ものたるを知らず、子をばよく生めどもその子を教うるの道を知らず、いわゆる恥も法も知らざる馬鹿者
が多くいるから(そこまで言わんでも……)、政府も圧政を敷くと述べている。
自由な社会のためには、各人が教育を受け、子どもに教育を受けさせる必要がある、ということであろう。
文化資本と遊び
・福沢の言う習慣には、
評論文 文化資本 内田樹『街場の文体論』補足 - sazaesansazaesan’s diary
の言う文化資本や
教採対策 教育と遊び - sazaesansazaesan’s diary
の遊びも含む?
家庭学習の問題
で知ったのだが、新宿区HPには家庭教育支援のページがある。以下を参照。
効果のある学校 / 鍋島 祥郎【著】 - 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア
(第4章 p129 初出1994)
到達度・意欲の違いに合わせた個別対応として、宿題を出す。
宿題を出すのは、家庭が協力的、家庭学習が成り立つことを前提としている。
=宿題は家庭依存的
同書の書評も参考。