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宮城県栗原市にある曹洞禅系のお寺の関係者です。このブログの内容は個人的な研究結果などをアップしています。ご批判・ご意見並びに、記事の削除依頼は[email protected]にお願いします。

秋の彼岸会 3日目(令和7年度版)

さて、令和7年度の秋の彼岸会3日目である。それで、拙僧的にはこの彼岸会という法儀自体を紹介したいと願っているので、今回は拙僧の所属する曹洞宗ではないが、別の宗派での様子を見ておきたい。

具体的には、日蓮宗の文献である北尾日大著『日蓮宗法要式』(平楽寺書店・1921年)から、「春期彼岸会」の項目を見ておきたい。その前に、日蓮宗では広略二式を挙げており、「(一)広式」の場合は「施餓鬼法会又は放生会を修行すべし」(77頁)とあり、更に一週間をかけて行う式とされている。一方で今回は、「(二)略式」を紹介してみたい。

法要そのものは、以下のような差定となっている。

三宝
開経偈
読経
閉経文
祖訓
唱題
祖訓
宝塔偈
回向
四誓
三帰
〈式後、講演〉
    『日蓮宗法要式』77頁を参照した

まぁ、大体の差定は理解出来るが、彼岸会の法要であることを特徴付けるものは分からない。後は、お唱えしている内容か?でも、例えば「祖訓」が2回出ているが、前者は「持妙法華問答鈔」であり、後者は「生死一大事血脈鈔」からの引用となっており、「彼岸会」に直接関わるとも思えない。強いていえば、両書とも現在では「写本」のみとなっており、内容は本当に日蓮聖人の御見解として良いのかどうか、慎重に考える必要があるのだろう。

・事にふれ、をりに付けても後世を心にかけ、花の春、雪の朝にも是を思ひ、風さはぎ村雲まよふ夕にもわするゝひまなかれ。
    「持妙法華問答鈔」
・然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道法華経と我等衆生との三つ、全く差別なしと解りて、妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事の血脈とは云ふなり。此事但だ日蓮が弟子檀那等の肝要なり。法華経を持つとは是なり。所詮、臨終只今にありと解りて、信心を致して南無妙法蓮華経と唱ふる人を「是人命終為千仏授手令不恐怖不堕悪趣」と説かれて候。悦ばしいかな、一仏二仏に非ず、百仏二百仏に非ず、千仏まで来迎し、手を取り給はん事、歓喜の感涙押へ難し。法華不信の者は「其人命終入阿鼻獄」と説かれたれば、定めて獄卒迎へに来て、手をや取り候はんずらん。浅猿浅猿。十王は裁断し、倶生神は呵責せんか。今日蓮が弟子、檀那等南無妙法蓮華経と唱へん程の者は、千仏の手を授け給はん事、譬へば瓜、夕顔の手を出すが如くと思食せ。過去に法華経の結縁強盛なる故に、現在に此の経を受持す。未来に仏果を成就せん事疑ひあるべからず。
    「生死一大事血脈鈔」

まぁ、おそらくはこの辺が、引用された理由になると思われる一節である。とはいえ、日蓮聖人には「彼岸鈔」が伝えられてきたが、本書は流石に真撰とは採られていない。でも、こんな一節なんかはどうだろうか?

此経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし。妙楽大師の云く「一句も神に染みぬれば咸く彼岸を資く。思惟修習永く舟航に用たり」云云。生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんばかなふべからず。
    「椎地四郎殿御書」

こちらも「写本」しか残っていないが、先に挙げた文献よりもより「彼岸」らしさがあると思うのだが、違うか。もちろん、拙僧は『法華経』最勝、ということ以外、日蓮宗の教義などは良く分かっていないので、まずは、以上の通り、確認した次第である。