『もめんたりー・リリィ』のキャラ造形がいかに特殊であるか、ギャップと意外性の観点から紐解きました。
魅力的なキャラクター像を作り上げるための「ギャップ」・「意外性」
エンタメ作品において、魅力的なキャラクターにはいくつかの共通項が存在します。例えば「明確な意志」を持っている、あるいは物語の中で「成長」や「変化」が描かれているなど。そんな共通項の中でも、今回は「ギャップ」や「意外性」に着目して話を進めます。
そもそも「ギャップ」や「意外性」とはどのようなものでしょうか。直近のヒット作を題材に見てみましょう。例えば『ぼっち・ざ・ろっく』。主人公の後藤ひとりは「陰キャコミュ障なのにギターだけは超上手い」という意外性がありますし、山田リョウにも「一見カッコいいベーシストなのに激しい浪費癖で常に金欠で草を食べている」というギャップがあります。『BanG Dream! It's MyGO!!!!!』の長崎そよは穏やかな雰囲気からの「なん春」*1で一気に人気を高めました。
あるキャラクターに関して視聴者にとって意外である、予想外だと思わせるような要素が出てくると、往々にしてそのキャラの魅力は高まり、視聴者の興味を惹きつけるようになるものです。
何故そうなるのか。それは現実の人間が意外性とギャップに満ちているからだと考えます。そもそも表と裏の存在しない人間など殆ど存在しません。大半の人間は何かしらの表裏があり、大衆の前では見せない一面が存在します。そして創作のキャラクターに二面性をもたせるということは、創作のキャラクターに現実の人間に近しい個性を与えるということです。キャラクターの完全でない、二面性とギャップに満ちた姿を見て、我々はキャラクターを等身大の存在に感じることができ、現実に存在する人間と同じように親しみを覚えることができます。キャラクターと視聴者の心理的な距離が近づくことで、我々はキャラクターへ興味を持ち、没入感を高めることができるようになるのです。
逆に言えば一面的で表裏のないキャラクターはどこか不気味に、あるいは無機質に見えます。優しすぎるキャラクターが逆に怖く見えたり、完璧すぎるキャラクターは却って人間味のない存在に感じられたりするわけです。
『もめんたりー・リリィ』のキャラ造形の異常さ
これらを踏まえた上で『もめんたりー・リリィ』のキャラ造形を見ると、今作のキャラ造形の異常性が分かります。
まず公式サイトのキャラ説明文を見てみましょう。各キャラの属性、そしてチーム内でどのような立ち位置にいるかが記されています。(以下公式サイトより引用)
各キャラクターに一言で言い表せるような単純な属性が与えられ、その属性が持つイメージに沿った性格づけが為されています。それだけならなんの変哲もないただのキャラ紹介ですが、本編中でもこれらのキャラクターが紹介文通りに描かれているという事実と合わせて考えると話が変わってきます。
一般に、公式サイトのキャラ紹介程度でそのキャラクターは把握できません。本編放送後に明かされる情報が載っていないからです。例えば『BanG Dream! Ave Mujica』の公式サイトのキャラクター紹介。特に睦など顕著ですが、間違ってはいないけど大事なところが抜け落ちている、どこか表面を取り繕ったような説明文に感じられます。
月ノ森女子学園の高校1年生。そよとは同じクラス。感情が表に出づらく、口下手だが、彼女なりに他人を気遣う一面も。父は人気お笑い芸人の若葉で、母は女優の森みなみ。また、祥子とは幼馴染である。幼少のころからギターを弾いており、腕は確かである。
『ガールズバンドクライ』にしても同じことです。制作側が実態と乖離していると分かっていながらそのままにした*2井芹仁菜の紹介文*3はともかく、他キャラの紹介文についても載っている情報はおよそ初期設定程度のもので、キャラの本質は本編を見ないと全く分からないと言っていいでしょう。例えば安和すばるだとこんな感じ。
芸能スクールに通う女の子。有望株として CM に出たりしている。世渡り上手の美少女で愛想も良い。モデルと言われてもおかしくない美貌をほこっているが、中身は気が強く負けず嫌いなお嬢様。
このように公式サイトのキャラ紹介は本編で情報が追加されることを前提としており、それ単体ではキャラの輪郭をかろうじて把握できる程度のものにすぎません。あくまでも紹介文に書かれているのは本人のプロフィールであり、表の顔であり、隠す必要のない部分です。本編中でさらなる一面が深堀りされて初めて、そのキャラクターの造形が完成されます。そしてその過程で生まれるものこそが「意外性」であり、「ギャップ」なのです。
しかしもめリリの紹介文は、あまりにも本編中で描かれるキャラクター像と一致しすぎています。もちろん紹介文からは読み取れない情報もあるにはあります(れんげが記憶をなくしていて過去が不明、さざんかは難しい慣用句や四字熟語を間違えずに言う、など)。しかし他作品の紹介文が本編を見た時の印象と無視できないほどのズレを生じているのに対して、もめリリの紹介文はおよそ本編を見た時の印象と相違ありません。紹介文に記されているキャラクター像の範疇を抜け出すような、キャラクターに対する印象がガラッと変わって「意外性」や「ギャップ」が生まれるような情報の追加が本編中で行われていないのです。
また今作は、各キャラごとにお決まりの口癖が割り振られています(ゆりなら「どんどんどーんと」、えりかなら「おねえちゃんの知恵袋」あやめなら「ギルティ」など)。口調が固定化されているのみならず、こうした口癖を執拗なほど、毎回のようにキャラクターに言わせるのも今作の特徴です。
もめリリの各キャラにはそれぞれ属性が与えられ、その属性に従った言動をするように仕向けられています。そしてその設定された属性を外れることは決してありません(お姉ちゃんはお姉ちゃんらしいことしか言わない、ゲーマーはゲーマーらしいことしか言わない、ギャルはギャルっぽい口調でしか喋らないなど)。
これらの特徴によって、今作のキャラクターは意外性の一切ない、およそ人間らしさや等身大といった感覚からは乖離した、単調で無機質な造形に仕上がっています。エンタメの常識に反するこのようなキャラ造形が、今作の低調な評価の一因となっているのは間違いないでしょう。
果たして制作陣は自覚的か
而してここで1つの疑問が生まれます。このようなキャラ造形に対して、果たして制作側は自覚的なのでしょうか。それとも無自覚にこの造形を作り上げたのでしょうか。
もちろん現段階では答えは分かりません。が、もし仮に前者だった場合はまだ考察の余地が残されています。
前者の場合、つまり制作陣が意図的にこのおよそ人間らしくないキャラ造形を選択していたとしたら、その人間らしくなさを利用したギミックが仕込まれていると考えるのが自然です。彼女たちは実は人間ではない、例えば仮想世界のNPCでしかない、などが考えられるでしょう。唯一まだ人間味の感じられるキャラ造形がなされていて、隠されている謎もありそうな”れんげ”だけが唯一の人間である可能性も考えられます*4。
また人間らしくないという点に関して、今作には食事シーンが意図的に描かれていないという指摘もあります。実際今作はほぼ毎回のように「かっぽ〜」(保存食を使った料理)シーンが挿入されますが、描かれるのは料理を作るところまでで、食事シーンは必ず飛ばされています。
もしも人間の生を感じさせないように、どこまでも無機質に作品を仕上げるべく、キャラ造形や食事シーンの有無にまでこだわって作っているとしたら……あまりにもエンタメの常道から外れる、キャラとしておよそ魅力的に見えないような造形が、設定の説得力を補強するような描きに繋がっていたとしたら、今作を評価する余地は残されていると言えるでしょう。
制作陣は本気でこのキャラ造形が魅力的だと思っている、あるいは食事シーンを描くのが面倒くさかっただけ、などのつまらない理由でないことを祈って本文を締めさせていただきます。
*1:本編7話の台詞「なんで春日影やったの!?」
*2:『ガールズバンドクライ』シリーズ構成・花田十輝が「バンドもの」で描きたかったこと① | Febri - Page 2
*3:
井芹仁菜
— アニメ『ガールズバンドクライ』公式 (@girlsbandcry) 2025年1月9日
やや引っ込み思案の普通の女の子。小中高と目立たない存在で、成績もごく普通。特に大きな夢もなく、空気を読んで、みんなに合わせて生きてきた。 pic.twitter.com/LWlpyyA4fU
*4:本編の描写はむしろその逆ですが