私たちのこの現実は、高度な文明によって作られた精巧なコンピューターシミュレーションかもしれない――。映画『マトリックス』で鮮烈に描かれたこの「宇宙シミュレーション仮説」は、長年にわたり哲学者や科学者、そして私たちの知的好奇心を刺激し続けてきた。しかし、この深遠な問いに、数学と物理学が「不可能である」という、極めて決定的な答えを突きつけた。カナダ、ブリティッシュコロンビア大学(UBC)の研究チームが発表した最新の研究は、私たちの宇宙がシミュレーションではありえないことを数学的に証明したと主張し、科学界に大きな波紋を広げている。
哲学的問いから科学の俎上へ:「シミュレーション仮説」とは何か
そもそも、なぜ私たちは「この世界は偽物かもしれない」という考えにこれほどまでに惹きつけられるのだろうか。その根源には、古代ギリシャの哲学者プラトンの「イデア論」にまで遡る、現実そのものへの懐疑がある。私たちの五感が捉える世界は、完璧な「イデア」の不完全な「影」に過ぎないのではないか、という問いだ。
この古典的な問いは、コンピューター技術が飛躍的に発展した現代において、より具体的な形で再浮上した。それが「宇宙シミュレーション仮説」である。特に、オックスフォード大学の哲学者Nick Bostromが2003年に提唱した議論は有名だ。彼は、以下の3つのうち少なくとも1つは真実である可能性が極めて高いと論じた。
- 人類のような文明は、宇宙をシミュレーションできるほどの技術レベルに到達する前に、ほとんどが絶滅する。
- 高度に発達した文明は、倫理的な理由などから、宇宙をシミュレーションすることに関心を持たない。
- 我々は、ほぼ間違いなくシミュレーションの中に生きている。
もし、文明が絶滅もせず、シミュレーションに関心を持つならば、彼らは無数のシミュレーション宇宙を創造するだろう。その結果、存在する宇宙の圧倒的多数は「シミュレーションされた宇宙」となり、我々が「本物の(オリジナルの)宇宙」にいる確率は限りなく低くなる、という論理だ。この議論は多くの思索を呼んだが、あくまで哲学的な思考実験の域を出るものではなかった。しかし、状況は変わりつつあった。物理学の最前線が、この問いに科学的なメスを入れるための土壌を育んでいたのだ。
UBC研究チームが投じた決定的一石
その決定的な一石を投じたのが、UBCオカナガン校の客員教授であるMir Faizal博士が率いる国際研究チームだ。物理学者の Lawrence M. Krauss博士らと共に執筆され、学術誌『Journal of Holography Applications in Physics』に掲載された彼らの論文は、シミュレーション仮説を正面から否定する。その結論は、「可能性が低い」といった生易しいものではない。「数学的に不可能である」という断言だ。
Faizal博士はUBCの公式発表の中で次のように語っている。
「もしそのようなシミュレーションが可能であれば、シミュレートされた宇宙そのものが生命を生み出し、その生命がまた独自のシミュレーションを創造するかもしれない。この再帰的な可能性は、我々の宇宙がシミュレーションの中にネストされたシミュレーションではなく、オリジナルのものである可能性を極めて低く見せます。この考えはかつて科学的探求の範囲を超えていると思われていましたが、我々の最近の研究は、それが実際に科学的に対処可能であることを示しました。」
彼らは、これまで哲学の領域だった問題を、数式と物理法則が支配する科学の土俵へと引きずり出したのである。そして、その論証の心臓部には、20世紀最高の知性の巨人、数学者Kurt Gödelが打ち立てた数学の金字塔が鎮座していた。
論証の核心:なぜ「計算」では宇宙を再現できないのか
研究チームの主張を理解するには、まず現代物理学が描く宇宙の姿と、数学が明らかにした「論理の限界」という、二つの異なる領域の知見を繋ぎ合わせる必要がある。
宇宙の根源は「情報」であるという視点
物理学の歴史は、現実の姿をより深い階層で捉え直す旅だった。Newtonの描いた、ビリヤードの球のように物質が飛び交う機械的な宇宙観は、Einsteinの相対性理論によって時空が歪むダイナミックな舞台へと書き換えられた。そして量子力学は、ミクロの世界が確率的にしか記述できない、私たちの直感とは相容れない奇妙な姿であることを明らかにした。
現代物理学の最大の課題は、このEinsteinの重力理論(一般相対性理論)と量子力学を統一する「量子重力理論」を完成させることだ。この理論の探求の過程で、物理学者たちは驚くべき可能性に行き着いた。それは、私たちが存在するこの空間や時間ですら、宇宙の根源的な要素ではないかもしれない、という考えだ。
では、根源にあるものは何か。多くの物理学者が有力視しているのが「情報」である。伝説的な物理学者John Archibald Wheelerが提唱した「It from Bit」(モノはビットから)という言葉に象徴されるように、宇宙の究極的な構成要素は物質やエネルギーではなく、情報そのものであり、時空や素粒子といった物理的現実は、その情報処理の結果として現れる「現像」のようなものではないか、というのだ。
この視点に立てば、宇宙の根本法則は、コンピューターのOSやプログラムのような、ある種の公理的なルールセット(Axiomatic System)として記述できるかもしれない。もし宇宙がシミュレーションであるならば、まさにこのような有限のルールに基づいた計算可能なシステムであるはずだ。研究チームは、まさにこの点を突いた。
数学の巨人が遺した「不完全性の壁」
もし宇宙が有限のルール(アルゴリズム)で記述できるなら、そのルールブックは完全無欠なのだろうか?ここで登場するのが、数学者Kurt Gödelが1931年に発表した「不完全性定理」である。これは人類の知性の歴史における一大転換点とも言える発見であり、その衝撃は計り知れない。
不完全性定理を極めて単純化して説明すると、こうなる。
「(算術を含む)いかなる無矛盾な公理的体系の中にも、その体系の公理からは証明も反証もできない命題が必ず存在する」
つまり、どんなに精巧で完璧に見えるルールブック(公理系)を作ったとしても、そのルールブックの中には「正しいにもかかわらず、ルールブック内のルールだけでは『正しい』と証明できないこと」が必ず含まれてしまう、ということだ。
UBCのプレスリリースは、この定理を簡潔な例で説明している。「この文は証明できない」という文を考えてみよう。もしこの文が「証明できる」と仮定すると、文の内容(証明できない)と矛盾してしまう。では、この文が「証明できない」と仮定すると、文の内容は正しくなる。つまり、この文は「真実」でありながら、その体系内では「証明不可能」なのだ。
これは単なる言葉遊びではない。論理と計算の根源に横たわる、決して越えることのできない「壁」の存在を示している。研究チームは、このGödelの定理に加え、Alfred Tarskiの「定義不可能性定理」(形式言語はその言語自身の真理を定義できない)や、Gregory Chaitinの情報理論的な不完全性(アルゴリズム的な複雑さにも限界がある)といった、数学における「計算不可能性」に関する複数の強力な定理を武器とした。彼らが「Gödel-Tarski-Chaitin triad」と呼ぶこれらの定理は、アルゴリズム的なシステムが持つ本質的な限界を、あらゆる角度から浮き彫りにする。
「非アルゴリズム的理解」というフロンティア
これらの数学的帰結を、物理学の現実に適用すると何が見えてくるのか。Faizal博士らの論理は明快だ。
- 宇宙の根本法則を、量子重力理論のような計算可能な形式的システム(一種のルールブック)として記述しようと試みる。
- しかし、Gödelらの定理によれば、そのようなシステムは本質的に「不完全」である。つまり、そのルールだけでは記述しきれない物理現象(真実)が必ず存在する。
- したがって、物理的現実のすべてを完全に記述し、理解するためには、計算手順(アルゴリズム)だけでは不十分であり、それを超えた何か、研究チームが「非アルゴリズム的理解(non-algorithmic understanding)」と呼ぶものが必要になる。
「非アルゴリズム的理解」とは何か。これは、レシピの全ての工程を完璧にこなすだけでは到達できない、偉大なシェフが持つ「センス」や「ひらめき」のようなものと考えると分かりやすいかもしれない。あるいは、どんなに詳細な地図も、その地図の外の世界や、「地図を描く」という行為そのものを内包できないことに似ている。それは、一連の計算ステップをたどるのではなく、システムの全体像をいわば「直観」するような、より高次の理解の形態を示唆している。
そして、ここが決定的なポイントだ。
「いかなるシミュレーションも、その本質からしてアルゴリズム的、つまりプログラムされた有限のルールに従うものでなければならない。」
コンピューターシミュレーションは、定義上、計算可能なプロセスの集合体だ。それは、Gödelの壁の内側でしか動作できない。しかし、私たちの宇宙の現実は、その壁を越えた「非アルゴリズム的」な領域を含んでいる。したがって、いかなるコンピューターも、この「非アルゴリズム的理解」を必要とする現実の側面を、原理的に再現することはできない。
Faizal博士は結論をこう締めくくる。
「根本的なレベルの現実が非アルゴリズム的理解に基づいている以上、宇宙はシミュレーションではありえず、また決してありえなかったのです。」
この論理が正しければ、シミュレーション仮説は単に「ありそうにない」のではなく、数学的な矛盾をはらむ「論理的に不可能」なものとして退けられることになる。
この発見が意味するもの:物理学と私たちの現実認識への影響
この研究がもたらす影響は、単にSF的な思考実験に終止符を打つだけに留まらない。物理学の根幹である「万物の理論」の探求や、私たち自身の意識の問題にまで、深遠な問いを投げかける。
「万物の理論」への新たな視点
物理学者の究極の夢は、宇宙のすべての力を単一の美しい数式で記述する「万物の理論(Theory of Everything)」を発見することだ。しかし、今回の研究は、そのような理論がもし存在するとしても、それは単一の計算可能なアルゴリズムのセットとして完結するものではない可能性を示唆している。
論文のタイトルが「万物の理論における決定不可能性の帰結」となっていることからもわかるように、彼らの主張は、究極の物理法則そのものが「決定不可能」、つまり計算不可能な側面を含むことを示している。これは、私たちが自然を理解する方法を根本的に見直すことを迫るものかもしれない。
人間の意識や理解の特別性?
さらに興味深いのは、この議論が「人間の意識」の問題に接続する点だ。前述の通り、Gödel的な命題は「真実であるが、体系内では証明不可能」である。しかし、人間の数学者は、その体系の外に立つことで、その命題が「真実である」ことを理解できる。これはなぜなのか。
物理学者Roger Penroseらは、この事実を基に、人間の意識や数学的直観には、現在のコンピューターにはない「非アルゴリズム的」なプロセスが関わっているのではないかと主張してきた。Faizal博士らの研究は、このPenroseの議論にも通じるものがある。もし、宇宙の根本構造に非アルゴリズム的な性質が組み込まれているのなら、その宇宙の一部である人間の脳や意識が、同様の性質を持っていても不思議ではないかもしれない。これは、人間の知性が単なる複雑な計算機以上のものである可能性を、物理学の側から補強する刺激的な視点だ。
計算を超越した、あまりにも豊かな現実
UBCの研究チームが下した結論は、一部の人々を落胆させるかもしれない。私たちが選ばれし者「ネオ」であり、いつかこの仮想現実から目覚めるという夢は、数学によって否定されたのだから。
しかし、見方を変えれば、これは遥かに心を躍らせる結論ではないだろうか。私たちの現実は、誰かが作り出した模倣品や、有限のルールで動く予測可能なプログラムなどではなかった。それは、いかなるスーパーコンピューターの計算能力をも超越する、本質的に豊かで、複雑で、そしておそらくは私たちの論理的思考の限界さえも超えるほどの深遠さを秘めた「オリジナル」なのだ。
この研究は、一つの問いに答えを与えると同時に、無数の新たな問いを生み出す。非アルゴリズム的理解とは具体的に何を指すのか。それは物理法則にどのように作用するのか。そして、私たちはその深淵をどこまで探求することができるのか。
私たちはシミュレーションの中にいるのではない。私たちは、まだその全貌を誰も知らない、計り知れない可能性に満ちた、本物の宇宙にいる。その事実は、映画のどのストーリーよりも、遥かにスリリングで感動的だと言えるだろう。
論文
参考文献
- The University of British Columbia: UBCO study debunks the idea that the universe is a computer simulation