全壊した家でも抱える二重ローン 震災から30年たっても返済義務
1995年の阪神・淡路大震災では住宅約25万棟が全半壊し、多くの被災者が二重ローンを抱えた。兵庫県西宮市に住む60代の女性は震災から30年過ぎたいまも、返済を続けている。
「『あしたのご飯、どうしよう』と思ったこともあり、ほんまに大変やった」。女性はそう振り返る。
最初に家を買ったのは85年。それまで会社員の夫と長男の3人で暮らしていたアパートが、次男の誕生で手狭になったからだ。築約20年の木造2階建て。リフォーム代を含め約1800万円を銀行から借り、20年のローンを組んだ。
その後、長女が生まれ、家族が5人になったところで、95年に震災が起きる。全員無事だったが、家は外壁が崩れ、屋根瓦は半分ほど落ちた。全壊判定を受け、市外の賃貸住宅に移った。
当時、家の再建を支援する公的な制度はなかった。全国から寄せられた義援金は約1800億円にのぼったが、被災者が多かったため、受け取ったのは1世帯あたり約40万円。県内の地震保険の世帯加入率は3%程度で、女性宅も入っていなかった。
木造2階建ての家の再建費用は約2500万円で、銀行と住宅金融公庫(現・住宅金融支援機構)から借りた。全壊した家のローンの残高と合わせ、約3500万円を35年かけて返すことにした。
ローン残り500万円以上
美容師だった女性の手取りは月約8万円で、夫は約20万円。10万円余りを返すと、生活はぎりぎりの状態だった。
震災5年後に生まれた三男を含め、子ども4人は育ち盛り。少しでも安い食材を求めてスーパーを回った。誕生日やクリスマスにプレゼントは買えず、外食や家族旅行をする余裕もなかった。
長男、長女、三男は奨学金で専門学校に通い、次男はアルバイトをして私立大の学費を払った。そして2年生のとき、家計を気遣って中退し、アルバイト先で働き続けた。
いま、子どもたちは巣立ったが、ローンはまだ500万円以上残り、月々の支払いは8万円を超える。返済が終わるのは約5年後。女性は親の介護もあって働けず、タクシー運転手になった夫は73歳まで働き続けなければならない。
住まいの再建、揺らぎ始めたしくみ
記事の後半では、震災をきっかけにできた制度が、迫る大災害を前に揺らぎ始めている状況を伝えます。「共助」「公助」「自助」の三つのポイントに分けて説明します。
見直し迫られた「共助」
昨年12月、住宅の再建支援…
- 【視点】
先進国は地震保険強制加入で自宅再建費用の全額がカバーされるか、もしくは政府が住宅再建をする国がほとんどである。 基本的に欧米は自然災害が日本より少ないが、NZ(ニュージーランド)やイタリアは地震や噴火も少なくない。NZは地震保険強制加入で
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