はてなキーワード: 生き方とは
聞いてほしいというか、今日も3時に起こされて寝れなくなったから書くだけなんだ。読まなくていい奴。
でもちょっと説明がてらどっかに投げつけたくて書いておこうってなってわざわざ登録した。
目下の悩みどころは親が痴呆の入り口でグレーゾーンにあること。
こんな時間に起こされたのもそれと関係ある。というかダイレクトに電話が着て起こされた。大体時間は4:30~5:00。これが2日に1回ある状態。
今日はまだ罵倒されなかったし、使えないとか信用できないとかも言われてないし。何より暴れてないから呼び出しではない。それだけでもだいぶ心安らかでありがたい。
様々な状況を省いて言うと今男親の方が結構なマダラ状態になっていて、保険を使って病院に入ってもらっている。
なんせ今日が何日どころか、予定の有無や体の具合も自分で把握できない状態。そのうえそのくせ、手元にあるお金は全部使いきらないと気が済まないしCMとかの広告にめちゃくちゃ乗せられやすい性も相まって目についたもの全部に手を出してしまう。透析をしている身で透析前後にコンビニに行って買い食いしていることが毎度なうえ指摘するとそんなことはしていない、買って帰ってきたものを隠す、隠しているカバンを触るだけで怒号。
そして一番手こずっているのが「自分ができない認識を否定する」、どうしても年取ればできないことが増えるし、それを認めたくない心理があるのもわかる。けどその気持ちを自分が把握しておらず、元々の「見栄を張りたいから手伝いをめちゃくちゃ嫌がる」のに「命令や指示はしたい」という気持ちが抑えられなくなってしまうようだ。
このコンボが発動している中で一緒に暮らしていると、小間使いみたいに毎時間洗濯物を投げ寄越され、何で金が使えないんだとせびられ、体調が悪いという愚痴を聞かされ続けた上にでかけて人と会うと不機嫌になって帰ってくるか、しこたま酒を飲んで気持ち悪い医者に行くと駄々をこねる(透析の医者に行くと叱られるので、透析しているのを隠して内科に行ったこともあった。シャントがあるから一目でバレたみたいだけど)。それ以外の時間?ずっとテレビみて通販させろって言われる。グルコサミンで腎臓は治んねぇよ。
私は子の立場だからまだ向けられるものにセーブがあってよかったんだけど、母の方がこれに音を上げた。当然だと思う、透析食を3食全部計算して手作って(計算されたパックのお弁当も頼んだけど、パックのお弁当だというだけで拒否反応を出した。なお皿に持って出したら食べる。人の苦労を食べる妖怪かなんかかな)、それを無視してファミチキ食べられてる上に指摘すると怒るんだもんな。
ので、透析じゃない他の病気で入院したのをきっかけに家の工事をするからって居ててもらってる。
入院すれば、家にいた時と同じ対応はしてあげられない。当然だ、母はそもそも「父はきっとボケる」と確信していてそのための対策をずっと打っていた。趣味も合わなきゃ共通の話題もないし話題を合わせることもしない、なんなら娘が家から出た一月後にはストレスで10円剥げを作るくらい父とそりの合わない母が。毎日声をかけて、運動だなんだと散歩にだし、わけもなく風呂をさぼりたがる尻を叩きしてやっとこさ保っていた認知能力だ。そんな24時間心づくしの声かけとかで残りの人生全部使えっていうの無理なんよ、おかげさまで母の方もちょっと気を許したタイミングで体調を崩して入院したわ。
それくらいしていても入院前は麻雀に勝てないからと自治体のレク会を無断で途中スっぽかして帰ってくるくらいのことはしていたから、もう限界ではあったとは思っている。これは私が思いたいから、思っているだけかもしれない。
そんな環境がどれくらい贅沢だったのか、入院してからは目に見えて、というかほぼほぼ毎日、「訳が分からない」状態になるんだ。家にいる時でも寝て起きた時・疲れてきた時に起こっていた不穏な行動が顕著になった。もともといら立ちや不安を攻撃性として出しがちな人だったけど、「自分が訳が分からなくなっている」ことによる不快・不安・いらだちその他もろもろに「帰りたい/帰ればどうにかなる」という指向性が付いてめーーーちゃくちゃ行動的になってしまった。帰るんだって着替えて荷物もなしにエレベーターを待っていたり、止めようとした看護師さんに平手が出ちゃったり。
実際の加害を第三者が目撃するケースが重なると「流石にお年を召したご夫人と同居はちょっと……」と家族隔離の話が出てくる。それにのっかって、私も自分の家に帰ってきたんだがこれも長くは続かないよな……というのが今現在の状況。透析とアグレッシブ不穏が重なるとほぼほぼ施設や病院からは渋い顔をされてしまう。受け入れてくれる施設と病院とを往復するような感じで滞在期間を引き延ばしている事になる。
父の不穏を落ち着かせる一番の方法は重々わかってる。「安心させてあげること」一択。家に帰って、甘えられる妻がいる。自分はちゃんと大人がやれているんだと対外的にアピールできる状態。
いや何故対外的にアピールしなきゃいけないのかがよくわからないしきっとよくわかられないんだろうけどなぜか必要らしい。たぶん自尊心的なところで「大人に必要な条件」としてあるんじゃないかと思う。思う、というのは、私が仮定できるようになったのも最近で母にいたってはもはや理解を放棄していたくらい「別の生き物」として接していた。私が察せられている……だろう!と言ってるのは、私の方が父に近い感覚を持っていると感じるから。「よくわかんないけど人間ってこういうことするんでしょ?」というあやふやな認識と周りの見えているところだけからくみ取った様式でどうにかこうにか人間をやっている……っていう感覚は実際、父の方が話は通じやすかった覚えがある。
思い出すなら自身は「昭和の男は家のことに口を出さない!」と日ごろから豪語していたが、家計管理や家事育児などが絶対にできないという確信がうすうすあって、触らないことでいろいろ取り繕うっていうか、できないという事実から自分を守っていたんじゃないか。そう考えると何がしたいのか何が幸せなのか本人が全くわかんないままテレビを見て日々を過ごすから毎日イライラして。イライラのために新しい刺激や酒とかたばこの依存(もちろん、「大人」としてのアイテム効果も欲しかったんだと思う)でごまかして……といった動きが想像できていろいろ腑に落ちるのだ。実際俺はできると主張された母がそれなら、と範囲を絞って任せてみたら半月で崩壊した。今でも病院にいるのに一週間で万単位の浪費をしている、病院で何をそんなに使えるのか最早才能だと思う。(これは本人が不安がるからと病院の支払い用カードを持たせた私が悪い。一日3回新聞と雑誌とコーヒーと唐揚げ棒とチョコを買って喰えずに捨てていたようです。)
子供のころ目にした「大人」になりたいのにその詳しいところは見えていなくてわからない、そもそもその「大人」の像だって時代が変わって全く違うものになってしまっているしなってみたらなってみたで知らない責任や日々の暮らしに追われてしんどい、「大人の楽しいところだけやっていたい」……真っ当な人間である母からしたらこんな生き方マジで理解不能だったろう、恐怖すらあったのではないか。解かる私はたぶん一歩間違えばあっちにころっと転がってしまう……、転がった先にどうなるのかが目の前にあるわけだ、別の意味でとてもこわい。
自分は相手を親友だと思ってるだけで向こうは多分沢山いる友人の1人だと思うけど、タイトル通りです
もう20年は会ってない、今どこで何をしてるかも知らない、連絡先は当然20年前に失くした
名前も当時の顔も声も覚えているくらいには好きだった
彼女からしてみると私のことは「自他境界が曖昧でめんどくせえなこいつ」と思われていたかもしれないけど、彼女がいてくれたおかげで学生時代に何とか不登校にならずに済んだ
もちろんピアノも上手かった
きっと素敵な大人になっているだろう
そして私のことは忘れているだろう
でもなぜ夢に出てきたのかは分からなかったので夢診断なるものに照合してみたところ、過去の友人が出てくる夢は警告だという
自分の今の生き方に不満ややるせなさを感じているから、自分を見つめ直せということらしい
確かに今子育てをしている中で自分の中で折り合いのつかないことを抱えてしんどいとは思っている、言うことを聞かない子供と家庭よりも趣味に走る旦那にズレを感じている
ただこれは自分が我慢すればいい、子供は数年すれば手は離れるだろうし、旦那は外で頑張って仕事しているんだから休みの時くらい趣味を楽しんでくれていい
そう思っているだけで本当は不平不満ばかりだ、ただその不平不満の内容も自分勝手なところもあるから口を噤んでいる、自分の性格的に言い出したら相手のことを考えなくなるから
話を戻して、過去の親友である彼女はきっと素敵な女性として生きているだろうと思っている
いや、そう思いたいだけだ、幸せでいてほしいと私が勝手に願っている
あの頃に戻りたいわけがない、10代は地獄でしかなかったけれど彼女のおかげで駆け抜けることができた、私の人生の数少ない救いのひとつ
https://note.com/cobta/n/n61777b2373b7
これは私見ですが、原作コミックで大切にされていたメッセージは「レールから降りることをこわがらない」「家父長制から離れる」「女性はセクシー(=性的)でいろという要求に応えない」という生き方こそが「セクシー(=自分らしく、魅力的)」なんだよ、ということであり、『セクシー田中さん』の「セクシー」というワードの真意なのではないか、と思っています。
それがドラマ化の際に、そのようなディテールを表すセリフやエピソードが省略・改変されてしまい、ポリティカルコレクトネス的要素、フェミニズム的要素が、日本テレビによって「漂白」されて抜かれてしまった。
そしてその前提として、原作者の意向を正確に制作サイドに伝えない、という体制の問題があった。それこそが『セクシー田中さん』事件の根本なのではないか、とわたしは捉えています。
ですから、アニメ版『ぼっち・ざ・ろっく』を炎上(放火)させ、そこに不幸にも原作者がお亡くなりになっている『セクシー田中さん』を持ち出すのは、二重、三重に失礼な話ではないでしょうか。
うんうんわかるよ。
「作品の核の部分はノイズじゃねえだろ。 吉田さんはあくまでも作品の核を台無しにするようなことはしない!取り除くのはノイズだけだ! お前は何もわかってない!」
って言いたいんでしょ。
でも、その核がなにであるかは作者にしか決められないと思うんよ。
作者と話し合って決めた吉田さんは良いとして、
脚本家とちゃんと話し合って「これが売れるために必要なんです」って作者が納得すれば
たとえセクシー田中さんのポリコレ要素ですら改変しても構わんはずだよね。
作者が死んだ後に「これが核だったのだ」って第三者が言うのはどうなのよ。
死んだ作者についてあーだこーだ言うのは、すべてがマキマ的行為だと私は思うんだが
難癖つけるためだけにかきはじめてみたけど、自分でもちょっと無理があると思って考えるのをやめた
こういう難癖は、お酒の力を借りないと難しいんだよな。
「硬直した古い体質の大企業らしい考え方だなー」
↑どの部分を指して言ってるのか?
ピンクとか緑とか、目立つ髪色のやつがそこそこいる。
少なくともこれは考え方じゃなくてただの事実(優秀云々主観部分もあるがいずれにせよ考え方とは違う。)
髪色で個性出す前に仕事力磨いてくれんかとは思うが、仕事で本気出さない生き方なのかもしれない。
ただ、光学的に目立ってる割に仕事がパッとしないと、なぜかマイナス印象のほうが強くなって評価も上がりにくいので、それなりに成果出してからにすりゃいいのにとか思ってしまう。
↑これがお前の言ってる考え方(結論の導き方)にあたるのか?
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夫はサラリーマン家庭で育った。彼自身もいわゆる大企業に勤め、新卒から今日まで順調に勤続年数を増やしている。「安定した社会的信用」を当然のように身につけているのだ。
その姿は私には一生手に入れられないもので、素直に「素敵だな」と思う一方、どうしても自分と比較してしまう。
私は自営業の父を持ち、公営団地で育った。母からは物心がつく頃から「あなたは会社員と結婚しなさい」と口酸っぱく言われていた。
実際に会社員である夫と結婚した今、その言葉の意味を日々痛感している。
毎月安定したお給料が入ってくるということは、先が見える。ローンも組める。年金は半分会社が出してくれているし、福利厚生も充実している。
もちろん私だって新卒からずっと正社員で働いているし、私自身に後ろめたいことは何ひとつないはずだ。
例えば夫が当然のようにグレードの高い家電を買うときや、廉価版のパクリ商品ではなく有名なメーカーの正規品を選んだり、古いホテルに泊まることに難色を示したりしたときなど
ふと自分の出自を憂い、「この世のスタンダードは夫の側なのだから、間違っているのは私だ」と感じてしまう。
そんな瞬間を重ねるうちに、自分のすべてが浅ましく、恥ずかしい人間だと思うようになってしまった。これが、結婚後の自己肯定感の下がり方だ。
思えば、これまで長く付き合った男性の父親は皆自営業だった。だからか、そこには自由な空気があり、私は今まで後ろめたさを感じずに過ごしてきた。
しかし結婚してから、自分の中に深く刻まれた「サラリーマン家庭へのコンプレックス」が改めて浮かび上がった。それはきっと、母の価値観を内面化してしまった影響でもあるだろう。
人との距離をすぐに詰めてしまうところや、自己開示をしすぎてしまうことも含め、結婚後に気付いた私の中の「浅ましさ」は数え切れない。結婚生活の中でそれらが浮き彫りになり、恥ずかしさとともに自分を苦しめる。
家の風呂に入るのに何故かスク水を着せる、原作にはなく、物語に必然性もないのに主人公の男親が家事をしているシーンを入れ込む、など。
原作やモデルとなった人の生き方などを歪めたりすると非常にノイズに感じる。
表現活動や作家活動よりも思想活動などがきっつくて、作品を見る度にSNSでの発言や行動がちらつく
まだ物語が完結してもいないのにインタビューにしゃしゃり出てきて語るなど。作品で語れよ!と言うツッコミをしたい。
原作にもない、必然性もないのに謎の理論で入れ込まれる何か。カメオ出演がこれにあたるが、それに限らない。
脚本家があとで「これも仕事なので」みたいな雰囲気で言い訳していると、お前ノイズは取り除くっていったよね?って思ってしまう。
既に一期などがあるとか、原作がある作品では既にファンがいる。そして作品には複数の楽しみ方があるが、自らが示したそれ以外は認めないと言う様な形で強制するような改編。
さらに、楽しんでいるファンを「搾取」呼ばわりするなどすると、1位と2位と4位の合わせ技でもう無茶苦茶。
富野由悠季監督などはファンを叱るような言動をすることがあるが、それとは異質ななにか。
最近のアニメ化でふえていると感じるのがこれ。毒やブラックな部分、議論を呼びそうな部分を解毒して、漂白したようなもの。それが見え見えで見える奴。
世界展開をするためとか言い訳が一緒について回ることになるが、真正面からそう言った毒をも飲み込んで作り上げた作品は大ヒットや怪作と言われるものには絶対にならなくて、ただ失敗しなくなると言う事だけにやられているので、ノイズとして感じる。
人間とは何かを考えた時に、自分はもっと増えるための生き方の最適化をした方がいいのだろうと思うが、面倒がどうしても勝ってしまう。
今からじゃ勉強する意味がないと言って行動してこなかった人たちの気持ちがいまいちわからなかったが、自分の増える活動への抵抗感と同じだったと考えると理解ができた。
マジな話、「ひらめき」みたいなものだけで生きている人は多い。どういうことかというと「考える」という習慣がないんだ。とにかく直感的で、物事をパッと見たときに得られる直感だけを頼りにして判断している。そんな人はマジにいる。そして恐ろしいことに、そういう生き方でもある程度は普通に生きることが出来るんだ。
まず、彼らは資料を読まない。企画書だろうが仕様書だろうが、最初の数行を見ただけで「あー、わかったわかった」とか言って勝手に解釈する。で、後から全然違う話をしてきて、「え、そんなこと書いてありました?」って平気で言う。頭の中では自分の直感が正解だと確信してるから、文字なんてどうでもいいんだ。
次に、議論ができない。論理的に積み上げて結論を導くってことが理解できない。「なんとなくこっちがいい」「直感的にこれは違う」「雰囲気でわかる」。こういう言葉しか出てこない。根拠を求めると「感覚でしょ?」って逆ギレしてくる。
直感で相手の感情を読むのは得意だから、上司に気に入られるのが上手い。会議でも的確な場面で「そうですよね!」って相槌を打って、味方についてくれそうな人を嗅ぎ分ける。論理的思考はできないが、政治的思考は天才的だ。
さらに、失敗しても責任を取らない技術も身につけてる。「直感だったから」「なんとなくそう思っただけ」って言い訳すれば、周りも「仕方ないか」って思ってしまう。論理的に組み立てた提案が失敗した時より、責任が軽く見られるんだ。
恐ろしいのは、こういう人間が管理職になることだ。部下が論理的に説明しても「で、結論は?」「要するに何?」って直感レベルまで話を単純化させる。複雑な問題も「やってみればわかる」で片付ける。
でもな、もっと恐ろしいことを教えてやる。
こういう直感人間の方が、実は成功してることも多いんだ。論理的に考えすぎて動けなくなってる俺たちを尻目に、彼らは「なんとなくいけそう」でどんどん前に進む。分析に時間をかけてる間に、直感で動いて結果を出してしまう。
結局、世の中の大部分は論理じゃなくて感情で動いてる。顧客だって、商品の機能より「なんとなくいい感じ」で買い物してる。そういう世界では、直感人間の方が圧倒的に有利なんだ。
俺たちみたいに考えすぎる人間は、彼らを馬鹿にしがちだが、実際は負けてることの方が多い。論理的思考が必要な場面なんて、仕事全体の2割もない。残りの8割は直感とコミュニケーションで決まる。
だからこそ腹が立つ。頭使って考えてることが、結局は無駄だったりする。直感だけで生きてる奴らが、のうのうと成功してる現実を見ると、自分が馬鹿みたいに思えてくる。
でも諦めるな。論理的思考ができる奴は、最終的には直感人間より深いところで価値を生み出せる。ただし、それを相手に伝える技術も身につけろ。直感レベルまで落とし込んで説明する技術をな。
思いつきでテレフォン人生相談を聴いて、加藤諦三の本を読んだりして、今自分が何をどうしたら良いか考えてみても、気合と根性で踏ん張るしか思いつかない。マイペースのまま、精神年齢が止まったまま、孤独のまま、ただ進んでいく時間に虚しさだけが増していく。
カラッポ。
生き方、死に方、勝手で良いと思うのに、そんなに人のことが気になるか?人のことを気にして、何になる?
全ての泥を被っていなくなりてぇ。
30を過ぎてからマチアプでの戦い方が一気に厳しくなった。周りも結婚していくし、そろそろ自分も婚活しないとと思って真面目にやり始めたんだけど、現実は想像以上に厳しくて、いいねもほとんど来ない。
年収は500万超えくらいで、顔もまあ普通?くらいだと思うんだけど、それだけでは何にもならない。たまにマッチングしても、一度会って終わり。二回目につながらない。相手にとって自分はワンチャンあり…ですらないんだろうな
そこからだんだん気力が削られて、真剣に婚活するより適当に出会い系寄りのアプリでワンナイトする方が気楽になった。恋愛というより寂しさの解消に近い。
休日の夜、ぬいを並べて寝ても虚しさが消えない時に、誰かと会って寝るだけで一瞬だけでも埋まる気がした
でもそうやって繰り返すうちに性病になった。笑えない。薬を飲んで治したけれど、自己嫌悪と情けなさでしばらく立ち直れなかった。自分は何をやってるんだろうって思った。
婚活もうまくいかない、ワンナイトはリスクが高い。じゃあ何にすがるのかと考えたら、結局推し活だった。
アクスタ飾って、ライブ参戦して、Vtuberに赤スパを投げる。その方がはるかに健全で、裏切られない。ワンナイトよりVtuberにガチ恋した方が楽だよね、なんて思う
周りは子育てしていたり、夫婦で旅行に行ったりしている。同じ年齢でも生き方の差は広がる一方で、私は仕事と推し活の繰り返しだ。昔はそれを負けと思っていたけど、最近はもう諦めに近い気持ちになってる。婚活を続けてまた自己肯定感削られるくらいなら、推しに全力を注いでぬいを抱いて寝る方が心が安定する。
結婚しなくても、こうやって生活は回っている。正直、同じように婚活から離脱して推し活や趣味に逃げ込んでいる人は多いんじゃないかと思う。表に出さないだけで。
そう考えると、私はただその一人にすぎない。もう結婚なんていいかと思いつつまた推しのライブの日をチェックしている。この生活、いつまで続くんだろうか