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日露戦争のあと、日本という国がおかした「大きな過ち」とはなんだったのか? 歴史探偵・半藤一利が語っていたこと
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日露戦争のあと、日本という国がおかした「大きな過ち」とはなんだったのか? 歴史探偵・半藤一利が語っていたこと
明治40年に定められた「ある方針」この明治四十年という年が、じつは日露戦争後のいちばんの転換点なん... 明治40年に定められた「ある方針」この明治四十年という年が、じつは日露戦争後のいちばんの転換点なんですね。わたくしはとかく軍事的に話をしてしまうのですが、まず明治四十年に日本は新しく国防方針「帝国国防方針」を決めます。 仮想敵国を、海軍はアメリカ、陸軍はロシアの二つに決めて、軍備を強大なものにしていく。いざというとき、アジアの近海で戦ってこれを撃滅できるような、日本海海戦をもういっぺん再現できるような、強力なる軍隊をつくることを決めたのです。 また、大山巌とともに日露戦争を戦った児玉源太郎が明治三十九年七月に急逝したので、子爵から伯爵に上げるのですが、つれて翌明治四十年、山県有朋、大山巌、東郷平八郎(一八四七~一九三四)、乃木希典(一八四九~一九一二)、その他エトセトラのみなが、論功行賞で公爵や伯爵に上がって、貴族になるのです。 児玉源太郎の肖像【出典】国立国会図書館「近代日本人の肖像」