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三陸鉄道と津波に関するt298raのブックマーク (5)

  • 三鉄復旧工事3日再開 久慈-田野畑間来年4月開通へ

    Tweet 東日大震災の津波で甚大な被害を受けた三陸鉄道(総延長107・6キロ)は3日から、路線復旧工事を再開する。区間は北リアス線の陸中野田-野田玉川(4・0キロ)で、来年4月には久慈-田野畑(35・4キロ)が開通する見込みだ。2014年4月の全路線再開を目指し、同社の復旧計画が格化する。 三鉄は震災直後の復旧工事で3月29日までに久慈-陸中野田、宮古-小の計約36キロ区間で運転を再開。その後は復旧費のめどが立たず、全路線の3分の2が運休している。 同社は総額約110億円の復旧経費を見込み、14年4月の全線再開を目標とする復旧計画を策定。運休区間を3段階に分けて復旧する方針だ。3日に野田村の現地で安全祈願祭と起工式を行う。 望月正彦社長は「久慈-田野畑の開通で交流人口が増えれば、被災地経済の復興支援にもつながる。14年春の全線再開へ全力で取り組みたい」と話す。

  • 河北新報 東北のニュース/全線復旧 必ず 岩手・三陸鉄道 14年春目指す

    全線復旧 必ず 岩手・三陸鉄道 14年春目指す 東日大震災で被害を受けた第三セクター三陸鉄道(盛岡市)は14日までに、2014年4月を目標に全線(107.6キロ)で運転再開する方針を固めた。15日の株主総会で計画を示す。  復旧は運休中の71.4キロを対象に3段階に分けて行う。最も早いのは、北リアス線田野畑―陸中野田間(24.3キロ)で12年4月に開通させる。続いて、13年4月に南リアス線盛―吉浜間(21.6キロ)、14年4月に北リアス線小―田野畑間(10.5キロ)と、南リアス線吉浜―釜石間(15キロ)をそれぞれ再開する。  復旧工事は、線路ののり面をコンクリートで補強したり、津波で流された北リアス線の島越駅を高い場所に移したりして、津波や地震に耐えられるようにする。  費用は約110億円と試算。国土交通省が復旧費用の国庫補助率を現行の4分の1から4分の3への引き上げを検討しており、国

  • 東日本大震災:三陸鉄道の3カ月<中> 運賃が取れる状況ではなかった - 毎日jp(毎日新聞)

    三陸鉄道は学生や高齢者など「交通弱者」にとって大事な移動手段となっている=岩手県の久慈駅で2011年6月10日、米田堅持撮影 ◇橋の下で整備点検 「さんてつ」(三陸鉄道)は3月20日、宮古-田老間(12.7キロ)で運転を再開し、震災の対策部として使っていた車両に乗客を乗せて走り始めた。29日には田老-小間(12.4キロ)も復旧、宮古-小間(25.1キロ)がつながった。使える車両は1両だけだった。朝夕には約140人がこの1両にすし詰めとなり、混雑緩和と故障時の対応が課題となっていた。 5月28日、岩手県が費用を負担して久慈から宮古へ向けて2両を陸送して事態を打開した。陸中野田-小間(34.8キロ)が津波で寸断されたため、久慈にある指令所から信号を制御できず、宮古-小間は現在も手旗信号による運行が続いている。震災当時、6000リットルほどの燃料が久慈の車両基地にあった。通常なら4日分

  • asahi.com(朝日新聞社):三陸鉄道、復興へ発車 被災者の足、社員総出で復旧急ぐ - 社会

    田老駅近くを走る三陸鉄道の「復興支援列車」=岩手県宮古市、宮嶋写す橋脚が崩れ、駅舎が跡形もなく流された三陸鉄道北リアス線の島越駅=9日、岩手県田野畑村、牛尾写す三陸鉄道田老駅のホーム。列車から降りた乗客たちは、がれきだらけの町を前に、立ちつくしていた=岩手県宮古市、宮嶋写す三陸鉄道運転士の飯田晃司さん=岩手県宮古市、宮嶋写す宮古高校2年の山崎祥太郎さん(右端)と中里義貴さん(右から2人目)。田老へ流された自宅を見に行ったが、この日も何も見つからなかったという=岩手県宮古市、宮嶋写す三陸鉄道の乗客数の推移三陸鉄道の復旧状況  岩手県の三陸海岸を南北に走る「三陸鉄道」は、津波で駅舎も線路も奪われた。それでも、いち早く一部で運行を再開したのは、津波からの復興のために生まれた鉄道だからだ。だが、自力再建は厳しい状況に追い込まれている。  今月初め。宮古発小行きの1両だけの列車に、野菜や長を詰め

    t298ra
    t298ra 2011/04/15
    三鉄の復旧の早さには驚いた。地元の人にとっても頼もしかっただろうと思う。
  • 三陸鉄道社長からのメッセージ「三陸鉄道の復旧に向けて」 « 三陸鉄道株式会社の公式サイト

    三陸鉄道の復旧に向けて このたびの震災に際しましては、多くの皆様から御支援・激励をいただき、ありがとうございました。心から感謝申し上げます。 今回の震災により三陸沿岸地域は、甚大な被害を受けました。多くの方々が家族を、財産を、そして勤め先など生活の基盤を失いました。当社も各地で線路や橋梁、駅などが甚大な被害を受けました。幸いにして、アテンダントを含め社員と震災の際に乗車中のお客様は無事でした。(家族や住居を失った社員はいます。) 私たちは、震災直後から今後どのように対応するか協議しました。多くの方が家や車を失い、買い物や病院にも行けない状況を目の当たりにし、少しでもお役に立ちたかったので、結論は「とにかく復旧できるところから列車を動かそう」でした。 3月16日に久慈~陸中野田間で、3月20日には宮古~田老間で、3月29日には田老~小間で運転を再開しました。被災したお客様からの「ありがとう

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