1988年(昭和63)、地元の人らの寄付などで、旧香北町(現香美市)に「手のひらを太陽に」の歌詞を刻んだ碑が立つ 写真/高知新聞社/共同通信イメージズ 「高知新聞」

(鷹橋忍:ライター)

今回は、NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』の主人公・今田美桜が演じる「のぶ」のモデルである暢(のぶ)を中心に、暢の夫で、アンパンマンの生みの親で漫画家、絵本作家のやなせたかし(本名は柳瀬嵩/以下、柳瀬嵩で表記)とのエピソードを取り上げたい。

暢の生涯

 まず、暢の生涯を簡単にたどりたい。

 暢は、大正7年(1918)年5月18日、大阪府で生まれた。

 大正8年(1919)2月6日生まれの柳瀬嵩より、一つ年上となる。

 暢は、大阪府立阿部野高等女学校(現在の大阪府立阿倍野高等学校)を卒業した後、東京で仕事に就き(梯久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』)、昭和14年(1939)に小松總一郞と結婚した。

 ところが、戦時中、一等機関士として海軍に召集された總一郞は病に罹り、3年ほど高知市で療養したが、終戦後の昭和21年(1946)1月19日、33歳で帰らぬ人となる。

 總一郞の死から8日後に掲載された、高知新聞の「婦人記者募集」の記事を見ると、暢はこれに応募。31人の応募者の中から、合格者2人のうちの1人に選ばれ、同年2月に入社する(もう1人の合格者は深田貞子)。

 暢はこの高知新聞社で、柳瀬嵩と出会い、惹かれ合う。

 ところが、暢は入社から1年も経たないうちに、東京で高知県選出の衆院議員の秘書を務めることが決まり、高知新聞社を退職して、上京する。

 翌昭和22年(1947)年6月、嵩も退社して上京。二人は同居し、昭和24年(1949)に結婚した。

 昭和48年(1973)、嵩は『キンダーおはなしえほん』の10月号として、『あんぱんまん』を刊行。

『あんぱんまん』の人気は子どもたちの間でゆっくりと広まっていき、昭和63年(1988)10月には、テレビアニメーション『それいけ! アンパンマン』の放映が開始される。

 アニメ放送前後、暢は体調を崩し、乳がんが発覚。手術を受けるも、すでに全身に転移していた。

 暢は闘病生活を送りながら、できる限り夫を支え続けた。

 しかし、ついに力尽き、平成5年(1993)の11月22日、奇しくも「いい夫婦の日」に、この世を去っている。