日経ウーマンと日経ウーマノミクスプロジェクトが実施した「女性が活躍する会社BEST100」。上位企業で役員を務める女性たちは、どのようなキャリアを歩み、困難を乗り越えてきたのか。2025年6月7日に開催したセミナーに、1位のEY JapanでDE&Iリーダーを務める梅田惠さんと、3位の全日本空輸を擁するANAホールディングス執行役員グループDEI推進部長の江島まゆみさんが登壇。キャリアの壁を突破した瞬間について聞いた。

(上)日本IBMでまさかの社内失業→55歳で転職 理由は…EY役員 ←今回はココ
(下)「着陸しないフライトはない」大ピンチでも前向けた訳 ANA役員

「これは落ちたな」

 「女性が活躍する会社BEST100」で、トップ3に入ったEY JapanとANAホールディングス。女性活躍が進む2社で役員として活躍する2人の道のりは、決して順風満帆ではなかった。

 EY Japanは会計、税務、コンサルティングなどの事業を展開する12社で構成され、公認会計士や税理士、弁護士など様々な分野の専門家約1万人が所属している。DE&Iリーダーを務める梅田惠さんは日本IBMでキャリアをスタートし、組織のDEI(多様性、公平性、包摂性)推進に約20年携わってきたパイオニアだ。しかし20代は山あり谷ありの日々だった。

 梅田さんは大学で心理学を専攻し秘書検定も取得したが、日本IBMの採用試験ではシステムエンジニア(SE)職を希望。すると面接に女性部長が出てきて「SEを志望しているのに、秘書検定を取得したのはどういうこと?」と、問い詰められたという。

EY Japan DE&Iリーダーの梅田惠さん。男女雇用機会均等法が制定された2年後の1987年、新卒で日本IBMに入社。「おそらく私は浮ついた気持ちで受けに来たと思われて、面接官の女性部長から覚悟を問われたんです」
EY Japan DE&Iリーダーの梅田惠さん。男女雇用機会均等法が制定された2年後の1987年、新卒で日本IBMに入社。「おそらく私は浮ついた気持ちで受けに来たと思われて、面接官の女性部長から覚悟を問われたんです」

 「これは落ちたな、と思いましたが、その年の日本IBMは新卒を1700人も採用したので、私もなんとか秘書枠で合格できました」(梅田さん)

 秘書として採用されてからは学びの多い日々を送ったが、入社から5年ほどで焦りを感じる。「同期の男性が海外出張に行き、大きな案件をまとめているのを見て『自分はこのままでいいのだろうか』と」。そこで、社内でSE職への職種転換試験を受けるために1年間猛勉強。晴れて合格したが、今度は会社の業績不振から仕事がなくなり「社内失業状態」に陥った

 「本当に仕事がなく、仕方がないので会社の非常階段の上り下りをして『体力だけでも付けておこう』という日々でした」(梅田さん)

毎日泣きながら過ごしていた

 ANAホールディングスの江島まゆみさんは1991年に客室乗務員として全日本空輸に入社。当初は管理職になりたいとは全く思っておらず、登用試験から逃げていたという。周囲から「挑戦しなければ新しい世界を切り開けないよ」と言われてチャレンジし、合格。しかしその後、30代半ばで人事部に異動したとき、大きな壁に直面した。

 「同じ社内なのに転職したのかと思うほど、仕事のやり方が違ったんです」(江島さん)

ANAホールディングス執行役員グループDEI推進部長の江島まゆみさん。「管理職になる自信がなく、登用試験から逃げ回っていました」と話す
ANAホールディングス執行役員グループDEI推進部長の江島まゆみさん。「管理職になる自信がなく、登用試験から逃げ回っていました」と話す

 当時、ANAグループ約3万3000人の人材教育を担当するANA人財大学のリーダーとなったが、専門知識はなく、同じ部署のメンバーは男性ばかり。「部下には年上の人もいました。専門知識を持った人たちをどうマネジメントしていいか分からず、人材教育も難しくて、当初は毎日泣きながら過ごし『もう会社を辞めよう』とすら思っていました」(江島さん)

 キャリアの壁を、2人はどう乗り越えてきたのだろうか。