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開戦の「空気」押し返せず、危機今も ◆「昭和16年夏の敗戦」猪瀬直樹氏インタビュー【政界Web】

2025年09月12日11時00分

 「なぜ勝てない戦争を始めたのか」。作家で日本維新の会参院幹事長の猪瀬直樹氏は子どもの頃から疑問を持ち続けた。そこを起点に「昭和16年夏の敗戦」などの著書を通じて、日本が先の大戦に踏み切る過程を検証。1941(昭和16)年の開戦当時、大本営・政府は「(開戦への)空気を押し返すことができなかった」と指摘する。戦後80年がたった現代においても「空気」が国家の意思決定を左右する恐れがあると警鐘を鳴らす。猪瀬氏に話を聞いた。(時事通信政治部 眞田和宏)

排外主義の再来警戒

 ―著書で日米開戦に至るまでを検証した。

 日本は黒船の来航を受けて開国し、明治以降、富国強兵や殖産興業を進めた。そこで気が付いたのは、国際社会がアフリカのサバンナのようなライオンやハイエナがいる弱肉強食の世界だということだ。

 その中で生き残っていくにはどうしたらいいのか。日本はだんだん追い詰められていく。日露戦争で勝ったが、その後の軍縮条約で軍艦の数を制限されるなどして、欧米にやられるのではないかという不安が高まっていった。そこに精神論や排外主義が出てきて(戦争への)空気がつくられていった。

 ―現在の政治状況をどう見るか。

 戦前も戦後も空間は同じで意識が違うだけだ。日米安全保障条約という「透明な保護膜」に覆われて、弱肉強食の世界にいることを忘れていた。ウクライナなどで戦争が起き、日本周辺でも中国の台頭や北朝鮮のミサイル開発などで徐々にサバンナにいる雰囲気がよみがえってきている。

 そういう不安から「日本人ファースト」といった排外主義的な雰囲気が出始めている。精神論が強まり、空気がつくられていく危機的な状況だ。サバンナにいることを自覚した上で、空気にのまれないようにするにはどうするかが大事だ。

「日本必敗」予測

 ―「昭和16年夏の敗戦」では「総力戦研究所」に着目した。

 第1次世界大戦で、局地的な戦闘によって勝敗が決まる戦争から国力を全部合わせた総力戦に変わった。総力戦研究所の綱領には「武力戦」「経済戦」「思想戦」という言葉が並んでいた。現在は経済安全保障や情報戦と言われているが、そういうことが全部含まれた概念だ。

 昭和16年4月、総力戦研究所に官僚や軍部、民間の30代のエリートが集められた。模擬内閣をつくって、それぞれが出身官庁などからデータを持ち寄って日米開戦を想定したシミュレーションを行った。

 その結果、事実上「日本必敗」の結論を出し、8月27~28日、当時の近衛文麿内閣に報告した。

 例えば南方(インドネシア)の石油を確保した後、日本にどう輸送するか。模擬内閣は英国の保険会社のデータから輸送船の撃沈率を推定し、国内の船の生産量と相殺することで3年で約3分の2の船が沈むと分析した。実際に3年で全滅した。

 シミュレーションの予想は、広島・長崎への原爆投下以外、ほぼその通りになった。模擬内閣のメンバーはそれぞれの分野の実務者で、しがらみもなく、曇りなく物を見ることができた。総力戦研究所での議論も自由な雰囲気でやっていた。データをきちんと詰めていけば、国の行く末や未来が見えるということだ。

 <総力戦研究所が米国と戦争を始めれば「日本必敗」の結論を出したが、実際の意思決定に反映されることはなかった。総力戦研究所の報告から9日後の9月6日、「日米開戦やむなし」とした帝国国策遂行要領が御前会議で決定された。10月に近衛内閣は退陣し、後任に開戦派の急先鋒(せんぽう)だった東条英機陸相が就いた。>

 ―昭和16年12月に戦争に突入した。

 この年の10月に開戦派の東条が首相になったが、昭和天皇は「開戦やむなし」の方向を打ち消すべく組閣させた。天皇への忠誠心が強い東条は開戦反対派を外相などに任命し、実質的な意思決定機関の大本営政府連絡会議を組織した。国策遂行要領の再検討を行い、開戦の流れを打ち消そうとした。

 だが、流れや空気を覆すことはできなかった。開戦を求める世論もあり、当時の新聞は「東条は何をやっているんだ」と批判した。そういう中で追い詰められていった。

 ―実際の意思決定はどうだったのか。

 (開戦前に)企画院総裁の鈴木貞一が南方の油田を占領すれば、石油は戦闘で消費しても「残る」というデータを示した。南方から無事に運べるかは考慮していないあやふやな数字だったが、反対派は主張の根拠を失った。

 <猪瀬氏は1982年、当時93歳だった鈴木氏にインタビューを行った。鈴木氏は「(戦争を)もうやることに決まっていたようなものだった。やるためにつじつまを合わせるようになっていた」と述懐。「海軍は1年たてば石油がなくなり戦はできなくなるが、今のうちなら勝てるとほのめかす。だったら今やるのも仕方ないとみんなが思い始めていた」と指摘した。>

 ―開戦やむなしの「ムード」にあらがえなかった。

 「51対49」みたいな議論で(正確だが不利なデータの)49を言えない空気があった。決断して戦争を始めたわけではない。(開戦の)情緒的な空気にのみ込まれた国民がいる中で「不決断」で戦争を始めた。空気を押し返すことができなかった。今こそ当時を検証し、意思決定に生かしていくことが重要だ。

少数意見がカギ

 ―空気にあらがう処方箋は。

 米国の心理学者のソロモン・アッシュが行った空気の実験がある。6~8人の学生に対し、1本の線が引かれたカードを見せ、別の3本の線が引かれたカードで同じ長さの物はA、B、Cのどれか答えさせた。

 被験者は一人だけ。ほかはサクラ(仕掛け人)で順々に間違った答えを選択する。すると被験者は「Bが正解だと思うが、みんながAだからAかな」と誤った解答をする。被験者の誤答率は3割だった。米国でこの結果だと、日本ではもっと誤った答えを選択するのではないか。

 一方でどうすれば引っかからないかも実験しており、正解を言うサクラを一人加えるだけで、誤答率は低下した。

 異なる意見が少しでも混じると同調圧力が低下するということだ。意思決定のプロセスの中で、少数意見をきちんと言う人が複数いることが大事になる。それが空気にのまれない一つの解決策だ。

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