はてなキーワード: シャットアウトとは
英語と韓国語を少し勉強してわかったがそもそも日本語のコミュニケーションも苦手だ。コミュニケーションというものそれ自体が苦手なんだ。旅先で路上のハトをみるたび「このハトはどの国のハトとも通じ合えるんだな」と感慨深くなる。なぜなら言語を持たないから。いや、ほんとうにそうか?A地域のハトは「ポッポー」があいさつでB地域のハトは「ポポッ」があいさつかもしれない。あいさつのある地域とない地域があるかもしれない。言葉とは鳴き声のパターンだと最近つくづく思う。共鳴することそのものが快と感じるように生き物はできている気がする。わかる。わかるんだけど私は上手くハモれない。「休みの日とかなにしてるのー?」なんて雑談もハモりやすいように投げかけてくれているだけなのにそこに意味を見出してしまい歌詞の意味を考えているうちに乗り遅れて合唱は終わっている。誰かとうまく歌えるようになりたい。雑談を振られるとどうしても何かジャッジされると思い込んでしまうので人と話す前は「鳴き声鳴き声鳴き声共鳴共鳴共鳴」と唱えてから挑む。そして雑談が終わった後は「失敗した…」と内容を振り返って落ち込んでしまう前に「ちょっと歌がズレただけ」と意識をシャットアウトする。会話が鳴き声の共鳴だと気づくまでに随分と長い時間がかかってしまった。ずっと誰とも会話できている気がしないなと思っていた。そもそも「共鳴は快である」という前提を知ったのが最近だから、OKOKと思っている。だけどもさ、と独唱で転調してみるのですが、私は合唱でうまく馴染むことができず教室を抜け出して人知れず鼻歌うたって帰ってるような人のことが大好きなんですよね。こんなに私はこの世界のことを少しでも理解してせっかくだから順応しようとしているのに、自分が死んだら世界も死ぬし意味ないじゃんと思う。そういえば、年齢的に子を持つこと・持たないことを検討するようになり、自分が生まれたこと、いま意識があり思考があることとかまで考えを巡らすようになった。そう思うと、いま意識があること、ひいては世が存在するということは親の気分みたいなところに左右されており、この世はなんて心許ないんだと愕然とした。もっと壮大で強烈なものに裏付けらていると思っていた。この世、この生、儚ね〜、大事にしよ。もうこの歳になると学歴とか会社とか、この世が幻想だなあと自分の世界の捉え方がふわりとしてくる。世のジジババが孫に対して甘々なのってそういうことなのかなあと思う。幻想とわかった上で幻想を楽しめる歳なのだろう。ところが不思議なことに、私のジジババは最後までずっと幻想を信じていたな。祖母は当時もう80とかなのに、私の進路についてあれこれと口を出してきていた。幼い頃から〇〇ちゃんはこの大学かこの大学に行くのよと言われ勉強を教えられていた。浪人して芸大に行きたいと言った時は、どうか普通の〇〇ちゃんに戻って、浪人するなら縁を切る、この敷居を跨ぐなと言われた。芸術系浪人なんか全保護者を不安にさせる進路を選ぶ自分にも完全に非があるのだが、当時はこの老人とはこんなにも意志が通じないのかとに驚くばかりだった。私は80近くになってもこの幻想にそこまで執着できるとは到底思えない。バイオレンス婆は、文字通り普通に虐待をする。長い物差しで人の頭を執拗に叩く。孫の私にはさすがにしたことがなく、母はよく「おばあちゃん丸くなったわ」と言っていた。そんなバイオレンス婆に育てられた母は運良く反骨精神の持ち主で、祖母と繰り広げたバトルをコミカルに私によく話してくれた。中学生の時自分の部屋に仲間を集めて祖母にバレないようにシンナーを吸っていたのが楽しかったとか、万引きのスリルとか、夜な夜な窓から飛び降りて遊びに出かけていたとか、無免許でバイク事故して病院に行けず祖母にもバレないように必死に隠し、今も腕にぶっとい傷跡が残っているとか。わかりやすいヤンキーに仕上がったようだ。口酸っぱく祖母に「先生と呼ばれる仕事に就きなさい」と言われていて、女子短大を卒業し祖母のコネで幼稚園の先生になった。快活で子供にすぐ懐かれる母には向いていたと思うのだけど、母は幼い頃から絵を描くのが好きで、デザイナーになることを諦められなかったらしい。頭から血が出て何針か縫うくらいの祖母バトルを経たのち、昼は幼稚園で働きながら夜はデザインスクールに通い、なんとかデザイナーになった。といっても版下とか、テレクラのPOPのデザインみたいな仕事だったけど、それでも母はデザイナー時代のことをいつも楽しそうに話していた。そんな母はまた、自分がいくら願っても叶わなかった幸せな家庭という幻想を見ていた。祖母のように、子を縛ることなく、どんなヤンチャをしても一緒に面白がり、あんたはほんまアホやな〜っていつでもふざけ合える家庭。きっとそういうものを夢見ていた。本当に申し訳なくなる。母は仕事を辞め結婚して専業主婦になった。私と母は本当に、本当に性格が合わなかった。こればかりは、いくら血縁関係でもこういうこともあるんだなと思ってきた。それでも努力して近づこうとしていたとは思う。一度もまともに通じた会話ができたことがない。母は幸せな家庭という幻想を夢見て、とにかく真面目で無害そうな父と結婚した。殴ったりしなければOKという認識だったんだと思う。父と母が会話で盛り上がっているところなど見たことがない。価値観も趣味も性格も真逆で、側から見てもお互い苦手なタイプでしかないと思う。子供ながら、お互い家庭という幻想のために結婚したんだなあとなんとなくわかっていた。私は父に似てしまった。とにかく物心ついた頃から、母は私のことが気に食わなかった。気に食わなかったんだなと思うことでしか、説明がつかないことが多すぎて、そう思うようにしている。なんだかずっと怒られていたというより、ずっと罵られていた。母は私の自虐でしか話を聞いてくれなかった。何を話しても否定から入られるので、家で何も話せなくなった。実家にいた時はずっと、教室に一人は必ずいるガキ大将と暮らしているような気持ちだった。母は夢見ていたはずの家庭がこんな惨状になってしまったことのすべてが気に食わず、ずっと機嫌が悪かった。もともとも性質かそのような家庭環境なのかわからないが、私は人とうまく会話するのが下手で、一人で没頭できる勉強や読書が好きな子供だった。そういうのがさらに母は気に食わなかった。どんな親だよとは思うけど、極端に言えばもっと万引きとかして欲しかったんだと思う。現代の陰湿なほうじゃなくて仲間とカラッとやるような万引き。そんで警察によばれて頭をスパーンと一発叩いて「アホ!!!帰るで!!」ってやりたかったんだと思う。ぱっちりと目が大きく美人で筋力がある母に似つかず、全て父に似て地味な顔で運動ができない太った根暗になった。母の幻想である娘を私は上手く演じることができなかった。一方祖母は、教育という幻想を再び見てしまったのだと思う。そこまでしんどい思いをせず勉強ができてしまう私に勝手に期待をした。母は、祖母の幻想を叶えられる存在としての私に対しては、まんざらでもない様子なときもあった。ところで、祖父や父はこういうとき何をしていたのかというと、何もしていない。何も言わない。記憶にない。ずるいよね。母はきっと心から安らぐ幸せみたいなものを感じたことがないのかもしれないと勝手に不安になる。けど母は自分の家庭を持つという幻想を成し遂げた、殴ったりしてないしOKOK、それが満足だと思っているはず、と言い聞かせる。ところで不思議なことに、私はかつての母と全く同じグラフィックデザイナーとしていま働いている。何も気が合わないのに特技だけは遺伝した。人との会話が何十年も成り立たない中で、視覚的な共通言語でものが通じることが自分の救いになったのがデザイナーになったきっかけで、決して何かを教えてもらったこととかは本当に一度もない。そもそも母も私も絵が描けるのは、祖母が書道家兼芸術家だったことが遺伝情報としては大きくて、(だとしたらなぜそんな教育幻想と暴力に囚われてしまったのかは本当に私が教えて欲しい)、わたしたちは相互に歪み合いながら螺旋を描いている。祖母も母も、芸術センスみたいなものは遥かに私より良くて、そういった面でふたりのことは尊敬しているし、破天荒な人間性も面白くて好きだ。けど、もう最小限でしか関わりたくないし、こういうのは距離があった方がいい関係が築ける。私含め3人とも地球規模で見れば息は長くないのだし、それぞれができるだけ幸せであればいいと願っている。東京にいると、そういうタコピーみたいなふわふわことが思えてしまうのだから怖いなと思う。たまに地元に帰るとあまりにも地に足がついてずぶりと沈みそうになる。地元とは幸せみたいな言葉が嘲笑される地域のことを言う。その地域にはその地域が共有している鳴き声のパターンがある、それだけの話。
優しすぎる...!返信不要と書いてくれてたけど少しだけ。
>鬱になる前から不機嫌で人をコントロールするきらいがあるようなら、スキーマという考え方のクセがうつのトリガーになっている可能性がある。
これびっくりした、鬱になる前から怒ると無視してくるか会話も家事育児も全部シャットアウトして部屋に引きこもってしまう系なので...まさに、と思ってしまった。財布事情がかなり厳しいからすぐやる!とは言えないけれど、選択肢としてこの知識を授かれたのは強いなと思った。心配も色々してくれてありがとう。また長文愚痴増田やってるかもしれないけど(笑)、ぼちぼち過ごしていけたらと思う。
とある配信者がジークアクスを一気見したことをポストし、週末にやる雑談配信で感想を語りたいとポストしていた。
その方はもともとガンダムを見ていなかったが、視聴者の世代もあってか見てほしいというコメントも多く、ようやく時間ができたので一気見したので色々感想を語りたいという話の流れだった。
同接50人前後であり、雑談配信がはじまってジークアクスの話題になると一部のコメントから
「最終回が放送されたからってすぐに感想配信をするのは辞めてほしい」
と自分がまた見ていないから話題にすらしないでほしいと荒れ始めていた。
それぐらいならまだしも、discordで配信者のコミュニティでもネタバレはよくないと書き込んだり見てない人への配慮が足りないと色々文句がつられていた。
それに対しネット配信やニュースもあるからネタバレを完全に避けるのは難しいよねってレスをすると、チャンネルをミュートしたのでそういう意見は求めていませんってさらに荒れていき
最終的に配信者がもうアニメやコンテンツの話題は一切禁止です、雑談でも取り扱いませんとシャットアウトすることとなった。
https://anond.hatelabo.jp/20250627100609、https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
https://anond.hatelabo.jp/20250628122821
最近、推し活とかZ世代マーケとかで、やたらと“意識高い系ベンチャー”が増えてるけど、その中でも特に目立つのが株式会社Oshicocoという会社。
「推し活マーケティングのパイオニア」とか言って、テレビや新聞、ネットニュース、経済系メディアにもよく登場している。代表の女性も、Z世代の象徴みたいな扱いで露出していて、「共感型マーケ」「好きで生きる」とかのワードでバズらせてる。
でも、そういう“パブリックイメージ”とは裏腹に、実際の中身はかなりグレーというか、コンプライアンス的に見過ごせないことがいくつもある。
これは私の個人的な意見ではあるが、すべて事実に基づいた問題提起のつもりです。黙ってたら何も変わらないと思ったから書きます。
2024年末、Oshicocoが公開したブログ記事にて、某有名アイドル事務所の所属タレント(川村文乃さん)の画像が無許可で掲載されていた。
で、普通の企業なら「申し訳ありませんでした」で済ませるところを、Oshicoco側は“これは引用です”“公益性があります”みたいな法律用語を持ち出して反論してきたらしい。たぶん顧問弁護士が関わってるんだろうけど、言い訳としてはかなり無理がある。
著作権を守るべき立場の企業が、他人の「推し」を勝手に使って、それを指摘されても居直るって、推し活ビジネスとして致命的じゃないかと思った。
Oshicocoは、インフルエンサー施策において「投稿の事前確認ナシ」「PR表記なしでもOK」というプランを正式な商品として販売してる。
これ、どう見ても消費者庁のガイドラインに抵触しそうな内容。Oshicocoは必ず事前チェックをしてると言い張ってるけど、実際そうだと思えない。
たとえば、X(旧Twitter)やInstagramで、オタクっぽい人が「このグッズめっちゃよかった〜」って呟いてたのが、実は企業案件だった――なんてことが、今後増えてもおかしくない。
しかもその裏には「表記しない方が反応率が高い」「自然に見える方が売れる」という露骨な“利益第一主義”が透けて見える。
“共感マーケティング”の看板の裏で、やってることがこれってどうなの?
Oshicocoは「推し活女子のリアルな声を企業に届けます」みたいなリサーチ系の施策もやってるけど、そのデータ収集の過程がかなり怪しい。
InstagramストーリーやGoogleフォームでアンケートを回すときに、明確なプライバシーポリシーが提示されてないことがある。フォームに何の目的で、どこまで使うのか、誰がアクセスできるのかも不明瞭。
要は、クライアント企業に高額な価格を提示して、「推し活層のリアルなインサイトが取れる」っていうのが彼らにとっては武器なんだけど、“無料で使い捨てられるオタクの声”として扱ってるように見える。
こういった指摘が外部から出てくると、Oshicocoは「誹謗中傷です」「事実無根です」「弁護士に相談しています」で切り捨ててくる。
たしかにネットでは根拠なく叩く人もいる。でも、著作権侵害とかステマまがいとか、明確な証拠や資料がある問題まで“誹謗中傷”にまとめてしまうのは不誠実すぎる。
ユーザーからの疑問や不信感を、全部「攻撃」に分類して排除してたら、いつか本当に信頼を失う。
テレビや新聞に出てる企業=安心、という感覚はもう通用しない。
むしろメディア露出が多いからこそ、その裏側に潜むずさんさが露見したときのダメージは大きい。
Oshicocoは、外見もパッケージも洗練されている。だが、誠実さの部分で揺らぎがあるなら、そこは見過ごしてはいけない。
「推し活で人をエンパワーする」
そんなことを掲げている会社が、
指摘には逆ギレ、都合が悪ければ“誹謗中傷”扱い、オタクの声は利益の材料。
そんなの、愛じゃなくて搾取だよ。
Switch2が出てきて、相も変わらずXは「転売=絶対悪」という大合唱だ。
品薄のたびに「転売ヤー死すべし」だの「市場の敵」だの、罵倒語がタイムラインを埋め尽くす(転売は違法じゃないが、罵倒は違法なんだが…)。
しかし転売そのものを悪と断定する根拠はどこにもない。むしろ「転売禁止」を叫ぶ側こそ、市場の原則も、経済活動の自由もすべて殴り捨て、感情だけで噛みついているのである。
まず第一に、転売憎しの声は、大雑把に言えば、自分が定価で買えない不満と、楽して儲ける奴への嫉妬(もちろん楽ではない)の合わせ技だ。
驚くほど論拠が脆弱で、倫理っぽい言葉を並べても具体的な損害の根拠は示されない。
ここで、Xできたクソリプを紹介しよう
情に訴える典型例。そもそも権利の所在は任天堂→小売→購入者に順々に移るだけ。誰が買うかは市場が決めることで、衆愚が決めることではない。
ならば家賃、食料、光熱費など必需品と比較し、Switch2が社会インフラ並みの必要性を持つか? 話はそこで終わる。安く贅沢をしたいだなんて我がままに過ぎない。
また、市場経済はそもそも需要と供給の差分を価格に反映させる仕組み。希望小売価格は推奨値であって、固定価格ではないのにも注意が必要だ。
まあ、要するに「買えない悔しさ」と「正義を気取って転売ヤーを殴る快感」が結託しているだけ。倫理でも法律でもなく、単なる感情のガス抜きにすぎない。 <h3>o- **</h3>
中学の公民の教科書を見返してほしい。市場価格は需要と供給の交差点で決まるとしっかり書いてあるはずだ。
「転売屋が価格を釣り上げる」という非難は、実は需給調整メカニズムそのものを否定しているに等しい。
要するに、転売屋が存在しても「買い手が納得する値段で取引が成立した」という事実は変わらない。
さらに言うと、転売によって、「高い金を払ってでも今すぐに買いたい」という人の選択肢が生まれるのだ。
転売屋は転売屋に噛みつき、罵倒を繰り返すだけで何も産み出さない正義マンよりずっと需要があり、市場の役に立っているというものだ。
任天堂の転売対策ガーという批判も的外れ。そもそも、任天堂に転売を止める強制力はないし、
そもそも、任天堂は、転売を完全シャットアウトする技術的手段を用意していないわけではない。
海外のような市場価格に応じた値付けを徹底する、顔認証付きチケットのように本人確認を徹底する、品薄商法をやめるなどの対策をとればいい話だ。
ではなぜやらないか? 答えは「転売対策をしてます」のアナウンス自体が好印象の演出にすぎないからだ。
「お金さえ出せば解決できる」というのは、シンプルな世界観でありながら、場経済の大原則であり、別段新しい話ではない。
メーカーは意図的に供給を絞り、転売屋は市場価格を補正する仕組みは、非常に効率的に機能している現実から目をそらしてはならない・
重要なのは、上級国民&ネポベイビーのやりたい放題に、NOを突きつける以上の意味はないことを自覚すること
これは『やりたい放題に対する拒否であって解決ではない』から 日常の改善はない
理想は対立ではなく、対話・調和なんだけど、アメリカもあんな調子だし多少はね?
⸻⸻⸻
別に『どうせ改善はないなら、空白を作らないためにやりたい放題に目を瞑る』でもいいぞ
NO か YES どっちでも好きな方選んでええで
白紙投票(バカ。最大限に贔屓目に見てアーティスト)以外ならなんでもいい
れんちゃんの件が血肉になってるといいけどね
「荷造りどうですか?」としか書いてないのになんで欲求の透明化だのの話になるんだ?その一言だけなら普通に考えて「荷造り(の進捗は)どうですか?」であってどう考えてもこの答えない旦那がおかしいだろ
はいじゃねーよ、自分の分どのくらいできてるとか余裕あるとかないとか提示すべき情報があるだろ、2人で引っ越すならどう考えたってお互いに当然自分で荷造りすべきであり相手には把握できない部分があるはずなんだから
それに残作業量はまだしも相手の可処分時間や処理能力を完璧に把握なんかできるわけないんだから、見ただけじゃ進捗の良し悪しなんてわからない
仮に元増田の意図がわからないとしても「どうって何?」くらいの応答はあってしかるべきだろ、会話なんだから
どうですか?という聞かれ方が嫌ならそれこそもっと具体的に質問してくれと旦那の方から要求したっていい
そのどれもなく無視からの「はい」って、答えになってないわけで、あなたとまともに会話するつもりはありませんという意思表示でしかない
それに対して、これから夫婦になるっていうのに本気でまともな会話するつもりがないのか確認しているのが、元増田の「話を広げようとは思わないんですか?」以下の発言だろ
こっちは確かに確実に婉曲表現だしそりゃまともにコミュニケーションとってほしい欲求が裏にあるだろうが、相手に責任を押し付けてるというよりは、当然あるべき責任の所在を確認してるだけだろ
夫婦がまともにコミュニケーション取るなんて当たり前のことで、そもそも共同体を構成する人間二人として当然の責務であって、その責務の共有は一方の個人的な欲求なんかじゃなく二人ともが夫婦をやるにあたって果たすべきものだろうが
平成一桁台生まれ、親にはとにかくぶっ叩かれながら育てられた。
高校中退の父親には安全靴で小石みたいに蹴られまくり、母親には平手で叩かれたり殴られたり、勝手に所有物を捨てられたり壊されたり、裸で外に出されて鍵閉められたりもしたな。
クソ田舎とはいえガキの泣き叫ぶ声は聞こえていたと思うが、近所の奴らは特に何もしてくれなかった。まあそんなもんだよな。
父親は暴力の擬人化だったので人格を語るべくもないが、母親は「きちんと育ってほしいから殴って躾けている。殴っているこちらも痛いが、お前のためを思ってしていることだ」と主張していた。筋が通っていると思ったので、18歳頃まで素直に殴られ続けていた。
で、大人になって子供を持ったわけだが、本当に自分の子供に手を上げる親の考えが分からなくなった。
だって可愛いとか可愛くない以前に、ひとつの人格を持った他人だろう。自分の子供だからとか関係あるか? 暴力に訴えるのがいけないということは大前提だろう。他人の子供を殴ったら逮捕されるのに自分の子供を殴るのは許されるなんて、なんだかその部分からしておかしくないか。今はちゃんと許されてないのかもしれないけど。
で、自分の子供を育てるにつれ、親があの冬の夜に泣き叫ぶ俺を素っ裸にしてせせら笑いながら表に出したこととか、「避けるなよ」と手で庇うのも許さずビンタし続けたこととか、安全靴の土とゴムの匂いとかあれが腹にめりこむ感覚とか思い出して、思い出しては子供の顔見て、あり得ねえよなって確信して、どんどん許せなくなるわけ。
その一方で、バカガキは痛みを以ってでしか学習できないっていうのも分かるんだよ。行儀のなってない奇声ガキに遭遇するたび(殴ってでも躾けろや)って苛々するし。苛々して、かつての親が自分の中にもいるのを自覚して、落ち込んで、せめて自分はガキの頃の自分に欲しかった理想の親を演じ続けようと思うわけだけど。
ちょっとは分かりあえるかなと思った、いわゆる毒親持ちの相手に自己開示したら「親も親という他人。そのことを理解して許してあげて。それができないのは子供ですよ」とか、優しげな笑みのまま言われるわけだけど。
何が正しいんだろうな。
でも何が正しくたって、俺は許せねえんだよ。
親とはもう連絡をとってない。遠方に住んでるし、携帯も着信拒否にした。何度か叔母づたいに連絡が来たけど、幼少期にされたことが許せない旨を伝えてシャットアウトしてる。あんなバケモノどもに大事な人たちを会わせたくないし。あれに会うことで自分の中のバケモノが惹起されて、今の生活を壊してしまうのも怖いし。
孫の顔は二度と見せない。近況も送らない。葬式にも出ない。これが報いだと思うのかな。思わねえだろうな。子供のままでいいよ。あいつらの心なんか一生分かんねえもん。
この文章は一見、「アンチフェミ的な言説の危険性を冷静に分析して警鐘を鳴らしている」ように見える。しかし、よく読めば、筆者自身がまさにその批判対象と同じ構造の論理を無自覚に踏襲してしまっている点が重要である。
あァ!? 「異性のパートナーがいねぇ奴は弱者男性」だァ? ふざけんじゃねぇよ。
そもそもよォ、交尾相手がいないことが、そんなに人間としての欠陥か? バカ言ってんじゃねぇ。
交尾なんざなァ、猿でもできらァ! 木の上でキーキーやってりゃ済む話だ。
その程度の行為を、人間様がありがたがる必要がどこにあんだよ。オツム腐ってんじゃねぇのか?
俺ァよ、わざわざ言っといてやるが、こちとら猿なんぞと一緒にすんなって話だ。
お前らみてぇなボス猿気取りの奴らは、メスを侍らせて悦に浸ってんだろうがよォ。
だがなァ、俺等ニュー人類はそんな低次元なマウント合戦にゃ興味ねぇんだわ。
進化した脳ミソと理性をフル稼働してんだからよ、交尾の有無で価値を決めるなんざ前時代の遺物だ。
お前らみてぇな原始人とは、生きてる次元が違ぇんだよ。分かったか? オォ?
そもそもよォ、群れの序列でしか自己肯定できねぇって時点で、貧弱な精神の証拠だわ。
そんなもんに縛られてるってことはなァ、自分の価値を他人任せにしてるってことだ。
哀れだなァ。自分で自分を認められねぇ臆病者どもが、数合わせのメスで心の穴埋めしてるわけよ。
でもなァ、俺たちニュー人類は、自分自身の知性と行動で価値を決めるんだわ。
群れに依存せず、一匹狼で強く生き抜く。それが真の強者ってモンよ。
テメェらボス猿どもがどれだけイキり散らそうがなァ、その薄っぺらい優越感なんぞ、
俺たちニュー人類の足元にも及ばねぇ。
見ろよ、てめぇらの目は欲に曇り、耳は承認欲求の泣き声しか聞こえねぇ。
だが俺たちはちげぇ。雑音をシャットアウトして、黙々と自分の道を行く。
それが何よりの強さだ。異論は認めねぇぞ。