はてなキーワード: イライラとは
結婚して数年、私は自分の中にある「受け入れきれない感情」に向き合うことになった。私の妻は発達障害を抱えている。彼女は明るく、優しく、人の気持ちに敏感だ。しかし、一方で物事の優先順位をつけるのが苦手で、日常の些細なミスを繰り返すこともある。
最初は「個性」として受け止めていた。むしろ、そんな不器用なところが可愛いとさえ思っていた。しかし、日々の生活の中で、次第に小さな苛立ちが積み重なっていくのを感じた。そしてある日、ふとした瞬間に、自分が彼女に対して「怒り」を覚えていることに気づいたのだ。
私がイライラしていたのは、彼女が「普通」でないからではない。私の中にある、「こうあってほしい」という勝手な理想像と、現実の彼女との間にあるギャップに苦しんでいたのだ。
例えば、ゴミ出しの日を忘れる、同じ話を何度もする、感情の起伏が激しい…。それらの行動は、彼女が好きでやっているわけではない。発達障害という特性が原因であることは、頭では理解している。
しかし、私の心は「理解」よりも「期待」に支配されていた。「どうして覚えていないの?」「なんで何度も同じことを言うの?」という思考が先行し、彼女の立場に立つ余裕を失っていた。
「共感疲れ」と向き合う日々
私が彼女をサポートする側になるということは、ある程度覚悟していた。だが、現実は想像以上に難しかった。優しく接しようと思っても、疲れているときや余裕がないときには、ついキツい言葉をかけてしまうこともある。
そして、そんな自分に対して自己嫌悪を感じる。「彼女は悪くないのに、なぜ私はこんなにもイライラしてしまうのか?」と自問自答する毎日。これは「共感疲れ(エンパシー・ファティーグ)」と呼ばれる状態かもしれない。
相手に共感し、理解しようとし続けることは、思っている以上にエネルギーが必要だ。それが長く続けば、心が摩耗していくのも無理はない。
ある日、私はカウンセラーに相談した。自分の感情を整理する中で、ようやく気づいたことがある。「彼女の特性が問題なのではなく、それを受け入れきれていない自分の心の持ちようが問題なのだ」と。
私は「パートナーとはこうあるべき」という無意識の思い込みに縛られていた。彼女を変えようとしていたが、本当に変えるべきは自分自身の見方だった。
「違い」を尊重するということ
発達障害は「病気」ではなく「特性」だ。苦手なこともあれば、得意なこともある。妻は一つのことに集中する力が強く、細かい気配りもできる。反面、計画的な行動や、時間の感覚にズレがある。
これらの特性を「欠点」と見るか、「個性」と捉えるかで、関係性は大きく変わってくる。私は少しずつ、「違い」を尊重するという姿勢を学び始めた。
一緒に歩むことの意味
妻と過ごす中で、私自身もたくさんのことを学んできた。相手に完璧を求めるのではなく、「一緒に成長していく」という関係こそが、パートナーシップの本質なのだと感じるようになった。
今でも、時にはイライラすることはある。しかし、それを責めるのではなく、「なぜそう感じたのか?」と自分に問いかけることで、冷静さを取り戻せるようになった。
おわりに:愛は「理解し続けること」
「愛する」ということは、ただ優しくすることではない。相手の特性や弱さを理解し、それでも共にいることを選び続けることだ。
発達障害を持つ妻との生活は、決して簡単ではない。だが、その中には多くの学びと、深い絆がある。私はこれからも、自分の感情と向き合いながら、彼女と一緒に歩んでいきたいと思っている。
発達障害|結婚生活|イライラ|共感疲れ|夫婦関係|カウンセリング|受容と理解|違いを尊重|愛のかたち
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俺もその傾向があるからわかるのだが、端的に周りを見ずに自分だけの世界に入ってしまう傾向が強いからだろう
旅行プランを考えていた際、電車の利用でちょっと難しいことがあると話したのだが、嫁はこちらの話を最後まで聞かずに自分で調べようとしている
俺としてはまずこちらの話を聞いてくれと10回くらい懇願したのだが、嫁は絶対にこちらを見ないし「今調べているから」と全く聞こうとしない
嫁にとっては「自分がやりたいことを成し遂げる」のがその瞬間の最優先事項であり、こっちが何に困っているかとかどういうことを話してほしいかなどには一切興味がわかない
俺が数分に渡った怒鳴り散らしてようやく「あ、なんか怒ってるな」くらいに気づくレベル
そこでやっとこさエヴァンゲリオンがでてきて戦うと思ったら毎回毎回泥試合みたいなのが多くてうんざりする
更に言えばよくわからない専門用語を使われて今のどう言う意味?って理解できないまま話が更に加速度的に進む
イライラする
むかついたのは会議室にいるゼーレ
何もしないじゃんこいつら
いやまじで
コイツらってすごい偉そうなことそれとなくにごしてあれこれ言ってる宗教団体そのもの
いてもいなくても変わらねーし何がしたいのかもよくわかんないし消えてくれと思った
人類補完計画とかかっこつけてるけど
だってさ
どうやってその人類補完計画を達成するのかは具体的な発言しないだろ
ゼーレ「碇シンジくん。エヴァンゲリオン初号機は君のママが作ったので君にしか乗れないんだ。そしてこのエヴァンゲリオンは使徒を倒すために作られたんだ。使徒は全部で20体。こいつらをを全滅させるか人類が死ぬかのデスマッチをするしかないんだ。すまん。児童労働をさせてしまった我々は償いきれない罰をうけるだろう。しかしたのむ。頼む。我々にはもう手段がないのだ。」
ゼーレ「君のパパことゲンドウくんが冷たいのは君のママことユイくんが君を好きだったのに嫉妬していたようなんだ。前にまるでダメなおじさんでごめんなって独り言言ってたよ。そんなダメなおじさんの本音を聞けたところでガンバッテホシイ」
↑こんくらい言って欲しい
全員言葉足らずなんだよ
コミュニケーション能力ゼロなんだよエヴァンゲリオンのキャラクラーたちって
イライラして何もすっきりしない話だった
元凶の使徒さえ片っ端からぶっ倒せばいいって話にして欲しかった
ロボットアニメってそういう勢いがあるべき
例えば
エヴァンゲリオンを改良するとしたら
ツインサテライトキャノン一発で使徒全員をどばーーーってぶっ飛ばしてジエンド!ってノリ
持たない。もらわない。財布に入れない。持ち込ませない。
そもそも基本的に細かいお金はキャッシュレスで払うんだけど、それでも現金・小銭を使う場面はまだある。
50円玉を財布の中に入ってる状態で横から見ると100玉とほとんど見分けがつかん。
何度100円と間違えて、あと50円足りないばかりにお札を崩して財布をパンパンにしたかわからない。
100円のつもりで数えて足りなかった時のあの時間の無駄。こっちにしても店員にしても、どの立場からしてもこの上なく無駄な時間でしかない。
見分けがつくように側面に刻まれてる線をタテではなくナナメにするとか、いっそ線をなくしてしまうとか、いくらでも工夫のしようはあったと思うが、
なんでお札はそこそこ刷新されるのに50円玉はいつまで経っても変わらないんだ?
新札が出る度に、500円玉のデザインが微妙に変わるたびに、「そんなことより50円玉のデザインをなんとかしろ」といつも思う。
既にネットでも言われていたが、本当に50円玉は100円玉みたいな顔をして財布の中に居座るのを止めてほしい。
これがもたらす時間損失、日本全国で見たら相当なもんだと思う。これにイライラしてる人少なくないはず。
もう止めよう。止めてしまおう。日本中みんな一斉に50円使うのやめて、レジの人を楽にしてあげよう。
貨幣への改善要望なんてどこに言ったらいいのか分からんし、俺はもう国が動くのを待ってられないし、
何より今後の人生で50円玉に騙されて奪われるあのくだらない時間を1秒たりとも捧げたくないので、支払いはこれまで以上にできる限りキャッシュレスにしつつ、50円玉は永久追放する。
端金70円なら100円出す。120円出さない。50円玉いらないから。10円が溜まるけど10円はたくさんあってもすぐ数えられるからいい。50円を見分けるよりも、大量の10円を数えるほうがまだ楽だ。
昨日のお昼、顔出す機会があったから差入れのアイスを買って事務の女の人に渡したんだ
そこの工場、職人が5、6人で事務方の人が4人だから人数的にはまあ丁度だなと思って渡したんだよ
「なんか事務の子にアイスまで差し入れしてくれてありがとうね〜」みたいなこと言われてさ
自分は食べてないみたいな言い方だったから、アレ、〇〇さん食べてないんですか?って聞いたんだけど
「昼休みだったから事務の子が皆で食べたって言ってたよ〜」って言われて
なんかすごい悲しくなってしまった
これよかったら皆さんでどうぞ!職人さんらにも!って渡したのにさー
1人3本とか食ってるやん 馬鹿か??
なんでそんな嫌なことすんの???
というのも元々そこの事務の人らに嫌な印象があって、
「はあ?暑い?へー、ワークマンに空調服ってやつ売ってるらしいですよ!めっちゃ評判いいらしいですけど?」みたいなこと言うんだ
そりゃアンタらに作業環境についての決定権なんかないんだけど、そんなこと分かってるんだけど、それでも会話なんだから「うわー、大丈夫なんですか」ぐらいの相槌を打てやと思ったね
「営業先で女が出て来たら時間の無駄だから帰る」みたいな話よく聞くよな?男女論の文脈で
あれ、そこがデスクワークメインの会社だったら女性差別的で嫌な話だと思うんだけど
工場の事務の女、本当に関わる意味がない マジで意味ない 仕事の知識はまるでないし、その割に余計なことばかりする
こう言ってる自分も女だから女の悪口なんか言いたくないんだけどさ
でもこうやってイライラすることが思い出せる限りでも相当頻繁にある
終業時間ちょうどに「今からの時間は騒音なんで作業中止でお願いします」って薄笑いで言いに来る女を見る度、
現場で働いてる女の人の爪の垢でも煎じて飲めと思うわ、いつも
ちょっとお疲れ気味かもしれませんね。
最近のネットの言説を見ていて、矛盾やダブルスタンダードに苛立ちを覚えるのはよくわかります。
でも、そういうモヤモヤが積み重なると、気づかないうちに心が疲れてしまうこともあります。
一度ネットから少し離れて、深呼吸して、好きなことに時間を使ってみませんか?
頭が整理されたとき、また違った視点が見えてくるかもしれません。
もしイライラやモヤモヤが続くようなら、専門のカウンセラーさんに話を聞いてもらうのもひとつの手ですよ。
話すだけで気持ちが軽くなること、けっこうあるんです。
別にペド的な意味じゃないんだけど、赤ちゃんのお世話ってボーナスタイムみたいなもんだと思ってるから子育てにイライラしてる人のことが全く理解できない
オムツ替えとかも別に嫌じゃない、赤ちゃんのうんちってなんか汚くないし
特別子どもが好きなわけではないんだけどな 自分が特に懐かれるようなこともないし
自分よりも普段子ども好きそうな人が育児でイライラしてるのなんで?って思う
かく言う自分は保育士なんだけど、キラキラしていかにも保育士さんって感じの優しそうな同僚がずっとイライラしてる姿をよく見かける
イライラするのをやめる
激怒してとりあえず「Meiryo UIも大っきらい!!」でフォントを変えたがタイトルバーは変えられずイライラ
ググってレジストリを弄るやり方を試したが何故か変わらず更にイライラ
結局Advanced System Font Changerを使って事なきを得たが、もうMSには失望しかない
PC新調して11弄くり回してどうにか10ぽいUIに落ち着かせてたのに更新でフォント変えてくるとか思わんやろ
誘拐した女の子が実は…ってやつだしその正体がわかるまでがピークだけど、既にわかっているのではいはいって感じだった。
オクス駅おばけ
めちゃくちゃ怖いってわけじゃないけど、割とまとまっていてよかった
前作のXは見たので、続編のマキシーンの公開が始まる前にってことで。
予告なんであんなにチープなんだろう
横に座ってた学生が上映後に「スティッチと迷ってこっち来たけど、スティッチ行けばよかった…」と言っていて笑った
登場人物が意味不明な行動をしないというのがよかった、個人的にはストレスなく見れるホラー
モキュメンタリー形式じゃなくてもよかったんでない?と思うけどよかった
アジア圏って不気味に思うものの感覚が似てるんかなあとちょっと思ったりした
ニタニタ笑いながら赤子の泣き真似をしてるシーンの厭らしさにはもはや感心してしまった
破墓
割とミステリ要素が強い
ホラーミステリという意味では残穢の系統だけど残穢ほど怖くない
反日映画だ!ってレビューを見て???と思っていたけどなるほどねーって感じ
そうノイズにもならずそんなもんかーと思ってそのまま見た
用事があってちょっと離れたショッピングモールに向かってたんだけど、信号抜けたあたりでさ、前にクロスカブがトロトロ走ってるの見つけたわけ。
「うわ、なんか配達でもしてんのか?」って一瞬思ったけど、近づいて見たらぜんぜんそんな感じじゃなくて、ヘルメットの下から見えるの、なんかもう弱者男性って顔だった。
何か背負ってるリュックもボロボロで、「お前その格好で外出るのやめとけよ」って感じ。
法定速度のさらに−10キロくらいで走ってるし、ちょっとした段差とかでブレーキ踏むし、後ろつかえてるの気づかないのかなって。
一車線しかない道だったから、追い越すに追い越せないし、信号青になっても発進おっそいし、マジでイライラ。
こっちはアルファードだぞ?
こっちが王道なんだわ。
でもさ、そういう奴に限って、妙に交通ルール守ってる風出してんのな。
別に安全運転が悪いって言ってんじゃないけど、周囲の流れってもんがあるだろ。
あんな速度で走って恥ずかしくないのかよって、こっちが赤面するレベル。
「プレッシャー感じろ」って思って。
なのにあいつ、ミラー越しにこっちチラチラ見てきて、まるでこっちが悪者みたいな顔してんの。
いやいや、お前が邪魔してんだろ。
ほんと、ああいう“自分は悪くない”って態度のやつが一番ダメなんだよね。
周囲に気を使うって概念が欠落してるんだと思う。
朝起きて子供らの飯やら着替えならの世話
戻って仕事、時折休憩がてらゲームしてたが妻が不機嫌になるからぼーっとyoutubeショート眺めるくらいしかしなくなった。
寝かしつけとして寝るまで一緒に寝床に。
終わった後やっとフリータイム、ゲームやら好きなことして仕事やら子供の世話やらのストレス発散。
自分の好きなこと二の次にもならずダラダラ過ごして妻が寝落ち始めたら寝床へ。
自分が寝落ちしそうになるまでスマホゲーか漫画アプリ見るってのが今のフリータイム。
あまりにイライラ溜まって子供らの説教に力入りすぎないようにするのが大変。
常時ため息が止まらない。
仕事でAIを使うことが必須になってる。職場がそういう方針ってことね。
最初はすごく便利な気がして、何でもかんでもAIにやらせてた。
今まで時間かけて調査して頭を悩ませて書いてた書類もAIを使えばすぐに応答があって出力される。
でもやっぱり完全じゃないので、レビューして指摘して直させる。するとまたすぐに応答があって直った文書が出力される。
何度も使ってるうちに、同じ間違いを繰り返すAIにイライラしてきた。数分前に言ったことを憶えてない。やるたびに違うことを返答する再現性の無さ。言ってない余計なことばかりする。AIがバカでやる気だけあって空回りする出来の悪い部下のように思えてしょうがなくなった。
しかもこいつは全然成長しない。何度も同じことを言わされる。指摘しても直らない。
こいつが人間だったらぶん殴ってると思う。
3月に続けて、この連休も乗り鉄してきたので、また日記を増田に残そうと思う。
6時前の起床は目覚まし前に起きられた。夏なので暗くはなく、起きるのも困難ではないのだ。
横浜に出て、途中の行程を端折る新幹線切符をえきねっと経由の券売機で購入。
(券売機を直に操作すると、並ぶ列のプレッシャーが嫌なので、発券以外はえきねっとで済ませた。)
降りたところにはあまり選択肢が無かったので、自分には珍しくそばを食う。
窓側ながら眠くて大宮までは寝てて、あとはGoogleマップで現在位置を追う。
新前橋を過ぎれば遠方にこんもりとした山を見るが、吾妻線に入るとそこに挟まれた感じとなる。
橋で川を渡れば、岩に立つ白波が涼やか。強い光ゆえ緑の色彩も濃く見える。
小野上では採石がとれるようで、それを積む特殊車両が泊まっている。
中之条で山あいは開ける。それなりに人が降りるのは四万温泉に向かうのか。
トイレしたくて車両を渡ると、二人ほどロードバイクを持ち込む人が居てうらやましい。
岩島からは最近作ったろう高架橋で国道をまたぎ、長いトンネルに入る。これが八ッ場ダムによる新線なのか。
ダムの湖面が木々の合間にわずかに見える。その前方には急峻な地形に貼り付く国道。駅前にはキャンプ場もあるのね。
また長いトンネルとなり、トンネルではWikipediaの沿線概況を見て過ごす。
ダム下だからか、削り込まれた吾妻川を橋から見ては、長野原草津口でもごっそり降りる。
片面の行き止まりホームを見ては遠景を撮ろうとするが、時間が足りず。
そして、大前での折返時間は短いので、事前に車内で精算しておくようにとの放送。ここまで30人程度は残っただろうか。
羽根尾の構内も広い。それを過ぎると、シールドや木々に包まれては20km/hなんて看板まである。
強く減速し、災害の多いこと、そして線路の終わりも近いだろうことを知る。
万座・鹿沢口手前でも同じくらいの減速。
街は川向いにあり、駅前には旅館を示す剥げた看板と土産店。反対側にはバイクの集まるカフェ。
そしてさらにトンネルで、大前まで乗り切った。プツっと終わる感じの平面ホーム。
気持ちだけかもしれないが、降りても涼しく思える。見どころはけっこう多くて飽きない行程だった。
ロードバイクも組み立てている。
そして出発となるが、乗車証明発券機はなかったので、帰りの車内で切符を発券してもらう。
ひとりひとり処理するの大変だなあ。
また強い減速で始まる帰りは、長野原草津口手前で旧太子線の橋脚、その先では引上線として残る旧線がみつけられた。
川原湯温泉では今回も行き違いで、わずかに見える湖面に向け写真を撮る。
帰りはなんだか行き違いが多くて、ちまちまと停まる。
そして考えることもなく車窓を眺めていると、幸せすぎて「ずっとこのままで居たい」とさえ思ったりもする。
ちなみに、親は親で観光地に出かけたらしい。
じいさん、ばあさんの写真とともに撮った観光地の写真が送られてきて、
夫婦には子供なり老人なり慈しむ存在がないと、関係性が保てなくなるのかなと思ったりする。
そんな詮無いことばかり考えないよう、Vtuberの雑談を聞きつつ、平野が広がれば渋川に戻る。
まともなものが食いたく、今回は菓子パンで済まさず、中華屋で豚キムチ定食。
そして、飲み物買っての上信電鉄は建物のすき間を縫うような改札口。
車両は107系の改造らしいが、LEDはフルカラーで行先案内もディスプレイ化され、手間暇かかっている感じ。
でもトイレは不可か。
車両所には剥がれる古き車両も見て、街を抜けては新幹線下からねじるようにして川を越える。
スピードはゆっくりなのに、線路の整備がいまいちなのか、左右に振られて轟音がある。
車窓は吾妻線と比べると、山々に挟まれるというか囲まれるといったくらい。
住宅もそれなりに多く、昼間のワンマン運用ながら乗降は細かくある。
吉井からはひたすらまっすぐなのにやはりスピードは緩く、車両は揺れる。
上州福島はほぼ中間ゆえ、行き違い。駅舎はホーローの駅名標だったりしてそれなりに古い。
上州一之宮ではきついカーブから、同じ方向に折れた川幅を高いところから眺める。
そしてラストの千平からは、鏑川の渓谷と急峻な山肌に挟まれ、スリルさえ感じる空間をこわごわと進んでいく。
ここはさすがに相当(体感で20km/hくらいか?)減速するようだ。
山肌を回り込んでは下仁田駅に着く。
駅名標と山々を合わせて撮っては、車線もない駅前から5つものコミュニティバスが入れ替わりに発車する(列車に合わせるので当然か)。
乗り潰しは14時台ながら早くも終わりなので、折り返し便では帰らず、
バス待合室で時刻表の少なさ(6系統+南牧村便があるが、休日は4便ずつしかない。
乗合タクシーに至っては曜日運行!)をじっくり見ては、廃墟かわからない昭和な建物とか、
旅館がこんにゃく料理を出すとか、河原で人々が水遊びをする遠景を見るとかして駅に戻る。
上州富岡は名所に合わせてか、新しい建物で屋根が高く作ってあるのも知る。
行きは乗るべき列車があったから急いだが、帰りは急ぐ理由もない。
酒飲むかは迷ったが、暑さによって酔ったような頭のかすみがあり、辞める。
車両区には吾妻線で見た砂利運ぶ車両が複数居て、SLも構内で入れ替えしていた。
烏川を越えた光景には見覚えがあり、やっぱり一度来たことあるなと思える。
そして車窓も気になるのだが、暑さからの疲れで眠くなる。
こんなんではダメだと、短編で興味がキレギレとなるゆえ、まだ読み終わらない「異常論文」を読み出す。
「ザムザの羽」は感情的に来るものがあり、「論文」として並ぶ中では特に面白かった。
そして横浜は19時前であり、さすがに薄暗くなる。
帰っては速攻でシャワーを浴び、20時には楽しみな議席予測を聞く。