はてなキーワード: ホッパーとは
突然の報に両親ともに驚き、様々な事後処理などでてんやわんやして暫く季節も経ち、ようやく落ち着いたので心の整理のためにこれを書いてる。
原因はいろいろあるけれども、今思えば兄は色んなものを無理に背負い過ぎてしまったんだと思う。気が弱いのに自らを大きく見せようとしていた、それが限界だった、というべきだろうか。
兄は子供のころからパソコンが好きだった。10歳下の俺は、よく兄にくっついて後ろでPCを見ていた。プログラミングがいかにすごいかはともかく、当時渡辺製作所のグローブオンファイトやその手のPCゲームをワクワクしながら後ろで眺めていたのをよく覚えている。AAやFLASHでゲラゲラ笑ったり、俺がIT文化に初めて触れたのは、それが最初だった。
「ITで世界を変えられるんだぜ。これからの時代はITだ、きっと時代が変わるぞ」、兄のいうIT論は、当時子供の俺にはよくわからなかったが、とにかくすごいものなんだな、という気持ちにはさせられていた。
兄はその後、情報科学系の大学を卒業し、IT企業に当然のように足を踏み入れた。時は2002年だったと思う。世は確か就職氷河期も最盛期、それでも会社選びに苦労していた様子は当時を思い返してもうかがえない。起業をして社長をやるくらいなのだ。その方面では優秀だったのだろう。
「同期の中では俺が一番優秀なんだ」、「客先からの評判だっていいんだぜ」、天職についた兄は心底楽しそうだったと思う。
確か、2009年か、2010年の事だったと思う。俺がまだ大学生だった頃、今にして思えば、自殺に至る兄の人生に影が指す「変化」と言える違和感を覚えることがあった。
―――兄が自殺に至るまでの理由を探そうとした過去と記憶を辿る旅、思い返せば、そこには虚飾と虚栄と業に塗れて死んだ、一人の朴訥なITが好きなだけの少年の救われぬ魂の旅路があった。
兄の自殺の原因を自分なりに考える中で、心当たりがあることを想い返したため、ITmediaと日経クロステックの2010年の記事を見たところ、web系の求人が続伸、と出ていた。
所謂「意識高い系」とかいうのがネットで出だしたのも、この時代だったと思う。
まずIT系でそういうムーブメントが起こっていたことは、当時の俺でさえ知っていた、確か何某だか、本当に儲かってるのかも怪しい過激な言説の売れない、日劇ミュージックホールの昭和のポルノ女優や売れない芸人みたいな芸名の様な人間が現れては、マトモな社会常識を持っている人間であれば「こんな馬鹿な話信じる奴いるのか」という様なことがネットで飛び交っていた。
――IT好きな朴訥な少年のまま大人になった兄は、そのITという毒にやられてしまったんだと思う。
今から15年か、16年前だったと思う。実家に帰省した時、俺と両親は兄の変化に驚いた。
後述する「ルカねえ」と兄が付き合いだして、俺たち家族と知己になったのもこのころだが、朴訥だった兄はどこぞのレゲエヒップホッパーみたいなファッションにイメージ・チェンジをしていた。
「パイレーツオブカリビアンの海賊のコスプレにでもハマったのか」、当時の父と俺はそういい合っていたのが記憶に残っている。
聞けば、新卒から働いている会社を辞め、web系スタートアップベンチャーに転職することとなったらしい。
「まだSIerで消耗してるの?」、「SIerはあと五年で滅びるよ」、「web系に行かない奴はエンジニアとして終わってるね」、決してITに関してはどんなことでも悪く言うことがない兄が、古巣を後ろ足で砂を掛ける様な事を言っている。聞けば、本当は客先常駐なんてしたくなかった、オフィスで社内で自由に開発ができるのがアメリカでも当たり前なんだ、と俺には半分も理解できないITの話を力説していた。だが、それはどこかネットの「意識高い系」の連中からの受け売りで、どうも兄の本音から出た様な感じではない、そういう感覚を俺は思っていた。
だが、これほどまでに人は変わるのか、東京は恐ろしいところだ、と当時思ってた。
酒もそれほどたしなまず、タバコも吸わない朴訥な兄は、毎晩六本木や赤坂でコネをつなぐだのエンゲージだと横文字を使いながら飲み歩く様になった。怪しい連中や取り巻きが、兄の周りに集っていた。俺は、なんだか恐ろしくなって遠目に眺める事しかできなかった。
兄は、web系という場所にいってから、変わっていった。それも、人間としていってはいけない方向性へ
――ITを愛した朴訥な少年の心は、ついにITという時代の毒に呑まれてしまったのだ。
兄の奥さん(当時は兄の彼女)と詳細は伏すが音楽関係で活動していた。web系に転職してから何らかの縁で付き合うこととなったらしい。
ルカねえ、というのは俺が勝手に心の中で読んでいることだ、巡音ルカの様な立ち振る舞いや性格や容姿だったから。
俺は大学卒業後、東京へ出た。兄はweb系の会社を立ち上げて独立していた。相変わらず、娘が生まれたというのにSNS中毒としか思えないほど旧TwitterやらFacebookやらブログやらを更新し、胃下垂で食いきれないであろうに、どこそこの店の料理を食っただ、高級ワインを開けただのと写真を投稿して自己アピールに余念がない。乗れもしないのに外車のオーナーになり、高所恐怖症気味なのにタワーマンションの部屋を買った、ある種、あの当時のweb系ベンチャーにありがちだが、プチカルト宗教とその信者、という様な小サークルの様な社長と社員の関係だったという。
「ルカねえ」は自尊心が毒虫の様に肥大化していく、虚栄心の怪物の様になっていった、そんな兄を後ろから支え続けた、常に2歩下がって佇んで…そしてかつての朴訥な青年は、次第に、酒席と人脈と、虚飾に頼る人間へと変わっていった。
俺はもルカねえと同じく、遠巻きにその姿を見ていた。
だが、心のどこかでこうも思っていた。
――兄はいつか、本来の自分に立ち返るのではないか。少年のころ、無垢にパソコンの画面を覗き込んでいた兄に戻るのではないか。
しかし、それは叶わなかった。兄は業に塗れたまま虚飾と虚栄という寄生虫に体も脳も食い荒らされて、導かれるように自ら縊死をした。世には、自らを鳥に食わせるよう宿主を操る寄生虫があるという。兄の死を思うとき、俺はその奇怪な生態をふと思い出すのだ。
府中は分倍河原、そこは東京と言っても昔ながらの風情が残る都会と田舎の境目の様な場所だった。当時俺がそこ近くに住んでいたので、久しぶりの休みの日、兄と一家と遊ぶことになった。そこにはプラネタリウムや釣り堀のある、体育館も併設された大きな公園がある。
休日子連れの家族たちがよく来ており、催し物も多い。(俺は筋トレのために赴くことが多かったのだが)
兄は文句タラタラだった、「こんな田舎の公園の釣り堀やプラネタリウムなんて、貧乏ったらしい」と、カエシのない針の釣り竿を両手にはしゃぐ兄の娘とルカねえを置いて、PCとスマホ片手に「仕事」の続きをし始めていた。必然的に3人でそれらを回ることになった。
プラネタリウムの後の帰りの夜、府中駅の大通りを見上げれば「本物の」プラネタリウムを、兄の娘とルカねえは見上げていた、眠く、退屈そうな兄と駅前で別れる時だった。
「今日は楽しかったよ、増田君、ごめんね、ありがとう」、「よかったらまた一緒にこの子と兄くんと一緒に来ようね、約束だよ」
優しい人だな、そしてなんて憐しい人だろう、と思った。それ以来そういって遊びに行くことさえなくなった。約束は果たせないまま、兄はそんな周りのやさしささえ感じられなくなって。自ら首に縄を括って死んだ。
――兄が首を吊った時、首を絞めつけたのは重力で落ちたからではない、自分自身の虚勢と業に押しつぶされるように、人間が堕ちてはならぬ闇へと引きずり落とされたのだ…少なくとも俺はそう思っている。
――ルカねえとの約束は、今後永遠に果たされる日は来ないのだろう。
そう、どちらかといえば、自殺者よりも、残された人間の方が悲しいしやることも大変だし、多大な迷惑をかける、という現実をみんなに知ってほしい。
後述するが、伝え聞いてくるいくつかの理由で兄の会社はかなり苦しかったらしい。何よりも、兄はどうもかなり生活出費はそのままに無理した生活をしていたようだ。
会社の経営が傾いてから、都内の高級住宅街から、地価の低い「一応首都圏」なところに、兄の一家は居を移した。
兄の娘はかなり学費の高い私立に通っていた。制服姿で電車に乗ることもできず、私服で朝乗り、学校の近くで着替えてから通学する、というあまりにも痛ましい生活だったという。
――俺と父は、一度兄がルカねえと娘に暴力をふるっている場所に居合わせて止めたことがある。休みと聞いたから実家から送られてきた梨(と父)を私に行った時だ。
後で聞けば、「私は兄くんを信じてるよ。兄くんがITの事が大好きだって知ってるから。今からでもまた頑張ろう、私もできることは何でも手伝うよ。兄くんはお父さんなんだから」、そう行ったのが癪に障った発端だったそうだ。
「うるせえ!うるせえうるせえ!踏ん張ったところで何になるんじゃッ!今更お前や子供のために地べた這いずり回れっていうんかッ!?うんざりなんじゃ!俺だってやってるんじゃ!やりたくもないのに客先に出て!バカにしやがってッ!お前に男のメンツがわかるんか!」
俺と父が怒鳴り声を聞いて急いで玄関から入り、二人を引きはがしたところで、兄は暴れるのを辞めなかった。なお兄は荒れ狂った。叫びは、すでに虚勢ではなかった。むしろ、虚栄に踊らされた一つの魂が擦り切れてゆく音のようであった。
「ITみたいなしみったれた商売はうんざりなんじゃ~!チマチマ働いたってキラキラした人生に浮かび上がることなんてできはせんのじゃァ~ッ!クソがァー!どいつもこいつもカネカネカネカネ言いやがってェーッ!こうなったらヤクザにでもテロリストにでもなって巻き返したるわァ~!俺だって頑張ってるのに!バカにしやがってッ!クッソォォォォンッ!」
出来もしないことを叫びながら兄は泣いた。それは慟哭に近かった。兄の叫びは、すでに人間の声ではなく、業に食われた一つの魂の呻きの様であったと俺は思った。
泣く娘とそれを抱きしめて守るルカねえ、そしてそれを抑え込みながら聴くしかない俺と父、ネットの闇と毒に当てられた男と、情報化社会が生んだ新しい闇が凝縮していた。
それは、ある意味で「意識高い系」の成れの果て、帰結する先なのかもしれない。俺は別に、キラキラした人生やキラキラした仕事生活を否定しているわけではない。誰だってブラックジャックやドクターK先生や、サラリーマン金太郎や島耕作になりたいだろう。だが、仕事というのは多分きっとそうではない、若輩者ので門外漢の俺でもそれはわかる。自己顕示欲を誇示するための仕事など、シュメール文明から現在に至るまであったことがあるだろうか?折に触れて思い出す分倍河原駅の前の足利像を見るたびに思う。歴史の表舞台にたった「キラキラ人生」の偉人たちは、必要にせまられてその立場になったのであって、最初から目立ちたくて戦争をしていたわけではない。ITエンジニアの先祖に当たる江戸時代の和算学者たちは、ただ自身の顕学を神様仏様に感謝するために解いた計算難問を額縁に入れて奉納している。
兄はその逆であった。必要もないのに「輝き」を求め、虚栄に心を壊された。人間の弱さを思わずにいられない。
それを「その世界の人たち」はわかっていない。兄も含めて…兄は人間として当たり前の心理的バランス感覚を、明らかにネットやITという虚栄がはびこる世界で狂ってしまっていたのだと今にして思う。
まだ内省ができる俺の様なオッサンはいい、まだタピオカミルクティー片手に韓流イケメン芸能人は誰がカッコイイと山手線の盛り場を歩く様な年頃の子である兄の娘に、そんな責と家庭不和を負わせるなんてどれほどその心を兄は傷つけたのだろう。娘の心中はきっと想像を絶するものであろう。
それでも一応は、「超出来の悪い弟である」10歳年下の俺の給料の2倍は稼いでいた(会社が傾いてからの話だ、それより以前はもっと稼いでいたのだろう)。だから何とか学費だとか生活費も払えてたのだろう。そんな兄がある日突然首を吊って自殺した。
…残されたルカねえと兄の娘の生活は破綻するよりほかない。できる限り俺達や実家の父母も精神的な負担をケアしようと、あまり合わない仲だったのが様子見をしたり連絡をすることが多くなった。
それでも、実家組の俺達に、あんな天文学的な学費を払えるだけの余裕はない、結局、娘は学校をやめ(中学だから辞めるというのもおかしな表現だが)、学費の安い公立に転校することとなった、まだ14歳やそこらなのに、年齢を偽ってバイトまでして家計を支えようとしていたらしい。俺はそれを聞いて胸が痛くなる思いがした。ルカねえの優しさを受け継いだ兄の娘に、兄は背を向けたのだ。
残されたルカねえは悲惨の一語に尽きる。彼女は詳細は伏すが音楽関係で活動していた。だが、兄の希望で、ルカねえはほぼ専業主婦だった。するとどうだろう、殆ど働いてない彼女はこれから自分で生計を立てなければならないのだ。…マトモな職などあるだろうか?
結局父の知り合いが働いているスーパーでルカねえは働いている。この後は母もやっていたため、そのツテで保険の販売員をやることが決まっているらしい。言い方は悪いが兄の憧れた「キラキラした世界」しか社会を知らない彼女だ、激変する生活に精神的にもかなり堪えているようで、かつて俺が「ルカねえのようだ」と思っていた美貌も陰りが見えてどこかやつれているように見える。だが優しさと健気さはそのままだ、俺はルカねえの「大丈夫、大丈夫。」という笑顔を見るたびに、哀しくなって泣きたくなってくる。頭もよくなく力もない俺や父母では、これくらいのことしかできない。ルカねえの両親はどうか?今となっては聞くこともはばかられるが、どうも(俺の)兄と向うの両親はそりが合わなかったらしい、絶縁同然となっているそうだ。…思えば、兄の「虚勢と業に塗れた姿」に、それでも立ち直ってくれると信じたルカねえのやさしさは、暗い未来を呼ぶだけだということを、その両親は見えていたのかもしれない。
後述するが、ルカねえの両親が絶縁に近く関わりを断ったのにも、これもまた兄が纏いつけて残していった陰湿な闇のせいである。怪しい人間が今度はその獣欲の牙を兄の娘に向けようと這い寄ってきたのだ。そして彼女と兄の娘の心は砕け散った。それは綺麗なガラス細工が地に叩きつけられ四散した無惨さがあった。
――ルカねえの両親は、ルカねえを見限ったのではない。ただただ醜く腸を食い荒らされるかのように兄が残していった社会の闇の連中に孫と娘が食い物にされていく光景が見るに堪えず、恥辱のあまり目を逸らしたのだ。
それに欲望の充足を感じ取れる人間こそが、社会の闇に潜む人非人足りえるのだろう。だが俺も、父も、ましてやそれになろうとした兄も、人面獣心になるにはあまりにも普通の価値観の人生を生きていた。それが、兄が死んだ理由なのかもしれない。
その②
https://anond.hatelabo.jp/20250908163905
よくSNSで『独身でFIREとかダサくね?』なんて書きこみを見かけるが実にその通りだ。
学生時代に理想の相手と恋仲になり20代で結婚できる人生ならFIREなんてしねーよ。
非モテで相手が見つからなかったり、人間関係がすぐに崩壊したり、他人に興味持てないボッチだからFIREを目指すんだよ。
愛する家族がいて、楽しく働けて、切り盛りを頑張れるならそれが一番だよ。でもそれができないんだよ。
仕事を継続してスキルを磨いて家族を養えるのは、自分みたいなやつからしたら才能の塊でしかない。
マジで仕事も住所も転々としたい。ジョブアドレスホッパーになりたい。一か所に長く留まることが苦痛でしかない。
家族の為に一軒家をたてるとかあまりに覚悟が決まりすぎていて尊敬しかない。本当にすごい。
そもそもの話、特別収入が多いわけでもない奴がFIREするには、人間関係は少ない方がいい。
例えば年収800万あれば家族を養えるかもしれないが、その金を投資に回せば回すほど早く仕事を辞められる。
だから非モテである程度収入があると、早めに一生独身を決意しFIREを目指すようになるんだ。
これには男も女も関係ない。モテる努力には男女問わず金が相当かかる。FIREしたいならさっさと切り捨てるべき支出だ。
正直化粧とか服とか美容皮膚科とかあほらしくて仕方ない。一人でいるならそんなものは不要だ。
顔面は鏡を見なければいい話だし、服は中古で事足りる。髪?銭湯併設の床屋でいいよ。
とか言うと『女は専業主婦になれる』とか言われそうだが、今どき女を養うより自分のお金は自分に使いたいでしょ?
仮にそんな親切な人がいてもまず自分を選ばない、それくらいは分かっている。美人じゃないし遺伝子に難がありすぎて子供産めないし。
俺はギーツ3話で切った。
世間の評判は「OPの伏線回収!OPの伏線が回収されたぞおおおおおお!!!」ぐらいしか耳に入ってない。
Wやオーズのときのマジデヤバイから全人類絶対見ろよおおおおおおんんんんがない辺りまあ大したことなかったんやろなと思ってる。
で?どうなん?
龍騎のカードシステムをリメイクした剣をさらにリメイクしたやつ + Wのブレンドシステムをリメイクしたビルドを更にリメイクしたやつって感じじゃん?
つうかカードを組み合わせるだけならそれガチャではないじゃん。
まだバースのコイン入れまくりシステムの方がガチャっぽくねーかってレベル。
個人的に一番アウトなのがスチームホッパーと言いつつスチームパンク要素が全然ないことね。
なんのためのスチームだよ。
コインランドリーで働きはじめて3ヶ月ほど経ったが、もう1万年くらい働いているかのような面構えでいる。そんなに大変な仕事でもないので。
大変なところといったら、夏は意外と暑さがきついというところだろうか。特に当店は店の表が北を向いていて、勝手口が南にあるので、バックヤードに熱気が籠るし、勝手口を出てすぐのところにある浄化槽の掃除は、直射日光を浴びながらの作業なので、地味につらい。
あとは、お金の管理もしなければならない点は、人によっては辛いのかもしれない。私はコンビニのバイトも長くしているので、他人の金を預かっているという事に対する責任感が麻痺しちゃっていて、あまり苦に感じないのかもだけど。
私よりも半年と少し先に当ランドリーで働き始めた癖つよつよの先輩は、いまだに店のお金を管理するという重責に押し潰され僧で辛いらしいのだが、そのわりにはお金管理がへっぽこぴーで、集計作業をするととんでもない違算を出してしまう。責任感がぜんぜん仕事してない。
7月に、新人の私のために本部の経理担当者を呼んで集計研修が行われたが、その時はあり得んほど高額の違算が出てしまい、経理担当者が困惑・フリーズしたため、研修はまた後日に! という事になった。その日は経理担当者が当店の有り金全部を数え直し、計算し直し、それでも金額が合わなかった原因は解らなかった。しょうがないので、一旦ここでリセットする事になった。規定金額通りの両替・釣銭用のお金をまず両替機に入れて、残ったお金を売上金とし(データ上の売上金よりも数万円少なかった)、本部に送金する手筈を整えた。
8月の頭に、改めて集計研修が行われた。また来てくれた経理担当者がいうには、結局前回の集計で数万円もの違算が出た原因は解らず終いだったが、前回リセットしたし、前回からこの日までは両替機内の100円玉補充など、お金を動かすのを全面禁止していたので、違算は出ないはずとのことだった。実際、集計を行ってみると、現金とデータ上の売上等の金額はぴったり合っていた。よかった。
ただ、気になったのは、結局私たちは(というかほぼ私。癖つよ先輩は一切手を出さずに横で見てるだけだった)この時、経理担当者が一つ一つ教えてくれた通りにお金を数え、書類に記入しただけに過ぎなかったことだ。しかし、経理担当者によるレクチャーは店舗備え付けのマニュアルと一字一句違わないものだったから、いちいち教えてくれる人が着いていなくても、マニュアル通りに作業しさえすれば、失敗することはほとんどないはずではあった。
それから約十日後、私の出勤日が集計日と重なったので、私は初めて一人で集計業務にあたった。マニュアル片手に作業を一つ一つ確認しながら行ったので時間はかかったが、両替・釣銭用のお金を取り分けて両替機に仕舞うと、残ったお金の額はデータ上の売上額とぴったり一致した。
そのまた十日後、今度は癖つよ先輩が集計を担当したのだが、今回は前回と違い、集計日と集計日の間に問題が発生していた。というのも、両替機の中にストックされている100円玉が予想を遥かに上回るスピードで消費されてしまい、次の集計日の直前に100円玉が尽き果てそうになったのだ。
100円玉が切れそうになった場合、応急措置として、洗濯機・乾燥機のコインボックスから100円玉を引き上げて数を記録の上、両替機に補充するということになっている。つまり、売上金の一部を使って両替用のお金を補填するということだ。だが、これは単にお金の在処が移動しただけのことで、店内のお金の総額は当然この作業で増減することはない。
この作業は私が行い、各洗濯機・乾燥機の売上金から両替機に移した金額をメモ用紙に書き出し、そのメモを写真にとって店のグループLINEに投稿の上、バックヤードの壁の所定の位置に貼っておいた。集計業務担当者は、集計の時に回収した売上金と、私の書いたメモの金額を足して書類に記入しなければならないということ。そんなに難しい作業でもない。売上データ上の金額と一致すればOKなのだから。
そして、癖つよ先輩の集計当番になった。癖つよ先輩がグループLINEに流した集計表を見たが、現金額と私のメモに書いてある金額を足した額とデータ上の金額は完全に一致していた。
ただちょっと気になったのは、集計表の端っこに送金する現金の枚数と合計額を1万円札~1円玉まで種類ごとに書き込む欄があるのだが、それが全く記入されていなかったことだ。実はこの欄は別に記入しなくても問題ないのだが、記入する際に改めて現金を数えることでダブルチェックの役目を果たすことになり、送金額を間違えるのを防ぐことが出来るのだ。よく計算を間違える癖つよ先輩にこそ使って欲しい欄だった。
そんな一部の空白が気になるものの、集計表の記入に誤りは一つもないし、売上金は間違いなく送金されたということで、めでたしめでたし……。
ところが次の集計日は合わなかったのだ!!
この日は9月最初の集計日、つまり棚卸しの日で、1ヶ月の集計日のなかで一番大切な日だった。一人でやって間違いが起きるといけないので、今月からは二人がかりで行うことになっていた。
作業は分担して行い……ていうか、私が出勤した時にはすでに出勤時間よりだいぶ早く出勤していた癖つよ先輩がすでに作業を始めていた……、癖つよ先輩が各機のコインボックスから売上金を回収し、私が回収金を数えて集計表に記入し、合計額を計算した。
回収金とデータ上の売上金は完全に一致した。今回は集計日と集計日の間に両替用の100玉を売上金から作る作業もなかったので、楽勝のはずだった。だが、私がマニュアル通りにまず店の両替機の中に常備している両替用の○十万を作ったときだった。
「これで両替機のホッパーの中の100円玉と経費を含めて○十万円になります。この金額は常に不変なので、両替目的以外では触っていけないことになっています。送金と混ざらないように両替袋に入れときますね」
「ないじゃん! 明らかにないじゃん!売上が、どう見ても表の数字に足りてないじゃん!」
はあ。書き疲れてきたので、続きはあとで書こー。
本人にダイレクトにバレちゃったら可哀想だから適当にボカすけど、フェイクは入れないよ。
知人つっても、最近は数年に一度の共通の知人を通してイベントで会うぐらいで、
あとはTwitterで呟いているのを見てるだけなんだけど。
元々地方のFラン大学(彼が通っていた当時はどうかしらん。今がFランなだけ)を氷河期に卒業して
地元とはまた別の地方で人材系の会社に就職し、典型的なブラック激務だったらしいんだけど。
10年ちょっと前にフリーランスになりたくなったらしく、会社を辞めて地元に戻ってきたと。
この時点で既に結婚して奥さんもいたんだけど、結局何して稼ぐか決まらないままズルズルと
(本当は良くないんだろうが、失業手当とかもらってたみたいだ)
その当時、増田は彼とスタートアップ系のイベントで知り合ったんだけど、
プログラミングができるわけでもデザインができるわけでもなんか企画できるわけでもないのに、
ふらふらっときてなんかいる、みたいなこの謎の人とSNS交換して相互フォローしてたんだけど、
たまたま共通の趣味があったので、趣味的なことはいろいろやりとりしてワチャワチャしていた。
で、奥さんにブチキレられたと言って、実はこのイベントやその界隈で知り合った人たち数名に相談し出したら
「離婚か就職するか決めろって言われてぇぇぇ」とベソかきながら泣きじゃくってた。
この時点で、多分彼は35歳ぐらい。
暑い日だったような気がするけど、スーツ着てえらいね、と思った覚えがある。
その後、スマホ関連のサービスを展開する中小企業に就職すると、彼のSNSは少しずつ華やかになった。
彼は旅行が好きだ。その仕事は出張が多く、日本中の色々なところへ飛び回る仕事で、彼にぴったりだったのだろう。
よく出張先の景色や飛行機の写真なんかをアップしていた。空港おじさんってやつね。
出張とは別に、プライベートで親孝行で北海道に父親をつれていった、なんてのも見た。
良かったね、フリーランスよりもそっちの方が全然よかったじゃん。
よかったよかった。変にフリーランスなんかにならず、そういう手堅い人生でいいのよ、アナタは。
そう思ったもんよ、その時は。
それから7年ぐらいか。その会社は彼の従業する事業から撤退することとなり、彼は退職を決めた。
その後は、色々な仕事にトライしてたみたいだが、そこにコロナが直撃し、
非正規ということもあり、しんどい思いをしていたみたいだった。
(仕事の内容は詳しくは知らない)
その頃からメンタルがおかしくなり、心療内科のお世話になりだす。適応障害という診断だったようだ。
どんどん仕事ができなくなり、というより本人の行動を見ていると「自分のしたいことしかしたくない」という感じで、
最終的には「Webライターになる」と言って、フリーランスになってしまった。
当時すでにGoogleのアルゴリズムも厳しく変更されていたりしたご時世だったので
「Webライターってどうよ」と周囲はうっすら思っていたが、案の定それだけでは稼げなかったようだ。
UberEatsやったり、コロナの緊急融資受けたりしていた。
そこからしばらくして、奥さんから三行半を突きつけられたそうだ。
理由としては「夫としての義務を果たしていない」(一家が暮らせるだけの収入を得れていない)として、
泣く泣く離婚届にハンコを押したらしい。押さざるを得なかったんだろうね。
で、実家に戻ったら両親と折り合いが悪く、実家に入れないらしい。
「前にお父さんと仲良く旅行してたじゃんよ」と思ったんだけど、
なんか元々毒親気質みたいなところがあって、彼は若い頃相当に苦労したようだ。
本人は自分の病識を、その若い頃の苦労(ある種のヤングケアラーと言っていた)によるものだと言っている。
結局実家にいられなくなり、家を飛び出した。
カプセルホテルやサウナ、たまにシティホテルを転々としている。
元々アドレスホッパーみたいな生活にも憧れがあると言っていたが、
おそらくは住民票だけは実家なり元嫁の家に置くなりしているんだろうが、
自分の帰る家というものを用意せず、今のところ140日近く生活している。
寝る場所は上記の通り。昼間はコワーキングスペースやカフェを転々としている。
ライターの仕事も細々続いているようで、時々ネタ集めと称して旅行している
(打ち合わせや取材だったらそういえばいいのだが、そうでないということは、売上の発生しない出張なんだろう)
増田はよく知らないんだけど、カプセルホテルとかサウナって、泊まったら1泊3000円とか5000円とかするっしょ?
間とって4000円だとしても、30日泊まったら12万でしょ。アホかな? バカかな?
知人は結構ポイ活的なことにも精を出していてなんかうまくやりくりしてるのかどうかわからんけど、
そりゃもうどう考えてもワンルーム借りるより今の暮らしは確実コスト高でしょ。
3食外食、日中の作業場所をカフェやコワーキングスペースとか使えば、日中のコストも5000円ぐらい、平気で行くよね。
その割にこの知人、金ないくせに金遣いがあらい。
まだそこまで体壊すところまで行ってない頃、確かMacBook AirのIntel最終版買ってたのよ。
当時はまだApple Siliconは噂レベルだったから、まあ最終版買っちゃったのはババ引いたようなもんかもしれないけど。
で、その後体持ち崩してキャッシュフロー悪くなったのに、1年半後ぐらいに、M2 MacBook Airに買い替えてやがる。
しかも、その時期とほぼ同時にApple Pen付きiPad Proも買ってる。
スタバとかでこの2台を広げて「今日の作業場」とか言って、写真を撮ってアップしてやがる。
たかだかWebライターの仕事でMacとiPad2台もいる? どっちかでええやろ、どっちかで。
とにかく「自分のしたいことしかできない」と言って、「自分の欲しいものは三行半突きつけられても買う」っていう神経が信じられない。
作業場のカフェ選びもスタバとかスタバとかスタバとかで、無駄無駄無駄!
どうしても外で作業したいならマクドナルド入るかコンビニのイートインにしろ!
特急に乗る時も、最高クラスの席とか乗るのよ。もうね、アホかな(2回目
微妙に運賃だけ株主優待的な割引ちょこっと使って「ほら、賢くのってるでしょ」みたいな切符の組み合わせを写真に撮ってアップ。
お前な、そのシートの形でわかんだよ、どのクラスの席乗ってるか。
あと、本当に夜寝るところがなくなった時のためなんだろうか、テントとオフグリッドバッテリーとソーラーパネルも買ってた。
それとHafH? っていうホテルのサブスク? みたいなやつにも以前から入ってるらしい。
今は毎日外泊だから、HafHも利用しがいがあるんだろうけど、本当に元取れてるんだろうか?
泊まりたいところの場所のホテルでちょうどその日に空きがないと当然予約できないだろうし、
結局使いたいのに使えずじまいで1ヶ月サブスク費用払ってその分損、ってことにならんのかなあ?
増田からするとね、この人はこれまでの経歴や精神状態抜きにしてね、
Webライターも最初「旅行が好きだから旅行系ライターになりたい」とか言ってて。
実はこの人、自分のブログも持ってて、色々節約できる切符の買い方とか紹介してるんだけど、
まあ、泣かず飛ばずですよね(SimilarWebとかUbersuggestとかで、流入数はだいたいわかるよ)
「自分のやりたいことしかやりたくない」だけど、お金稼ぐって、誰かの役に立って初めてお金がもらえるってみんな知ってるっしょ。
それがこの人、なんか抜け落ちてるのよね。
もちろん、節約できる切符の買い方は誰かの役に立つとは思うよ、でもね、それは検索ボリュームがあって初めて成り立つ話だし、
その記事に広告貼って、クリック率やクリック単価はどうなのよ、って話よね。
まあまたそういう割引が効く切符ってのは、地域や使用方法にも制限あるから、余計検索ボリュームが小さくなる。
旅行系ライターで食っていきたいなら、たとえば最近テレビで引っ張りだこの鳥海さんとかね、
ライターって文章書ければ仕事ができると思われがちで、頭弱い奴がよく参入してるけどさ、
逆にいえば文章書く能力以外のところで差がつくんよ。取材力もだし、知識と経験値もね。
40超えてライターに参入してるのに、その分野の積み上げがプロとして全くないって、全然太刀打ちできないでしょ。
むしろ、20代からずっと旅行系ライターやってきた人に対して失礼っしょ。
あとはChatGPTにどんどん仕事奪われるんだから、それこそこれまでの経歴がものをいうのに。
あ、そうだあいつChat GPTも有料版使ってやがった!!!
もしかしたら特急のデラックスシート座るのは、取材の一環かもしれない。
iPad Proも、もしかしたらAppleから貸し出されたメディア向け試用機かもしれない。
そして、知人はしっかりライターとしてお金を稼いで、宿を転々としつつちゃんと納税してるかもしれない。
でもな、もしちゃんと売上立ってて、払うもん払ってんなら、奥さんと子供迎えに行ってよ。
それが順序ってもんでしょ。
俺にとってはビル・ゲイツよりもスティーブ・ウォズニアックよりもリーナス・トーパルズよりもケン・トンプソンよりもアラン・チューリングよりもティム・バーナーズ=リーよりもブライアン・カーニハンよりもビャーネ・ストロヴストルップよりもジョン・バッカスよりもグレース・ホッパーよりもデニス・リッチーよりも数々の功績を挙げた偉大なプログラマよりも本当に本当に偉大なプログラマだった
親父の職業がプログラマだと子供の頭で理解したとき本当に驚きだった
俺の親父はテレビテニスが作れると知ったとき、オリジナルのゲームウォッチを目の前で作りあげ誕生日プレゼントだと渡してくれたとき、俺の親父は何でも出来る人なんだと本当に憧れた
PC9801やX68000で疑似3Dやワイヤーフレーム3Dをレンダリングされた際の衝撃が理解できるだろうか?俺はまさに最先端のゲームを目にしていると子供ながら身を震わせてしまったことを今でも思い出せる
「小さなプログラムで大きな事を成せ」と教えてくれた親父はもう居ない
世間に注目されない俺の仕事を少年期のままに褒めてくれた親父はもう居ない
1970年代〜1980年代にかけて活躍した俺が最も尊敬する偉大なプログラマはもう居ない
なぜ俺はもっと話をしなかったのか
なぜ俺は日本の計算機界を支えた偉人の資料をまとめなかったのか
親父は亡くなる3日前に「パソコン持って来い」と俺に言った
親父はちょっとコードを変えてはコンパイルしちょっとコードを変えてはコンパイルしていた
親父はバイナリエディタでその中身を眺めては再びコードを変えてコンパイルしていた
親父は寝て起きてコーディングしコンパイルしてバイナリエディタで眺めるを繰り返しているうちに起きなくなって亡くなってしまった
お袋は親父のその姿をずっと横で見ていた
お袋は「まだパソコンできるって言いたかったんだよ」と教えてくれた
親父は最後の最後まで俺が小さな頃から憧れ続けた偉大なプログラマのままで逝ってしまった
ありがとう親父
親父が作った動かなくなってしまったオリジナルのゲームウォッチをどうにか修理して「爺ちゃんが昔作ってくれたゲームだ」と息子に自慢しようと思う
頭の回転いいなら条件として「頭の回転がよくない人が組み込まれたらどうするか」に余ったリソースいれなよと思う
どうやって身につけたか説明できないものは才能とか生まれつきとかに属するもので
増田だってあなたができないこと(衣食住の生産)やあなたがやりたくないと避けたことを膨大な人たちに生まれた瞬間からやってもらって生きてるんだから
もう少し謙虚になった方がいい
あなたが職場でみてないだけで、その人は世界のなにかにたいしてすごく貢献してる
きれいな道路をつくったり、生活必需品の運送は、全員スポーツカーじゃできないんだよ~
あとホッパーの職歴って、「こいつすぐやめるから○○すんのやめとこ」という立場に一瞬でおかれるよ
40超えたらきついと思う。
両実家への挨拶は済んでいて、今週末には結納代わりの両家顔合わせの食事会がある。
彼女の一番仲がいい(学生の頃から)友人がいて、月に一度ぐらいは決まった用事を作って実家に泊まりに行っている。
両親や友達の兄弟ともとても仲が良くて、子供同然に可愛がってもらっていた。
ここ数ヶ月、それが無くなったらしくて、そんなこともあるもんかと思っていたら、
最後に泊まりに行った日に兄弟と一発やっちゃったらしいことが発覚。しかも友人の親に目撃される。
(酒飲んでいて記憶がないらしいが、まあ色々あってそういうことだったと理解しているよう)
トドメに近々結婚するんだよね、の報告をその日にしたらしい。輪をかけて地獄である。
友人親は親でけっこう堅めらしいので、もう気まずいなんてもの通り越して行くにいけなくなってしまったようだ。
仲の良い大学時代の友人にはやらかしちゃった話をして、「悪いことをしたなとは思っているけど、面倒なことになったなーと思ってる自分もいるし、心から反省できていない」とか。
記憶なくて「ほんとに覚えてなくて笑」らしい。もともとそういうところがある奴だし、男友達の方が多くて性格もサッパリしているほうなので、それぐらい図太いのは想定していたけど。
1週間もすれば「罪悪感がなさすぎて落ち込んでいる」ぐらいらしく、反省してるんだかしてないんだか分からないが、
同棲を始めるより前に、アドレスホッパーの男を家に上げて泊めたことに自分が気付いて修羅場になった(この時も記憶がない)こともあり、負い目はあるだろうなとは思う。あってくれとも思っている。
ここまではたまたま目に入ったところから覗いたLINEの履歴から分かったことで、こちらには当たり前だけど隠しているつもりらしい。
ワンナイトぐらいは別に誰にでもあるだろうし、全くもって許せないほど幼くはない
分かった瞬間はだいぶ怒ったし壁ぐらいは殴ったし、一発ぐらいは顔面殴っても許されると思ってるが。
こういうことを書くと大抵は「そんな奴さっさと切って次行け、お前は一生その不安抱えてそいつと生きていくのか」で埋まるなんてことは分かっているから、書くことで何か救いがあるとはあまり思っていなかった。
それでも自分が当事者になるとは全く思っていなかったし、手の震えは止まらないし、知恵熱がめちゃくちゃ出ていて座ってられないぐらいには身体が辛くなってきたので、とりあえずは吐き出したくて明日も仕事なのにキーボードを叩いている。
奴は出かけていて幸い不在にしている。奇しくもこの話をした大学時代の友人が出張でこっちに来ているらしく、今まで酒を飲んでいてちょうど帰ってくるそうだ。(こっちに関してはもはや警戒はしていない。)