いよいよ7月23日に開会式が行われる東京オリンピック。 開幕直前の同19日、開会式と閉会式の音楽を担当する予定だったミュージシャン・小山田圭吾が過去の「いじめ告白記事問題」により作曲メンバーを辞任する事態に。 さらには同21日、今大会の文化プログラム「東京2020 NIPPONフェスティバル」の「MAZEKOZEアイランドツアー」に参加していた絵本作家・のぶみ氏が過去の不適切言動などを指摘され、自発的に辞退を表明するに至った。 劇作家・小林賢太郎にも「不謹慎すぎるネタ」の指摘 コロナ禍での東京五輪開幕を控え、前代未聞のドタバタが続くなか、オリンピック開会式・閉会式のショーディレクターとして起用されている劇作家・小林賢太郎にも過去の「不謹慎すぎるネタ」の指摘が―― 彼が芸能活動を本格化させたのは25年前のこと。 小林について「1996年に多摩美術大学版画科の同級生だった片桐仁とともにコントユ
ポーランド与党「法と正義」のヤロスワフ・カチンスキ党首(2019年10月13日撮影、資料写真)。(c)Wojtek RADWANSKI / AFP 【9月2日 AFP】ポーランドは1日、第2次世界大戦(World War II)に同国が受けた損害は6兆2000億ズロチ(約180兆円)に上ると推定する報告書を発表し、賠償請求をめぐる交渉をドイツに求める方針を示した。 この日は、1939年のナチス・ドイツ(Nazi)によるポーランド侵攻からちょうど83年に当たる。ポーランドの事実上の指導者とされる与党「法と正義(PiS)」のヤロスワフ・カチンスキ(Jaroslaw Kaczynski)党首は報告書を発表した会議で、賠償金の大部分は「520万人以上のポーランド国民の死に対する」ものだと説明。人的損失の額は、各個人が生涯収入として国内総生産(GDP)に寄与できたはずだった額に基づき算出された。物的
公開日 2021年08月04日 18:20, 更新日 2023年09月14日 15:10, 無料記事 / 社会問題・人権 今月20日、東京オリンピック・パラリンピック大会の開会式に関連して、ミュージシャンの小山田圭吾とショーディレクターの小林賢太郎が相次いで、辞任・解任となった。 20年以上前の発言・行動にもとづいて処罰が下されることをキャンセルカルチャーだと批判する声もある中、小林には解任という特に厳しい措置が課された。これについて大会組織委員会の橋本聖子会長は「外交上の問題もあり早急に対応するため解任することになった」と述べている。 一体「外交上の問題」とは何であり、なぜホロコーストの揶揄・ジョークは強く問題視されるのだろうか? 「外交上の問題」 橋本会長が、どのような意味で「外交上の問題」と言ったかは明らかではない。しかし大きく2つのポイントから注目することができる。 1つ目は、国際
1942年3月29日 外務省からバンコクの日本大使に送られた、ユダヤ人に対する寛容な保護の継続を指示する最高機密の公電の英訳。英国が傍受、解読した(英国立公文書館所蔵、岡部伸撮影) 日本は第二次大戦中、枢軸同盟を結んだナチス・ドイツから再三、ユダヤ人迫害の要求を受けたが、英国立公文書館が所蔵する日本外務省から東南アジアの大使に宛てた公電で、占領地に逃れてきたユダヤ人の保護を指示していたことが確認された。専門家は、世界で反ユダヤ主義が広がる中で日本は難民を保護し、計約4万人のユダヤ人が生き延びたと指摘している。 ドイツのヒトラーは政権を掌握した1933年にユダヤ人弾圧を開始。満州や中国に迫害を逃れる難民が押し寄せ、近衛文麿内閣の「五相会議」は38年12月、人種平等の原則によりユダヤ人を排斥せず、諸外国人と同等に公正に扱う「猶太(ユダヤ)人対策要綱」を作成。世界で唯一、ユダヤ人保護を国策として
いまや「日本のシンドラー」「東洋のシンドラー」として日本国内外で知られる杉原千畝。だが、日本では杉原の物語が誇張され、ナショナリズムに利用されているとの指摘も研究者らから出ている。ユダヤ系メディア「ジューイッシュ・テレグラフィック・エージェンシー」の記者が杉原をめぐる最近の研究を紹介しつつ、岐阜県八百津町にある杉原千畝記念館も現地取材した。 東京は2021年に五輪が開催される数年前からすでに、世界に示す国家イメージを作り上げていた。 東京都教育委員会は、都内の公立学校に配布した資料で、「(生徒の)日本人としての自覚や誇りを高める」ための「先人の優れた業績」を紹介している。 この4ページの資料の大半を占めるのが、外交官の杉原千畝の物語だ。杉原は1940年、ヨーロッパを逃れようとしていたユダヤ人のために命を救うビザを何千も発給した人物だ。この資料は杉原の生涯と行動をドラマティックに再現しており
学生の間で囁かれてきた「噂」 フランスの名門ストラスブール大学には、何十年にもわたり学生たちの間で囁かれてきた噂がある。ナチスの被害者たちの遺体の一部が標本として保存され、キャンパスのどこかに眠っているというのだ。 この噂には理由があった。1940年にフランスのアルザス地方がドイツ領に組み込まれた際、ドイツはこの大学をナチスのモデル機関「シュトラスブルク帝国大学」に再編すべく、資金やリソースを注ぎ込んだのだ。 1941年から44年にかけて、この大学の医学部の教授たちは少なくとも250人以上を強制収容所から連行し、彼らをマスタードガスといった化学兵器や、チフスなどの死に至る病に関連する人体実験に参加させた。また、アウシュヴィッツから86人のユダヤ人が連れてこられ、骨格標本のコレクションにするために殺害された。 しかし当時、実際に何が起こっていたのか、一部始終を明らかにするのは簡単なことではな
17年前に発見された衝撃の証言録 「メンゲレの犬」──これはイスラエルにあるホロコーストとユダヤ人の抵抗の歴史博物館「ゲットー・ファイターズ・ハウス」のアーカイブで、17年前に発見された衝撃的な証言録のタイトルだ。 その15ページにわたるポーランド語の記録には、まるでハリウッド映画さながらのストーリーが綴られている。記録の主人公は、ユダヤ人少年のオットー。彼はアウシュビッツで攻撃犬として振る舞うことを強制され、最終的には、本物の犬ウィリーとの友情のおかげで命を救われたのだった。 文化研究で修士号取得を目指すタミー・バー・ジョセフは、ホロコーストにおける犬の役割──犬はユダヤ人迫害のために利用されることもあれば、ユダヤ人の命を救うこともあった──を独自に研究するなかで、この証言録を偶然見つけた。 「長い間、この物語にどう接するべきかわかりませんでした。誇張された作り話で、現実離れしているよう
ギリシアのテッサロニキでホロコーストを生き延びた両親新型コロナウィルスのワクチンで脚光を浴びているファイザーのCEOのアルバート・ブーラ氏の両親はギリシア系のユダヤ人でホロコーストの生存者である。そのアルバート・ブーラ氏が2021年1月のアウシュビッツ絶滅収容所が解放されてから76年を迎えた国際ホロコースト記念日で両親のホロコースト時代の経験を初めて語った。アルバート・ブーラ氏は戦後生まれなのでホロコーストは経験していない。 アルバート・ブーラ氏は以下のように両親の経験を語っていた。「多くのホロコースト生存者は、あまりにも悲惨な体験だったため当時の話を子供たちにはしませんでした。でも私の両親はしてくれました。それはとても幸運なことです。私たちに自分達の経験を伝えておきたかったのです。 両親は私に人生の価値を伝えたかったのです。両親は決してナチスに対しての怒りや復讐を口にしませんでした。両親
パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長。同政府提供(2023年8月4日撮影)。(c)AFP PHOTO / HO / PPO 【9月9日 AFP】仏パリのアンヌ・イダルゴ(Anne Hidalgo)市長は、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス(Mahmud Abbas)議長(87)がホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)を正当化したことを受け、2015年に授与した同市最高位の勲章「パリ市大金章(Grand Vermeil)」を剥奪した。市長室が8日、明らかにした。 イダルゴ氏は7日にアッバス氏に送った書簡で「あなたの発言は私たちの普遍的価値観と、ホロコーストの史実に反している」「したがって、この勲章をこれ以上保持することはできない」と述べた。 書簡の内容は、フランスのユダヤ人の統括組織であるフランス・ユダヤ系団体代表協議会(CRIF)のヨナタン・アルフィ(Yonat
ナチスの強制収容所に入れられたユダヤ人の女性たちは、意図的に不妊にさせられていた可能性があることを示す研究が発表された。その根拠は何か? どのような手段が使われたというのか? ユダヤ系メディア「フォワード」がその謎に迫る。 この記事は米大手ユダヤ系報道機関「フォワード」で最初に掲載されたものです。フォワードの無料ニュースレター登録はこちら。 「おばあちゃん、アウシュヴィッツにいたとき生理はあったの?」 若い女性が93歳の祖母にそう尋ねるTikTok動画がこの夏に拡散された。「いいえ」と答える祖母の腕には、強制収容されたときに入れ墨された囚人番号があらわになっている。 「私たちの食事に何かの薬が入れられていて、それで生理が来なくなったから」 看護師のミリアム・エザグイが投稿したこの動画には「いいね」が300万以上もついたが、懐疑的なコメントも無数にあった。 「それは栄養失調のせいだと思ってい
独北部イツェホーの裁判所に出廷したイルムガルド・フルヒナー被告(2022年12月20日撮影)。(c)Christian Charisius / POOL / AFP 【12月20日 AFP】(写真追加)ドイツの裁判所は20日、第2次世界大戦(World War II)中にポーランドにあったナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所で秘書として働いていたイルムガルド・フルヒナー(Irmgard Furchner)被告(97)に対し、1万人以上の殺害をほう助したとして執行猶予付き禁錮2年を言い渡した。 判事は、シュトゥットホーフ(Stutthof)強制収容所で行われた「残酷で悪意に満ちた殺人」において被告が役割を担っていたと指摘した。 フルヒナー被告は車いすで出廷。被告は当時10代だったため、少年裁判所で裁かれた。 ナチス時代の犯罪で女性が起訴されることは、ここ数十年間なかった。被告は昨年9月の裁
「東洋のシンドラー」「日本のシンドラー」と言えば、杉原千畝だろう。だが、戦時中、元祖シンドラーのように自分の工場でユダヤ人たちを雇用してかくまったドイツ人が、しかも東京にいた。 この「日本のシンドラー」の存在は、日本にいたナチス将校や戦後日本を占領した連合軍の都合によって偽りにくるまれ、歴史の闇に葬られてしまっていた。 最近この歴史的真相を明らかにしたドイツ人研究者に、ユダヤ系メディア「タブレット」が独占取材した──。 歴史の闇に葬られた「日本のシンドラー」 病的な虚言癖があり、気性は「ならず者」のナチス将校ヨーゼフ・マイジンガーは、絞首台で果てるまでのあいだに、まんまと天敵をおとしいれた。 マイジンガーの矛先は、ドイツ出身で東京に工場を持つ反ナチ市民のヴィリー・フェルスターに向かい、自分が犯した数多くのナチスの犯罪にフェルスターが加担したと告発したのだ。 そのせいで、本来なら「日本のオス
ナチスの手を逃れ、ニューヨークにたどり着いたユダヤ人の少女は、紆余曲折を経てマンハッタンにある古いホテルのオーナーになった。95歳になったいまも経営に携わるその女性を、米紙「ニューヨーク・タイムズ」が取材した。 「ホテル・アール」に引っ越しても構わないか──1980年のある夜、リタ・ポールは夫のダニエルにそう尋ねた。 そのホテルは、ニューヨークはマンハッタンのダウンタウンにある、グリニッチビレッジのウェーバリー通りとマクドゥーガル通りの交差する角に立つ。 それはさほど奇妙な頼みごとでもなかった。ポール一家は1973年から、当時すでに築70年だったアールを所有していた。アールは、ポール家が手に入れる頃にはすでに、飾り気のない居住用ホテルから幅広い客層を引き寄せる型破りな隠れ場へと発展していた。 リタ・ポールは自分の隠れ場として、4階にあるつながった4室に目をつけていた。「当時は空室がたくさん
旧チェコスロバキアの空挺部隊がナチス・ドイツの高官ラインハルト・ハイドリヒを暗殺して80年を記念する行事で、当時の様子を再現してハイドリヒを演じる俳優(手前中央)。チェコ・プラハで(2022年5月27日撮影)。(c)Michal Cizek / AFP 【5月28日 AFP】旧チェコスロバキアの空挺(くうてい)部隊がホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)の立案に携わったナチス・ドイツ(Nazi)の高官ラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Heydrich)を暗殺して80年を記念する行事が27日、チェコの首都プラハで行われた。式典ではウクライナ紛争に言及する演説が多かった。 スロバキアのヤロスラウ・ナジ(Jaroslav Nad)国防相は、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領がウクライナ侵攻を開始する際に使用したのと全く同じ表現を使い、ハイ
ポーランド・ジャウドボにあったナチス・ドイツの強制収容所付近の森の中、8000人分の遺灰が埋められているのが見つかった場所に設置された追悼碑(2022年7月13日撮影)。(c)JANEK SKARZYNSKI / AFP 【7月14日 AFP】ナチス・ドイツ(Nazi)占領下と共産主義時代の犯罪を調査しているポーランドの国家記銘院(Institute of National Remembrance)は13日、首都ワルシャワ北方のジャウドボ(Dzialdowo)にあったナチスの強制収容所近くで、8000人分の遺灰が埋められているのを発見したと発表した。 この収容所にはユダヤ人やナチスの政敵、ポーランド政界のエリートらが収容された。推定3万人が殺害されたとされるが、実際の犠牲者数は立証できていない。 調査員のトマシュ・ヤンコフスキ(Tomasz Jankowski)氏によると、集団埋葬地で見つ
ポーランド・シュトゥトボで、ナチスのシュトゥットホーフ強制収容所博物館にあるガス室のそばに立つ女性(2020年7月21日撮影、資料写真)。(c)Wojtek RADWANSKI / AFP 【2月6日 AFP】ドイツの検察当局は5日、ナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所の秘書だった女性(95)を1万人以上の殺害をほう助したとして訴追したと明らかにした。ナチスの戦争犯罪で女性の訴追は近年ではまれ。 元秘書は、ナチスに占領されていたポーランドのグダニスク(Gdansk、ドイツ語ではダンチヒ Danzig)近郊にあったシュトゥットホーフ(Stutthof)強制収容所で働いていた。 検察は元秘書の名前を明かしていないが、公共放送の北ドイツ放送(NDR)は、ハンブルク(Hamburg)北部の高齢者介護施設で暮らす「イルムガルト・F(Irmgard F)」だと伝えた。 ドイツ北部イツェホー(Itze
82年のときを隔てて抱擁を交わしたベティ・グレベンシコフ(右)とアナ・マリーア・ヴァレンバーグ Photo: Courtesy of Betty Grebenschikoff ドイツにいた親友は死んでしまった──82年ものあいだ、ベティ・グレベンシコフはそう思っていた。ところが先日、その親友が生身の姿で、米国フロリダ州セントピーターズバーグにあるホテルの一室に立っていたのだ。 グレベンシコフがアナ・マリーア・ヴァレンバーグと最後に会ったのは1939年の春だった。当時9歳だったふたりは、ベルリンの校庭で涙ながらに抱擁を交わした。 それからほどなく、それぞれの家族はナチスの手を逃れてドイツを後にせざるをえなくなる。第二次世界大戦の勃発前夜のことだった。 ふたりともこれが最後の抱擁になるだろうと思っていた。だが、2021年11月5日、80年以上ものときを隔てて、91歳になったふたりは再び抱擁を交
ドイツ北東部ブランデンブルクアンデアハーフェルの裁判所に出廷し、ファイルで顔を隠すヨーゼフ・シュッツ被告(2022年6月28日撮影)。(c)Adam BERRY / AFP 【6月28日 AFP】ドイツの裁判所は28日、第2次世界大戦(World War II)中にナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所で看守を務めていたヨーゼフ・シュッツ(Josef Schuetz)被告(101)に対し、収容者の殺害をほう助したとして禁錮5年の判決を下した。被告は、ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)が起きた際の戦争犯罪で共犯に問われた最高齢者。 判事によると、被告は1942~45年にベルリン北郊オラニエンブルク(Oranienburg)にあったザクセンハウゼン(Sachsenhausen)強制収容所で看守として働いていた際、殺人をほう助したとして有罪判決を受けた。検察側は、被告が「承知の
ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の生存者が波乱の人生を語る映画「ユダヤ人の私」が東京・神保町の映画館で公開された。ユダヤ人に起きた悪夢を「誰が想像できるだろう」と問い掛ける主人公マルコは、アウシュビッツ強制収容所などを生き延びた105歳。共同監督の一人、オーストリア人のクリスティアン・クレーネス氏はオンラインで取材に応じ「国や社会は簡単に危険な方向に転ぶ。その過去を忘れれば、過去はいつか未来になる」と警鐘を鳴らした。(共同通信=斉藤範子) ▽語り続ける 主人公は1913年にハンガリーで生まれ、オーストリアの首都ウィーンで育ったマルコ・ファインゴルト。全編モノクロの映画の序盤、小さい頃の家族との思い出や、青年時代のビジネスでの成功を懐かしむように豊かな表情で語る。 だが、オーストリアが38年にナチス・ドイツに併合されると、反ユダヤ主義が急激に広がり、人生が一変する。39年にナチス
◆菅野賢治(かんの・けんじ)さん (共和国・5720円) ユダヤ難民を救った史実 第二次大戦中に外交官の杉原千畝がリトアニアで出した日本通過ビザ、いわゆる「命のビザ」は多くのユダヤ難民をホロコーストから救ったと言われてきたが、「当時の難民が恐れたのはナチス・ドイツの脅威ではなく、ソ連による共産化だった」ことを一次資料を基に検証した。タイトルを含め「読者の抵抗に遭うことも十分覚悟した」という長編学術ドキュメントだ。 1939年9月に祖国ポーランドがドイツとソ連に分割・占領され、中立国リトアニアに逃れたユダヤ難民は翌40年夏、ビザを求めて日本領事館に詰めかけた。東京理科大教授でフランスのユダヤ世界を研究してきた著者は、「アメリカ・ユダヤ合同分配委員会」(JDC、本部ニューヨーク)の現地代表として難民支援にあたった米国人ベッケルマンが残した電文やリトアニア古文書館の記録などを詳細に分析。ユダヤ難
(CNN) ドイツ北部イツェホーの裁判所で20日、第2次世界大戦中にナチス・ドイツの強制収容所で速記係とタイピストを務めていた97歳の女性が、殺人ほう助の有罪判決を言い渡された。 被告の女性は1943年からナチス政権が崩壊する45年まで、ナチス占領下のポーランド北部グダニスク近郊にあったシュツットホフ強制収容所に勤務。1万505人の殺害に加担したとして有罪判決を受け、執行猶予付き禁錮2年の刑を言い渡された。 当時は未成年者だったことから、審理は少年裁判所が担当し、未成年として保護観察を受けるという。 被告は開廷予定日の数週間前に逃走したが、数時間後に見つかり、昨年末に審理が始まっていた。 シュツットホフ収容所には、ポーランド国内の各都市にいた多数のユダヤ人や、ユダヤ人以外のポーランド人が劣悪な環境の下で収容され、6万人以上が死亡したとされる。 ドイツは近年、生存中のナチス戦犯の裁判を加速さ
ドイツ・ベルリン北郊オラニエンブルクにあるザクセンハウゼン強制収容所跡(2020年4月16日撮影、資料写真)。(c)Tobias SCHWARZ / AFP 【2月9日 AFP】存命のナチス・ドイツ(Nazi)関係者の法的責任追及を進めているドイツの検察当局は8日、強制収容所の元看守の男(100)を、3518人の殺害の共犯として起訴したと明らかにした。 元看守は1942年から1945年の間に、ベルリン北郊オラニエンブルク(Oranienburg)にあるザクセンハウゼン(Sachsenhausen)強制収容所で、「故意にかつ自ら進んで」被収容者の殺害をほう助したとされている。 公共放送の北ドイツ放送(NDR)がこの件について報じたことを受け、ドイツ北東部ノイルッピン(Neuruppin)の検察は、男は高齢だが公判に耐えられるとの見解を示した。 ドイツは2011年に強制収容所の元看守でナチスに
イスラエル・ヘルツリヤで、オスカー・シンドラーの写真を手にするミミ・ラインハルトさん(2019年11月23日撮影)。(c)GIDEON MARKOWICZ / AFP 【4月9日 AFP】第2次世界大戦(World War II)中のポーランドで、ドイツ人実業家オスカー・シンドラー(Oskar Schindler)の秘書として、多数のユダヤ人をホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大虐殺)から救うためのリストを作成したミミ・ラインハルト(Mimi Reinhardt)さんが死去した。107歳。家族が8日、明らかにした。 ポーランド南部クラクフ(Krakow)のゲットー(強制隔離居住区)に住んでいたユダヤ人の多くは、シンドラーの工場の従業員リストに載ったことで、ナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所への送還を免れた。シンドラーの下でラインハルトさんがまとめたリストは、約1300人のユダヤ
オーストリア内務省内の庁舎内で公開された、アドルフ・ヒトラーの生家の改修計画図(2020年6月2日撮影、資料写真)。(c)JOE KLAMAR / AFP 【8月22日 AFP】オーストリア内務省は21日、ナチス・ドイツ(Nazi)総統、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の生家について、人権啓発施設を併設した警察署に改修する工事を予定通り10月に開始すると発表した。一方、ドキュメンタリー映画監督は、生家を官署として利用するのはヒトラーが望んでいたことだとし、計画に異議を唱えている。 ヒトラーは1889年、ドイツと国境を接するオーストリア北部ブラウナウ(Braunau)にある、広さ800平方メートルの建物で誕生。居住期間はわずかだったが、世界各地からネオナチが訪れていた。 政府はネオナチの「聖地」になるのを防ぐため、荒廃していた建物を2016年に接収し、改修を決定した。 内務省報
ピカソ作「アイロンをかける女」。米グッデンハイム美術館所蔵(撮影日不明)。(c)DENNIS CALLAHAN / NOTIMEX / Notimex via AFP 【1月31日 AFP】ドイツ系ユダヤ人夫婦の子孫がこのほど、米ニューヨークのグッゲンハイム美術館(Guggenheim Museum)に対し、1938年にナチス・ドイツ(Nazis)から逃れるために夫婦が売却した絵画の返還を求め提訴した。 問題の絵は1904年にピカソが描いた油彩画「アイロンをかける女(Woman Ironing)」。78年から同美術館に展示されている。所有権を主張している夫婦のひ孫、トーマス・ベニグソン(Thomas Bennigson)氏らによると推定1億~2億ドル(130億~260億円)の価値がある。 マンハッタン(Manhattan)の裁判所に提出された訴状によると、絵は1916年に皮革製造会社を経営
独北部イツェホーの裁判所に出廷したイルムガルド・フルヒナー被告(2022年12月6日撮影)。(c)Marcus Brandt / POOL / AFP 【12月7日 AFP】第2次世界大戦(World War II)中、ポーランドに設置されたナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所で秘書として働いていた女が、1万人以上の殺害をほう助した罪に問われた裁判で、審理最終日の6日、被告が起訴内容について初めてコメントした。 弁護人がAFPに語ったところによると、ドイツ北部イツェホー(Itzehoe)の裁判所に出廷したイルムガルド・フルヒナー(Irmgard Furchner)被告(97)は「起こったことすべてについて残念に思っている」と表明。自身が勤務していた強制収容所の名前に言及し、「当時シュトゥットホーフ(Stutthof)にいたことを後悔している」と語った。 ナチス時代の犯罪で女性が起訴される
ナチス・ドイツによるポーランドのユダヤ人隔離居住区「ワルシャワ・ゲットー」からトレブリンカ絶滅収容所へのユダヤ人移送が始まった日から80年を迎え、犠牲者を追悼して行進する人々(2022年7月22日撮影)。(c)Wojtek RADWANSKI / AFP 【7月23日 AFP】ポーランドで22日、第2次世界大戦(World War II)中にナチス・ドイツ(Nazi)が首都ワルシャワに設置したユダヤ人隔離居住区「ワルシャワ・ゲットー」から中部トレブリンカ(Treblinka)強制収容所へのユダヤ人の移送を開始した日から80年の節目を迎えた。市内では犠牲者を追悼する行進が行われ、大勢が犠牲者の名前が書かれたリボンを手に参加した。 ロシアのウクライナ侵攻で数百万人が家を追われていることから、今年の行進は、強制退去、強制送還の被害者にささげられた。 ポーランドの主席ラビ(ユダヤ教の宗教指導者)、
ついにハンナも収容所へ ホースラル家はフランク家とは異なり、潜伏できるようなつてがなかった。アンネたち一家が隠れ家生活を始めてから1年も経たぬ頃、アムステルダムの街からユダヤ人を一掃した悪名高きユダヤ人狩りの際に、ホースラル家のもとにもナチの兵士がやってきた。 それ以前に、一家は母ルートが娘を死産した2日後に41歳で亡くなるという悲劇にも見舞われていた。「それは私たちの家で起きました」とピック=ホースラルは言う。「ユダヤ人の医者と助産婦に来てもらっていましたが、母は心臓に何か異常があったのかもしれません」 オランダのヴェステルボルク通過収容所で何ヵ月か過ごした後、ハンナと父ハンス、妹ガビ、それに母方の祖父母はベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送された。一家はそこでアルバッラ収容区という、収容所のなかでも比較的ましな区画に入れられ、ドイツ人の戦争捕虜との交換要員として温存された(が、この交換が
ポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡地にある博物館の柵に手向けられた花(2022年4月28日撮影)。(c)Wojtek Radwanski / AFP 【1月26日 AFP】ポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau museum)博物館は25日、強制収容所が旧ソ連軍に解放されてから78年を迎える記念式典に、ウクライナ侵攻を理由にロシアを招待しないと明らかにした。 アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所の跡地にある博物館では、毎年1月27日の「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー(Holocaust Memorial Day)」に合わせ、式典が開催される。ロシアはこれまで毎年参加し、代表が演説を行っていた。 同館の広報担当者はAFPの取材に、ロシアによる「自由で独立したウクライナへの攻撃」が理由だと説明した。 ピオトル・シウィンスキ(Piotr
ホロコースト否定者というのは基本アホである。 あった・なかった以前の問題で、言ってることやってることそれ自体が無茶苦茶なのだ。 どれほど無茶苦茶で出鱈目なことをやっているか、一例をあげよう。 西岡昌紀、木村愛二という1990年代にホロコースト否定でちょっと話題になった人がいる。この二人は、ホロコースト否定の仲間である。 西岡昌紀……1995年に文藝春秋から発行していた雑誌『マルコポーロ』にホロコースト否定論の記事を書いた内科医。この記事だけでマルコポーロは廃刊になった。『アウシュウィッツ「ガス室の真実」』の著者である。タイトルが「アウシュヴィッツ」でなく「アウシュウィッツ」なのが西岡をよく表している。医者のくせしてドイツ語発音を知らないのだ。STAP細胞騒動の時、いち早く小保方の擁護側に回る。理研に「ラムゼイ」と西岡が勝手に名付けた内通者と連絡を取り合っていたそうだ(ラムゼイがいたのは本当
2021年2月20日にドイツに強制送還されたフレドリック・カール・バーガー元警備員(1959年撮影、米司法省提供画像)。(c)AFP PHOTO / US Department of Justice 【2月21日 AFP】米司法省は、ナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所の元警備員(95)をドイツに強制送還したと発表した。 フレドリック・カール・バーガー(Friedrich Karl Berger)元警備員は米テネシー州で生活し、ドイツ国籍を保持していた。米司法省は強制送還の理由について、バーガー元警備員が1945年にノイエンガメ(Neuengamme)強制収容所の武装警備員として「ナチス主導の迫害」に加担していたためだと説明した。 1959年から米国在住だったバーガー元警備員の強制送還は、司法省の移民担当判事が昨年3月に命じていた。この時レベッカ・ホルト(Rebecca Holt)判事は
ホロコーストという極限状態のなかで、多くの女性たちが月経を失った。しかし、それでも女性たちにとって、月経は切っても切り離せないものだった。それは悩みであり、恥であり、また、意外なことに「救い」でもあったのだ。 国際ホロコースト記念日の今日、これまであまり公にはされてこなかった、月経と女性たちのストーリーをお届けしたい。 女性に生理があることは紛れもない事実だが、あまり公に語られるテーマではなかった。特に、私たちがホロコーストについて考える時、「月経」という言葉が出ることはまれだろう。 歴史研究の領域でも、残念ながら月経を扱うことは避けられてきた。それが女性の人生の核になるとも言える、重要な事柄であるにも関わらず、だ。強制収容所の女性たちは、劣悪で悲惨きわまりない状況下で、この現象にいったいどう対処していたのだろうか。 ホロコースト経験者による証言や回顧録は、女性たちが強制収容所での月経につ
バチカンで、アウシュビッツ強制収容所の生存者、リディア・マクシモビッチさんの囚人番号の入れ墨に口づけするフランシスコ教皇。バチカンメディア提供(2021年5月26日撮影・公開)。(c)AFP PHOTO / VATICAN MEDIA 【5月27日 AFP】ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(Pope Francis)は26日、バチカンを訪れたアウシュビッツ(Auschwitz)強制収容所の生存者の女性と会い、腕に残る囚人番号の入れ墨に口づけをした。 リディア・マクシモビッチ(Lidia Maksymowicz)さん(81)は、3歳にもなっていなかった1943年に強制収容所に送られ、到着時にこの囚人番号の入れ墨を刻まれた。 バチカン宮殿(Apostolic Palace)内で行われた一般謁見(えっけん)後、教皇と対面したマクシモビッチさんが服の袖をたくし上げて囚人番号を見せると、教皇
ナチ党はホロコーストにおいて自らが犯した罪の隠蔽を図った。大量虐殺の否認は今日も続いている。写真は、かつての鉄道駅を利用して造られたフランス、ピティビエのホロコースト記念館。ユダヤ人はここから列車で死の収容所へ送られた。(PHOTOGRAPH BY CHRISTOPHE PITIT TESSON, POOL/AFP VIA GETTY IMAGES) 600万人のユダヤ人が殺された。さらに何百万人もの人々が、それぞれの暮らし、コミュニティー、家族、さらには名前さえも奪われた。ホロコーストの恐怖は、数字を使って表されることが多い。ヨーロッパのユダヤ人を根絶やしにすることを目指したナチスドイツの試みが、どれほどの規模だったのかを伝える数字だ。 ナチ党(ナチス)とその協力者たちは、彼らが劣等であるとみなした何百万人もの人々を殺害した。その中には、エホバの証人の信徒、同性愛者、障害者、スラブ人、ロ
顔を隠した被告=5月16日、ドイツ北東部ブランデンブルク州ノイルピーンの地方裁判所/Fabian Sommer/picture alliance/Getty Images ベルリン(CNN) ドイツの裁判所は28日、ナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)で3518人の殺害をほう助したとして、強制収容所の元看守(101)に禁錮5年の量刑を言い渡した。 ドイツ北東部ブランデンブルク州ノイルピーンの検察によると、男性被告は2021年、ベルリン北郊にあるザクセンハウゼン強制収容所で収容者の殺害を「認識しつつ故意に」ほう助した疑いで訴追されていた。 裁判所の報道官によると、男性被告は今回、ノイルピーンの地方裁判所で量刑を言い渡された。 報道官は、公判は複雑なプロセスだったと指摘。「犯行が行われたのは非常に前で、加害者が非常に高齢であることから、適切な刑罰を見つけるのは極めて難しかった。こうし
ポーランド人消防士のズビグニエフ・グジバチェウスキ氏が撮影した、ワルシャワ・ゲットーからユダヤ人が移送される様子。ポーランド・ユダヤ人歴史博物館提供(1943年4月20日頃撮影、2023年1月18日公開)。(c)Zbigniew Leszek Grzywaczewski / AFP 【2月6日 AFP】第2次世界大戦(World War II)中、ナチス・ドイツ(Nazi)がポーランドに設置したユダヤ人隔離居住区「ワルシャワ・ゲットー」での蜂起の際にポーランド人消防士が撮影した未公開の写真がこのほど、報道陣に公開された。 1943年の蜂起の際の写真だが、実際の戦闘の様子は写っていない。代わりに、建物から立ち上る炎、がれきだらけの無人の通り、ユダヤ人を強制収容所へと導くドイツ兵など、この世の終わりのような光景が捉えられている。 歴史家のヤツェク・レオチャク(Jacek Leociak)氏は会
中国・上海市にある「上海ユダヤ難民記念館」のシナゴーグ跡地(2020年12月8日撮影)。(c)STR / AFP 【1月27日 AFP】ナチス・ドイツ(Nazi)のホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)を逃れた数多くのユダヤ人が、中国・上海に身を寄せ合って暮らしていたことはあまり知られていない。当時、まだ幼児だったクルト・ウィック(Kurt Wick)さんが、強制収容所の「死」を免れることができたのも、上海に避難できたためだ。 現在、ウィックさんは83歳。過去20年にわたり、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)の残虐行為から、いかに上海がユダヤ人を救ったかを語り続けている。「(上海は)ユダヤ人2万人を救った。もしあの助けがなければ、こうして今、話をすることはできなかった」 オーストリア・ウィーン生まれのウィックさんは、イタリア・トリエステ(Trieste)の港から、
ポーランド・オシフィエンチムのアウシュビッツ・ビルケナウ博物館を息子と共に訪れた実業家のイーロン・マスク氏(右から2人目)とメナヘム・マルゴリン師(左から2人目)。欧州ユダヤ協会提供(2024年1月22日撮影)。(c)AFP PHOTO /Yoav Dudkevitch/EUROPEAN JEWISH ASSOCIATION 【1月23日 AFP】実業家のイーロン・マスク(Elon Musk)氏は22日、ポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ(Auschwitz-Birkenau)強制収容所の視察ツアーに参加した。同氏は、自身が運営するX(旧ツイッター)で反ユダヤ主義の陰謀説を支持し、政界からも批判を浴びていたが、「心を揺さぶられた」とのコメントを発表した。 欧州ユダヤ協会(European Jewish Association、EJA)によると、マスク氏はラビ(ユダヤ教指導者)長を務める
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