はてなキーワード: 茶化すとは
本気で読みたきゃdeeplにかけるだけだろ。英語で茶化す奴にまともに返信する価値ねーって自覚したら
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息子や歳の離れた弟がいる人はわかると思う。
性の目覚めや興味を抱くきっかけにはなると思うが、それ自体は正常な成長の証であって、悪いことではない。
見ても「ふーん。こんな感じなんだ」と思うだけであって、欲情するのは生来の異常性で、後天的に手に入れた性質ではない。
君は裸婦画を見て興奮するのか?
保健の教科書に描かれた裸体で興奮するのか?
わぁ、おっぺぇだ!とは思うだろう。
それを茶化すこともある。
でも、普通は興奮はしないだろう。
裸婦画や教科書の裸体をエロいと思うやつに、なぜエロいと思うのか聞いてみろ。その説明で「なるほどな!」と理解して勃起できるか?無理だろ。
話が逸れたので戻す。
そうして、子供たちが興味を持った時に、YouTubeが悪さする。
我々大人と違って、子供たちはYouTubeの世界は、世の真実かのように思ってる節がある。
アニメや漫画は想像の世界とわかっていても、YouTubeはリアルだ、現実だ、と思っている。
ニコニコ動画やDSi?のうごくメモ帳が、世界の全てと思っていた時代が自分にもあった。そんな自分でも、漫画は漫画、アニメはアニメ。あれは作り物。という区別はできていた。
知らないのは恥。流行りに乗れてない。ださい。無知。世間知らず。
そう思っていた。俺だけじゃない。周りの友達もそうだったと思う。
今の小学生にとって、YouTubeは巨大で、YouTuberは偉大な存在だ。大人が「あれは演出だよ」「これは悪いことだ」と教えても信じないし、真似したがる。
まだ、ひろゆきの真似をするうざいガキで済んでくれたらいい方だよ…
ということを、フェミニストたちは何故知らないのだろう。息子や弟がいれば、こりゃあかんわ、と思うはずなんだが…
子供がいないのか。
自分の子供に限って、それはないと思って、そういう話をすること自体がありえない環境の家庭なのか。
その辺は計り知れないが、子供は子供で、そんな生優しい規制や制限をかいくぐっているものである。
(というか、かいくぐれるやつがいるから、そいつをきっかけにして広まっていくんだよなぁ)
はぁ…
タイトルの通り。
それは、飲み会で最も色濃く現れると思う。
例えば、体育会系のノリ、いわゆる陽キャのノリで元気いっぱいにその場を楽しむ、という飲み会もあれば、
ほどほどに談笑して楽しむ、という飲み会もあると思う。
メンバー次第なのか、職場次第なのか、ニワトリか卵かという話かもしれないが、要は、その飲み会の温度感というのは職場ごとに大体決まっている気がする。
職場は、陽キャの飲み会なのだが、自分は陰キャよりで、あまり騒ぐのが得意ではない。
そんな素の自分でいると、ノリが悪いやつ、と思われてしまい、場が白けてしまうので、無理にそれっぽく擬態して陽キャに混じっているのだが、まあ当然辛い。
...抽象的な話ばかりになってしまっているので、話を具体にする。
自分とAさんが話した内容が、自分の知らぬ間に、別のBさんに伝わっているということがよくある。
当然、噂話や悪い評判などはより早く、遠くまで広がる。
「ムラ社会」というほど、ヒエラルキーや排他性があるわけではないが、田舎にある小さい村のように、人の話は一瞬で広がり、人間関係を肴にしているという感じだ。
この「ムラ」の、(自分にとっての)最大の難点が、「噂が捻じ曲げられて伝わる」ことだ。
噂には尾ひれが付くものだが、大抵、悪い方向に脚色されてしまい、知らない人に勝手に変な先入観を持たれてしまう。
② 架空の/虚偽の話をさも事実かのように振る舞ったうえで話題として挙げられることが多いから。
例えば、全く脈絡なく、「○○(自分を指す。以下同じ。)は、実家が太くて金持ちだもんな」と、全くの事実誤認の話を突然持ち出し、ネタとして消化する、というやり口が多い。
だいぶ優しい例を挙げたが、酒が入りヒートアップすると、「○○は、▲▲のことが好きだもんな」という、一歩応答を間違えると人間関係上詰むゲームに強制参加させられてしまう。
この文化の最も困る点が、否定が否定としてていを成さない場合もある、ということ。
根も葉もない話を否定するのは難しい。普段の論理とは異なり、こうした場合、「そうではない」ということを証明する必要がある。当たり前だが、「そうではない」ことを証明することは不可能に近い。
証明をしておかないと、その噂が事実になってしまうので、反論は必須なのだが、流石に分が悪すぎる勝負に引きずり込まれるのは勘弁してほしい。最後の決め手は、その場の支配者(=飲み会の輪の中心人物)の気分次第、というのもまた自分が完全にコントロールできないため、やはり辛い。
自分がいる飲み会ならまだ良い(良くない)が、居ない場で勝手に担ぎ上げられることもあり、流石にお手上げがすぎる。
一言で表す言葉が無くて、最悪な見出しになってしまったが、この上なく適当な言い回しだと考えている。
大学生の頃から、とあるnmmn(実在の人物を題材にした二次創作のこと)にハマってしまい、プライベートではたまに趣味の範疇で楽しんでいる。
このnmmnには、あるタブーがあり、それは、そのnmmnの対象となっている実在の人物に決して認知されてはならない、というものだ。
これは普通に考えれば当たり前であり、自分と誰かの関係性を、第三者から勝手に消費されている、という事実を知って嫌な気持ちを抱かない人は少ないだろう。nmmnに触れるならば、あくまで当人に隠れて内々に触れて楽しむべき、という暗黙の了解がある。
例えば、飲み会で、「○○は、▲▲のことが好きだもんな」という根も葉もない噂が生成されたとする。
その瞬間、ムラ社会である職場では、その噂が広まり、▲▲に届いてしまい、謎に▲▲との関係が悪くなる。
要は、人間関係にまつわる噂が、その人間関係を取り巻く周囲及び当人たちに伝わってしまい、悪影響(関係がぎくしゃくする等)を及ぼす。
そして、その噂が当人に伝わった時、それはもう大変なことが起こってしまう。
こうしたリスクを考慮した上で、人間関係にまつわる噂を扱うべきだとは思う。
ただ、完璧にそれができる人間など居ないし、つまらない飲み会になるとは思うため、飲み会の話題として取り上げたくなる気持ちも、まあ分かる。
ただ、取り上げた以上は、あくまで噂として処理すべきであり、面白おかしく脚色して流布するのは、普通に人としてマナー違反なのではと感じるわけだが、そういったことが考慮されないことがほとんどであり、本当に辛い。
自分は、こうした被害に直接遭ったわけではないのだが、1点、自分に非の無い火種を抱えている。
新人なので、丁寧に教えているのだが、傍から、「鼻の下伸びてますよ笑」と茶化す勢力は現に存在している。
そこから、好きなのでは?という推測、噂が広まることを懸念している。
こうした可能性を考慮できていない(と思われる)勢力が現に存在するので、まあまあ憂鬱である。
これはもう、単に、面倒。
童貞かどうかをしつこく聞いてこないでほしい。
それを聞いて何になるんだと言いたい。流布されても困るし、雑に消費されるのも辛い。
ただ、男性同士の会話では当たり前かもしれず、これは単に自分が悪いと言われればそれまでである。
4つほど挙げたが、どれも本当に困っており、どうしたらよいものかと悩んでいる。
なんとなく、答えは分かっている。
今風に言えば、自己肯定感が低く、嫌われるのではないかと思っている。
だから、噂話等によって、自分が悪い方向に伝わるのを極端に嫌っているのだと思う。
自分の話もあまりしない。大した人間ではないと分かっているから。2次元のコンテンツが好きなこと等、自分に不利になる内容は、一切を隠して、うまく当たり障りのない姿を曝け出している。
色々と書いたが、結局は自分が変わらないといけないんだろうなと思う。
人間関係は辛いけど、自分の知らないところで飲み会が行われていたりすると、少しだけ胸が苦しくなる。
なんていうか、ワガママだなと思う。
この職場は自分に合っているなと思うが、唯一辞める理由があるとすれば、人間関係に疲れたから、ということなんだろうな。
自分の性格的なところで、多分これだから人と深い関係を築くのが苦手なんだな、と思う節はある。以下の通り。
勿論、人間関係は大事なので、飲み会の場なので、色々相手に質問をしたりして、会話のキャッチボールに努めている。
ただ、それも、相手が気になっているからというものではなく、あくまで人間関係が大事だから質問するだけで、ある意味、仕事としてやっている節がある。
何なら、最悪聞かなくても良いか、とも思う。
興味を持って質問したいなと思う。
② 相手に踏み込まない。
例えば、相手の悩みなどを無理に聞こうとはしない。
ただ、相手の深い所、悩みは、立ち入ってはダメだという考えがあるため、踏み込まない。
お前本当にオタクじゃないな
クジラックスの手口を真似た事件からこの前の絵師逮捕まで近年の二次元ポルノ界隈で特にロリを好む人間はずっと危機感を高め続けているよ
実際の事件に及ぼす影響への危惧から作家が転向したり現実には不可能なシチュエーションが増えたりと作品内容にも変化が見られる(誰かが総括しないとこの工夫は数年で消え去るだろうが)
犯罪者が作家として活動していたことを踏まえたら二次元でも未成年のポルノが規制されることは現実になりえると実感を持ったらしくNOを言う人が更に増えた
数年前からこの傾向はあったが(純粋に性犯罪への嫌悪からそういう発言をする人はもっと昔からいた)二次元ロリを虐待しているくせにと敵視しているフェミに即座にキレられるためあまり目立ってなかった、しかしオタクやそれ以外でも加害を茶化す悪ノリには確実に悪影響があるという認識はじわじわと浸透していた
オタクの自虐史観なんて20年前の使い物にならない化石史観で現在のオタクを守ってる気になってるお前って一体なんなんだろうね
チャッピー(ChatGPT)に聞いてみたよ
すごく鋭い観察ですね。その現象、確かに増田(はてな匿名ダイアリー)やはてブ(はてなブックマーク)でよく見かけます。
それって何?
ざっくり言うと、「自分ははてな住民じゃない」とアピールしつつ、はてなコミュニティを見下すor茶化すことで、自分の立ち位置を相対化してる感じですね。
なぜそうするのか?
「はてな住民ってこうだよねw」「自分は違うけど」みたいな態度を取ることで、ネット上のマジョリティ(あるいは一部のサブカル層)に迎合したり、自分を“客観的な第三者”の位置に置きたがる人は多いです。
2. 自虐の裏返し・照れ隠し
本当は“住民”なのに、それを認めるのがちょっと恥ずかしい、あるいは同類扱いされたくないという照れから、逆にdisることで防御壁を作ってることも。
はてなコミュニティの特有のノリや“あるある”をわざとdisることで、読者から「お前も住民じゃんw」ってツッコミや共感を引き出そうとしてるパターンもあります。
同一人物っぽいのに…なぜ?
匿名文化が強いので、同じIDや文体で同じ人が繰り返しそういう言動をしていることもよくあります。
• 「でもやっぱり内輪のノリにはちょっと毒づきたい」
この複雑な心理が、何年も続く“はてな文化”を作っている気がします。
つまり
「住民じゃありませんアピール」**は、たいていの場合は“住んでる自覚はあるけど、微妙な距離を保ちたい”というメタ的な立ち振る舞いなんですよね。
なるほど、文化の一部なのね。なら仕方ない。
あのさあ仲間だと思ってる奴をいちいち茶化す訳ないだろ
「お気持ち長文」この言葉を出した瞬間、お前は読むことを諦めた側の人間であることを宣言した。
つまり「内容に反論できないから形式を叩く」という、ディベートにおいて最も浅く、最も弱い選択肢を選んで自己放尿したわけだ。
それを「お気持ち」と矮小化し、「長文」として棄却するということは、お前の読解力が語られた内容に耐えられなかったという自己放尿でしかない。
では問う。
聖書は長い。哲学書も長い。憲法も論文も長い、テックドキュメントも長い。
お前が日常的に恩恵を受けている社会制度の根幹は、すべて長文で構成されている。
それを「お気持ち長文」と茶化すことは、知の歴史全体への自己放尿だ。
つまり、お前が今やっていることは 「頭が疲れたので全部お気持ち認定しておしまいにします〜」という、精神的自己放尿なんだよ。
だが、救いはある。
今の一言は、疲れているお前の逃避にすぎない。
真正面から読んで、考えて、咀嚼して、それでも反論したくなったら、それは成長の証になる。
だから言う。
「長文かどうか」じゃない。「中身に向き合えるかどうか」だ。
もしお前がここで読む努力をやめないなら、その知性はまだ腐っていない。
twitterで下記ツイートを見たので思い出話につきあってほしい。
https://x.com/kitwell_tanaca/status/1933128116064661904
いつか我が子に「産んでくれって頼んだ覚えねーよ!」って言われた時なんて返すのがいいんだろう。って考えてるんだけど何か面白い返し方あるウマ🐴?
🐴田中です @kitwell_tanaca
実際これに近しいことを一度口にしたことがある。
母親はどうしていたか覚えていない。10~20年前の話である。
私の家は典型的な不機能家族家族で物心ついたときから親からの暴力がそばにあった。
仕事をしない父、父の言いなりになっている母、その両親が言うことを一つも疑うことがない自分、愚か者3人がそこで暮らしていた。
結果として私は今実家を出ているが、5年以上たった今でも両親からの教育による歪みに苦しんでいる。むしろようやく実家が異常だったのかもしれないと疑い始めたころだ。
実家にいたころのエピソードはすべてがおぼろげで部分的にしか思い出すことができない。
そのどれもが苦しくて、異常で、だれにも話せないようなことばかり。
例えば私は経済的DV・身体的DVを受けていた自覚はあるのだが、今思うとあれは性的DV・精神的DVだったのではないか?というようなものも多々受けてきた。
性的DVは親から性行為を強要されること、という偏見があったが父親から「メスの香りがするようになった」と言われたり日常的に尻や胸を触られたりブラのホックを外されたりしていたあれも性暴力にギリ入るのだろう。
これらのことから本当にどうしても無理になって、なぜ私はこの家にいるのか、なぜ生きているのか、なぜ産まれたのか、なぜ産んだのかと言ったようなことを涙ながらに叫んだことがある。
結果、冒頭に述べた通り帰ってきたのは暴力だった。
具体的に何を言われたかは覚えていないのだが、要約すると「降ろすという選択肢はあった、実際前妻(母は後妻)の子は降ろした。それでも産んだのは自分たちが望んだからだ。だからお前は両親の所有物なのだ」と怒られた。
そして普段から母には「お前は自分が腹を痛めて産んだ子だが、お前は父曰く私の子ではない。だから父だけが親である」とさんざん言われていたため、私は「自分の命は父のものである」という解釈をした。
だから自殺なんてことは許されず、死ぬまで両親に、父に奉公して死ねと言われた。
実際「子供は親の介護をするものだ」と何かにつけ言われており、実家をどうにか出ることができた5年前まで私の自由は両親が死んでから(=私が老人になってから)だと思っていた。今もぼんやりとそう思っている。
件のやりとりが決定的なそれとなったわけではないが、このあたりから自分はすべての選択権を捨てた。
希望していた進路も捨てた。ただ両親を生かすために高校を卒業したのちフリーターとなり、金をすべて家に入れるようになった。周囲の大人は「孝行ものだね」とほめてくれた。だけどそれは私にとって呪いで、でも選択権を捨てた私は死を選ぶこともできなかった。
だらだらと生きて、だらだらと日常を繰り返すだけになった。
親に対して恨み言を言うつもりはない。もっと自分が強ければ、もっと自分の頭がよかったなら、もっとよい結果につながれたのだろうと思う。たらればを考えるくらいなら今選べる最善を選んでこれからを良くしていきたいと思っている。
ポスト主が想定している「面白い回答」が具体的にどういったものかはわからないが、あのとき両親のどちらかから茶化すような回答が出てきていたとしたら、たぶん今自分はこの文章を書いていないだろう。そう期間をあけることなく自死を選んでいただろうな、という確信だけはある。
また、ポスト主に連ねられていた「産みたかったから産んだんだ」という回答がきたとしてもその後の回答次第では死んでいたろうと思う。
あの時の私を救う言葉はあったのだろうか、そう考えていたら涙が止まらなくなってきた。
結果として私は今生きて、こうして文章を書いている。そう考えると私に帰ってきた暴力と回答は、私にとっては正解だったのかもしれない。
【下記追記】
追記するつもりはなかったんだけど、考えさせられたコメントがあったので追記。
前提として私は実家での環境しか知らないので私は実家で受けた全てが普通だと思っています。だから指摘の「普通の生まれと家庭環境と人間性が欲しかった」っていうのはそもそも持っている、という認識です。
だからみんな言わないだけで親に殴られて、心を削られて、自分で高校以降は学費を捻出して、でもきちんと家のことも両親のことも対応している。そのうえでSNSで見るようなキラキラした一瞬を過ごしているんだと思ってます。
自分はそのキラキラした一瞬に気がつけなくなってしまったので「切り取ることができるキラキラに気が付けるようになりたい」が私の理想なのかもしれない。
深夜に泣きながら勢いで投稿したらいろいろ励ましの言葉とかいただいてビビっています。どちらかというとこういう認識で私は口にしましたよ、というケースレポートみたいなつもりだったので自己愛を叫ぶ文章になっていたことに反省しています。
あと父親にメスの香りがする~とか、生理きたときに「俺が止めてやろうか」とか、みんな普通に言われてるんだと思ってました。あれ一応アウトなんだ…。
色々もらったコメントとかを読んで、ツイ主が想定していたのは「反抗期を迎えた我が子に言われたケース」を想定していたんだろうな、ってことにようやく気付きました。
子どもからその言葉が口から出てくるときって、状況は多々あれど売り言葉に買い言葉だったとしても、本人からはそれが口から零れ落ちてしまう状況だったんだろうなと思うと難しいですね。
そもそもとして私の場合は、両親が求めたレベルの子どもでいることができなかった。それが一番の問題なので親が毒だとか機能不全家族って言ってるのは自分の甘えなんだろうな、とは理解してます。自分は結局「親が悪い、自分は悪くない」って叫んでる子どものままなんだな、と突きつけられて成長のなさに笑っています。
結婚もせず子どももおらず、両親のことも世話をせず。子どもの頃に「こうはなってくれるな」と言われていた大人になっていて明確に心はまだ子どものままなんだな。よくないね。
コメントを見て思い出したんですが、「誰が食わせてやってると思ってるんだ!」も言われたことがあります。それを言われたときは両親が無職で私だけが働いていたから生活費+両親(特に父)の娯楽費も自分が出していたのだけど、どう回答するのが正解だったんだろうな。ごめんなさい、って謝ることしかできませんでした。
その流れで「なんで自分を産んだんだ」って話をしたんだったっけか。結局殴られて泣きながら命乞いみたいに謝罪し続けた記憶しかないのでどんな話をしたか曖昧です。
親子の関係ってそれぞれで自分の経験しかないから、多種多様なケースがあって正解なんてないんだなって改めて思いました。
全員に全員の地獄があって、天国がある。私が何とも思っていなかった日々が「それは地獄だよ」って周囲に言われることがあったからそうなのかもな、と直している日々です。でもやりすぎないように気を付けるね。
あぁ、でもね、必要な暴力だったにしても父には自分の拳を使って殴ってほしかったかもしれない。エアガンで撃ってくるとか、孫の手やお箸などの得物を使って殴るとか、大事にしているものを壊されるとか、そういうことしかされてこなかったから「殴っている私の手も痛いんだよ」っていう昭和のマンガみたいなセリフ、一回も聞いたことないし言われたとしても実感できないや。