「草食男子」という言葉が人口に膾炙するようになりました。当記事を読んでいるみなさんは、この言葉をどのようなイメージで捉えているでしょうか? 否定的なイメージでしょうかそれとも、肯定的なイメージでしょうか? 私の立場は、どちらでもありません。否定でも肯定でもなく、私たちは、今この時代に適応しようとしてしている、そして、その生きざまが、たまたま「草食」という言葉で語られているだけだと思います。今回は「仕事を創る」という意味での「草食化」について記述していきたいと思っています。
今の若い人たちは、「欲」が少なく、仕事に人生をかえているようにも見えない、と否定的なな文脈で、おっしゃる方がいらっしゃいますが、昔の人よりも今の若者がやる気がなくなったとかそういうわけではありません。そんなにガツガツしなくても、仕事を創って生きていく方法がみつかったのです。私は「創職時代」というコンセプトを打ち出していますが、これは「みんな、起業しろ!」そういうことを言ってるわけではありません。
もちろん、起業も1つの創職ですが、自分のちょっとした強みをいかして、極端な例ですが、月3万円の仕事を自分で創ってみるのも立派な創職だと思います。このような個人で始められる小さな創職が魅力的に感じている人々が徐々に増えているのです。それを私は、「大きな創職」から「小さな創職」へというキーワードで語ることができるのではないかと思います。
大きな創職時代
今の20代の、おじいちゃん、ひいおじいちゃんぐらいが、世に出て仕事をしていた時代は、戦後の焼け野原から、1からやり直さなければならない時代だったので、本当に「汗水流して働こう!」「血みどろの努力!」「根性!」こんな言葉が、お似合いでした。仕事を選ぶ、<選職>なんてしている場合ではなく、なんとか生きていくために、創職するしかありませんでした。
また、20代のお父さんぐらいが、世に出て仕事をしていた時代には、若者人口が非常に多く、競争が激しい時代だったので、ここでも、競争に勝ち抜くために、「一生懸命」「弱音を吐くな!」「男は、妻子を養って一人前」なんて思って働いてました。選職は可能になりましたが、就職した企業を成長させるために、朝から晩まで一生懸命働き、企業内部での出世競争も激しかったです。
小さな創職時代
とはいえ、時代は変わりました。
20代にとって、「汗水流して」「血みどろの努力」「根性」「努力」「男は、妻子を養って一人前」そんな言葉は、ぜんぜんリアリティをもてないというのが、正直なところではないでしょうか?
そんな20代に、「おまえら、もっと気合いだ!」そんなことを言う必要はまったくありません。なぜなら、私たちは、汗水流さなくても、努力、根性、と唱えなくても、小さな創職をできる環境があるからなのです。
仕事論に関する本はよく出版されますし、これがまた売れます。仕事人のロマンがそこにはあるのかもしれません。そのような本の中で、よくこんな比喩がでてきたりします。
「山の頂上で再会しよう。」
これは、大学卒業後、大学の同級生がお互い違う道を進んで仕事としてのプロになった暁には、また一緒に力を合わせて仕事をしよう!ということを表現するロマンです。
冒険物の小説や漫画でよくあるストーリでもあります。これが、泣きどころのパターンをおさえているのか? 特定の層には響くようです。
これが泣ける理由が、お互いぜんぜん知らないところでがんばってることを信じて、自分が必死に努力するところにあるのだと思われますが、20代の私たちにとって、そういう仕事のロマンはなくなってしましました。
なぜなら、私たちは、いつでも、mixi、twitter、facebookで横にずっといるからなのです。
「20~30年後、山の頂上で再会しような!」
ではなく、
「20~30年、一緒に協力して山を登ろうね!」
の世界になりました。だから、お互い苦しんでる時や、さぼってる時や、休んでる時や、がんばってる時や、そんないろんな時が全部可視化されてきています。一期一会ではなく、一期一会一生の世界で私たちは生きているのです。
さて、ここ最近、松岡正剛さんが、とても注目されていて、20代の私たちにとっても、とても共感できる思想を提案されています。彼の「フラジャイル」という本がありますが、これは、これからの「仕事を創る」という文脈でも役に立つ思想を提供していると考えます。というのも、彼は上記の本で、「弱さ」の価値を強さと対比した概念ではなく、もっとプラスの価値、多様性に開かれた価値として提示しています。そのような可能性のある弱さを<フラジャイル>と表現しています。
私たちは、彼の言う<フラジャイル>を自然体で受け入れられる時代に生きているのではないでしょうか。
「もう、しんどいよ~」「もう、今日思いっきり泣いちゃった。」「へこんだー」「助けて~」そういう言葉を発することに、草食系の人々は躊躇がありません。それが素直な自分の気持ちなだからです。そして、私たちは、そうした言葉を聞いたら、一緒に協力して山を登っているんだから、「助けてあげよう!」そう心から思えるのです。そこでは、弱さが私たちの近さに繋がっています。弱さから創職が始まることもあります。
SNSで常に、誰かが横にいる感覚を普通に感じている私たちは「弱さ」が実は絆を深めるきっかけになることも知っています。だから、躊躇無く、助けを求めます。これが、「軟弱」に思えてしまう人は、「いつでも繋がっている感覚」の世界である「露出社会」の住人になり損ねていると考えられます。そういう人たちにとって、創職するような人は「弱さ」を見せてはいけない、大切なのは、個人の努力だ、根性だなどと思ってしまうかもしれません。しかし、そんなに個人で抱え込む必要がない、むしろ抱える問題は、みんなに手放した方が解決が早いんです。だから、変なプライドを捨てて、「創職」を行う人が出てきています。
また、露出社会の住人の「創職」は、大きな規模になりえないのではないかと考えます。というのも、露出社会というのは誰もが情報発信する社会ですので今までの社会とは比較にならないぐらいの、「情報洪水」に見舞われます。その中で、いろんな「生きざま」を知ることになります。ですから、興味の範囲が分散し、1つのことに集中できないという傾向を帯びます。つまり「あれもこれも興味がある」状態に陥るのです。
ですから、たった1つのミッションにむかって、猪突猛進型で、事業を大きくしていくような、企業の創造に、個人の全人生を注ぐような人が生まれにくくなるのではないかとも考えます。さらに、この傾向に追い打ちをかけるのが、新しい巨大産業の種がみつけにくい、世界経済が目まぐるし変化するため、長期スパンでの企業創造に個人の人生をかけることに、リスクを感じてしまうことがあげられます。そういうわけで、仕事を創るという文脈では、個人の人生のすべてを注ぎ込む必要がない、「小さな創職」が主流になっていくのではないかと私は考えています。
「仕事を創る」という文脈での、私たちのロールモデルは、松下幸之助さんでも、孫正義さんでも、柳井正さんでもないかもしれません。私たちのロールモデルは自分の周りの仲間あるいは自分で創っていくものになるのではないでしょうか。ご意見ご感想はコチラにお寄せ下さい。