地元と文化活動の思い出(地元でのライブの思い出) 美術手帖の編集長が帰省中に『巨大なイオンモールだけが煌々と明るい地方都市に帰省すると、美術の「美」の字も見つけられないと』ツイートしたことが炎上していた。 調べるとどうやら編集長は私の地元・伊賀市のすぐ近くの鈴鹿市出身らしい。 鈴鹿の事情はあまり知ら…

お答え - シートン俗物記についたブクマタワーが、id:NATSU2007氏とid:NaokiTakahashi氏のやりとりによってどんどん高くなっていくのを見ていたが、収束したようなので改めて最初から順に追い直してみたいと思った。 既に一方の論者であるナツ氏がこの長いやりとりについて、「「男は女を欲望する」という抑圧」という詳細な解説記事を、それに対して高橋氏も「なるほどね。」という記事を上げていて、比較するとすれ違いっぷりが更によくわかるので、傍観者が今更追うのはなんだか間が抜けているんだけどまあいいや。私の感想は最後に。 以下、二人の発言+その内容に絡んだ第三者のコメントをピックアップし(17日am1:00現在のもの)、時系列順に並べ直した。こういう場合、元記事を1階、ブクマページを2階と数えるのだろうか? よく知らないがここではそういうことにしとく。 2階 (34users) NA
そりゃあさ、人を傷つけずに一生を過ごせればどんなに良いかと思うよ。 でも実際は、見えるところ見えないところで、今まで何人もの人を傷つけてきたんだと思う。 たぶんこれはどれだけ努力したって無くせないし、たまには「そんなの傷付くほうがおかしい」と言いたくなることもあるだろう。 差別の問題にしても、 「私はあなたに差別されたと感じました」 って言われたって、どうすりゃいいんだよ。 そもそも、差別って何だよ。 あなたが差別だと感じれば差別になるのか? それとも、はてな村の方々が差別認定をすれば? もしくは、国民の過半数とか? 分かんないんだよ。 傷ついてることは分かるし、それは可愛そうだと思うけど、それが差別のせいなのかは何ともいえない。 どれだけ話し合っても差別だったって認識できないかもしれない。 そういう場合はさ、どうすればいいの? 僕がどうしても差別だとは思えないことを、あなたは差別と感じて
アメリカに住んでると、いちいち価格交渉とかしないとならないとか、住みづらいと思うことも多々ある。 でも、これはいいな、と思うことも多々ある。 今日は、英語で話していて、これは素敵だなと思った言葉について書こうと思う。 二回シリーズで。 留学しはじめて間もない頃、クラスで同じコアチームになった人たちに、私はよく謝っていた。 皆で提出するレポートの私の部分だけ、チームの誰かが忙しいのに時間掛けて校正してくれたり。 ロールプレーでも、私だけ時間がかかるのを待っていてもらったり。 私が英語が出来ないことで、迷惑を掛けてるって思いがあったのだ。 そうしたらチームメンバーに「そんなにたくさんSorryって言っちゃだめだよ」と言われた。 「そういうときはね、Sorryじゃなくて、Thanksって言って感謝の気持ちを表せばいいんだ。 Sorryは本当にダメなときとか、誰にもどう解決しようもないようなときに
Web | 13:07http://d.hatena.ne.jp/Francesco3/20091212/1260637233これじゃ、曽野綾子といっしょじゃん。どういう表現で怒りをあらわそうが勝手って。それ言ったらおしまいだわなあ。 結局、あたしの勝手に行きつくんだもん。でもねえ、私は、何を書こうと私の勝手って言う意識が自分にあって書いてる、でもそれじゃあきっとダメだよね、みたいなとこから始めてる。あたしの勝手で結論出ちゃうなら、書く意味ないもん。
「何でそう思うんだ」 「みんながそう思っているからです」 「僕にはそう読めたからです」 こういう論理的思考の苦手な小学生は実在する。これでは困るので根拠を問われれば具体的に論拠を出すように指導する。自分の感じたことがそのまま結論になるのは、論理的な思考ができないことを示している。作文を課する中学校はそういうところをみている、はずである。しかし実際の作文教室などの添削をみているとひどいもので、「私はこう思いました。だからこうです」というのが見逃されている。それどころか自分がそう思ったことをそうだと無根拠に結論に持ってきても「素直に自分の言いたいことが書けました」と褒める。これではだめだ。これでは優劣はつかない。結局添削者の好みになってしまう。学校ならば教師の好みに合わせた作文を書けば点がいい、ということになる。 少し前の話だが、小レポートを課していた。ある留学生がレポートを持ってやってきた。
前の記事 発見続く旧日本軍の潜水艦:「潜水空母」や、真珠湾の「最後の1隻」 サルの鳴き声に「文法的規則」を発見 2009年12月10日 Brandon Keim Image: Florian Mollers アフリカの熱帯雨林に住むキャンベルモンキー[オナガザル科]は、音を言葉にする文法的な規則を用いて、同じ鳴き声を、さまざまな方法で組み合わせているようだ。 仏レンヌ第1大学のAlban Lemasson氏は、「動物のコミュニケーションにおいて、動物は異なる鳴き声を意味論的に結びつけて新しいメッセージを作り出すことができるという証拠が見つかったのはこれが初めてだ」と話す。「これが人間の言語と強い類似性をもつものなのか、そこに主語や目的語や動詞が見つかるのか、私にはわからない。とにかくキャンベルモンキーは、意味をもった単位を結合して、別の意味をもった連なりを作り、その結びつけ方にはルールが認
id:hokusyu氏やid:apesnotmonkeys(a.k.a id:Apeman)氏をはじめ、はてサ乃至サヨクと称される(自称する場合もあるけど)人々が、世に蔓延する差別や不公正を告発するようなエントリを上げると、そのコメント欄やブックマークで、わけのわからん誤解を勝手にした挙句、「そういうお前こそ差別主義者、自由の敵なんだ」と逆告発する輩が多すぎるのだが、これはどういうことだろう。はてサは、表現の自由に反対し、言論統制を主張したことになっている。党派的な利益・関心に基づいて、拉致被害者を誹謗中傷したことになっている。今回はロンブローゾも真っ青の予防拘禁論を主張したことにされてしまった。「獣は檻」「害獣駆除」というレトリックですら、「そういうレトリックを呑気に使えてしまうことが予防拘禁論に同調してるってことなんだよ!」と、真顔で言ってくる人がいる。ひょっとしたら、言ってる当人にと
Web | 10:11サバトってか。寄り合いで多数決というか。化石フェミ文脈に乗らないと、怒ってる拒否してるって言われるのってしんどい。悪魔の証明メソッドだよ・・。 もしラブピースクラブと直接お話しすることがあったらありもしない事をあると言われ、いやないよと言うとそれは自省が足りないとし、じゃあ分からない、ごめんなさいと言うと加害者レッテルを貼られ処理済み資料箱の中に入れられるんだろうか。だろうな。 で、まあ、私が自省してないから加害者、って言うの全然分かんないけど(もちろんこの件に関してもそれ以外でも、無意識の加害者になっている可能性はいつも考えているけれど)分かんないって言っても、説明を請うのは、それこそ加害者メソッドなのだろうから、ぶっちゃけ永遠に分かりあえないよね?てことは・・ああでもあの嫌なタグがまたつくだけか。 それにしてもフランチェスコさんとコメント欄でお話できたのは良かった
性を盗むのはなにが悪いんでしょうね、どうすれば理性を保てるでしょう、と、わたし(性を盗まれた者)に聞くことの意味をかんがえてくれ - フランチェス子の日記フランチェス子には申し訳ないんだが、彼女の記事の主題とは直接関係ない。 フランチェス子の記事に「感情的だ」「理性的でない」「冷静さを欠いている」「極論だ」といったようなコメントが(ブックマークを含め)多数ついている。当のフランチェス子は、それらに対し「冷静ですけど何か?」と対応している。 一般的なカジュアルなコミュニケーションであれば、「冷静かどうか」が論点だとすれば、☆:「あなたは冷静ではありません」★:「いえ、私は冷静ですよ」☆:「そうですか」で終了である。 だが、実際この手のレトリックにおける「冷静」「理性」というのは、疑似論点に過ぎないのである。この文脈では、「もっと冷静になるべき」という発言は、「まず一度冷静になって、それから、
http://d.hatena.ne.jp/workingmanisdead/20091205/1260039858 http://d.hatena.ne.jp/iteau/20091205/p2 なにが「誤読」か分からないそうで。 Aという主張はBを前提している。そしてBからは本来Cという結論が導かれるべきである。にもかかわらずCではなくAという主張がなされること自体が性差別である。 以上のような主張を行っているものに対して「Cを主張するお前は差別主義者」だの「Cを主張するお前は人権をわかってない」などと言い出すのが「誤読」にもとづく難癖でなくてなんだと? 「C」は「A」を主張する者がコミットしてしかるべき主張であって、「A」それ自体を批判している人間がコミットする必要もコミットするはずもない主張なんだから。 こういう誤読が出てくること自体、注目に値する現象でしょうね。 追記:「Cを主張
皆様、こんにちわ。地下猫です。 今日は英文法の【仮定法】のお勉強をいたしましょう。 例文1) If I were a bird, I could fly. 訳例1)「私が鳥ならば、飛べるのに」 仮定法とは、【事実と反すること】を述べるためのものです。内容の非現実性をあらわすために時制を操作する一種のレトリックであり、必ずしもIFの文ではありません。 ここでは、【事実と反する前提】から【事実と異なる結論】が導かれていますね。ここで実際に言われている内容を仮定法を使わずに、つまり事実に即して書くと 例文2)Because I am not a bird, I cannot fly. 訳例2)「私は鳥でないので、飛べない」 となります。 よいこのために注意しておきますと、例文1では、「私は鳥だ」といっているわけでもないし、「私は飛べる」といっているわけでもありません。繰り返しますが、これは事実に
他人に迎合してるだけなのに、それを「いろんな人の多様な意見を受け入れてる俺・私は器量が大きい」みたいな勘違いはいい加減にして欲しい。それは単にお前が自分の考え持ってないアホなだけだろが。 32分前 webで
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