はてなキーワード: 文化会館とは
とりあえず花巻周辺から。花巻は宮沢賢治の故郷であり、花巻東高校があることからこれ絡みのスポットもそれなりにある。また周辺の町を合併しているのでそちらにあったものも今では花巻にあるものになっている。
とりわけ宮沢賢治絡みは非常に多い。
宮沢賢治記念館: 宮沢賢治について考える際にこの施設を抜きにしては語れない。新花巻駅そばの山の上(歩いていくにはちょっと遠い)にある。麓には「宮沢賢治童話村」という関連施設もあり近くなので必見っぽいが少し低年齢向けかもしれない。
羅須地人協会: 現在は花巻空港に隣接する花巻農業高校敷地内に移設されている。宮沢賢治が書いたとされる黒板「下ノ畑ニ居リマス」は現在もかすれるたびに生徒が書き足して保存している。移設前の場所は記念館の南の方にある「雨ニモマケズ記念碑」がある場所にあった(この記念碑の字を書いたのは高村光太郎、宮沢賢治の弟を頼って花巻に疎開している)。
イギリス海岸: 記念館よりは花巻市に近い北上川沿いのとある場所。現在はダム治水のせいで海岸を思わせる川岸が全く見えなくなっているが命日の9/21前後にはダムの放水量を調整して川岸が見えるようにする挑戦が毎年行われている。
そのほか、銀河鉄道絡みの壁画とかオブジェとかはあちこちにある。
花巻東高校は現存する高校で当然関係者以外は立入禁止だが、この学校は公園に隣接していて、高校の野球グラウンドがその最たるもの。このため菊池雄星と大谷翔平、ついでに佐々木麟太郎の記念モニュメントが公園から見える側に設置されている。なお在学中に大谷翔平が通ったとされるラーメン店とスープカレー店はどちらも高校最寄りの店が閉店していて現存しない(支店は現存するので食べてみたいときはそっちにいくといい、バガボンドもしくはスープカレーしっぽで検索のこと)。
高校の南隣にはるんびにい美術館がある。アール・ブリュット多めの展示(それだけではないけど)。観覧無料。
花巻市内はあまり見るものが多くない。宮沢賢治生家は現在も使われているので中に入れないし。ただそこから少し北に歩いたところにあるマルカンビルの大食堂は唯一と言っていいほどの活気がある。いわゆるデパートの最上階大食堂の体で営業しているのでメニューは寿司からホットケーキ、エビフライまでなんでもあるが、来た人はたいていソフトクリーム、腹に余裕があればナポリカツを注文する。なぜかソフトクリームは箸で食べるのがここのやり方。この2つのメニューは花巻空港の食堂でも出しているが空港価格になっているので他に替えがないときだけの候補にすべき。
宮沢賢治絡みだが別に見るべきでもないところと言えば花巻文化会館。実はこの敷地は宮沢賢治が教鞭をとっていた花巻農学校の跡地である。近くに宮沢賢治の墓がある寺がある以外は特に賢治絡みで語るものはないのだが、この敷地に隣接して「ポパイ」という名前のレストランがあり、ここが花巻の特産であるプラチナポークこと白金豚を養豚している会社の直営店で食べる価値がある。
花巻の周辺地域といえば、石鳥谷、東和、そして花巻の名がつく2つの温泉郷(峡)。
石鳥谷周辺は南部杜氏の郷であり、酒蔵がいくつか存在し資料館も存在する。この資料館は有料試飲も可能でおすすめなのだが、唯一の欠点はこの建物が道の駅に隣接しているということ。ハンドルキーパーを用意するかタクシーを使わないと試飲出来ない。
東和は毎年クラフト市が秋に開かれる。今年は10月12,13日。興味のある向きには時期を合わせて行くべき賑わいを見せる。そうでない時期にもここ出身の画家・萬鉄五郎の作品を集めた記念美術館は一見の価値あり。
花巻は市全体の温泉を「花巻温泉郷」としてPRしているが、地元の人は花巻温泉(と、台温泉)とそれ以外の温泉を区別して考えることが多い。それ以外のほとんどがあるのが花巻温泉から尾根一つ南の川沿いにある花巻南温泉峡。
花巻温泉は4つの宿があるが、全て同じ会社が経営している。一番奥の旅館がランク上で、あとの3つは価格帯的には似たようなもの。宿泊者向けイベントが(食べ物企画含め)多いし、宮沢賢治絡みの施設(花壇)もある。
花巻南温泉峡で有名なのは大沢温泉と鉛温泉。大沢温泉は自炊宿が併設されている。鉛温泉は立って入っても背が立たないこともある深い湯船で有名。いちおう、近辺には廃校を利用した昭和グッズ博物館がある。
項を分けて書こうかと思ったけど、北上もここに書いておこう。
実は北上は工場な街で、見るところあんまりない。施設としては鬼の館くらい(民俗芸能として鬼剣舞がある関係上北上は鬼を推している)。公園としては北上川展勝地が桜の名所だが桜以外のシーズンはまあ……な感じ。いちおうすぐ側にみちのく民族村という古民家展示施設があるので、興味があれば。資料は多い。
それ以外には、北上駅の西口。何もない場所だが、呪術廻戦の最終回近くでの舞台となった。
温泉は、夏油温泉という温泉がおすすめ。唯一の難点は露天風呂が全部混浴だったことなのだが、今調べたら5つある露天風呂の1つは女性専用になっているらしい。
それ以外に、北上金ケ崎インターのそばにある「メフレ市場食堂」という食堂の海鮮丼がリーズナブルでおすすめなのだけど、そう言えば海鮮には興味がなかったんだっけ?元増田は。
その昔、海老名に住んでいた頃を思い出した。
ダイクマでファミコンのソフトを買ってもらい嬉しかった。ポトラッチで洋画のビデオや邦楽のCDを借りた。
厚木ナイロンの近くのドブで釣りをして、水道みちの水たまりでザリガニを取りった。
ちかくのキャベツ畑には、理科で使う青虫を同じ班の子たちと取りに行った。
ニチイには、いつもアドバルーンがあがり、ひようたんやまの近くの崖からはそれがよく見えた。ピープルというスイミングに通い、ワーナー・マイカルはまだなく、スケートリンクだった。寒い中、自販機のカップラーメンを食べる大人がうらやましかった。映画館は厚木に行かないとなかった。
初めて食べたハンバーガーは、ニチイのロッテリアだった。反対側のステージには、戦隊モノの催しがきていた。
杉久保へむかうトンネルは未開通で、駅前に行くには細いクネクネ道を通り、歩くにはしんどかった。やがてバスが開通して、駅前には行きやすくなった。トンネルには右翼の張り紙がたくさん張られていた。
相模線はディーゼルで車両にはトイレがついていた。便器は覗くと地面見える、垂れ流しのトイレだった。踏切でうんこをしたら車が踏むのではないかと心配した。
市立図書館は夏休みによく通い、最上階のプラネタリウムを何度もみた。なぜか担任の先生がそこにいたこともあった。文化会館ではドラえもんや、ジブリの上映があった。
学校の校庭には焼却炉があり、掃除の時間にはごみを持っていって燃やしてもらった。教室には灯油のストーブがあり、先生がマッチで火をつけていた。煙突に給食のストローを溶かして遊んで怒られた。夏休みに、学校へいったらプレハブの校舎が空いていたので、中に入っていたら警備員がやってきて、翌日先生からこっひどく怒られた。鍵をかけない先生がいけないのにと思った。
自販機やコンビニなんてものは近所にはなく、酒屋がビールと灯油を家まで運んでくれていた。ペットボトルをなく、ジュースといえば、瓶のバャリースオレンジだった。なぜ「ャ」が小文字なのか分からなかった。
駄菓子屋はなかったが、個人商店に行けば体に悪そうなオヤツがいろいろ売っていた。キョンシーのお札のガムがお気に入りだった。
海老名駅は自動改札なんてものはなく、駅員がパチパチ切符を切っていた。駅前にはテキ屋があり店主は知り合いの親だときいていたが、当時はなんとも思わなかった。
姫路市長が外国人の料金を4倍にしたいという話をしたニュースについて、外国でもやってるから〜みたいなコメントが見られる。ただの私人による観光施設ならそんな話で片付くこともあろう。しかし、姫路城は地方自治体の施設である。本邦の地方自治法に基づいた存在として、単なる海外事例の追随では終われない。
「公の施設」とは地方自治法244条1項にて「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」と規定されている。
また、同法244条の2第1項において、法令で特別な定めがある場合を除き設置や管理は条例で定めることとされている。
翻って姫路城であるが、姫路市の条例にその名もずばりな「姫路城管理条例」というものがあり、公の施設である。
地方自治法225条において、公の施設の利用について使用料を徴することができる旨定められている。この使用料であるが、当該公の施設に係る住民とそれ以外とで格差を設けること自体は可能と解されている。
実際のところ、文化会館やプールなどで市内在住者とそれ以外で料金が異なる例は見たことがあるだろう。
使用料以外でも、図書館で本を借りられる人が市民に限られている例などが挙げられる。
地方自治法244条3項は「普通地方公共団体は、住民が公の施設を利用することについて、不当な差別的取扱いをしてはならない。」としているが、この住民は当該公の施設を設置する団体の住民である。
また、公の施設は同条1項のとおり「住民の福祉を増進する目的をもってその利用に供するための施設」であり、一義的には住民のためのものだからだ。
ちなみに、外国人住民も住民であるため、当該自治体の住民ならば、格差を設けることは基本的に「不当」としてできないだろう。
公の施設について、住民と非住民とで使用料や対象者に差を設けることは可能である。
また、非住民間であっても、その地域との関係性や政策の意図で差をつけることは否定されない。市民のほか、その市への通勤通学者なども使用できる施設は見たことがあるだろう。
しかしながら、憲法14条(法の下の平等)もあり、著しい格差はよしとされず、これらの差には当然一定の合理性が求められる。その上で、ざっくり2つの懸念がある。
料金を上げるとして、公の施設での使用料の格差はあっても2倍程度が相場であり、4倍は著しい格差であるとの指摘は当然出て来よう。この格差に至る理論武装は避けられない。
姫路城は公の施設であり、基本的には姫路市民のための施設だ。差を設けるのなら市民とそれ以外で分けるのが基本であり、次いで近隣市町など一定の生活圏などで区切るのが常道だ。裁量こそあるものの、線引きの妥当性は求められる。市長の言う「外国人」が指す者は推測の域を出ないが、生活圏や来訪頻度に求める場合は外国人観光客と遠方からの邦人観光客など、居住地に求める場合は在日外国人と在外邦人など、差をつけるに足る理由はあるのだろうか。
姫路市長がどこまで考えて発言したかはわからないが、こういったハードルにどう対処するのか、姫路市役所の職員の手腕に期待である。
今日のSNSで春風亭昇太師匠が結構な言われようだったのを見て、自分が高校生の時に林家木久扇師匠が地元に来た時のことを思い出した。
高校2年か3年の時に、文化学習という名目で地元の文化会館で落語を鑑賞するという機会があった。
出演者は笑点で有名な林家木久扇師匠一門。私は東北の地方都市で、人口も10万人を下回るこの町に有名人が来るなんてと胸を踊らせたが、同級生の大半が興味なさそうにしていた。
いざ始まるとお弟子さんが先陣を切って落語を披露してくれた。内容は面白いのに、女子生徒は明らかにつまらなさそうにしている。別に主催者でもないのに、私は申し訳なさを抱きながら高座を見続けた。
そして、林家木久扇師匠の番が来た。流石にテレビに長年出続けているだけあってか場内は待ってましたという万雷の拍手。
どういった内容だったかは忘れてしまったが、落語に興味がない若者相手でも笑えるようなものだったはず。
始まって数分。1時間以上も落語を味わった高校生の反応が重い。最初は期待が勝っていたものの次第に疲れが出てきたのか笑いが薄い。
そんな中で木久扇師匠が噛んだ。明らかに噛んだ。言葉を借りれば素人にも分かるレベルで噛んだ。それ以降、何度も噛んだ。
おいおい大丈夫か?と思っているとまた噛んだ。と、勝手な心配をしていると、木久扇師匠は手のひらを大きく広げ、自分の頬に向かって強く振りかぶった。
パチンという音が広がると会場が一気にどっと沸いた。何やってんだよという笑いに近かったと思う。
私は笑いと一緒に驚きを抱いた。
明らかなミスをした状況下でも笑いに昇華させるベテランの力を目の当たりにしたから。
それまで漫才を始めとするお笑いというのは一言一句間違えないことが良いと思っていた。ただ、平手打ちをした木久扇師匠を見たら、完璧ではないけど笑わせる力、臨機応変さを見る・聴く魅力が落語というかお笑いに含まれているような気がした。
その後、木久扇師匠は何回か噛んだが1番の盛り上がりだった。流石だった。
文化会館を出て、あの状況下だと自分はどう対処するだろうと思ってしまった。
いやあの瞬間では苦笑いしかできないような気がする。言い訳をするような気がする。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2245145
https://note.com/masu868/n/nee9ac0a564b6
コロナ前に地元に来てた歌謡曲コンサート(注1)がやったやつを知っていれば、下には下があると思って納得してくれるのではないかと思い筆を執った。
三行でまとめると
場所は、文化会館。ワイの地元。東京から観光バスで2時間ぐらいのところ。日帰りできる絶妙な場所。周りは葡萄とか産地で、そのシーズンになるとかなり観光バスがくるけど、それ以外にあんまり観光資源の乏しいところ。
特産品として、大物国会議員を出荷しており、彼が金を引っ張ってきて、身分不相応な凄まじく広大な駐車場がある1300人クラスの文化会館が建設された。(注2)
コンサートはここで開かれる。
出演者を示すであろうポスターには、昔懐かしい昭和歌謡を彩った大物の名前がずらーっと並んでいて、映画のブロッコリーポスター ( こんなの → https://girlschannel.net/topics/3487192/ )みたいな感じでわさーっと実って豪華絢爛な感じ。
一番中心に据えられている大物歌手らは、現在も若い歌手と一緒に音楽活動をやるなど、本当に真の意味で本物の歌手である。こんな豪華メンバーのコンサートが地元で見れるなんて!すばらしい、と思うだろう。こんなにたくさんの人が出演するなんて、見なきゃ!って。
ところが、ポスターにはこう書いてある。
公演によって出演者は異なります
若手歌手なども出演します。おたのしみに!
ん?怪しいと思うだろうが、その感覚は全く正しい。
なんと最大一日3回公演。午前の部(10時~)、午後の部(14時~)、夜の部(18時~)である。それをなんと3週間にわたって、休日を中心にたぶん10日ぐらいやってた。この時点でなんだこれってなると思うだろうが、その感覚は全く正しい
一番安い席はなんと3000円から。当時としても安い。次が5000円、S席は8000円。ホールは10年もたってない現代の設計なので、少々安普請ではあるが、席によって見えにくい場所などはない。なので3000円でも良いと思ってワイは3000円を買った。
この判断は正しかった。実際にはガラガラで、3000円でも10列目ぐらいで見れたので。また、後で調べたら、観光バスの人たちは、追加で8000円出すとS席で見られると言う仕組みだったらしい。普通8000円の席はいくらガラガラでも前に詰めたりしないと思うんだけど、思いっきり詰めてたと思われる。
騙されなくて良かったと一安心。
当然、こんなキャパシティを地元民だけで埋まることはない。じゃあどうするかというと、観光会社と提携していて、首都圏や近隣県からのバスツアーをに組み込んでツアーにしているのだ。普段はガラガラの駐車場に、ずらーっとバスが並ぶのである。ちょっと、というかかなりびっくりする光景だった。
ただ、たぶんそれでも一杯になんてなってないと思う。ムダに広すぎる。 二階席はいつも閉鎖状態だったんじゃないかなあ。分からんけど。
一応地元民と思われる人もそれなりには、いた。
自分が入った時は、平日の夜公演で恐らく最も客が少なかったとき。なので一番安いチケット買ったのに、前から10列目ぐらいで見られた。
まず、最初になんだかよく分からない歌手が出てきて歌う。後で調べたら大昔に一曲だけプチヒットを出した歌手らしいが全然知らん。歌は聴いたことがあるかな?ないかな?と言う感じ。
いきなり出てきて歌って、何事かと思っていると、司会者が出てくる。漫才師が着るようなキンキラキンのスーツの上下にカラーアフロヘアという出で立ち(注3)。
そして歌手のことを国民的超大物歌手であるがごとく扱い、褒めまくる。降られた歌手の方も俺は凄いんだぜ的な感じで応答して、なんか凄い人の話をきけちゃった感を演出する。
そして次に現れるのが、なんだかよく分からない若手(注4)の歌手たち。3組ぐらいだったような。歌うのは自分の歌ではなく、懐かしのヒット曲。
ごく一部に自分のオリジナル曲を歌うのがいたけど、まぁ分からないよね。別日では、地元の県出身の歌手が応援に駆けつけました、みたいなこともあったらしいはらしい。
気の利いた歌手は、絶妙に地元ネタを入れるんだけど、その努力は認める。だってその努力もしない歌手が多いもんね。機械的に歌って。はは。
最終的に、某女性のド演歌を歌う歌手が出てくる。おお!本物や!と思うけど、ポスターの真ん中にいるメイン歌手ではない。
ブロッコリーで言う所の右側面後ろぐらいのポジ(注5)。
そして、おもむろに美空ひばりのヒット曲愛燦燦。
いや名曲だけどさ、自分の曲じゃないか無い!と突っ込みたいところだが、流石に迫力。
お金がない花火大会で、最初は小玉ばかりだったけど、最後に大玉ができて「これだよこれ」って思う感じの。そんな感動はちょっとある。
そして次に自身最大のヒット曲をガチで歌って、MC。うーんやっぱり人気のプロはちがうねえ。と思ったらこれで終わった。えっ。
そして最後にアンコールがある。と言うか帰り始めているのを司会者が拍手を煽ってアンコールさせる。
出演者が総出で出てきて、ここで北島三郎の祭を歌って、終わり。この時、何故か司会者も歌っていた。(それが結構上手いんだよなこれが)
合計2時間ぐらいだった。
世の中色々な商売がある。基本的に人気商売というのは、丁寧に対応して、ファンになってもらって、リピーターを集める、はずなんだけど、
これとは真っ向から対立すする焼き畑みたいな商売である。どうせ一回だからとチケット売り出して終わらせると言う様な。
地元でもプチ観光公害みたいなんがおきていて評判が悪く問題化。貸出料金も全館貸し切りで一日つかって正規料金10万円みたいなそもそもが激安設定なのだが、これを更に値切られており、稼働してない間も機材置きっぱなしだったがその間の金はとってないとか、後で揉めた模様。
おそらく、似たような奴が二度とここに来ることはないだろうが、似たような地方の箱物文化施設はいくらでもある。場所を変えて似たような商売やってるんじゃねーかな。コロナ禍でも生き残ってと思うよこう言う連中。生命力強そうだし。
ワイは3000円しか払ってないから勉強になったでいいけど、これでS席とか、首都圏から1万とか2万とか払ってきてたら頭にくるんじゃないかなあ。ああでも、他に観光地を回ったりするならこれでも良いのかも。
とにかく、世の中には下にはしたがあると言う事を知ってもらって、山崎まさよし氏のことは許して挙げてほしいという、そんな次第である。
注1:こう言われると絶対「夢グループ?」って言う人がいるので言っておくと、夢グループではないです。夢グループはたぶん通販の収益でコンサートやって歌手とその弟子らを養ってなるんだと思うよ。だって夢グループって母体となる通販会社が別にあるんだし。
注2:建設された場所は、優良な農地だった。担い手不足でもう無理だから工業団地にするんだーと言って指定地にしたものの、全く工場誘致が進まないと言う、日本中で大量にあるであろう工業団地予定地。埋まらない状況で、ここにいろんな補助金を活用してブチ建てたもんだから、土地を持ってた人はしっかりと金が出て、家の建て替えラッシュとかがあったらしい。文化会館はそんな経緯で建てられたので、交通の便が良いはずもなく。最寄りの駅から車で20分ぐらい、新幹線で来ると新幹線駅から在来乗り換えして40分ぐらいかかる場所で、どうしてこうなった感すごい。ただ、どこから騙して連れてきたかは知らないが、現在はまともな専門知識を持つ運営責任者(有期雇用の非正規職員)がいるので結構頑張っている。ただ、ホールの使用よりも、だだっ広い駐車場の方が利用価値高いみたいでそっちの方が活用されてるとか、微妙な感じ。 ネーミングライツは売ろうとして売れなかった。
注3:当然かつらで、ありがとうございました!みたく勢いよく頭を下げると、ぽろっと採れてステージを滑っていき、仲から真ん中だけ髪の毛が無い、いわゆる波平スタイルの頭が現れるという仕様。これを慌ててとりにいって笑いを誘う。前の歌手が微妙に固くて会場の雰囲気がかまってくるとこれを披露して会場を暖めるという。
注4:若手、と言っても年齢行ってると思う。アラフォーぐらいは普通にいたかと。
注5:日曜日の昼公演とかに行った人もポスターのメイン歌手は出てこなかったそうなんだが、本当に出演してんのかなあアレ。でもこういう商売なら連続何日も見る奴なんていないから、それでもいいんだろうな。よく考えられてる。
共産党の議員が三重県での官製婚活を異様に敵視して反対の声を上げているけれど
反対の理由として、若者が求めるものは「大学までの教育費を無償化にしてほしい」「給料が上がること」だって言うけれど
それだって別に官製婚活に反対する理由にはなってないよね?どっちもやればいいだけの事。何故廃止と紐付ける必要があるんだろう?
教育費無償化や賃上げの要請を理由として官製婚活に反対するのは「子供の教育に必要なのは図書館や文化会館だから公園や広場は潰そう」と言っているくらいにおかしな理屈なんだけど。
結婚するしないは個人の自由だから官製婚活は駄目って理屈?でも別に強要する訳でも何でもないのに…。
(賃金上げて個々人の可処分所得を大幅に増大させた上で子供を産むも産まないも個人の自由に委ねればいいだけの話だと思う)
なんで左翼やリベラルの人達は恋愛や結婚に関しては何ら支援の無い剥き出しの自由競争社会を望むのに
出産や子育てになった途端に急に社会主義的福祉国家の施策を求めるのか。さっぱり理解出来ない。
https://twitter.com/tacjcp/status/1707324944353546487
ありがたい!個人的には、賛否両論だったジョエル・ロブションはやっぱりクロワッサンでは別格だと思うが…vironや近くのエシレのやつより美味しいぞ。日本で一番美味しいクロワッサンだと思うがあれを越すやつあるのであったらぜひ知りたい…
アンデルセン(東京駅構内、上野、品川駅構内):呪術廻戦の七海のカスクートはここ。東京駅店にしか確かないクイニーアマンが美味しい。
THE CITY BAKERY(銀座):ポテトを練り込んだフォカッチャが美味しい。NY系。※NYのベストベーカリーはSullivan Street Bakeryだと思うが、日本に上陸していない。
ペル・エ・メール(豊洲):オタク女子が遠征の度寄るほど美味しいと言っていたが確かにバタールなど普通に美味しかった。
オリミネベーカーズ(築地・人形町・勝鬨・新大橋):ここもチャバタとかカレンズとかライ麦パンが美味しい。
フォートナム&メイソン(三越前):食事パンが美味しいし、本国に比べて小ぶりのスコーンも安定の美味しさな気はする。値段もそんなに高くない記憶が(株主になると1割引だし)。
あとはドイツ文化会館の1階のドイツ系パン屋とか、三越の地下にあるJohanのガレット・デ・ロワやミニクロワッサン?ビゴの店はマロニエの地下から移転中なのかな。ちょっと疲れたのでこれくらいにしてみる
休業中:ブーランジェリー銀座レカン(銀座):とにかく美味しかった。名前を忘れてしまったが黄色い小さいパン。オリーブのチャバタ。レカンに行けば食べられると思うがコース3万円。
番外:clinton st. baking company(表参道):ドミニクアンセル撤退後、貴重なNY系。マフィンとか、パンケーキのイートイン。昔は表参道アンデルセンが日本最強クラスだったと思うが、ビルは再建されていないし移転もしていない。広島に行かないとレストランがない。
創価中高ですごした増田(https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。
今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期・青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構なインパクトがある出来事のような気がする。
たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。
増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。
うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。
父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。
私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的な悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。
このシステムがまずすごいよなと思う。自発的な意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権的蹂躙っちゃそうだろという気がする。
入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプルな理由)
私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリに活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。
地域の役員…地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。
人がたくさん集まってて、同年代の子どももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだり絵本よんだりしてるくらいの感じ。
ちなみにこのころは、まだ学会は日蓮正宗に破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。
戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。
母が地区の役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。
家が創価学会の会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇の二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶でしかない。
家に人がたくさん来るのがシンプルに楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。
嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。
会合の最初にみんなで法華経方便品自我偈をとなえたあと、唱題する。
低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国の言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。
あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。
会合・座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト。月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。
家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8
朝この曲で起きてました。奇特すぎ。
役職についてる人がいるとはいえ、子どもの目には会員同士の関係はあくまでフラットな感じに見えていた。
今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。
しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。
母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。
ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。
一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。
入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日に文化会館で指導があった。
指導は学校で音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的な合唱曲の練習をしていた。
「たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポは別にいらない…。
小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。
創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃんは外国の歴史上の偉人をリスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。
小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。
なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。
このときの練習は普段の練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。
あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。
今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向の宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。
なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補。
練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき「自分でやるっていったんだから、責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通のダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。
学会二世には「選挙は祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。
実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたして投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。
でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。
私は自分の友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。
とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。
話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。
完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。
あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラスに候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。
若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。
今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?
小学生のころから国語と社会(歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり、日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。
母の蔵書である古典文学全集や解説書、文学系文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。
円地文子が清少納言と枕草子を解説している文章のリリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。
腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語の現代語訳を読んで、平経正と守覚法親王の関係(都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え。
絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語や随筆の舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。
しかし学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社に積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。
寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。
教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様の名前が書いてあるのに謎すぎる。
(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)
私は母に、はるか昔から善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産、歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。
訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。
そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。
世間一般は学会に偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。
中学の友達が立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち。
政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。
でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動で生活が破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。
(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。
ちなみに、法華経の方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経の日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)
読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)
日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。
教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。
一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験程合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるといかそういうもんでもないらしいがよくわからない。
上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。
ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。
さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強はシンプルにおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるから楽しかったし、普通に合格した。
でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。
高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。
信教の自由であるとか、折伏や新聞啓蒙、選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。
やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分はあんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。
親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。
高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生の二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。
けっこういるのにおどろいた。
多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。
学会員の間では、創価大学は超絶いい大学、東大にも負けない日本最高峰の大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。
めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。
活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期からの刷り込みとしか言えないと思う。
偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。
当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。
同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。
親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。
そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。
ちなみに大学には創価学会のサークルがあって普通に活動していた。
極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会のサークルは普通に野放しになっていた。
どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。
この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。
名前は忘れたけれど、今でも大好きで大切な一冊を勧めてくれた人がいたことはずっと覚えていたい。
続き(https://anond.hatelabo.jp/20220715032335)
みょんなことからタダ券を貰ったので、東京芸術劇場でやってる「冬のライオン」(舞台「冬のライオン」公式サイト|佐々木蔵之介主演)を見に行った。
舞台を見るのは10年ぶりくらいかも、増田は普段アニメしか見ないので俳優さんとかは全然わからない。「冬のライオン」は歴史ものらしいのでちょっと面白そうかなと思った。歴史は多少興味があるので。
東京の劇場ということは上野にあるアレに行けばいいんだろと思ったら、あっちは文化会館という名前の別の施設で、芸術劇場は池袋にあるらしい。事前に確認しておいて良かった。
主人公はウィリアム征服王の孫で後のリチャード獅子心王やジョン欠地王の親父であるヘンリ二世。彼がある年のクリスマスに家族を集めて、相続問題に片を付けて、ついでにあわよくば妻のエレノア(エレオノール)と離縁して愛人のアレー(アデル)と結婚しようとするところから話が始まり、結局まあほとんど話が進展しないまま話が終わる。余談だけどアレーの名前がアレーなので、あれと言ってるのかアレーと言ってるのか時々わからなくなった。
ヘンリ二世がなんていうか高田純次にドラマ版の露伴先生の演技を混ぜたような人物。狡猾ではあるのだけれど、高田純次だから、この人がいるだけでどんな深刻な話をしていても場がコメディになってしまう。
よく知らなかったけどこの人の相続権て母ちゃんのマチルダ経由で来ているんだな。アキテーヌは奥さんのエレオノールが持ってきたものだし、女性の持ってきた土地で成り立ってる国という感じだ。
元々舞台作品なんだけれど、映画化されたものが有名なようで、ヘンリ二世を扱うときには度々引き合いに出される(たとえば世界史の窓:ヘンリ2世)。
ところでお前らポスターと全然衣装も雰囲気も別物じゃねーか。表紙詐欺にもほどがある。息子2人とフランス王なんかスーツだし、ジョンに至ってはヤンキーみたいな格好してる。エレノアなんかグラサンつけて登場してくるし、中世どこ行った。こんなんやで(https://twitter.com/tliw_2022/status/1497195310422323206)いやでもメガネにスーツのリチャードはそれはそれで格好が良かった。
前半は妻と愛人と3人の息子(ジョンとリチャードの他に影の薄いジェフリーというのが居る)にフランス王がそれぞれに相続権やフランスの領土を獲得しようと互いに陰謀を巡らせては即座に破綻したりする。わりとドタバタコメディの趣が強い。日常会話のように互いに陰謀を企てるので真世界アンバーとかが好きな人は面白いかも。セリフがわりと早口なのと陰謀ゲームの局面がコロコロとめまぐるしく変わっていくので、今誰が何を企んでいるのかちょっと把握しきれなかった。まあ、後半になってみるとこれらの陰謀ゲームは一旦全部リセットされるので覚えきれなくてもあんまり問題は無かったのだけれど。
休憩を挟んで後半に入ると、これまでのドタバタコメディが段々とシリアスさを増してくる。2クールもののアニメの2クール目のよう。前半は登場人物が全員嘘の上に嘘を塗り重ねていたので誰が何を言っても本音ではないというのが明らかだったから、のんきに笑っていられたのだけれど。後半になると段々とその嘘が剥がれてきて、痛ましいまでの本音が見え隠れするようになる。後半の最初の方ではまだ結構笑ってる観客も多かったけど、いやこれはちょっと笑えなくないかと思ったりした。かなり露骨に親に対して愛してくれと叫ぶもほぼ完全に無視されるジェフリーの空気っぷりとか相当悲しかったと思う。まあそういう泣き笑いの境界みたいな展開が続く。
終盤、愛人のアレーがヘンリに対して、私と結婚して子供が欲しいなら、その子供の将来の安全保障のために今いる息子を全て殺せと持ちかけ、ヘンリ自身もだいぶ悩んだ結果せやなと応じ、子供たちの方もいろいろあった結果、親父をやっちまおうと考えるのだけれど…………この家族の愛の形というのは、わかりにくいけれどこういう形でずっと表現されていたのかもしれないなあという感じでおしまい。子供を殺そうとするヘンリを黙って見ているアレーはなかなか迫力があって良かった。
終わってみると、結局の所この劇は、ヘンリの家族がヘンリから愛を得ようともがく姿を描いた劇だったのかもなあと感じた。ヘンリのほうも根っこの所では家族みんなをそれなりにちゃんと愛しているのだけれど、まあ普段が陰謀一家なのでかなり土壇場にならないと家族の間に本当に愛があるのか誰にも解らないという。
わーお。出水市民と増田で会えるとは思わんだ。たぶん、出水市に出張かなんかで来た感じだと思うけど、増田のその感触について書いていくよ!
「とうこうざん」っていう発音だよな?はっきりいうが、東光山は湯の児温泉のコピーだと思っている。水俣と阿久根には一流の温泉地があるけど、出水市にはないんだな。花見以外に使いみちがないし、休みの日も東光山にいかないだろ?まぁ、小学校の遠足に行くということぐらいかな?バスが使えれば、水俣市のグリーンスポーツとかの方が満足度は高いのよね。あと、SFTS やツツガムシ病の原因となるダニに気をつけろよ。
鶴の英語の Crane は建設機械の『クレーン』だろうに... って思っていたけど、語源を調べると 'figuratively from crane the bird' であって、つまり鶴から建築器具となって、しかも発音的に /kreɪn/ なので【クレイン】に近く、まさかのクレインの発音が本場に近いというね。マジっすか?!
ぶっちゃけ、クレインパークは日本が体力があった頃の名残りだす。そもそも、高尾野に「鶴の飛来地」があるってあるのだからそっちでやるべきなのに、市町村合併の前にハコモノを作る勢力が力を持っちゃって造られた感じの建物なんだよ。ほら、文化会館やらスポーツ競技場もあの辺だろ?あそこは、出水市の重点投資エリアなんだよね。近場では、長島町の『マンダリンセンター』とかもチェケラ。普通に考えて「クレインパークからリアルな鶴がみえない」なんて変じゃろ?そもそも、あの周りには鶴の餌付けしてないからね。それに、高圧電線やら道路やらあって、鶴が安堵できるには無理な場所なのさ。まあ、オイラはクレインパークで自然科学の学芸員に勉強を教えてもらったり、あの設備で実験させてもらったから感謝しているが。あと、あそこが暗く感じるのは「赤字」だからというのと、古い博物館にありがちだけど投写するスクリーンを持ってるからだろうね。市町村合併をしたのだから、中長期的には高尾野にある鶴の飛来地に博物館を併設して、出水のはクローズすべきだとは思う。
出水駅は昔から何もないよ。理由は、鶴に配慮したからだよ。ソースは見つけられなかったが、鶴に気をつけてたら、あんな不便な場所にしたのよ。俺はデザインは新水俣の方が好きかな。それでも、川内駅よりはかっこいいとは思うが。
昔の「トゥモロー」路線が洒落ていて好きだった。惣菜は、ニシムタとサンキューよりも良いと思う。
そのカニを食べるなよ。寄生虫のリスクあるから。あと、出水市はアフリカマイマイがいるしな。家に帰ったら、手を洗おう。
http://www.nouzai.com/news/webdir/409.html
あそこはかつては建築業者の桑木組があって、あと問屋さんもあったけど消えちゃったけど、平成に入って小売業のメッカになったよね。はじめはナフコが進出してきて、サンキューとコメリとドコモとケーズデンキとかできて、コスモスとトライアルができてね。あそこが発展したのは、水俣の連中が土日に買い物するのにちょうど良かったからよね。正直、水俣の水光社は駐車場とかを含めて設備が古すぎると思う。昭和末期は、本町がダイワと寿屋があって都会に感じたものよ。
あそこはパチンカスの運転が荒いから注意しろよ。あと、自転車でも田んぼに突っ込むと、死ねるから注意しなよ。案外に高低差あるからヤバい。
そりゃ、水俣病あったしね。北朝鮮の拉致問題がある頃は、本当に怖かったよ。不知火海はサンゴ礁がないから余計に暗いよな。
あれ、一応は文化財なんで。とは言っても、修繕やるかしないと、すっごく傷んでるよな。個人宅にするのも大事だろうけど、生活感出てたりするのがなぁ。
7代目青学が大好きだった。
一人一人が輝いていた青学だった。
それでも、彼らなら全国大会優勝する。
メルパルクの座席に。名取文化会館の座席に。名古屋陶業市民会館の座席に。キャナルシティの座席に。
あまりに好きだったせいで2ndが幕を下ろした後、虚無感により3rdを見る気にならず4年以上の月日が経っていた。
(しばらく辛過ぎて引きこもった。)
ふと全国立海が始まるという告知を目にしたわたしは重い腰を上げて久々にチケットを取ってみたのだ。
以下は7代目の過激派オタクの懐古であり戯言なので適当に流してくれて良い。
7代目とはまた違った青学がとても良かった。
若々しくて初々しくて。
(当時お兄さんだった青学が今はほとんど年下であることに一抹の悲しみも覚えつつ……)
初見だったことで音楽のアレンジがあまり耳に馴染まず1幕はすこし入り込み辛い所はあったが。
(何度も見たら刷り込まれるのか?でもすこし編曲のせいで音楽が入ってこなかった印象もある。凱旋だったにも関わらずキャストがあまり歌えてないところもあったので、テニミュの音楽は技巧に走らずキャッチーであってほしい。)
2幕からは(技術面に不安を感じるところはあれど)耳馴染みのあるメロディが多くあの日々を思い出させるとともに、やはりわたしはテニミュが好きだという気持ちを思い出させてくれた。
てっきり3rdオリジナルのカテコ曲が流れると思い込んでいたわたしの耳に、聞き馴染みのある音が聞こえてきたのだ。
(わたしはもはやオタクをおりて久しいため、なんの前評判にも触れていなかったのである。)
「軋むテニスシューズの音を覚えていてね
耳馴染みのあるあの歌詞。
覚えている。忘れるわけがない。
客電がゆっくりと落ちて、客のざわめきが落ち着く。
「キュッキュッ」というシューズの音。
ライトが上がる。
忘れられるものか。
悲しいことはたくさんあった。
二十数年の人生だけれど、捨てた物もあれば得た物もある。
「できればこのままみんなで励まし合いエール交換しつづけたいね。」
ほんとだね。こちらからエールは送れなかったかもしれないけど、あの思い出全てが今でもわたしへのエールになっている。
「頑張れ負けるな必ず勝て。よっしゃそこだ突っ走れ。」
あれからわたしはどこまで走れたかはわからないけどずっとひた走っている。
あのとき輝いていた人たちもひた走っている。
立海公演が4時間もあってヘトヘトになりながら観たけれど、それでも何回でも観たかった。
(2ndもやっぱり前後編で分けて欲しかった。などという制作への愚痴は置いておこう。)
3幕構成だった立海公演で初めて耳にしたあの曲を、あのときにしか聴けなかったGMKK をここで聴くことができた。
それだけでわたしはあの怒涛の日々を全肯定されたような気がしたのだ。
目立った炎上もせず真摯にテニミュと向き合ってくれた7代目を応援した日々は、他の人から見たら阿呆らしく意味のない行為なのだろうが、わたしにとっては人生の核だ。
あの頃からSNSが発達して2.5次元界隈は様変わりしてしまった気がするけれど。
変わらないものもここにあったのだ。
GMKKを受け継いで歌ってくださった10代目青学の皆さん、3rdのライバル校の皆さん。
この曲をカテコに持ってきてくださった演出の方々、製作陣の皆様本当にありがとうございます。
が、その何千人もいる客席のうちの一人のわたしの気持ちをここに記したかった。
同じ気持ちで見ていた人がいたら嬉しい。
隣に座った知らないあなたも、これを読んでいる知らないあなたも、テニミュを通して気持ちを同じくしていたりするのだろうか。
こうやって受け継がれているミュージカルテニスの王子様というコンテンツがあることがわたしは嬉しい。