はてなキーワード: 戦火とは
正直これはやられた。
予告編で想像していた以上に胸をえぐってくる作品だった。舞台は戦後間もない沖縄。米軍統治下、瓦礫と熱気が入り混じる街で少年たちが自由と夢を探しながら、同時に戦争の影をまとったまま必死に生きていた。
焼け跡に残るのはただの貧しさじゃない。大人たちの諦めと、どこにも行き場のない怒り。海から吹く湿った風の匂いまでスクリーンから立ちのぼってくるようで観ているだけで汗が背中をつたう。少年たちが夜の港で手を取り合い、粗末なランタンが揺れるシーン。あの一瞬のきらめきに、戦後の沖縄がどれほどの闇と隣り合わせだったかが一気に突き刺さった。
中でも島の外を夢見ながらも仲間を捨てられない葛藤がもう痛いほどリアル。夢を語る口調は少年のそれなのに、瞳の奥にある諦めは大人より深い。戦争は終わっても、戦争が残した影はこんなにも長く人を縛るのか。スクリーンに映るその姿が、ただのフィクションを超えて胸を殴ってくる。
ここでどうしても言いたいことがある。「面白い映画」と「良い映画」は違うということだ。
たとえば火垂るの墓。あれを「面白かった」と軽々しく言えないだろう。子どもが戦火に呑み込まれていく過程は、娯楽ではなく痛烈な現実だ。観終わった後に残るのは、言葉にならない苦味と、心の奥底で鳴り続ける問い。その衝撃こそ「良い映画」の証だと私は思っている。
宝島もまさにそうだった。派手なカーチェイスも奇抜なトリックもない。だが戦後という時代の痛み、子どもたちが夢を掴もうとする一瞬の輝き、そのすべてが心を揺さぶる。映画館を出ても海風の匂いがまだ鼻に残り、胸の奥がざわつき続ける。
スクリーンで感じる沖縄の海の匂い、少年たちの瞳の奥の熱、それを浴びた瞬間にしか味わえない衝撃が、確かにそこにはあったのだから。
こちらから戦争を仕掛けるつもりはサラサラ無いが、ウクライナとロシアの現状を見ると、どこかから戦火が降り注ぐ可能性は高まってそうだ。
第二次世界大戦で日本は、国際社会から取り残されて、物資もままならないまま戦争に突入し、休戦するタイミングを見失った結果、無条件降伏せざるを得なかった。
国連加盟国の大半、特に安保理常任理事国からの支持は失わないようにせねばならない。可能なら全会一致、難しくても理事国は反対せず棄権に留まるぐらいの姿勢を獲得しておきたい。
資源が乏しい日本では、自前でこれをするのは難しい。なので多くの国との貿易活動をするのが肝要だ。特定の国に依存せず、どこかがダメでも代替できるチャネルを絶やさないことだ。
日露戦争はベターなところでロシアと戦争をやめられたのに、賠償金が取れなくて国民からの不評を買った。この「もっと取れただろ!」という欲求不満がズッと尾を引いて太平洋戦争にズルズル突入してしまったと思ってる。
「ここら辺でやめれば日本としては最善なんだ!」ということを国民が認識するように、政府は説明できるようにすべきだ。(情報統制ではなく、あくまで国民への説明で済ませるのが良い)
外交努力、交易活性化、国民対話、とまとめるとなんだか当たり前のことだ。でもその当たり前をすることが重要なんじゃないか。
外交については、ウクライナ問題にしろ中東問題にしろ、わりと国際社会の支持を取り付けられる立場についていると思う。イスラエルについてヨーロッパ各国はようやく意識を変えつつあるようだが、日本はアラブ諸国との距離感を踏まえて適切に振舞ってきている。
貿易についてはどうなんだろう。国内の製造業はやや不安ありつつ、しかし空洞化しきっていないくらいを維持しているのではないか。資源不足はどうしようもないけど、どこかから閉め出されているわけではないから大丈夫…かな。
国民の意識は最近不安だ。政権に不満はありつつ、かといってリベラル界隈は期待するに至らず、かといって右派の積極姿勢は上述の成功を無碍にしかねない。
戦後70年談話 全文
終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。
百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。
世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。
当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。
戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。
何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。
これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。
事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。
先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。
ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。
戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。
戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。
寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。
そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。
私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。
私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。
私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。
私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。
終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。
平成二十七年八月十四日
当時は、どうせ参加しないと終わらないんだから、今すぐに参戦すべきだ、と書いた。
なぜなら今すぐに参加するのが最も被害が拡大しない方法だから、だ。
もちろんそんなことは起こるわけもないとは思いながら。
あれから数年経ったが、戦争は国力の違いとリーダーの優秀さからロシア有利となっている。
この現状を続ければ、どこかの段階でウクライナは背骨がグキッと折れて自らを支えきれなくなる時が来る。
一方のロシアの経済も相当悪いと言われているが逆説的に戦争経済を続ける限りはなんとか持ちこたえる。
ウクライナを助けなかったNATOがより脆弱なウクライナ以西の国家を助けるわけがない。
それを知るプーチンロシアは最も脆弱な国家に対して戦争を仕掛けるだろう。
それをまたNATOは指を加えて見ているだけに違いない。
いや、そんなことはない。
NATOが参戦するはずだ。
そう考えることも出来るかもしれない。
だったら、なぜ今すぐに参戦しないのか!?
ロシアは旧東欧圏くらいまでの支配下に置かないと安全保障上の安心感を抱けない国家なのだ。
そうなれば結局は最終的にNATOは嫌でも戦争に参加しなければならなくなるのだ。
どのような形になるにしろ。
ならば、今すぐに始めるべきだ。
元増田とは別人だが、DeepReserchの回数に余裕があるため私も調べてみた。
プロンプトは以下の通り。
DeepReserchで、イスラエルとイランの軍事衝突(特に2025年6月のミサイル応酬)に関するイラン国内の国民の声をペルシャ語で調べて日本語で報告してほしい。イラン国内の情報が知りたいので、日本語や英語の情報は無視すること。検索言語はペルシャ語に限定する。
元増田が言うにURLが多いと登録できないそうなので、文末の参考URLは省略している。(というか字数制限で途中までしか表示されないようだ。)
ChatGPTのログを共有するので、ファクトチェックを求めるならこちらから参照URLを確認してほしい。
https://chatgpt.com/share/68565e1a-8af4-800e-a53a-79d08057f929
---以下調査結果---
2025年6月中旬、イスラエルとイランの間でミサイルの撃ち合いを伴う軍事衝突が発生し、中東情勢が緊迫しました。これに対し、イラン国内の一般市民はTwitter(現X)やInstagram、TelegramなどのSNS上で様々な反応を示しています。本調査ではペルシャ語の情報に基づき、イラン国内SNS上で見られる世論を分類し、それぞれの傾向と特徴的な投稿内容を考察します(日本語や英語の情報は除外しています)。SNS上の反応は大きく以下のカテゴリーに分けられ、各カテゴリーのおおよその割合と具体例は以下の通りです。
イスラム共和国体制を支持し、対イスラエル強硬姿勢を称賛する声です。こうしたユーザーはイスラエルによる攻撃に対する「正当な報復」を熱烈に支持し、イラン軍のミサイル反撃に誇りを表明しています。実際、Twitter(X)上では「#انتقام_سخت(厳しい報復)」「#وعده_صادق۴(真なる約束4)」「#پاسخ_موشکی(ミサイルの回答)」といったハッシュタグが怒りや決意とともに多数投稿され、英語で「#IranStrikesBack」といったタグもトレンド入りしました。多くのユーザーが「イラン軍の戦果」を誇らしげに共有し, 「もはやイランは標的になるだけでなく強力な反撃者でもある」 と強調しています。このようにSNS上では怒りと喜びが交錯する雰囲気で、Instagramでもイラン国旗やミサイル発射の瞬間を映した動画が次々と投稿され、イスラエルへの報復に対する人々の歓喜や興奮が示されています。
この強硬派の論調では、「今回の反撃は正義であり不可避だった」とする意見が目立ちました。例えば、「イスラエルの先の攻撃に対する正当で避けられない応答だ」 といった声や、「#ایران_قدرتمند(強力なイラン)」「#برای_ایران(イランのために)」等のハッシュタグも登場し、“この押し付けられた戦争を終わらせよ”という国民の集団的要求を示しています。一部のユーザーは英語やヘブライ語の投稿を通じて自国への支持を発信し、「イラン国民の声を世界に届けよう」 と試みる動きもあります。全体として圧倒的に支配的なのは「誇り」と「満足感」を帯びた愛国的トーンであり、イランの防衛力に胸を張る投稿が大勢を占めています。
また、彼らは国家の団結や士気高揚を訴える一方で、この立場に同調しない人々を激しく非難する傾向もあります。SNS上では愛国者を自認するこれら強硬派が、反対派に対し「 وطنفروش(売国奴)」「خائن(裏切り者)」など苛烈な罵声を浴びせる場面も多くみられました。逆に言えば、彼ら自身は心の底から自らを愛国者( وطندوست / میهنپرست )と信じ、イスラエルと戦い国土を守ることこそが真の愛国行為だと確信しています。イラン国営メディアの分析によれば、SNS上の書き込みをデータ分析した結果、イスラエルに対する集団的な憎悪と怒り、そして祖国防衛のための強い連帯感が浮き彫りになったとされています。以上のような政府・体制支持派の声は、投稿全体のおよそ3割程度を占めると見られ、特に国内向けプラットフォームやInstagram上で大きな存在感を持っています。
戦争そのものに反対し、平和や冷静さを求める声もSNS上で非常に多く見られました。これら反戦派のユーザーは必ずしも政府支持ではありませんが、「たとえ相手がイスラエルであっても戦争はイラン国民にとって望まない破滅をもたらす」と強調しています。Twitter上では「#جنگ_خیلی_ترسناکه(戦争は本当に恐ろしい)」や「#نه_به_جنگ(戦争反対)」といったハッシュタグが人気化し、多くのユーザーが戦争への恐怖感を率直に表明しました。これらのタグの下では、過去数十年にわたるイスラム共和国による国内弾圧や紛争になぞらえて「我々イラン人は長年ずっと武器を持たない戦争(注:体制の弾圧)を強いられてきた」という趣旨の投稿も散見されます。つまり、人々は「外部との戦争どころか、我々は国内で既に十分苦しんできた」として、これ以上の戦火拡大に強くノーを突き付けているのです。
具体的な反戦の声としては、例えばあるジャーナリストは「イスラム共和国を乗り越える方法は外国からの攻撃ではない。戦争は国を荒廃させ、政府はますます弾圧を強める。外国の軍事攻撃で自由を勝ち取った国などない。もし軍事攻撃があればその犠牲になるのは政権ではなく一般国民だ」と投稿しています。また別のユーザーは、1978年のアーバーダーン「シネマ・レックス火災」事件(旧体制末期に数百人が死亡)など歴史的悲劇に触れつつ、「戦争は本当に怖い。内部の『敵』(革命勢力)が45年以上前に始めた革命という名の戦争で、我々はずっと犠牲を払ってきた」 と訴えました。さらには、治安部隊によるデモ参加者への暴力(子供や青年が犠牲になった事例)や、辺境地域での貧困(飲料水が無く子どもがワニに襲われるような状況)などを引き合いに出し、「これほど国民が傷つけられてきた。我々にとって戦争ほど恐ろしいものはない」 と語る投稿もあります。このように反戦派は、「戦争こそ最大の悲劇」であり「我々イラン国民にそんな恐怖を味わう権利はない(=その必要はない)」と強調しています。
反戦派の多くは同時に現在の政権にも批判的ですが、愛国心の観点では政府支持派と重なる点もあります。すなわち「たとえ政権には反対でも、外国の侵略には断固反対し祖国を守る」というナショナリスティックな平和志向です。彼らはイスラム共和国や亡命反体制勢力の双方に否定的でありつつ、「どんな状況でも祖国への外部からの攻撃は受け入れられない」「戦争ではなく和平が必要だ」と声高に訴えています。実際、反戦派のユーザーは「#جنگ(戦争)反対」「#صلح(平和)を求める」といったメッセージを発信し、戦争阻止と停戦の必要性を強調しました。こうした訴えには法的・人道的な根拠を示す人々もおり、「国際刑事裁判所がイスラエルの指導者に逮捕状を出した」「イスラエルの先制攻撃論には法的根拠がない」「核問題での二重基準だ」等と指摘しつつ反戦の声を上げる動きもあります。さらに一部のユーザーは戦時下で市民の安全を守るための実用的情報を共有しました。例えば、空爆に備えた安全確保の方法や応急処置の知識、不安やパニックを抑える心理カウンセリング的アドバイスなどです。ある記者は「もし空爆があるなら国は市民向けの防災指針を示すべきだし、攻撃時に市民同士が連絡を取れるようネット検閲を解除すべきだ」と訴えています。
以上のような反戦的な投稿はSNS上の意見全体の約4割と推定され、最も大きな割合を占める潮流です。長引く経済苦境や国内弾圧に苦しむイラン国民にとって、さらなる戦火拡大への拒絶感がいかに強いかが伺えます。反戦派は互いにハッシュタグで連帯しあいながら、「戦争を止めよ」「イランをこれ以上傷つけるな」という切実な声を上げ続けています。
イスラム共和国政権そのものへの怒りや批判を前面に出した意見も数多く見られました。これらの投稿は戦争そのものへの賛否というより、「この状況を招いたのは政権のせいだ」 という点で一貫しています。多くのユーザーがイスラエルとの衝突に関し、「イランの開戦を招いた責任はイラン政府、とりわけハメネイ師(最高指導者)にある」と断じています。例えばSNS上に寄せられた市民の声として、「イスラエルの空爆とイランのミサイル応酬が続く中、自分たちの目撃したことを報告しながら、ほとんどの人がイラン政府とハメネイに責任があると言っています。こんな戦争は本来、我々国民の権利(あるべき姿)ではなかった」とまとめられています。実際、一般ユーザーの投稿には「この数十年の愚かな政策によって我が国土をこんな苦難と危険にさらした連中に天罰を。俺たちはこんな目に遭うために生まれてきたんじゃない」といった痛烈な批判が見られました。別の若者も「こんな恐怖の中で生きるなんて本来俺たちのはずじゃなかった」と嘆いており、「我々庶民はこの戦争を望んでいない」「犠牲になるのはいつも国民だ」という怨嗟がSNS上に渦巻いています。
特に名指しで非難の矛先となったのが最高指導者ハメネイ師です。例えば元テレビ司会者のエフサン・カラミ氏はX上で、「86歳の意地悪じいさん(=ハメネイ)は36年間も間違った決定と民意の無視を重ね、ついに数百万のイラン人を戦争の罠に陥れた。この戦争がこれ以上広がらないことを神に祈る…」と投稿しました。他にも「この戦争を生み出した張本人はハメネイだ」 と明言するユーザーもおり、イスラム共和国体制そのものへの怒りが爆発しています。イスラエル軍がテヘランの高官施設や指導部を標的にした際には、政権幹部の腐敗や偽善を暴露する投稿も拡散しました。例えば、イスラエルの精密攻撃でハメネイ氏側近のアリ・シャムハニ(前国家安全保障最高委員会書記)の自宅などが破壊された際には、あるユーザーが「今夜のイスラエルの攻撃では、世界の『弱者の擁護者』を自称していたイスラム共和国の高官連中が、実はテヘラン北部の最高級タワマンのペントハウスに住み、革命的生活様式とは程遠い“オリガルヒ”だったことが明らかになった」と皮肉りました。別の投稿でも「ニヤヴァランからカーマラニエ、サアダトアーバードからアンドルズゴーまで——(高級住宅街の列挙)——それらの住所は革命的生活様式というより寧ろオリガルヒの不動産リストにしか見えない」と綴られ、体制中枢の腐敗ぶりを暴露しています。
さらに過激な一部の反政府派は、イスラエル軍による政権打倒の期待すら公言しています。欧米亡命中の反体制派や王制復古主義者などを含むグループは以前から「この独裁政権を倒すには外部からの軍事行動以外に道はない」と主張しており、今回の戦争勃発を「体制崩壊に向けた民衆蜂起のチャンス」と捉える向きもあります。実際SNS上では、イスラエル軍に向けて「#HitKhamenei」(ハメネイを狙え)なるハッシュタグを付け、「イスラム体制という大蛇の頭(ハメネイ)をその隠れ家ごと叩け」と呼びかける過激な投稿まで出現しました。こうした投稿者にとって敵はイスラエルではなく現政権であり、「イラン再生のためにはもはやこの政権の崩壊しかない」という極論に傾斜しています。当然ながら、これらの「他国の攻撃歓迎」派は政府支持の強硬派から「売国奴」と猛烈に非難されており、SNS上で激しい応酬が起きています。
反政府的な投稿は、当局の検閲や国内の言論統制もあり主に匿名の個人アカウントや国外在住者から発信されています。しかしその勢いは大きく、SNS全体の約2割を占める一大勢力となっています(潜在的にはそれ以上に及ぶ可能性もあります)。彼らは互いの投稿を拡散し合い、イラン国内外で急速に共有されています。このような政権批判派の存在は、戦時下においても依然として多くのイラン国民が現政権への深い不信感と怒りを抱いていることを浮き彫りにしています。
最後に、明確な立場表明を避けるか、情報の真偽に疑問を呈するような中立・懐疑的な投稿も一部見られます。割合としては大きくありませんが(全体の1割程度)、戦況下のSNS空間における特殊な動向として注目されます。
中立派のユーザーは、政治的主張よりも事実関係の共有や質問に徹する傾向があります。例えば、イスラエル攻撃開始直後にイラン当局が全国の航空便停止を発表した際、テヘランのメヘラーバード空港から旅客機が次々と離陸していく様子を撮影した動画がSNSに投稿されました。それを見た市民からは「もし飛行禁止のはずなのに、一体誰があの飛行機に乗ってどこへ行くんだ?」と疑問を呈する声が上がっています。この発言には、「政府高官らがこっそり家族を逃がしているのではないか」という含意もあり、直接的な批判ではないものの政府発表への不信感が表れています。
一方で、デマ情報やパニック拡散への警鐘も鳴らされています。SNS上には「無用な緊張を煽らないように」「国家の一体性を乱さないように」「フェイクニュースに惑わされるな」といった冷静さと団結を呼びかけるメッセージも散見されました。事実、イランのサイバー警察当局(FATA)は「戦時中にSNSで虚偽の情報を流したり、敵の攻撃を誇大に伝えたり、市民の死傷者数を誇張する行為は犯罪である」と公式に警告を発しています。当局によれば、衝突発生直後からSNS上に様々なデマや流言が飛び交い、不安を煽る投稿もあったため、そうした「世論の混乱を招く行為」に対して法的措置を取る方針が示されたのです。実際、地方都市ラシュトで「住民に退避命令が出た」等の根拠ない噂を流した人物が逮捕されるなど、虚偽情報拡散への取り締まり事例も報じられました。このような背景から、一部の市民はSNS上で慎重に情報源を確認しあい、「公式発表や信頼できる報道に基づいた情報共有をしよう」という呼びかけも行っています。
さらに、政治的主張を離れた実務的なアドバイス投稿も中立的スタンスの一部といえます。先述の反戦派の項目と重複しますが、 Permalink | 記事への反応(2) | 16:27
筆者はPixivでイラストを見て回るのが日課であるが、最近「AI無断学習禁止」と入ったイラストが目立つようになった。
AI生成イラストで絵師界隈が荒れているのは知っていて距離を置いているものの、とうとう戦火がここまで広がって来たか、と痛感している。
ChatGPTなども文章の無断学習で成り立っていると言えなくないが、筆者は無断学習を行う生成AI全てを規制すべき"ではない"と考えている(し、そもそも現実的に難しい)。
しかし、AI生成イラストに関しては明らかに紛争の火種になっているので、一定の規制が必要であると提唱する。
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もし規制をするのであるならば、その範囲は限局的にすべきと筆者は考えている。
著作権法の方でやってしまうと、意図しない範囲まで規制対象では?となってややこしくなってしまう恐れがあるため、
著作権法ではなく不正競争防止法の改正を用いて、イラストの特定部分の無断学習をピンポイントで規制すると言う案を提唱する。
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規制行為は、『権利者の許諾なく、機械的かつ反復的に保護対象の著作物を人工知能等に学習させる行為』
保護対象は、著作物(イラスト)のキャラクター部分のみ。具体的に言うと線画の段階でアウト。アタリとかの段階ならセーフ、
法文に起こすなら、『保護対象の著作物は、絵画の偶像部分と定める』、『線画より前の段階は、原則偶像と見做さない』みたいな感じで。
キャラクターと法文には流石に書けないので、「偶像」と言う表記が最適かなと(人物像とかだと対象が人間に限定されてしまう)。
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「権利者の許諾なく」とあるのがミソで、裏を返すと許諾を取れば学習して良いとの解釈になる。
これにより、絵師さんが一次創作のイラストを「学習料を払えば学習していいですよ」とすることが出来る。
そうすれば、絵師さんも金銭的に潤うし、生成AI側も権利関係をクリーンにする事で安心して利用してもらえるだろう。
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しかし、これだけではクリーンな生成AIがシェアを取るのは難しいし、法案の施行より前に無断学習されたものの規制は不可能(法の不遡及)。
そこで筆者が提唱するのが二本目の矢、「生成AI課税」である。
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基本的に生成AIは何かしらの無断学習をしている事を前提とし(性悪説)、事業者が生成AIで得た収益の一部に課税をすると言う案。
但し、許諾が取れたものだけを学習させている証拠を提出し、それが認可されれば免税措置を受けられる。
日本国外に本社機能を置く生成AI事業者に関しては、法務及び税務手続きを行う為の窓口を日本国内に設ける事を義務付ける。
筆者は法律に関しては無知なので、具体的には書けないがざっくりこんな感じ。
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終わりに、筆者のお気持ちなど。
自分から言っておいて難ですが、後者の生成AI課税は現実的に厳しいかもしれません。だけど、前者の「限局的なイラストのAI無断学習の規制」は何とか実現されて欲しいです。
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これ以上界隈が荒れて傷つく人が増えて欲しくない(絵師さんも生成AIの利用者も共に)と言うのが筆者の願いです。
そしてその為には、やはり立法が動いてくださらないと沈静化はとても厳しい。
特定の(国会)議員さんの名前を出すのは憚られますが、山田太郎さん辺りにお願いできませんでしょうか(界隈に通じてそうな議員さんがこの方しか浮かばなかったので)。
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私のPixivのブックマーク欄に「削除済みもしくは非公開」が増えるのはもうたくさんです。
イラストを公にアップする絵師さんも減ってきている気がしますし、無断学習によって絵師界隈が萎縮していると個人的に感じています。
大日本帝国憲法をよめば自明でありこれを否定するものは無教養である。
大日本帝国憲法では天皇は大元帥、つまり日本軍の総司令官である。
当然開戦する権限ある。
「違います。41年9月6日に開かれた御前会議の時点までは、確かに天皇は開戦を躊躇(ちゅうちょ)していました。しかし側近の日記や軍の記録などから見えてきたのは、そのあと天皇が戦争への覚悟を決めていく姿でした」
「10月には宣戦布告の詔書の作り方を側近に相談しており、11月には軍の説く主戦論に説得されています。最終的には天皇は開戦を決断したのです」
https://digital.asahi.com/articles/ASS863DKVS86UPQJ00WM.html
ネトウヨやゴミクズのような保守が「天皇は戦争を回避しようとしていたんだあああああああああああ」という戯言を述べるが主戦論に説得されて開戦したのは天皇である。
故に開戦する権限があったのは天皇であり開戦したのも天皇でありその責任も天皇である。
「日本は15日、ポツダム宣言受諾による70回目の終戦記念日を迎える。北京郊外、盧溝橋での中国軍との衝突に始まった戦火は最終的に東南アジア・太平洋を席巻し、同地域全体では2000万人を超える軍民が犠牲となった。大日本帝国は欧米植民地主義からの解放戦争と喧伝(けんでん)したが、「大東亜共栄圏」のためにアジアの同胞からあらゆる点で収奪した。」
https://mainichi.jp/articles/20150814/mog/00m/040/006000c
昭和天皇を崇拝するネトウヨやゴミクズ保守はまさしくネオナチでありクズである。
というクソみたいな理屈を並べ立てる。
他の国がしていたから虐殺をしていいと言う理屈などどこにもないのである。
要するに主権(=憲法制定権力)を握るのは自然状態では国民なのである。
それが他のものに渡っているということは「簒奪」以外の何者でもないのである。
故に民主主義は人類普遍の原理であり、専制主義は主権の簒奪である。
専制主義体制そのものが不当な暴力体であり、「たとえ防衛戦争であっても」それを守ることは許されないのである。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」
https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/a002.htm
と書かれてるように、民主主義を人類普遍の原理とし、それに反する専制主義を排除することが書かれている。
日本国憲法は国民の合意により成立してる内容であるため、上記の内容は私だけでなく日本人のほとんどが賛成する内容である。
本人的には救われたんだろう
でも確かに自分が匿ってもらう立場になったと考えたら、立場もあるし知らない土地だし、相手に依存するしかなくて怖さはあるな
苦境に陥った女性をいいようにしてるだとか難民の女を娶った話みたいな品のないコメントが大量についてて気持ち悪すぎる。
確かに『ウクライナでミサイルに怯えて暮らす』ことと『異国で直接あったことがない男と同棲する』ことを天秤にかけなければいけなかったことは悲劇だろう。しかし増田の年収を考えると彼女を助け出す方法はそれしかないし、そもそもそんな選択をさせたのはプーチンであって、増田は好きな人が苦境に立つ中で出来た最大限の努力をしたに過ぎない。
そんな増田に対して冒頭に挙げたようなコメントを書けるカスゴミブクマカはその想像力の低さを本当に反省した方が良い。いくら苦境に立たされているからといって異国で男と暮らすという選択がそんなに簡単に出来るわけがない。増田を信頼していたからこそ故郷を捨てて異国で暮らそうという決断が出来たわけで、なにも増田が騙したり強制的に日本に連れてきたわけではない。そもそもこの提案は増田にとっても非常にリスクが高い。『身元保証人として一緒に暮らす』以上、いざ住んでみて性格が合わなかったから同棲を解消しますなんてことは気軽には出来ないし、もしも彼女がウクライナからの脱出だけを目的に増田の提案に乗っていて、日本に着くなり逃げ出して不法滞在者になれば相応の責任が発生するだろう。
つまりこの話は傍観者になることも出来た増田がそういったリスクを飲み込んで彼女を助けたいと思って選択肢を提示して(そもそもそんな選択肢すら与えられずに今もミサイルに怯えている人の方が圧倒的に多数)、増田を信頼できると思った彼女がその提案に乗ったと言う話であって難民の苦境につけこんで嫁を娶ったと言うような話では断じてない。
俺には元増田とウクライナ人の彼女が戦火と貧困という苦境から抜け出して何とか幸せになろうのもがいている二人にしかみえない。戦争がなければもっとゆっくりと対等に関係を深める事もできたのではないかと思う。それを奪われて難しい選択肢を迫られた二人は明らかに被害者だろう。その理不尽さに対する怒りはロシアとプーチンにぶつけるべきなのに、増田にゴミみたいなブコメを投げつけるブクマカはこれ以上他人を傷つける前に今すぐにアカウントを消せ。
ガロは書く人も居なさそうなので、元読者の義務感に駆られて書いてみた。リアタイで読んでいたのは80~90年代の一部なのでいろいろ偏っているとは思う。選択の基準としては、漫画史的な重要性や、後世に与えた影響を優先した。バックナンバーや単行本やアンソロジー、関連書籍(が多いのもガロの特徴ではある)などの知識も動員したが、記憶に頼って書いているので誤謬などはご容赦。むしろ先達からの突っ込みが欲しいです。なお、ガロ分裂後のアックス誌の作品にはここでは触れない。
まずはなにを差し置いてもこれ。そもそもガロという雑誌の創刊自体が長井勝一による「カムイ伝」を掲載する媒体を作りたいという並外れた理由によるもので、「ガロ」という奇妙な誌名も作中人物の「大摩のガロ」から取ったものだった。どちらかと言えば現在では「読まれない」作品になりつつある印象なので当時の熱狂を図るのは難しいが、漫画史的には「どうやら漫画という媒体は歴史的・社会的な諸問題を描き得る(と読者に思わせた)」点がエポックだったのではないかと思う。今であればそんなもん当然だろうと思われるかもしれないが、所詮我々はこのような巨人の肩の上にいる。
つげ義春がガロ誌に発表した短編は悉くが傑作なのでとても一本に絞りきれるものではなく、作品の完成度からすればむしろ「ゲンセンカン主人」や「赤い花」ではないかとも思うのだが、後世に与えた影響の大きさを考えればこれを選ばざるを得ない。「見た夢をそのまま描いた」という誤解を受けることも多い本作だが、実のところは多種多様なコラージュや巧みな漫画的技法に満ちていて、きちんとした作為の下に統制して作り上げられた「シュール」の傑作であることがわかる。
若い男女の同棲と破綻の物語と描けば無数の類例が思い浮かぶが、1970年の発表当時には極めて新しかったはずである。なにしろ婚前交渉などという言葉が現役だった時代だ。主人公の職業がアニメーターというのも新しく、しゃれていたのではあるまいか。この作品の画期は、漫画に「俺たちの等身大の青春(あるいはそのように夢想したいもの)」を持ち込んだ点だったのではないかと思う。林静一の洒脱な絵は上村一夫などによる後続作に比べても洗練されていて、今見ても色あせない。
漫画(に限らず表現)とはなにものかを描かなければならないのだというドグマがまだ有効だった60年代、漫画から意味というものを完全に取り去ってしまった佐々木マキの一連の作品はセンセーショナルであったらしい。画風はおそらく杉浦茂の系譜にあるのだが、もはやナンセンスという言葉も不適当だと思われるぐらいに徹底して意味や物語は排除されている。その衝撃は若き日の村上春樹にもはっきりと影響を与えたらしく、のちに佐々木は村上の著作の挿画を担当することになる。
簡素な絵でナンセンス漫画を濫作していた滝田ゆうが、心機一転、自らが少年時代を過ごした戦前の私娼街・玉ノ井の風景をおそろしく緻密な絵柄で描き出した。「三丁目の夕日」的なノスタルジアものの先駆ではあるが、最終回、戦火は玉ノ井の街を焼き尽くして終わる。ここに描かれているものは、卓抜した記憶力と画力により再構築された、失われて二度とよみがえることのなかった風景なのである。
ここまでは疑いなく殿堂入りの作品が並ぶが、ここからは判断に迷う。70年代ガロからは永島慎二や宮谷一彦を外してはいけないかもしれないのだが、活躍のメインはガロ誌ではなかった作家だし、やはり当時の熱狂を現在から嗅ぎ取るのは少々難しい。安部慎一や花輪和一、古川益三(のちのまんだらけ社長)の諸作品も思い浮かぶけれど、ここでは作品の強度と詩情、卓抜した画力を取って敢えて鈴木翁二で。
これも当時の衝撃をいま追体験するのは難しいのかもしれないが、ヘタウマや不条理がどっさり詰め込まれた本作が半世紀近く前のものと考えるとやはり衝撃的だし、こういうギラついた脳天気さは、結局は80年代「軽チャー」の苗床になったのではないかと思わされる。
80年前後のガロにはニューウェーブにカテゴライズされる作家も少なからずいて、例えば川崎ゆきお、蛭子能収、ひさうちみちお、奥平イラなどが挙げられるのだが、個々の作品への愛着はさておいて結局のところ今に至るまで強い影響を与え続けているのはむしろニューウェーブの埒外にいた丸尾末広ではないかと思う。圧倒的な画力は漫画のみならず演劇や音楽にも影響を与えたし、世代を超えたファンも多い。なお本作の初出はガロ誌ではないのだが、代表作として外せないのと単行本は青林堂だったのでご容赦を。
80年代ガロではこの人の名前も外せない。「過激な」作風と言われ「特殊漫画」を自称他称もしている人ではあるけれど、実のところは非常に息の長い物語を紡ぎ出せるストーリーテラーでもあり、日本の近代史や土俗性を容赦なくぶち込んでやるから覚悟しろよというぎらついた野心も垣間見える。その試みがもっとも巧くいった作品の一つが本作。水爆投下とともに発射された精子が自我を持つ話です……と書くと面白そうでしょ?
ガロ最末期の90年代から一人と考えて、古屋兎丸や山野一・ねこぢるなども思い浮かんだけれど、漫画表現の圧倒的な強度に鑑みて本作を選んだ。この地上には存在しないはずなのによく知っている風景がどこまでもどこまでも展開される。いつかうなされながら見た夢が、ここに具現化されているという驚き。「ガロがなければ世に出ることのなかった」作品の一つの頂点であると思う。逆柱作品はどれをとっても傑作なのに単行本の多くは絶版で、とんでもないプレミアが付いてたりする……。
・個人的にはつげ忠男の大ファンで、実際「無頼の街」「河童の居る川」など傑作も数多いのだが、漫画史的重要性を優先して涙を呑んだ。
・赤瀬川原平も言及に迷ったけど、ガロ誌での漫画作品(『お座敷』など)よりも、その外での活躍が多かった人という印象なので選外に。ガロ系の作家ではこういう人も多いのですが。
・「ガロにおける有名作家」という問題もある。水木しげるに矢口高雄に池上遼一といったビッグネームもあれば、のちのどおくまんも一度作品を掲載しており、末期ガロにも吉田戦車のような意外な面々が顔を覗かせる。珍しいところでは、SPA!誌で掲載を断られたゴーマニズム宣言の回を小林よしのりがガロに持ち込んで掲載された例がある。
・ガロ出身で他誌で活躍することになる人も多い。上記の他、新しい世代では花くまゆうさく・福満しげゆき・東陽片岡・古泉智浩あたりか。
・80年代ガロでかなり迷ったのは、トラバでも言及のある久住兄弟や泉晴紀・泉昌之、渡辺和博などの面々。このあたりのナンセンスな作品群はわりと影響も大きかったようなんだけど、作品単体でどうこう言えるものが思い当たらなかったので除外。
・つりたくにこ・やまだ紫・杉浦日向子・近藤ようこといった女性作家たちの極めて良質な作品についても言及しておきたい。特に津野裕子は最末期のガロに、寡作ながら優れた作品を残した作家で、機会があればぜひ一読をお勧めします。
・その他、この10選に選ぶには及ばないけれど間違いなくその人にしか描き得ない作品を残し、ガロという媒体がなければ目にすることもなかったであろう作家たちについても、その名をリスペクトしておきたい。淀川さんぽ、とま雅和、谷弘兒、三橋乙耶、菅野修、等々……。
・90年代ガロは文章ページが(文章ページのほうが……)充実してた感があり、呉智英や四方田犬彦など結構な面々が連載していた。
・投稿ページの「4コマガロ」も相当(雑誌のカラー的な意味で)レベルが高く、ここ出身の有名作家が福満しげゆき。
・同時期にやっていた「ガロ名作劇場」という好企画があって、90年代前半時点では入手困難だった作家を含め、ガロ出身の名作家を回顧的に紹介してくれた。林静一「まっかっかロック」なんてものすごい衝撃受けたし、楠正平や勝又進なんてこんなことでもなければまず読むことができなかった作家だったと思う。
・ねこぢるはやはり入れるべきだったかなーという迷いは今でもあり、代わりに削るとすればペンギンごはんか鈴木翁二か。リアタイ勢だったんだけど初読の際の衝撃は今でも覚えていて、90年代サブカル的にはわりとよくあった「無邪気な残酷さ」が普遍性を持ち得た希有な例だったんじゃないかと思う。(その点では山田花子には自分は少々点が辛い)
・>ビレヴァンいけば売ってる? >なんか漫画系のサブスクはこういうのの乗っかってどんどんセット売りとかして欲しいよな。
これは本当にそう思うところで、ガロの名作群はとにかく作品へのリーチが困難。古川益三の作品なんてマジで読めないし古書には衝撃的な値が付いてたりする。電書にするにしたってタダじゃないのは分かってるけど、なんとかならんかな。
・>「ガロ」はフォロワー・影響度では計れない作家作品が多すぎて。簡単に真似されるような作品はガロ的ではないとも言えるし
これも本当に同感で、孤立峰みたいな作家が多すぎるんだよなー。熱を込めて語られるけれど模倣はされない、って、表現としてはすごいことなんだけど。