早稲田大学の正門を入り、大隈重信像を過ぎて右折すると、14号館の前に高さ1㍍ほどの石碑がある。 「外交官としてではなく 人間として当然の 正しい決断をした 命のビザ発給者 杉原千畝」 そう刻まれた文章を見守るように、杉原のレリーフが配置されている。「千畝」は「ちうね」と読む。早大歴史館で販売されている『キャンパスがミュージアム vol.1』(早大文化推進部、2014年)には、この石碑について、次のように説明されている。 杉原千畝(1900-1986年)は日本の外交官で、海外では「センポ・スギハラ」、あるいは「日本のシンドラー」として尊敬されている。 岐阜県に生まれ、早稲田大学高等師範部第一部英語科予科(現、教育学部英語英文科)に入学したが、外務省の官費留学生に合格・採用されたため中退し、後に外交官となる。 第二次世界大戦中のリトアニアの在カウナス日本領事館で、ナチス・ドイツの迫害を受
