「今日こそは全部終わらせるぞ」とToDoリストを作ったのに、気づけば夕方。あれもこれもと手をつけたものの、結局終わらないまま一日が過ぎていく——そんな経験はありませんか?
「自分は記憶力が悪いから……」と落ち込むこともあるでしょう。しかし、タスクをうまくこなせない原因は、単純な記憶力の問題ではないかもしれません。じつは、脳の「ワーキングメモリ(作業記憶)」の使い方に課題がある可能性があるのです。
ワーキングメモリとは何か、そしてなぜそれが私たちの仕事の進め方に大きく影響するのでしょうか?
ワーキングメモリとは何か
ワーキングメモリとは、情報を一時的に保持しながら処理する脳の能力のことです。長期記憶が「本棚」のように情報を長く保存するのに対し、ワーキングメモリは「作業机」のようなもの。いまこの瞬間に考えている事柄や処理している情報を一時的に置いておく場所です。
しかし、この「机」のスペースには限りがあります。認知心理学の研究によれば、人間のワーキングメモリは平均しておよそ4±1チャンク程度の情報しか同時に処理できないと考えられています。つまり、3〜5個の情報の「塊」が限界なのです。
日常生活でワーキングメモリが限界を迎えるシーンは身近にあります。
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資料を作っている最中にメールが届き、対応したあとで「あれ、何をしようとしていたんだっけ?」と混乱する
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会議中にアイデアが浮かんだのに、発言するタイミングを逃して忘れてしまう
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スーパーで「あと何を買うんだっけ?」と立ち止まってしまう
これらはすべて、ワーキングメモリがオーバーフローした状態なのです。
ワーキングメモリが段取りを決める
タスクが終わらない本当の原因は、思考の順序や整理がうまくいっていないことにあります。言い換えれば、「段取り力」の問題です。
段取り力とは、ワーキングメモリの使用を最適化し、思考や判断のための「余白」を意識的につくる工夫と捉えることもできます。私たちの脳は限られた容量で様々な情報を処理しなければならず、このリソースをどう活用するかが生産性を大きく左右します。
つまり、「覚えなくていい仕組み」をつくることが重要なのです。ワーキングメモリを不要な情報で埋めず、本当に大事な判断や思考のために空けておく——それが、段取り上手な人の脳の使い方です。
段取り力を高めるための3つの工夫
(1) メモで脳の外部ストレージを活用する
段取り上手になるための第一歩は、「覚えようとしない」ことです。思いついたこと、やるべきこと、気になることは、すぐにメモに書き出しましょう。
紙でもデジタルでも構いませんが、とにかく「脳の外」に出すことがポイントです。これにより、ワーキングメモリの貴重なスペースを空けることができます。
特に手書きメモには独自の効果があると示唆されています。東京大学大学院の研究チームは、日本能率協会マネジメントセンターおよびNTTデータ経営研究所と共同で、スケジュールの記録に使うメディア(紙の手帳 vs. 電子機器)によって記憶の定着や想起、脳の活動に違いが出ることを明らかにしました。*1
実験では、参加者に紙または電子機器で予定をメモさせたあと、MRIで脳活動を測定。その結果、紙の手帳を使ったグループでは、記憶と言語処理に関わる脳領域の活動が高まることが確認されました。
忙しい会議の前後に5分だけ時間を取り、今日の重要タスクや話すべき項目を書き出すだけでも、頭の中の混乱は大きく減ります。「書いてあるから安心」という状態が、ワーキングメモリを解放し、思考の質を高めるのです。
- 思いついたアイデアはすぐにメモする
- 今日中にやるべきことを最初に書き出す
- 重要度や緊急度に応じて優先順位をつける
(2) チャンク化(情報の塊化)を意識する
ワーキングメモリを効率よく使うための二つ目の工夫は、「チャンク化」です。バラバラの情報を意味のある単位にまとめることで、脳の負担を軽減できます。
たとえば、プレゼン資料作成というタスクを考えてみましょう。
【非効率な方法】
- 「スライド1のデザイン」→「メール確認」→「スライド2の文言考案」→「電話対応」→「スライド3のグラフ作成」
【効率的な方法】
- 「30分間、プレゼン全体の構成を考える」→「45分間、全スライドの文言を書く」→「30分間、デザインを整える」
後者のように情報を「塊」にすることで、脳の切り替えコストを減らし、ワーキングメモリを効率的に使うことができます。
一つのチャンクに集中している間は、メールや電話などの割り込みを意識的に遮断することも大切です。マルチタスクは「脳のチャンネル切り替えコスト」が高く、ワーキングメモリに大きな負荷をかけることがわかっています。
(3) 脳内での時系列シミュレーションを習慣化
段取り上手になるための三つ目の工夫は、タスクに取り掛かる前に「脳内シミュレーション」を行なうことです。
朝の5分、あるいはタスクに取り掛かる前の1分でいいので、「今日は何をどういう順番でやるか」を頭の中でざっと並べてみましょう。このシミュレーションによって、一日の流れが脳内でチャンク化され、判断の迷いが減ります。
たとえば、「9時~10時はレポート作成、10時~10時半は電話対応、10時半~12時はプレゼン準備……」というように、タスクの時間配分と順序を頭のなかで描いておくだけで、実際に取り組む際の判断コストが大幅に削減されます。
「これをやるべきか、あれをやるべきか」と迷う判断行為そのものが、ワーキングメモリのリソースを消費してしまいます。事前にシミュレーションしておくことで、その場の判断にかかる脳のエネルギーを節約できるのです。
脳内シミュレーションの手順
- 今日取り組むタスクをすべて思い浮かべる
- 各タスクの所要時間を大まかに見積もる
- 優先順位を考慮しながら、時間軸に沿って並べる
- 予期せぬ割り込みのための「バッファ」も設定する
忙しい人こそ脳の使い方で変わる
仕事ができる人は「記憶力がいい人」ではなく、「脳の使い方がうまい人」です。特に忙しい人ほど、限られたワーキングメモリをどう活用するかが、仕事の質に直結します。
段取り力とは、脳の情報処理を整理・最適化する「設計力」であり、ワーキングメモリというリソースの運用法を磨くことでもあります。脳に余裕があれば、創造的な思考や重要な判断に集中できるようになるのです。
脳に余白をつくることが、仕事を前に進める
「覚える努力」より「覚えない工夫」が、現代の知的生産の基本です。情報があふれる時代だからこそ、すべてを頭で処理しようとせず、ワーキングメモリを戦略的に運用することが大切です。
忙しい社会人ほど「脳に余白をつくる」ことで仕事が前に進みます。ワーキングメモリという限られたリソースを意識し、外部化、チャンク化、シミュレーションという3つの工夫を取り入れることで、思考の質と仕事の効率は大きく向上するでしょう。
脳の使い方が変われば、一日の終わりに「今日も充実した一日だった」と実感できるはずです。
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ワーキングメモリの効果的な使い方を身につけることで、タスク管理の質は格段に向上します。ぜひあなたも「脳に余白をつくる」習慣を始めてみませんか?
大谷佳乃
「なぜ?」という疑問を大切に、日常に潜む人とモノとの関係性を独自の視点で読み解くライター。現在は、私たちが何かを選ぶときに働く「見えない力」に注目し、そのメカニズムを探求中。休日は、古書店で先人たちの知恵に触れるのが、自分にとっての「特別な時間」。