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nete-nete.hatenablog.com
引用部の強調はそうでないと明記しないかぎりすべて僕によるものです。 また、引用部における中略や省略などは明示をせずにおこないます。 地の文における「」内は全て引用です。〈〉は僕が強調のために使っています。 ページ数は表記しません。 注はほぼ原注なので飛ばしたほうが読みやすいです。 リファレンス:Alexander Nehamas, “The Postulated Author: Critical Monism as a Regulative Ideal” in Critical Inquiry 8(1), 1981, pp. 133–149, reprinted in Cahn, Steven M, Stephanie Ross, and Sandra L Shapshay, eds. Aesthetics: A Comprehensive Anthology. 2nd ed. New J
[]はぼくによる補足です。 「」は引用ではありません。 太字は原文を反映したものではありません。 David J. Chalmersによるメタ哲学の論文What is Conceptual Engineering and What Should It Be?の要約です。エントリー名の邦題はだいぶ意訳しました。Chalmersは日本では「拡張された心」概念や邦訳書『バッド・ランゲージ 悪い言葉の哲学入門』(未読)で有名な人。 以下、アブストの訳の後から要約。 概念工学は概念の設計・実行・評価である。概念工学には、新概念工学(de novo conceptual engineering)、概念再工学(conceptual re-engineering)が含まれる、あるいは含まれるべきである。また、概念工学には異名概念工学(heteronymous conceptual engineering)
ページ数表記をしていない「」内は引用ではありません。[]内はぼくによる解釈や補足あるいは疑問です。 Stephen Davies「芸術の存在論」(原文)を要約する。英語圏の美学の教科書に収録されている、芸術の存在論入門にちょうどよさそうなテクスト。 まず芸術の存在論ってなんですかという話だが、これは美学者の森功次がわかりやすくまとめてくださっている。曰く、 ここで言われる存在論とは、世界に存在する各存在者はどのような基準で分類され、どのような枠組みで整理されるべきか、といった学問です。 芸術作品についてそういう考察を行った場合、文学作品、音楽作品、彫刻作品などの個々の作品はいつ同じで、いつ始まり、いつ終わるのか、といったことが問題になります。この分野の一つの目標は、各芸術作品の存在条件(どういう条件がそろったら作品は存在するのか)、持続条件(どういう条件がそろったら作品は存在し始め、どうい
山田尚子監督初のオリジナル長編映画『きみの色』が公開された。 本稿にかかわる限りでの物語の要約は以下。他人の「色」が見える少女トツ子が、美しい青色を纏った同級生きみと、離島に住まう青年ルイとスリーピースバンドを組む。そして3人で頑張って練習して、文化祭ライブを成功させる。そしてトツ子は自分の色(赤)を発見し、物語は終局へ……。 さて、本稿では本作『きみの色』を「カメラ」に注目して論じる。具体的には、山田の過去作のカメラ的表現と比較したときの本作の特殊性と共通点を指摘したうえで、それらが意味するものを論じる(もちろんネタバレ含みますが、ネタバレされて萎える系のアニメではないです。むしろ物語性の欠如に特徴のある作品なので……)。 1. レンズ性のささやかな後退 2. 山田レンズの4つの効果 3. 『きみの色』の盗撮性 4. 親のようにキャラクターを観るということ 5. 終わりに向けてのカメラ性
厳密なアカデミック・ライティングの作法(書誌情報とか)はけっこうサボっています。わかればよいスタイル。 ジェロルド・レヴィンソン「仮説的意図主義:主張、反論、応答」(Jerrold Levinson. Hypothetical Intentionalism: Statement, Objections, and Replies)を要約する。 が、そのまえに仮説的意図主義なるものをざっくり解説しておこう*1。なお、レヴィンソンの考察の対象は、一部を除いてもっぱら文学作品である。従って、本エントリーで「作品」という場合は文学作品を指すと思ってほしい。 文学テクストの意味を決定するのは何だろうか。まず思い浮かぶのは、①作者の意図が意味を決める、という考え。この考えによると、ある意味の不明瞭なテクストがあったとき、諸々の推論を通して「作者はこう意図してこの表現にしたはずだ」と答えを出せる。逆に見当
凡例:「」内は引用や論文タイトルなど、〈〉内はぼくによる強調。引用に際しては文脈に合うように断りなく改訳することがあります。また、引用ページは面倒なので明記しません。 ジョージ・ディッキー「芸術とはなにか——制度的分析」今井晋訳(西村清和編『分析美学基本論文集』所収)を要約する。芸術の定義論の古典であり、芸術の定義は不可能だとする論に反対して芸術の〈制度的定義〉をおこなったことで有名。ひとことで要旨をいうならば〈芸術とは、人工物であり、かつアートワールドの人間に鑑賞の候補だと認められたものである〉となるのだが、これだけではわけがわからないのでさっそく本題に。 論文の構成は以下。まず美学者モリス・ワイツの〈定義は不可能である〉という主張に反対し、芸術の定義が可能であることを示す。それからじっさいに芸術の定義を打ち出し、最後にまたワイツを批判して終わり。 ワイツ論文の紹介と批判 芸術の定義 ふ
アーサー・ダントー「アートワールド」(西村清和訳、『分析美学基本論文集』所収)を要約する。 この論文は芸術の定義論(芸術とは何か?)の古典とされるが、明示的に「芸術とは何か」という問いを立てているというより、ダントーは「ある対象oを芸術にするのは何なのか」という問いを立てているといったほうが精確だ。そして、かれによれば、それこそが「アートワールド」なのだ。アートワールドこそがあるものを芸術にするのである。 この論文は大きくいって二つの部分に分かれているといえる。一つ目は「アートワールド」という概念の導入と解説、二つ目は芸術の論理学的な分析だ。というわけで、本エントリーしてもそれに合わせて二つのセクションに截然と分けてしまい、それぞれの要約をおこなうことにする。 アートワールドとはなにか 芸術の論理学的分析 アートワールドとはなにか ダントーはまず芸術の定義論における「模倣理論」と「実在理論
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